第51話『バゼルの過去』
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そうしてバゼルは語り始めた。
まるで、溜め込んでいた愚痴を吐き出すかのように。
――――――――……
それは、まだバゼルが少年だった頃。
「あそぼ、バゼル」
ノックの音とともに、少女の呼びかけが聞こえた。
バゼルは無視を決め込む。
両親は留守である。このまま自分も居留守を続ければ、諦めて帰っていくだろう。
「バゼル。あそぼ。ぬいぐるみたくさん持ってきた」
無視。
こちとら硬派な男児である。そうそう毎日、ぬいぐるみ遊びに付き合ってやるつもりはない。
と、誓ってはいるのだが。
「……うぅ」
玄関の戸の向こうから湿っぽい唸り声が聞こえてバゼルは表情を固くする。
「なんで……なんで無視するのぉ……うぇぇ……」
少女が、びぃびぃと盛大に泣き始めた。
それでもバゼルは冷徹な姿勢を崩さない。いつもの根競べだ。ここで甘い顔を見せれば、また調子に乗って付き纏われる。
ここは心を鬼にしてお引き取りいただくしか――
「ああくそ! うるっせぇんだよララ! 他人んちの前でいつまでも鼻すすってんじゃねえ!」
乱雑に玄関を開けたバゼルは、ララの顔にハンカチを押し付けた。
近所に住むバゼルより三つばかり年下の少女だ。とにかくよく泣く。なんにでもビビる。外を歩けば十歩ごとに怖がるものを見つけて震えるので、家の中にこもってばかりいる。
「ひっく。だって、バゼルが意地悪するから……」
「悪かったよ悪かった。だけどな、遊ぶにしてもそろそろ人形とかぬいぐるみの遊びはやめねぇか? いい加減飽きただろお前も」
「ううん。楽しい」
ぷるぷると髪を乱して首を振るララ。
バゼルがため息とともに「今日だけだぞ」と言うと、さっそくララは背負っていたリュックからぬいぐるみを取り出し、廊下に並べた。
「いつものやって」
「へいへい。ほら野郎ども、お姫様の御参りださっさと行列に並びやがれ」
ぱちんとバゼルが手を叩くと、ぬいぐるみたちがぽんとその場に立ち上がって、楽しげに廊下を歩き始めた。
ララは「わあ!」と目を輝かせる。
余談ではあるが、バゼルがこの技を最初に披露してやったときは、驚愕のあまり大泣きされた。今では毎日のようにやれとせがまれるが。
「すごいすごい、どうやるの?」
「だから何度も言ってるが、お前にゃ無理だっての。これは魔力を『長期間安定して物体に定着する接着剤』みたいな性質に変換する技でな。第三階級魔法の一種で、付与術なんて呼ばれたりもする。品質は天から地までいろいろだが、その辺に売ってる魔法道具はほとんどこの魔法で作成されてる」
「?」
「要するに、オレサマの魔法は無機物の強化・改良に最適で、簡単な命令を出すのなんかも朝飯前……」
「?」
「オレサマはぬいぐるみと喋れるってことだ」
「すごい!」
厳密にいえば違うのだが、打ち切って話を終わらせる。
ララにこの凄さは理解できまい。何が凄いかというと、この付与術の使い手は、魔術師の中でも特に喰いっぱぐれないのだ。腕がよければ、どんな環境でも引く手数多の好待遇が約束される。
「なあララ。オレサマは、この魔法を極めるのに忙しいんだ。ちったぁ遊ぶペースを落としてくれねぇか?」
「魔法をきわめて、ぬいぐるみの王様になるの?」
「そうじゃなくてな……」
バゼルが説明を考えているうちに、ララは駆けまわるぬいぐるみを追って、客間へと走っていった。
―――――――……
「あそぼ、バゼル」
「あのな。お前、こないだの魔力検査で凄い結果が出たんだって?」
「そうみたい」
「なら、呑気に遊んでんなよ。特訓なり何なりしろ」
ぷるぷると首を振るララ。
いつになっても、性根は変わらないままだった。かつてない逸材と持て囃されたバゼルに匹敵――あるいはそれ以上の水準で、ララの魔力は優れていた。
だが本人は、ほとんどそれに関心する様子を見せない。
相も変わらず、根暗な遊びにバゼルを付き合わせようとしてくる日々である。
時折、とてつもなく早い逃げ足を披露するときに、人並み外れた身体能力の片鱗が見えるだけだ。
せっかくなのだから才能を伸ばせ――と忠告したいバゼルだったが、
「あんまり魔法、使いたくない。なんだか怖い」
この始末である。
まあ、それも自由かと思う。それに、ポッと出のララに村一番の天才の座を奪われては面白くない気持ちもある。
「だからって、オレサマを巻き込むな。しゃあねえから遊んでやるが、ペースもうちょっと減らせ」
―――――――……
雨の日だった。
景色が真っ白になるほどの土砂降りの中で、ララが玄関先に訪れた。
「バゼル」
「なんだこんな雨の日に。しかも雨具もなしに」
「怖い魔法が出たの」
「あん?」
怯えきった目でララが震えていた。
「とっても大きい剣が出たの。びっくりして手を放したら、そのまま家の床が斬れちゃって……ううん。その下の地面まで」
「剣? どんな剣だ? 今、出せるか?」
「出したくない」
バゼルには心当たりがあった。
どんなものでも両断する剣。この国に継承される古来よりの魔法。【神剣】
「落ち着け、ララ。その剣を出したところ、誰かに見られたか?」
「ううん。まだ、パパとママも知らない。床を斬っちゃったから……怒られそうだから、わざとお部屋散らかして、穴を隠してる」
「いいか。何も言うな。オレサマがなんか言い訳考えてやるから、その剣のことは黙ってろ。そんで、二度と使うな」
ララは頷いた。
――――――……
「バゼル」
「喋るな。逃げるぞ」
バゼルはララの手を引いて、野山の中を駆けていた。
普段こんな場所を通れば、虫やら動物やらに大騒ぎするララだが、今日は気丈にも涙をこらえている。
「てめぇなんか、その剣があっても戦力になんかなりゃしねえんだ。わざわざ無能を王都に連れてかせる必要はねえ」
バゼルは藪の陰から眼下の村を見下ろす。
王都からやってきた憲兵たちが、村を闊歩してララを探し回っていた。山の方にも追手が乗り込んできているのが見える。
思わず舌打ちをつく。
ララは誰にも魔法を打ち明けていない。となれば、王宮には継承者を探知する方法があったのだろう。
「ねえバゼル。やっぱり、出ていった方が……」
「心配すんな。あんな連中、オレサマの敵じゃねえ。いざとなりゃ全員ボコボコにして強行突破してやる」
虚勢ではなく、実際バゼルにはそれをできる自信があった。
魔法の特性は戦闘向きではないが、バゼルほどの魔力の持ち主ならばそれを乱雑に振るうだけで相当の戦力となり得る。
ララの逃げ足は一級品だ。
だが、一人で逃げる度胸はない。
だからバゼルは、こうして手を引く必要があった。
「とにかく、国外に出るぞ。そうしたら追手が緩む。オレサマの魔法なら、どこ行っても食うには困らねえ」
「……ダメだと、思う」
「ダメじゃねえ。オレサマを信じろ」
「ううん。違う。そんなことしちゃ、ダメだと思う」
バゼルに逆らうように、ララは踏ん張って足を止めた。
「……ララ?」
「きっと、わたしが――ううん。【神剣】がなくなったら、みんな困る。これはとっても、大事な魔法だから」
「だからって、お前がそんな大層な剣を扱えるわけないだろ! なら逃げたって同じだ!」
怒鳴ったバゼルは、再び前を向いて道なき山の中を逃げようとする。
その瞬間、
「がっ」
後頭部を殴られた。
鈍い衝撃に視界が歪む。地面に倒れながら背後を向けば、そこには【神剣】を横向きに構えたララがいた。
どうやら刃の腹で殴られたらしい。これまで人を殴ったことなんて一度もないであろうララの手は、それだけで小刻みに震えていた。
「ごめんね、バゼル」
「お……おい、てめぇ。どういう……つもりだ」
「考えてたの。わたしがもっと強かったら、誰も困らないって。パパもママも、バゼルも、この国のみんなも」
そしてララは、震える手で刃を掲げ、自分の胸へと向けた。
「待て……何するつもりだ。おい! やめろ!」
「大丈夫。わたしの『弱さ』を斬るだけ。それで全部、大丈夫になるから」
「ふざけんな!」
バゼルは歯を食いしばり、なんとか片膝で立ち上がった。
眩暈を堪えつつ、腹の底から叫ぶ。
「そんな……そんな剣がなんだってんだ! それなら、このオレサマが、そいつより強ぇ剣を百本でも千本でも……いくらでも鍛えてやる! そんでもって、てめぇもその剣もお役御免にしてやる! だから……」
「ありがと、バゼル」
そのときバゼルは一瞬、説得が功を奏したかと思った。
しかしララが浮かべていたのは、寂しげな諦めの表情だった。
「待ってるから。バゼルがいつかそんな剣を作って、わたしを迎えに来てくれるのを」
そして刃が、彼女の胸を貫いた。
――――――――……
「バゼル・ロウ。優れた魔装職人としての実力を認め、このマグヴェルト王国の宮廷魔術師に任ずる」
あの日から、バゼルは一心不乱に鋼を打った。
それでも【神剣】に及ぶ剣に至る気配はなく、焦燥が募るばかりだった。あらゆる物を、形なき心すらも斬り裂ける剣を、果たして本当に凌駕することはできるのかと。
宮廷魔術師の職を欲したのは、より上等な素材や工房を得るためだったが――やはりそれ以上に、一目でいいからララの姿を確かめておきたかったのかもしれない。
ところが、こちらから彼女を訪ねるよりも先に、ララの方から訪問があった。
「あなたが、バゼル・ロウ?」
貴族区に割り当てられた新居に荷物を運びこんでいるとき、いきなり背後から聞き覚えのある声に話しかけられたのだ。
振り返ってみれば、そこにはずいぶん背丈の伸びたララがいた。
あの日以前の記憶がないのは承知済みだったが、それでも他人行儀な口ぶりには少し胸が痛んだ。
「ああ、そうだ」
「とてもいい装備を作るって聞いた。ぜひ、どんなものか見せて欲しい」
バゼルは目を伏せ、荷物の中の一箱を開いた。
そこには、大量の剣が収まっている。
「……今はまだまだだが、じきにもっと強い剣を作ってみせる予定だ。悪いが、もうちょっと待っててくれないか。絶対に作ってみせるから」
「剣? ううん。それは、いらない」
バゼルは、息を呑むような表情で顔を上げた。
「わたしには【神剣】がある。わざわざ、他の剣はいらない。それよりも、あなたには防具を作って欲しい。防具はない?」
――――――――……
回想を語り終えたバゼルは、自嘲の笑いを喉からくっくと漏らしていた。
相変わらず、店に並んでいる防具はしょうもない品ばかりだ。だが、今の俺の目には、それらは一種の当てつけのように思えてならない。
「なあオイ。オレサマがなんで未来から来たなんて与太を信じて、ここまで腹割って話してやったと思う」
俺は何も答えなかった。
悲痛な顔をしたバゼルを前に、何といっていいか分からなかった。
「てめぇの話じゃ、裏庭に刺さってるあの墓標剣を、いつかララが――クラン様が使ってくれるそうじゃねぇか。オレサマは情けねぇことによ……それ聞いて、嬉しいと思っちまったんだ。あいつが戻ってくるわけじゃねぇってのに。女々しいったらありゃしねえ」
『ゼロん』様からレビューをいただきました!
ありがとうございます!




