第39話『旅立ち前の課題』
「実はわたくし、商人になりたいと思っていたのです。まずは徒弟から始めて、独立商を目指して……ゆくゆくはお父様の仕事を継げるようになればいいと思っていました。ですが――」
「ですが?」
「親戚みんなから反対されてしまったのです。『お前には向いてない』と」
悩ましげに頬を抱えるファリア。
おそらく、俺もその場にいたら反対しただろう。騙し騙されの駆け引きが必要とされる商売の場で、このお人好しのお嬢様が巧みに立ち回れるとは思えない。
「『お父様のように商売で皆を幸せにしたいのです!』と抗議はしてみましたが『儂をそこまで買い被っている時点で見る目がない』と一蹴されまして。さらに、儲けるためには綺麗事だけでは無理だと叱られてしまい……」
「諦めた、と……?」
「はい! 綺麗さっぱり諦めました!」
なぜか自慢げに開き直られてしまった。特に未練もなさそうな表情だ。
「魔術師としての道もありましたし、わたくしが我儘を通せば多くの方に迷惑をかけてしまったでしょうから」
「まあ、そうかもしれないすね」
「否定はしてくださらないんですね」
くすりと笑ってファリアは続ける。
「でも、わたくし自身、叱られて大いに納得してしまったので。才能がないと――だから学院でグレイさんを見たとき、衝撃だったんです」
「グレイが? 何かしたんですかあいつ」
「ええと……こう言ってしまうと、グレイさんにとても失礼になるかもしれないのですが」
「あいつが普段から働いてる失礼に比べたら何言っても大丈夫と思いますよ」
ファリアが手招きしてきた。
内緒話のように俺の耳に顔を寄せると、誰が聞いているでもないのにわざわざ小声で囁いてくる。
「『こんなに諦めの悪い方が世の中にはいらっしゃるのか』と思ったのです。もちろん良い意味です。汚い言葉遣いで申し訳ありません」
俺は軽く噴き出した。
確かにグレイは諦めだけは異常に悪い。
『身近に強い魔力を浴びる』という魔力の底上げ環境に身を置くため、入試を不合格になっても、即座に教務室に駆けこんで小間使いの職を懇願したともいう。転んでもタダでは起きない精神が徹底している。
俺が魔法の練習のために学院に戻ってきたのも、その手法を参考にしている面はある。
「そんなグレイさんがあそこまで立派になって……わたくし、羨ましかったのかもしれないですね」
「あいつもたぶんファリアさんのことを羨ましく思ってますよ」
たぶんファリアがグレイに抱く羨ましさの500倍くらい嫉妬心を抱えているだろう。
と、そこでファリアが「ごほん!」とわざとらしく咳払いした。
「というわけでですね、わたくし分かるんです」
「何をですか?」
「あなたもグレイさんが大好きなのでしょう? それに少しでも追いつこうとなさって……」
「違います。俺はあいつが杖を持ち逃げしないように見張っているだけです。魔法はその道中の自衛手段です」
一瞬で返事をした。
若干早口になった気がするし、あまりに即答すぎて不自然だったかもしれない。
ファリアが面食らったように目をぱちくりとさせる。
「あら、そうだったのですか。やっぱりわたくし、人を見る目がないのでしょうか」
「そうだと思います」
「それは残念です……あなたもグレイさんのように諦めの悪い人だと思いましたので、少しでも力を伸ばせる可能性のある課題を用意しておいたのですが」
ぴたりと俺は動きを止める。
「そういった事情なら必要なかったようですね。最低限の自衛なら、習得済の肉体強化だけで何とかなると思いますよ」
「いや、参考までに聞かせてもらえたら」
「いえいえ。労多くして望みは薄い道ですから。決して推奨はいたしません」
ニコニコと微笑むファリアの瞳の向こうに、いつもの穏和な色とは別の輝きが覗いている気がする。
「お二人はよく喧嘩をされていますよね。ぜひ、もう少し仲良くしていただきたいと思うのです。そのためには意地を張らず、相手のよいところはちゃんと認めましょう」
「………………あいつをこれ以上調子に乗らせろと?」
「いいえ。直接言う必要はありません。ただ、仮にも先生のわたくしには正直な動機を話してくれていいと思うのです」
俺は目を眇めて声を低くしてから、
「基本的にはダメ人間で性根腐ってると思ってますが、たまにいいとこがないでもないのは認めます」
「はい、よろしいでしょう」
嬉しそうに頷くファリア。
両手を腰に添え、まるで子供のように勝ち誇っている。
「どうですか? わたくしもこう見えて、駆け引きというものができるのですよ!」
駆け引きという領域にはない。餌の人参をぶら下げているといった方が適切だ。やっぱりこの人、商人には向いてないと思う。
そこを突っ込んで機嫌を悪くされても困るので、敢えてスルー。
「で、課題って何ですか?」
「魔法は三段階に分けられます。第一階級の『肉体強化』、第二階級の『汎用魔法』、第三階級の『概念魔法』。このうち肉体強化については、単純な魔力量の多寡のみが強弱を左右します」
俺の問いにすぐ答えるわけでなく、ファリアは指を三本立てて前置きを提示してきた。
「しかし、より高度な第二階級・第三階級は必ずしも魔力の多寡のみに強弱を左右されるわけではありません。術者の技能も大きく関わってくるのです。たとえば――」
ファリアが指を弾くと、空中に火の玉が出現した。大きさはちょうど人間の頭ほどで、放たれる熱気が陽炎を作っている。
「第二階級の『汎用魔法』は自然物操作。魔力を『この世に存在するもの』――炎や風、電気といった自然物に変換して操ります。この火球は、仮に10の魔力量で作ったとしましょう」
もう一度ファリアが指を弾く。
今度は、それよりも一回り小さい火球が生まれた。見分けやすいようにか、炎の色も青色となっている。
「こちらの火の玉は8の魔力量で作ったものです。ぶつかればどちらが勝つと思いますか?」
「そりゃ、大きい方じゃないんすか?」
「試してみましょう」
ファリアが交差させるように腕を振ると、二つの火球が衝突した。
空中で熱波がよじれる。最初のうちこそ大きい方の赤い火球が大きく膨らんだが、やがて青い炎がその赤さを内側から食い破る。数秒ののちには、青い火球が赤を喰らい尽して一つの球体として浮かんでいた。
「炎とは分解すれば熱と光の集合体です。このうち攻撃としての威力に関与するのは、主に熱の方ですね。ですから小さい方の火球は、光量を抑えて熱量に特化させました。また、熱量も全体に散らすのではなく中心部の一極集中とし、表面の低温層が吹き飛ばされた後、核の高熱部が熱乱流を起こして相手の火球を食い破るよう構造を工夫してあります」
「ええと……工夫ですか?」
「はい。魔力の少ない者が多い者に勝つには、技巧で上回るしかありません」
とても実現できるビジョンが思い浮かばなかった。
なんせ俺は肉体強化を習得したところまでで、その上の魔法には手出しすらできていない。普通の炎すらまだ出せないのだ。
「グレイさんの魔法も、おそらくこれと同じかと思います」
「グレイが?」
「ええ。今のグレイさんを見ても、魔力をほとんど感じないのです。ということは、ごく僅かな魔力で莫大な威力を出力可能な術理を組んでいるのだと思います。8の魔力で10に勝つどころか、1の魔力で100万を越えるような前代未聞の――想像するだけで恐ろしいほど制御が難しいと思うのですが、あの杖のおかげでもあるのでしょうか」
図星を突かれたようで焦る。
まだグレイは単身で制御できていない。そこには杖の代役として俺も関与している。
「ともあれ、具体的な課題です。今から旅立たれるのでしたら、次にこの学院に帰ってくるときまでに、火でも風でも雷でも水でも何でもいいですから、自分に合った性質の自然物操作を会得しておいてください。火ならマッチ程度、雷なら静電気程度でも構いませんので」




