第52話『出現の予兆』
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俺がバゼルの前で立ち尽くしていると、いきなり店の裏口が蹴破られた。
そこに立つのは、十歳ばかりの少女――いや。
「ほほう。ならば、この剣にはさしずめ未練剣とでも銘打ってやろうか」
ミュリエルだ。
裏庭に刺さっていた墓標の剣を勝手に抜き、肩に担いでほくそ笑んでいる。
「テメェ、誰だ?」
「なぁに。名乗るほどの者ではない。そこの間抜け顔な未来人の知り合いじゃ」
「どうしてここに? 入国できないんじゃなかったのか?」
バゼルとクラン・ララ・アルヒューレの説得にあたり、ミュリエルは同行しない。それは最初に決めていたことだ。
ミュリエルのような強力な魔術師は、後ろ盾なしには国境の関所を抜けられないと――
「ん。国境に張ってある探知魔法を、優男に頼んで『吸収』して無効化してもらってな。その隙に入り込んできた」
俺は慌ててバゼルを振り向いた。
密入国の手口を飄々と暴露してしまってよいのかと思ったが、ミュリエルもバゼルもあくまで平然としていた。
「そっちのスケベ男はお国の事情など知ったことではあるまい。そうじゃろ?」
「はっ。ずいぶん盗み聞きしてくれたみたいじゃねぇか……おいクソガキ、その剣から手ぇ離せ」
「そう心配せずとも盗みはせんよ。こんな未練ったらしい気色の悪い剣、頼まれたって貰ってやるものか」
ミュリエルは剣を再び地面に突き立てた。
「……おいミュリエル。そんな裏技で入国できたなら、最初からお前が来ればよかっただろ」
もともと俺もグレイもこうした交渉は不得手だ。
ミュリエルなら、バゼルが暴露した過去の事情も何もかも、最初から一目で理解できただろう。
「あほう。こんな強硬手段、そう簡単には使えるものか。実際、今は国境警備も王都防衛隊も大騒ぎだぞ。探知魔法が壊されたことに気付いて、市中の取締を何倍も厳しくしておる。リスクがでかすぎるわ」
「じゃあなんで来たんだよ」
「鈍いのう。そこまでのリスクを負って貴様らに伝えねばならんことなど、一つしかあるまい――あれが出るぞ」
「……まさか、魔獣か?」
ミュリエルが頷いた。
「優男の勘によれば、今日中にも王都近辺に出るじゃろう。日中なら貴様らが対処しろ。日暮れ後に出たら優男が動く。あいつもすぐ動けるよう、国境そばに潜伏しておる」
「一緒には来てないのか?」
「妾はこうやって小さくなってりゃ市中の警戒網を潜れるが、あいつは冤罪とはいえお尋ね者だからのう。姿を現すのは本当に緊急時でなければならん」
カウンターに頬杖をついていたバゼルが、そこで割り込んできた。
「おいクソガキ? 今の話はマジか? あの怪物が王都に出るってのか?」
「そうじゃ。貴様も協力してくれるか?」
「しねぇよ。なんなら怪物に加勢してやってもいい気分だぜオレサマは」
「は。口だけは達者だな。そんな気概のある男なら、こんなところでウジウジとスケベ趣味の店など構えてはおるまい」
「あぁ?」
喧嘩腰になったバゼルだったが、遥かに小柄なミュリエルの方が余裕面だ。
「覚えておけ。己が信念のために悪にも染まろうという男はな、もうちょっとマシな目をするものだ」
一瞬、バゼルが目を見開いたかのように見えた。
しかし、すぐに彼の表情は自嘲するかのような薄笑いに変わる。「ああそうだよオレサマは卑屈なスケベさ」と開き直るかのように。
行くぞ、とミュリエルは俺を掌で促した。
「さっさと馬鹿小娘と合流して敵の出現に備えるぞ。できれば妾も魔獣を一度間近で確認してみたい。ほれ急げ急げ」
背を蹴られ、俺は戸口に追い立てられる。
もう一度バゼルの表情を窺おうとしたが、俺が振り返る前に、彼は背を向けて裏庭に去っていった。
――――――――――
「ありゃあダメじゃな。使い物にならん」
「バゼルのことか?」
王都の中心部へ戻る道中、俺とミュリエルは魔力で強化した脚力で地を蹴っていた。
練度の差というべきか、ミュリエルは子供状態の短い脚で俺以上にスピードを出している。
「うむ。もし味方になれば有用じゃろうが……まあ望み薄じゃろう。それより貴様、魔力のペース配分は考えておろうな? 王都に到着してガス欠で戦えんとあっては本末転倒だぞ」
「このくらいは問題ない」
「ふん。どうかのう。今朝も魔力切れを起こしたのじゃろ? やはり妾が担いでいってやろうか」
子供状態のミュリエルに担がれて移動など、恥もいいところだ。
多少の苦しさはあったが、それでも俺は痩せ我慢で走った。
そのとき。
「止まれ」
「うぉっ!?」
いきなりミュリエルが俺を制止して、木陰に引きずり込んだ。
「なんだいきなり」
「街道の前方から、やたらと警戒した集団が来ておる。おそらく国境の異変で駆り出された警備連中じゃろう」
気配を読み取るかのように、ぴょこぴょことミュリエルの前髪が動いている。
「……五人、いや、六人じゃな。一人だけ毛色が違うのは、こいつだけ仲間ではなく……」
ぴたりとミュリエルが言葉を止め、それから「はぁ~~~~」とクソ長いため息をついた。
「どうした?」
「道を見ていろ。すぐ分かる」
見ていたら、上等な装備に身を包んだ憲兵らしき連中が集団で歩いてきた。その中に一人、手に縄を打たれている人物がいる。
「違うんですって! 私は本当に無実ですから! 国境で何があったかとか知りません! 本当ですって!」
「言い訳は後で聞く! もう一人の共犯者はどこだ!」
「アランさんはたぶん街はずれのバゼルさんのとこだと思います! でももし仮にアランさんが何かやってたとしても、私は知りませんからね! あっちの単独犯ですからね! そうだ! 商店街のお菓子屋の店員さんに聞いてみてくださいよ! 私は今朝からずっとあそこにいたからアリバイが――」
必死な表情で潔白を主張するグレイが、そこにいた。




