第59話『追憶の問答』
バゼルの目には、敗北はもはや避けられないように見えた。
妙な炎魔法によって王都が燃やされたときは、あるいはグレイ側に勝利の天秤が傾くかとも思われた。しかし、直後に魔獣は大量の竜を召喚して炎の鎮火に動いた。
グレイという娘の魔法は、光を操るものと類推できた。わざわざ温度のない炎を広げたのも、操るための光を増やすためだろう。
悪あがきのように炎蛇がまた三体放たれたが、それも王都にひしめく魔竜の前ではただの獲物に過ぎない。あの三体がじきに喰われて、王都は壊滅だ。それはつまり、バゼルの念願が叶うということでもある。
「……よう。敗北はどんな気分だ、クラン様」
そしてバゼルは、クランを眼前に見下ろしていた。
クランは魔力を奪われ、未だに動けぬまま城門の奥に倒れ伏している。
「え? どんな気分だよ。【神剣】があっけなく負けて、目の前で王都が滅びかけてやがる。お前なんか、いてもいなくても意味なかったじゃねえか」
クランは息苦しそうに喘ぎながらも、それでも立ち上がろうとしている。
あるいはバゼルの言葉を発奮の挑発と受け取ったのかもしれないが、
「勘違いすんな。オレサマはてめえを鼓舞してんじゃねえ。もう休めって言いに来たんだ」
どこか悲痛な表情でバゼルは俯く。
「てめえは無敵の戦士でも何でもねえ。ただ魔力が多かっただけの普通の小娘だ。【神剣】なんざに選ばれるべきじゃなかったんだよ。ここらで諦めて、もう楽になれ」
そのとき、バゼルの襟首をクランの手が掴んだ。
そしてそのまま、
「ぐぁっ!」
頭突きが浴びせられた。
鼻血が出るほどの痛烈な一撃を。
「バゼル・ロウ。意地悪な人。装備を作ってくれなかった人。来るのが遅い」
「……てめぇっ」
クランの浮かべる目は非難がましくも、やはりバゼルへの知己は感じさせない。元・宮廷魔術師の、偏屈な装備屋に対する態度だ。
忌々しく眉を顰めるバゼルの前で、クランは掌を広げた。
「剣を頂戴。皆を守る」
「……あ?」
「あの化物に【神剣】は効かなかった。別の剣がいる。魔力で編まれた剣じゃなくて、実体のある剣が」
「ふざけんな。オレサマは剣は打たねえ主義だし、まして【神剣】の代用品なんざ死んでも御免だ」
「じゃあ背中のその剣は何」
語るに落ちる以前の話だった。バゼルはまだ例の墓標剣を担いでいた。失われた友人・ララを悼む銘文が刻まれた剣を。
「……これは剣じゃねえ。剣だとして、てめえはもう戦える状態じゃないだろ」
「戦う」
バゼルは奥歯を割れそうなほどに噛みしめた。同時に、積年の怒りが一気に去来する。
「もうやめろ! 馬鹿の一つ覚えみたいに守るだの戦うだの! お前がそんなことしてやる道理がどこにある! 本当のお前はそんな風に戦える奴じゃ――」
そこで、気付いた。
剣を求めて差し出されたクランの手が、震えていた。
体力切れから来る震えではない。その証拠に、無表情めいていたクランの表情にごく些細な不安の陰りが見える。旧知のバゼルでなければ見抜けないほどの。
「お前」
「剣を頂戴」
心の弱さを捨てたはずのララ――クランが、恐怖に震えている。しかし、それでもなお戦おうとしている。
戸惑うバゼルの背後で爆発が巻き起こった。
グレイと魔獣の戦闘だ。彼女はアランと二人で光球に収まって飛行しながら、上空から無数の光弾・光条を乱発している。
そのうち半数は魔獣本体への牽制、もう半数は魔獣の放った竜から炎蛇を守るため。見事な奮戦ではあったが、明らかな多勢に無勢だ。このままでは潰される。
「わたしも戦う。力を貸して。バゼル・ロウ」
バゼルは苦しそうに喉を鳴らしてから、ゆっくりと天を仰いだ。
あるいは。
もしクランの内に、ほんの少しでも彼女の残滓があるのなら。
「一つ。オレサマの質問に答えろ」
「……?」
「オレサマには昔馴染みがいた。弱っちくて陰気で臆病で泣き虫などうしようもねえ奴だ」
眉間に皺を寄せ、拳を握り、微かに震えながらバゼルは言葉を続ける。
「そんな奴が、ある日――とんでもねえ蛮勇を振るいやがった。周りの連中を守るために、自分の身を投げ出すような真似をしやがった。お前は……なんでそいつがそんな真似をしたと思う?」
クランは当惑するように首を傾げた。「何を言っているのだこいつは」という感じの態度である。
しかし剣を貰うのに必要と考えたのか、しばらく考え込む。
「その昔馴染みと、仲よかった?」
「……それなりにな」
「弱っちくて臆病とか泣き虫とか、本人にもそう言ってた?」
「たまにな」
「それなら簡単」
うんうんとクランが頷いた。
「きっと、いいとこみせたかったから。やればできるんだぞって」
長い沈黙。
火の粉の舞い散る夜空をひたすら仰いでから、バゼルは長い息を吐いた。
「ほらよ」
地面に突き刺したのは一本の剣だ。
そのままクランと目も合わせずに、バゼルはその場を立ち去っていく。
いや。
去り際に、一度だけ振り向いた。
「覚えておいてくれよ、クラン様。そいつの名前はララってんだ。今もどっかで頑張ってる、オレサマの大事な友達だ」
バゼルは歩く。
光曳く炎蛇が這い回り、魔竜がそれを喰わんと空を舞う、夜の王都の只中を。
「ほんっとに馬鹿だな、オレサマは」
ララは強かった。
自分がそれを認めていなかっただけだ。【神剣】の担い手として戦う決心をしたのは、他でもないララ自身の意志だったというのに。
周りのプレッシャーに負けてその道を選んだだけだと、勝手に決めつけていた。
どうあれ、あいつは自分自身で戦う道を選んだのだ。
「まだ少しでもあいつが生きてんなら、それでいい」
バゼルは夜空に向けて手を打ち鳴らす。
それはかつて遊びの中で習得した、彼の魔法の応用だった。
そして今、この戦況を覆せる唯一の魔法だった。
心の底からの笑みを浮かべ、バゼルは不敵に呪文を詠唱する。
「野郎ども。姫様――いや、『勇猛果敢な騎士様の出陣だ。ゆめゆめ一人で立たせるな。剣持て。槍振れ。鬨挙げろ。百鬼夜行の群れを成せ』」




