第40話『頑固で職人気質な英雄』
「む~……」
旅立ち準備を整えた俺たちは、ヴァリアの街を出て郊外まで歩いていた。
そのまま人目の少ないところまで移動したら、グレイの飛行によって目的地のマグヴェルト王国に向かう予定だ。
が、グレイの機嫌は斜めだった。
学院生徒たちの拍手に送られて堂々と旅立ちしたかった、という理由ではない。無用なトラブルを避けるため、悪目立ちしないという方針には渋々ながら前に賛同を得られた。
今、グレイが顔を顰めている理由は、
「だーっ! 納得いきません! この私の功績を讃える特別卒業証明かと思ったら……何ですかこれは! 『やむを得ぬ事情による学籍留保証明』って、なんか半端な書類じゃないですか!」
「似たようなもんだからいいだろ」
本来は、成績優秀な学生が家庭の事情や経済的問題で学院を去らねばならぬ際、その将来を閉ざさぬために発行される書類だという。
提示すれば即座に復学できる権利書となるだけでなく、身分証明でも卒業証明に準じる権威を発揮する。
とはいえ、その書類が示すグレイの肩書は『ヴァリア魔道学院初年度中退』である。
「中退! この私がっ! 街と学院を崩壊から救ったこの私が中退だなんて! そこは特別扱いで規則を曲げてでも卒業にすべきと思いませんか!?」
「思わん。それとこれとは別問題だ」
在籍わずか数日のグレイに、『成績優秀でないと発行してもらえない書類』を発行してくれただけでも十分すぎる恩情措置だ。
グレイの愚痴には耳を貸さず、俺は地図を広げる。
「【百器夜行】バゼル・ロウは今、王都の郊外で鍛冶屋を営んでいるらしい。といっても、いきなり王都に飛んでくわけにはいかん。まずは国境で正当に入国審査を踏んで、そこから王都直行の軌道車に乗る」
「面倒ですねえ。そのままノンストップで飛ぶのはダメなんですか?」
「国境でまず探知される。それに、王都周辺は特に警護が厳しくて普通に迎撃される可能性もあるそうだ」
仮にグレイなら押し通れるとしても、日が暮れて無能になった後に逮捕・拘束は免れまい。
「ふぅん、了解です。じゃあサクっと国境まで飛びましょうか」
グレイが晴天の太陽に向かって手を掲げる。途端に、白銀に輝く光が俺たちの身を球状に覆った。
一瞬遅れて、俺は自分の魔力も発動していることに気付く。【グレイの活躍を見届ける】という効力に沿って、グレイの魔法をしっかりと制御している。
戦闘機動のように強力な出力が要求される場合以外は、俺の術の発動はほとんど無意識に近い。自分で発動するというより、グレイの行動がトリガーになって自然発現する形だ。それゆえ、意識的に習熟度を高めるというのが難しい。
「じゃ、三十分以内に国境に着いてみせましょう!」
グレイが光球を飛ばす。
地面が遠ざかり、みるみるうちに小さくなった。
――――――――……
「――というわけで、私は魔法の見聞を広げるために世界を旅することにしているのです。学院もそれを認めて、こうやって特別卒業証明を出してくれたわけです」
「学籍留保な」
「細かいとこ突っ込まないでください。嫌われますよ」
入国審査のゲートで、グレイは相変わらずの長広舌を振るっていた。
ベテランと思しき審査官の男性は、それを話半分に聞き流しつつ、目を凝らして証明書の真贋を確認している。
厳しい審査というから、国境周辺は有刺鉄線とか柵とか、場合によっては長城みたいなものまであるかもしれないと思っていた。しかし実際は、平原を貫く交易路の中にポツンと詰所付きのゲートがあっただけだ。
たぶん地方の国境にあっては物理的な障壁はさほどでもなく、不法侵入者への探知網などが優れているのだろう。
「入国理由は?」
グレイに留保証明を差し返しながら審査官が尋ねた。
質問を横から引き取った俺は、これもなるべく正直に答える。
「この国の王都に腕のいい鍛冶屋がいると聞き、その作品をぜひ買いたいと思いまして」
嘘は言っていない。
もし仲間にできずとも、俺たちの個人的装備として【百器夜行】の作は欲しかった。
「腕のいい鍛冶屋、ねえ」
審査官が喉の奥で押し殺したような笑いを漏らした。
「そりゃバゼル・ロウだろ? どこから噂が漏れるもんかね。あいつを訪ねてきたのは、今月だけであんたらが十組目だ」
「バゼルを知ってるのか?」
「悪いことは言わん。やめときな」
追い返すように審査官が手を振った。
「どいつもこいつも、ここに戻ってくるときゃ意気消沈してたよ。装備を買って帰ってきた奴ぁ一人もいねえ」
「高いのか? それとも売り手を選ぶのか?」
勿体ぶって焦らすような口調に、つい俺は敬語を忘れる。
「知らん。ここじゃ入る時には理由を聞くが、出てくときに理由は聞かんからな。だが揃いも揃って『騙された』とでも言わんばかりの顔だったな」
「……実はたいした腕じゃなかったとか?」
「どうだかな。さて、どうする? 行くなら通行料も、王都までの軌道車の代金も安かないぞ」
不安要素があるとしても、おめおめと引き返す選択肢があるわけない。
「行く。許可を出してくれ」
「へいへい。そうなると思ったよ。その代わり、出てくときにこっちを恨みがましい目で見るんじゃねえぞ。止めてやったんだからな」
俺とグレイに入国許可のカードが投げられる。
手数料として相応の金額を払う。ゲートを無事にくぐった後は、王都直行の軌道車を停留所で待った。
と、待っている間にあくびをしながらグレイがぼやく。
「騙されたってどういうことですかね。まさか、伝承にあるような立派な魔術師じゃなくて口先だけの三流だったとか? それだったら期待外れもいいとこですよね」
俺は信じがたいものを見る目でグレイを見る。
こともあろうに、お前がそれを言うかと思う。
「……いや、ミュリエルの調べでは宮廷魔術師だったことは事実らしいし、ただのペテンでそこまでは行けないだろ。実力はあると見ていい。お前と違って」
「最後の一言要ります? ねえ? 要ります?」
「職人気質で客を選ぶんだとしたら、厄介だな。俺もお前も職人に好かれそうな性質じゃない」
俺の中で【百器夜行】のイメージが、捻じりハチマキを巻いた頑固親父になっていく。
煤に塗れて金床を叩く一本気な漢で、認めた戦士にしか装備を作らない。ありえそうな人物像だ。
どうやって気に入られるか対策を練っていると、遠くから軌道車が走ってきた。
魔力で曳いた軌道の上を、滑るように高速移動する大型車両だ。
「飛んでいった方が早いんですけどね」
「目立つのは厳禁だ」
俺たちの待つ停留場の前で停車。
扉が開かれるとともに、王都からの乗客がぱらぱらと数名降りてくる。
その中に、いかつい男の二人組がいた。
物腰からして戦士や軍人かもしれない。武闘派な体躯と気配を備えた彼らはしかし、死人のように生気のない顔をしていた。
「……無駄足だったな」
「……畜生」
「……買わなくて、よかったんだよな?」
「……たり前だろ。あんな装備、頼まれたって使ってたまるか……」
その会話に俺が振り向いたときには、二人組は出国のためにゲートをくぐっていた。
「どうしたんですかアランさん。乗りますよ」
「あ、ああ」
グレイに急かされて、俺は軌道車の中に乗り込む。
しかし、今の会話は聞き捨てならなかった。
どういうことか。
もしさっきの二人組が【百器夜行】の客なら、『気に入らない客は門前払い』という想定に狂いが生じる。
少なくとも「買おうと思えば買えた」「自らの意志で使うのを拒んだ」という情報が窺えたからだ。
「グレイ」
ほとんど揺れずに動く軌道車の中で、車窓を眺めるグレイに話しかける。
「はい?」
「【百器夜行】の伝承には異説もあるんだ。グレイの仲間だから正義の魔術師とは伝えられてるが……単純にそう捉えるには、少し不審な点がある」
「なんですかいきなり」
「聞いてくれ」
悪党だと思っていた【暴君】の正体がああだったのだから、【百器夜行】についても額面通りに考えるのは早計かもしれない。
「【百器夜行】バゼル・ロウは、装備を与えた軍勢を率いてグレイの背を固めた。だけどこの軍勢に参加した戦士は、一人として名前も姿も残されてない。『滅私の姿勢で軍団に殉じ、個々の名声を求めなかった真の武人たち』と伝えられている」
「ふうん、男前な人たちじゃないですか。そういう人だから職人さんも気に入ったんじゃないですか」
「だけどおかしくないか? 本人たちが名誉を求めなくても、周りが絵に残したり記録したりするはずだ。グレイと共に戦った一員なら、そいつらの子孫も『うちの先祖は~』って自慢話として代々語り継ぐだろう」
「そういえばそうですね。私の仲間ってだけで家系に箔が付いちゃうでしょうし」
さりげにグレイが鼻を高くする。
「まあ、それすら残らないように徹底して名誉を捨てた忠義の軍勢……てことになってる。名前も姿も残ってない分、吟遊詩人や弁士たちの想像の余地も広くて、大規模劇の題材にもぴったりで人気も高かった」
「美談じゃないですか。何がおかしいんです?」
「『見るも語るも悍ましきその姿。まさしく夜闇を跋扈す異形の軍勢なり』」
俺は呟く。
【百器夜行】の異名の語源ともなった、軍勢の活躍を語る古典の一節だ。
「勇猛さを表現したかったのかもしれないが、やたらとネガティブな表現と思わないか。『悍ましき』なんて、普通は敵に使う言葉だろう」
「失礼といえば失礼ですよね」
「これは誇張じゃなかったのかもしれん」
そこで俺は、さきほどの二人組の会話をグレイに伝える。
彼らがバゼル・ロウから「敢えて装備を買うことを拒んだ」可能性があるということを。
「もしかしたら、絶大な性能の代償があるのかもしれん。悍ましき姿――異形の軍勢。そんな表現に似合うくらい、使用者の肉体を蝕むとかな」
思えば、未来で出土した【百器夜行】の遺物はどれも欠けたりして保存状態が悪かった。
それは、装備者の誰もが例外なくそれだけ激しい戦闘に身を投じたということにならないか。過酷な代償をも受け容れたした真の戦士だからこそ、一人として逃げずに果敢に戦ったと。
「な、なんか怖い人なのかもしれないですね……」
グレイが生唾を飲み込んで喉を鳴らす。
だが、俺は別のことを考えた。
もし。
グレイがいつか独力で魔法を制御できる日がきたら、俺の支えは不要となる。
――そのとき、俺は共に戦い続けるために、その装備を纏う覚悟ができるだろうか。
―――――――――――……
「……なんだこれ」
「……なんですかこれ」
そうして辿り着いた、マグヴェルト王国王都の郊外。
ほとんど農村といっていいほどの僻地で、俺たちは困惑していた。
鍛冶屋らしい建物はなかった。
その代わり、田舎に不似合いなガラス張りの派手なショーウインドーで飾られた下品な建物が、俺たちの目の前にでかでかと佇んでいる。
近くを行き交う住人たちは、その建物がいかがわしい施設であるかのように、誰もが眼を逸らしている。
実際、いかがわしかった。
ショーウインドーの中に飾られているのは、装備の見本だ。等身大の木人形に鎧が着せられている。
その鎧が問題だった。
というか、もはや鎧ではない。金属片が三つあるだけ。それが両胸と股間を小さく覆っているだけ。各パーツを繋ぐのは細いヒモだけだ。際どい下着にしか見えない。
その隣に並ぶのは、やたらと密着度の高い鎖帷子。ぴたりと肌に貼り付くその装備は、無駄に艶っぽく作られた木人形のボディラインを鮮明にしている。防御に隙ができるだろうに、なぜか脇腹から胸下にかけての箇所は大きく切り込みが空けられ、無駄に煽情的な雰囲気を放っている。
もはやその次は意味不明だ。
戦いにおいて何の役に立つのか分からない獣耳の付いた髪飾りに、喰い込みのひどいタイツ地の――
グレイが俺の袖を引いてくる。
「アランさん。これ、違う店ですよね?」
「ああ。そうだ。そのはずだ。そうであってくれ」
二人してダラダラと汗を流す。
そのとき、店の扉が内側から開かれた。
出てきたのは、晴れやかでありながら汚い笑顔を浮かべた茶髪の若い男だ。
「おう! 客か! 客だよな!? いいねいいねぇ! 歓迎するぜ! 元・宮廷魔術師のこのオレサマが、最っ高の装備を仕立ててやる! あ、男の方は帰っていいぞ。ていうか帰れ」
本当に帰りたくなった。




