第38話『ファリア・エスベル』
「そうですか……お二人とも、また旅立ってしまうのですね」
学院に戻った俺たちは、宿舎の客間でファリアに事情を話していた。
彼女はグレイが詐称していた『ヴァリア魔導学院の首席』であり、大商会を実家に持つご令嬢だ。グレイと同期受験なのでまだ初等学年のはずだが、既にどの上級生よりも卓越した魔法の腕を誇っているらしい。余談だが、未来における【不没の銀月】の姿形は彼女のものになっている。たぶん、本物より本物にふさわしい人徳と能力を備えているからだろう。
だというのに、
「では! またこちらに帰ってきた際は、ぜひグレイさんの輝かしい冒険譚をお聞かせください!」
唯一、人を見る目だけは絶望的に節穴なのだ。
今も熱っぽくグレイに応援の言葉を送っている。
未来のグレイの伝承がやたら美化されていたのは――たぶんこの人のせいじゃないかと、俺は疑っている。
「もっちろんですよぉ。私の活躍を伝記にまとめてくれるっていう話、よろしくお願いしますね~」
「はい。僭越ながら、わたくしの筆力の及ぶ限りで綴らせていただきます。素晴らしい英雄譚として未来に語り継がれるとよいのですが……」
「なりますなります。誰もが崇めて憧れるような伝説の物語になるに違いありません」
その証拠に、こういう不穏な会話がグレイとファリアの間では頻繁に交わされている。
お人好しの権現であるような彼女のせいで、未来のグレイの人物像が聖人みたいに歪められたのだろう。実際はわりと駄目な人間だというのに。
俺が複雑な表情になっていると、ファリアがこちらを向いて一礼してきた。
「アランさん。旅の中でも、日々の精進を忘れずに頑張ってください」
「あ、はい。いろいろありがとうございました」
いつまでも盗掘者訛りの似非敬語では今後困るので、最近の俺は目上に対してなるべく敬語を使うよう心掛けている。
ファリアはここ数日間限定ではあるが魔法の指導をしてくれたので、一応は先生という目上の立場だ。
と、ここでグレイが俺に因縁をつけてきた。
「ちょっとぉ? その程度のお礼でいいんですか? この学院で私に次ぐ実力者のファリアさんが指導してくれたんですから、そこは土下座で誠意を」
「いいえ、わたくしは何もしておりません。ただ見守っていただけです」
「え? そうなんですか?」
「はい。少し場を整えさせていただいただけです」
何もしていないとは言わないが、ある意味では『見守っていただけ』と言えるかもしれない。
俺が肉体強化の魔法を習得する際、ファリアが提示してきた課題はこうだ。
――尖った岩を拳で正面から殴り壊すこと。
その特訓が行われたのは校庭の一角。
ファリアが土を操って生み出した剣山のごとき岩棘を、拳を無傷のままに殴り壊すことができれば課題達成。
鋭いトゲを素手で殴ろうとすれば、本能的な防衛反応が働いて自然と魔力が拳を覆う。
それを何度も繰り返すことで『殴る=魔力発動』の構造を意識に叩き込むというトレーニング法だ。
とはいえ、最初からそう上手くはいかなかった。
躊躇して拳を緩めてしまえば魔力の発動も中途半端になる。棘に突っ込んだ手が血塗れになったのも一度や二度ではない。
その間ファリアは、ずっとにこやかな笑みで佇んでいた。
本人は見守っていたつもりかもしれないが、そのプレッシャーが半端ではなかった。たびたび岩棘が摩耗してくると「作り直しますね」と言って一発で粉砕していたのだが、その光景もまた怖かった。
俺が彼女に対して敬語を使うようになったのも、そうした経緯があってのことだ。
普段は穏やかな人物でも、こと魔法の修練に対しては妥協がないらしい。生兵法になってはいけないと、教本を読み込むことも念押された。
「あ、そうですグレイさん。さきほど学務長の方が探していましたよ。卒業証明を特例で発行したので、取りに来て欲しいと」
「えっ本当ですか!」
びゅんとグレイが駆け足で客間を飛び出していく。
自分の権威を飾る書類の完成と聞いては、我慢できない性質なのだ。どうせまた卒業証明を受け取ったら、首にでも提げて誇るに違いない。
「じゃあ……俺もこのへんで失礼します。またヴァリアに戻ったら指導を――」
「お待ちください」
グレイの後を追って辞去しかけた俺を、ファリアは引き留めた。
「あなたの努力には感服しております。ですが、だからこそ少しばかり厳しい言葉もお伝えしなければなりません」
半ば覚悟していた言葉に俺は項垂れる。
「……やっぱり俺は、才能がないんすね」
「そう、言わざるを得ません。あの荒行を課せば、魔力ある者なら数時間で肉体強化を習得できます。それでもあなたは、丸二日ほどかかりました。もちろん、それだけで即断することは早計かもしれませんが……」
「いえ、気遣いはいいです。俺もそんな気はしてましたから」
グレイは散々嫉妬をぶつけてくれたが、俺の魔法修練は惨憺たる結果だったといっていい。
たかが『誰でも使える魔法』を習得するだけで精一杯だったのだ。
「いいんです。俺が魔法を習いたかったのは、あいつの旅の足手纏いにならないようにするためですから。最低限のことを教えてもらっただけでも、本当にありがたいです」
ファリアには、俺の持つ『グレイの魔法を制御する魔法』のことは伝えていない。
俺がグレイの弱点であるということを喧伝しないよう、ミュリエルから念を押されたからだ。
今回の指導はあくまで「俺が強くなりたいから」という動機で申し込んだことになっている。それもある意味では間違いではない。俺が魔法に習熟すればするほど、グレイを支援できる時間も延びるのだから。
「……では、決して無理はなさらないでください。無闇な魔法の濫用は己が首を絞めます。あくまで緊急時の自衛のためだけに使うと、ここで誓ってください」
「分かりまっ」
言いかけた俺の目の前に、ずいっとファリアが顔を近づけてきた。
「いいえ! 嘘をついていらっしゃいますね! わたくしよく騙されやすい性格などと言われるのですが、魔法のことについては鋭いのですよ!」
「うっ……すいません」
「でも、仕方ありません。悔しいですもんね、才能がないというのは――私もよく分かります」
それを聞いて、俺は怪訝な顔になるのを隠せなかった。
ファリアは学院一の才能の持ち主だ。真っ当な魔術師としてはグレイをも凌ぐだろう。その実績をもって、才能がないというのは卑屈が過ぎると言うものだ。
そんな俺の表情に気付いたか、慌てたかのようにファリアが首を振る。
「申し訳ありません。言葉が足りませんでした。えっとですね……実はわたくし、魔術師ではなく別の夢があったのです」




