第62話『誰だって』
グレイはすぐに他人を羨む。
どんなに基礎的な魔法だろうと、自分にできないことを他人ができるのは気に喰わないという。
その理由が、ようやく少し理解できた。
こいつは本気で警戒しているのだ。自分の沽券を脅かすのではないかと。英雄としての見せ場を奪われるのではないかと。
それがどんな格下の相手だろうと。たとえば、俺のような半端者であっても。
眼下ではクランとバゼルが、ともに笑みを浮かべながらこちらを見上げている。
片方は「後は任せた」という信頼の笑み、もう片方は「お手並み拝見」という挑発的な笑み。
「頼もしいな」
こんな状況だというのに、俺は笑った。
やはり【百器夜行】も【迅剣】も、歴史に語られたとおりの英傑だった。こうして本人たちの活躍を目の当たりにできたことを、心の底から嬉しく思った。
「そりゃ、未来の私の仲間ですよ。このくらいはやってもらわないと困ります」
おや、と俺は目を丸くした。
いつものグレイなら対抗意識を拗らせて、否が応でも相手を認めないと思ったが――
「格下の仲間ばっかり侍らせてたら、ただのお山の大将ですからね! 仲間の全員がお世辞抜きに正真正銘の英雄で、リーダーの私がその全員を上回る大英雄になってこそ、未来に誇れるってもんでしょう!」
グレイが杖を眼下の魔獣に向ける。
百足のごとき竜の異形は、胴体をクランに斬られて動けぬままでいる。
いや。
胴体が割れ、そこから人型の本体が露出した。
そして――逃げた。
瞬間移動かと見紛うような、凄まじい逃走速度だった。おそらくは、クランの高速移動を模倣したものである。
ここで取り逃がせば、もはや追うだけの余力はこちらにない。それはある意味で敗北に等しかったが、
『ァ、ガ、ッ!!』
その心配は無用だった。
魔獣の逃走経路に、予め分かっていたかのように、罠のような魔力弾が『置かれて』いたのだ。
魔力弾に逃走を阻まれた魔獣は、錐揉みをうって空中に弾け飛ぶ。
「猿知恵も悪知恵も大いに結構。しかし、妾の前では飛んで火に入る夏の虫と知れ」
「攻撃を撃ったのは僕だけどね」
カスパーとミュリエルが、地上で揃えてキザに指を振った。
こちらも忘れるなと言わんばかりに。
怨嗟じみた咆哮を上げる魔獣目がけて、王都を満たす炎の光が収束する。
「――散々手こずらせてくれましたね。喰らえ必殺『天蓋落とし』」
一点集中。
天より裁きの稲妻を落とすがごとく、凄まじい威力の光条が魔獣を穿ち貫く。
「っらああああああ――――――っ!!!!」
グレイが吼える大音声とともに、俺の視界が二つの光景を捉えた。
引き伸ばされた時間間隔の中で、まるで白昼夢のようにそれぞれの光景が展開していく。
一つ目の光景。
クランが、瓦礫の山と化した王都で泣きながら跪いている。バゼルがその背後で悲痛な面持ちを浮かべている。
『……お前、まだ泣けたんだな』
バゼルの言葉に対し、どういう意味か分からないとばかりにクランは振り返る。
『皆を守れなかった。だから悔しくて悲しい。泣くのはおかしい?』
『……いや、おかしくねぇよ。おかしかったのはオレサマの方だ。お前がまだそこにいたんだって、今更――本当に今更になるまで、気付かなかった』
そう言ったバゼルが、一振りの剣を地面に突き立てる。
『やるよ、クラン様。【神剣】の代わりにゃならんだろうが、それなりの業物だ。これから国を滅ぼした奴に復讐すんだろ?』
『……一緒に戦ってくれるの?』
『オレサマにそんな資格はねぇよ。てめぇと仲間になんざなれやしねえ』
視界の中のバゼルが自嘲気味に笑って、クランに背を向ける。
『オレサマが勝手に、てめぇの後をついていくだけだ。生き恥晒しながらな』
本来あったはずの光景が薄れ、もう一つの光景が俺の目に浮かぶ。
言うまでもない。今、現在、この瞬間の状況だ。
ミュリエル、カスパー、バゼル、クラン、全員がこちらを見上げて「やっちまえ」とばかりに笑みを浮かべている。
――どちらを選ぶ?
俺の魔法は『グレイ・フラーブの活躍を見届ける』こと。
最初に見た光景は、なるほど俺が知るグレイの英雄譚の正しい一幕であったのかもしれない。無力に打ちひしがれたクランと、己の過ちを悟ったバゼルの光景。そして互いに後悔を抱えたまま、グレイの旅に付き従った。
――そんな光景。クソ喰らえ、だ。
そうとも。未来の英雄の仲間が、そんなフヌケであってもらっては困る。世界を救う一員にふさわしく、堂々と胸を張ってもらえる連中でないと困る。
俺自身が、そうでありたいように。
隣で並ぶこの生意気な小娘に、いつか吠え面をかかせてやれるような、そんな一人前の英雄になれるように。
「だから引っ込んどけ! ダメな方の未来!」
選択するまでもない。俺の魔力が迸り、光となって瞳から放たれる。
俺の『視たい』未来を掴むべく、全力でグレイの魔法に力を貸す。
俺は今、この瞬間の光景が好きだ。完璧な偶像のように思っていた英雄たちも、駄目なところもあればポンコツなところもある『普通の人間』だったのだ。
ならば、誰だって――!
「「ぶち抜けぇえええ―――――っ!!!!!」」
俺とグレイの声が重なる。
光条が焔色の螺旋を描いて破壊力を増し、再生の暇すら与えず魔獣を跡形もなく消し飛ばす。砕かれた魔獣の膨大な魔力が、星屑のような煌めきとなって王都に降り注ぐ。
「うっしゃ――――! 勝ったっ―――――――!」
両拳を天に掲げて叫ぶグレイだったが、ここで俺はまたカスパーと戦ったときの過ちに気付いた。
「すまんグレイ」
「うん? 何ですか」
「落ちる」
トドメの一撃に全力を絞り切った俺は、もはやグレイの魔法を制御することも叶わず、飛行用の光球を失って真っ逆さまに地上に落下していった。




