第56話『笑う髑髏』
「星屑にでもなってくれ」
カスパーが指を弾くと同時、魔獣の足元から凄まじい規模の魔力砲が噴出した。
紫色の魔力が夜空へ柱のごとく昇っていき、遥か頭上で炸裂。その轟震は地上にまで響く。
「やった!」
手柄も忘れてグレイがそれを喜ぶが、カスパーがそれを制するように掌を広げた。
「まだだ」
同時に、空から魔獣が降下してきた。
まるで水の中を沈んでいるかのような、ごく緩やかな落下速度。
あれだけの攻撃を受けてなお傷一つなく、何事もなかったかのように二本足で着地する。
「あれでもノーダメージか。ずいぶんと硬いな」
余裕の消えた表情となり、カスパーは戦闘の構えを取る。
「彼は……味方なのか?」
そこで、呆然と戦況を見ていた槍の戦士が訪ねてきた。
「はい。私の手下です」
俺よりも先にグレイが真顔で答え、カスパーががくんと頭を落とした。
その隙を狙ったかのように、魔獣がカスパー目がけて突進してくる。
「カスパー!」
「――ふむ。隙を見せたら誘いに乗ってくるか。今まで見たことのない振る舞いだね」
俺の警告は杞憂だった。
すぐに正面に向き直ったカスパーは、その腕から魔力を『放出』した。今度は単純な砲撃ではない。紫色の魔力は一つの形状を象ってカスパーの腕の延長となる。
「咢」
魔力で象られたのは、鋭い牙を持つ獣の咢だ。
「噛み砕け!」
突進してくる魔獣に、真正面からカスパーの象った獣の咢が喰らいつく。
体表に触れると同時に牙が溶けるが、凄まじい勢いで牙も再生していく。紫電のような火花が眩く弾け散り――
魔獣が吹き飛んだ。
そして、その片腕は見るも無残に千切れていた。
カスパーが顕現させた獣の咢が、千切れた魔獣の腕を美味そうに咀嚼して呑み込む。獣の喉が鳴り、ゲップのように『吸収』の黒霧を漏らした。
「まだ僕の魔力は完全充填とはいかないけど、足りない分は君の魔力を喰らって補わせてもらうよ」
魔獣の腕がすぐに再生するが、カスパーの腕に生えた獣の咢は舌なめずりのように唸りを発する。
勝てる。
魔力が万全でないことだけが唯一の不安だったが、伊達にカスパーもこれまで一人で戦ってきたわけではない。攻撃と魔力補給を同時に果たす術を持っている。
勝利を確信した俺は、広場に倒れ伏した人々の救助に走った。グレイや槍の戦士も続き、一度に数人を抱え、頑強な貴族区の城門の奥へと運び込んでいく。
その間も戦闘は続いていた。
何度かは魔獣の手がカスパーに触れたが、彼の膨大な魔力を一瞬では吸い切れないらしく、それだけでカスパーが倒れることはなかった。
失った魔力は即座に魔獣の腕や脚を咢で食いちぎり、咀嚼して己の魔力に還元する。
互いの魔力を奪い合う、終わりの見えない争いだった。
「グレイ嬢」
避難がおおよそ済んだところで、カスパーがグレイに呼びかけた。
「少しばかり決着が長引きそうだ。だけど日が昇るまで長引かせれば、こちらの勝ちだ。そのときは頼むよ」
ぐっと親指を立ててグレイが応じる。
「もっちろん! ま、それまでせいぜい時間稼ぎでも頼みますよ!」
俺は王都の時計台を見上げた。
灯に照らされた文字盤が示す時刻は、まだ夜明けまで遠い。ゆうに数時間は稼がねばならない。
「心配無用。それまでは、のらりくらりとやってみせるさ」
そう言いながら、カスパーは近づいてくる魔獣を咢で迎撃する。
確かに、現在のところ戦況は拮抗している。さらに魔獣の動きは素早さこそあれど、単調でワンパターンだ。
このまま日が昇れば、グレイが全力を発揮できる。それで魔獣を完膚なきまでに完全消滅させればいい――……
そんな楽観を覚えてから、何度目かの攻防だっただろうか。
カスパーの操る獣の咢が、魔獣の上半身を丸ごと喰らいきった。これでまた魔力と時間を稼げたと思ったとき、
魔獣に異変が起きた。
もとより魔獣に首から上はない。再生されるならば、そこまでのはずだ。
しかし、違った。
首よりも上まで――顎が、歯が、眼窩が、そして脳が。
脳を剥き出しにした頭蓋骨の異形が、そこに形成された。
『じ、ジ、ジ、じ』
異形の髑髏はそして人語を発する。
言葉を覚えたての幼児のような無邪気さと、悪辣な怪人の狂気を兼ね備えて。
『じ、ジ、神、ケ、剣、ン』
魔獣の腕に、魔力の光が収束した。
そこに顕れるのは、万物を断ち切る最強の剣の姿――
まずい。あれは。
「避けろカスパー!」
俺の叫びは遅きに失した。
剣を迎え撃った獣の咢は、真っ二つに斬り伏せられて塵と消えていく。
笑う髑髏が放つ斬撃は、そのままカスパーの脇腹に吸い込まれた。




