第49話『賢明な判断』
「まったく、幻滅しましたよ。私のことが大好きなのは知ってましたが、ここまで見下げ果てた行為に及んでくるとは思いませんでした」
うっすらと昇り始めた朝日が照らす宿屋の一室。
俺は未だに身体を満足に動かせぬまま、床に這いつくばってグレイの説教を受けていた。事情はよく分からないが、状況的には明らかに俺に非があるのだ。
グレイは寝間着姿が恥ずかしいのか、毛布で全身をくるんでベッドの上に座り込んでいる。
「……すまん」
「すまんじゃないですよ、もう。――で、慰謝料はいくらもらえます?」
「は?」
「慰謝料ですよ慰謝料。前に私から巻き上げた金貨を返してもらうのはもちろん、もっと上乗せで払ってもらいますからね。立場逆転です。これからは私が債権者としてビシバシこき使ってあげます」
「ちょっと待て。それはさすがに」
「え~? 反省の色がないんじゃないですかぁ? 慰謝料払ってくれないなら、私も泣きながらファリアさんとかいろんな人に相談しちゃいますけど~?」
毛布の隙間から手を伸ばし、金をよこせと言わんばかりに手をこまねくグレイ。
借金を背負わせられるのも、悪評を広められるのも、どちらもさすがに看過できなかったので、俺は辛うじて手を挙げた。
「……ちょっと言い訳させてくれ」
「みっともないですね~。ま、私が好き過ぎてしょうがなかったと素直に認めたらちょっとは情状酌量してあげてもいいですけど」
「違うんだ。俺もよく知らんが、気付いたらいきなりこの部屋に転移したんだ。扉と窓を調べてみてくれ、どっちも開けた形跡はないはずだ」
グレイは部屋のあちこちに防犯トラップを仕掛けていた。
特に、開口部である扉と窓の警戒は厳重だ。ベルに繋がった糸だけでなく、他にもいろいろ罠が見える。たとえば、扉は空けたら天井から金盥が落下するようになっているし、窓が開けられたらドミノ倒しの要領で花瓶が割れて目覚まし音を発するようになっている。
そのどれもが、作動した形跡なく健在のままだ。
「アランさん、見苦しいですよ。本職は盗掘者だったんですよね? なら、トラップの仕掛けられた遺跡なんかを冒険したことも多々あるはずです。このくらいの罠がなんだっていうんです」
「そんな大それた仕事はしてない。ほとんどツルハシとスコップで土掘ってただけだ。だいたい、そんな熟練者なら最後の最後でベッド脇の紐なんか踏むヘマをやらかすか」
「む、そういえば」
グレイは改めて辺りを見渡して、自分の仕掛けた防犯トラップの作動状況を確かめた。床や壁などを一通り確認して、それから不思議そうに首を傾げる。
「うん? どうやって侵入したんですか? これじゃまるでベッドの真上から降ってきたような……でも天井に穴とか空いてないですし」
「だから、その通りなんだよ。気付いたらベッドの上に瞬間移動してたんだ」
「瞬間移動なんて術者の滅多にいない超高等な魔法ですよ。誰がわざわざ夜這いの手助けにそんな魔法を使うんです」
そこで俺は、推測を一つ述べた。
転移と同時に身体がまともに動かなくなった理由を考えていたら、だんだんと筋の通る理屈が見えてきたのだ。
「さっきから俺の身体が動かないのは、魔力切れの症状だと思う。前にカスパーにやられたときと同じだ」
「はい?」
「たぶん瞬間移動を発動させたのは俺自身だ。身の程に合わないそんな術を発動したから、こうやって動けなくなってる」
「待ってください。じゃあ何ですか? 私を夜這いするために、そんな超高等な魔法を身に付けたっていうんですか? うっわ~最悪。っていうか、いつの間にそんなの覚えたんですか。私に何も言わず? ズルくないですか? どこでどう練習すればそんな」
案の定、グレイは怒りやら妬みやらを滲ませて俺を非難しだした。
精一杯に手を広げ、俺はその言葉を制止する。
「違う。これはたぶん、お前の魔法を制御する術の付属効果だ」
「へ、どういうことです?」
「俺の魔法の効力は、正しくは『グレイの活躍を見届ける』ことだってミュリエルが言ってたろ。俺が見てる限り、お前は英雄らしく活躍できる――つまり魔法をしっかり扱える」
「そうですね」
「逆に、俺がお前を『見る』ことができないときに発動したら、強制的にお前を見ることのできる距離まで移動するんじゃないかと思う」
思い返せば、もともと俺がこの時代に移動したのも、この魔法の付属効果だったのだ。
俺は『グレイの活躍を見届ける』ためにこの時代に移動した。1000年の時をも越えられるなら、宿屋の部屋を跨ぐくらい訳はない。
もっとも、俺の魔力はそんな短距離を移動しただけであっけなく底をついたようだが。
「なっ! なんですかそのセクハラ魔法! じゃあ私はいつどんなときも覗き見られるリスクを背負わないといけないってことですか!」
「そうならんよう、迂闊に発動しないよう気を付ける。今回は悪かった」
「……ん? 迂闊に発動って、どういうことです? そもそも任意で発動できなかったんじゃないですか?」
俺の制御魔法は、グレイが魔法を使う動作をキーとして無意識に発動する。
したがって、俺自身の意志で単独発動することはできない。
これまではそういう認識だった。
しかし、さっきまでの炎魔法の練習の最中に、暴発ながら単独発動に成功したらしい。要するに魔力を発動させながら、グレイの活躍する光景を想像すればいいのだ。自分で自分の魔法の発動条件にちょっと腹が立つ。
「まあ、任意で発動できるようになった……みたいだ。使い勝手は悪いが」
「ふうん。そうですか」
グレイは目を細くしてじっと俺を見つめてきたが、やがて「はっ!」と何かに気付いた顔を見せ、それからいきなり溢れんばかりの笑顔になった。
「仕っ方ないですね~。じゃ、特別に許してあげましょう! 私のサポート役として少しマシになったっていうことですからね。むしろ褒めてあげてもいいですよ?」
「お、おう」
不気味なほどの掌返しに俺は当惑するが、続く言葉ですぐにその理由が判明する。
「と、い、う、わ、け、で~。もう肉体強化とかの魔法の練習は不要ですよね? だってもともと、制御魔法のコントロール向上のために他の魔法も練習してたんですもんね。任意発動できるようになったんですから、これからは余計な魔法の習得なんかより、純粋に私の杖としての能力を高めてくださいね?」
「……え?」
「お見通しなんですよっ! この時間に転移してきたってことは、どうせコソコソ魔法の練習でもしてたんでしょう! また何か、私の使えない魔法を覚えようとしてたんじゃないですか!?」
「えっと、まあ。そうだけど」
「自白しましたね。やっぱりそうなんですね。なら言ってあげますが――私はですね、私のできないことを他人ができるようになる姿を見るのが大っ嫌いなんですよ! なんたって羨ましくて反吐が出ますから!」
最悪だこいつ。
ケケケと悪魔のような笑い声を上げながらグレイが俺を指差す。
「というわけで! 他の魔法は潔く諦めちゃってください! なぁに、どうせ普通の魔法にはあんまり才能ないって言われてたんだからいいじゃないですか。私の杖役に専念するのが賢明ってもんです」
だが、薄汚い動機はどうあれ、それは一種の正論なのだ。
俺はどう足掻いても、グレイやカスパーやミュリエルに並ぶような戦力の持ち主にはなり得ないだろう。それなら、グレイの補佐役としての能力に絞って伸ばした方がいい。
俺はため息とともに頷いた。
「……ま、そうだな。それが妥当だな」
「もちろん、制御魔法の練習には付き合ってあげますよ。ただし私に無許可で発動しないでくださいね。お風呂に入ってるときとかに飛んでこられたんじゃたまりません」
「ああ」
「んじゃ、私は二度寝しますんでさっさと部屋戻ってくださ~い」
魔力切れで脱力状態に陥っていた身も、辛うじて立てる程度には回復してきた。
俺は壁に手をつきながらも立ち上がり、グレイの部屋から自室へとふらふら戻った。
幸いにも部屋の鍵はポケットに入れっぱなしだった。開錠して、扉を開けたとき――ほんの少し、焦げたような香りがした。
まさかと思い、床に置かれたままの陶製の皿を見る。
中心に置かれたマッチの頭が、まるで擦り損なったときのように、僅かに黒く変色していた。




