第36話『栄えある凱旋』
電撃文庫の8月新刊として書籍化が決まりました!
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かつての歴史を塗り替える、グレイ・フラーブの新たな英雄譚。
これから俺は、誰も見たことのないグレイの旅路を見届けることになる――
はずだったのだ。
「見て下さいよ私が磨いたこの廊下を。こんなにピカピカ輝いて……まるで私の凱旋を喜んでいるようじゃないですか」
俺の目の前にいるのは、三角巾にエプロンという初対面時とまったく同じ姿でヴァリア魔道学院のモップがけをしているグレイである。
実に板についた無駄のない仕草で、一部の隙もなく床を磨きまくっている。
「おいグレイ」
「というわけでアランさん。私は今、母校への恩返しに忙しいんであんまり話しかけないでください」
俺がいくら話しかけようとしても、掃除仕事を盾に無視を決め込んでくる。
と、そこでこちらに一人の女生徒が近づいてきた。
年頃はグレイとほぼ変わらず、背丈は一回り低い。彼女はグレイに向かって勢いよく敬礼しながら、
「あのっ! 失礼しますグレイさん! よろしければっ! 少しでいいのでわたしの魔法にアドバイスをいただけないでしょうか!」
謎の怪物からヴァリアを単身救った英雄的魔術師――それが、今のグレイの肩書である。
そんな彼女がこうして学院に戻ってきていれば、こんな風に生徒たちが教えを求めてくるのは当然の出来事である。
それに対してグレイは、キザぶった仕草でモップをぴゅんと振るう。
「アドバイスなんて必要ありません。私は既に、この身をもってみなさんにメッセージを送っているのです。『母校に感謝と敬意を示し磨くことは、すなわち己の才を磨くに等しい』と。献身の精神を忘れねば、必ず結果はついてきます。そう、つまり……ええ、あなたにもいつか魔導の誉れがあらんことを」
なんか深そうなセリフを言っているようだが、実際はただの精神論だ。
教えを乞いにくる生徒を、いつもグレイはこういう空虚な対応でやり過ごし続けている。
物分かりのいい生徒だったら、何かしら勝手に納得して引き下がっていくのだが――
「ごめんなさいわたし馬鹿だからよく分かんないんです! もうちょっと噛み砕いて教えていただけないでしょうか!」
今回の生徒はしぶとかった。
明らかにグレイの表情が険しくなる。相手を難敵と認めたときの顔だ。
「周りのみんながもう上級魔法の練習に入ってるのに、いつまでもわたしだけ一階級の肉体強化ごときしか使えないままで……毎日練習してるんですけど、ちっとも魔力の性質を変換できるイメージができないんです! 何か効率的な練習法とかないでしょうか!」
一階級魔法とは、単純に肉体に魔力を流す肉体強化の技術のことである。
いわゆる魔法習得においては初歩の中の初歩であり、そこで足踏みしているのは劣等生というほかない。
しかし、
「へぇ……。そうですか。『肉体強化ごときしか使えない』ですか……へぇ……」
ぴくりとグレイが眉を動かした。
「はい! もう! 全っ然ダメなんですわたし! 肉体強化みたいな、魔術師なら誰でも使えて当然の初歩しか使えないなんて……! このままじゃ成績ビリで退学になっちゃうかもしれません!」
「誰でも、使えて、当然……」
相手の言葉を反復するグレイのこめかみに、ぷくりと血管が浮き始める。
その表情には明確な苛立ちが浮かんでいる。
そう、グレイはその初歩たる『肉体強化』すらまともに使えない。
そのほか、多くの魔術師が習得する汎用的な魔法のいずれにも、まるで適性を示さない。
その代わり、唯一無二といっていいほどに強力な魔法の使い手なのだが――
「ほ~お? それは大変ですねえ? 『誰でも使えて当然』のことしかできないなんて、さぞお辛いでしょうねぇ? 『誰でも使えて当然』ですもんねぇ? 何の自慢にもならない魔法ですもんねぇ?」
グレイは人としての器が小さい。
見てのとおり、すぐ他人へ醜く嫉妬を燃やすのである。
自分にできないことを他人ができる――しかもそれを『できて当然のこと』などと言われると、プライドを保てなくなるらしい。心の余裕のなさが窺える。
実はここ数日、グレイが俺のことを無視してくる原因もそこにあった。
「でもま? 世の中残酷ですけど、やっぱり才能の違いってありますからねえ? ここにいるアランさんは私の子分みたいな人なんですけど、この伝説的魔術師の私の子分でありながら、あなたと同じく初歩の初歩の……肉体強化しか! 使えないんですよ! ねえ!? 自慢なんかできない初歩の魔法しか! え!? 得意になってんじゃないですよ!? え!?」
後半は露骨に俺への因縁だった。
そう、俺たちがこのヴァリア魔道学院に戻った理由は、俺の魔法習得のためである。
俺の魔法は『グレイの魔法を制御する魔法』だ。すなわち、俺が魔力の扱いに習熟すれば、それだけグレイの戦闘能力も向上する。今後のために、発動時間をなるべく長くする必要があった。
のだが。
「首席のファリアさんに指導されてもらってその程度じゃ底も知れるってもんですね! はっは! 私との格の違いを噛みしめて震えてくださいよ!」
肝心のグレイがウザかった。
ひいてはグレイのためだともいうのに、いちいち俺の特訓に突っかかってくる。
「ま、あなたも落ち込むことはないですって~。こんな風に才能のない人も世の中にはいるんですから、上見て苦しければ下を見りゃいいんです。世の中底なしに下はいますから。あ、そうだ」
そう言ってグレイが俺の背を押してくる。
「自信を取り戻させてあげましょう。このアランさんを腕相撲とか力比べでボコボコにしてやっていいですよ。入試を突破したわけでもないのに授業受けてるこの卑劣漢と比べたら、あなたの方が遥かに優秀に決まってます」
邪悪に笑うグレイ。
とりあえず俺の凹むところが見たいらしい。どれだけ性根が腐っているのか。
「わ、分かりました! グレイさんがそう仰るなら! 子分の方! ぜひよろしくお願いします!」
女生徒は敬礼して、近くの休憩用テーブルの上に肘を置いた。
グレイがニヤニヤとしながら俺の小脇をついてくる。その表情は「ボロ負けして身の程を知るがいい」と語っている。たまに俺は、なんでこんな奴に憧れてしまったのか後悔することがある。
とりあえず、相手がここまで乗り気になっているのだから俺が拒否するのもまずい気がした。
適当に相手をすればいいと思い、テーブルの向かいに座る。
「さ~あ。準備はいいですかぁ?」
審判のようにグレイがもったいぶって腕を掲げる。
周りを見れば、野次馬の生徒たちがこちらに集い始めていた。衆目の前で俺に恥をかかせたいのかもしれないが、別に俺としては痛くもかゆくもない。
「はじめっ!」
相手は名門の生徒である。付け焼刃の俺では敵うはずがない。
そう思っていたが、
「ちょっとあなた! 何を押し負けてるんですか!?」
相手は弱かった。
俺が腕に魔力を流して踏ん張っただけで、いとも容易く押し込めてしまった。
「す、すいません……やっぱりわたし、全然ダメで……」
「だーっ! 何やってるんですか! あなたは肉体強化しか使えないんでしょう!? たった一種類の魔法しか使えないのに、その分野でもこんな初心者のボンクラに負けてどうするんですか!」
がんがんとグレイがテーブルを叩く。もはや審判としての公平性などありはしない。
というか、女生徒の子を利用して俺を叩き潰す代理戦争をしている気配すらある。
「いいですか! 魔法が一つしか使えなくても、それが最強無敵ならそっちのが偉いんですよ!」
「一つ……」
「そうです! この私のように!」
「っ……! 分かりました!」
ぎらり、と。
俺の正面に座る女生徒の目が、獰猛な獣のように光った。
俺はその瞳に本能的な恐怖を覚えて、咄嗟に手を放して身を引いた。
次の瞬間。
――テーブルが粉微塵に消し飛んで、衝撃波だけで野次馬が何人も吹っ飛んだ。
あのまま手を組み続けていたら、俺の腕が肩からもぎ取られていたかもしれない。
「ありがとうございます! わたし、魔法を使うときにいろいろ考え過ぎちゃう癖があって……! でも、これでいいんですよね! これからはウダウダ考えず、腕力一本槍でいくことにします!」
女生徒はグレイに向かって敬礼。
ルンルンとスキップしながら去っていく。取り囲んでいた野次馬たちは、波が引くように彼女に道を譲る。
それを見送ったグレイは、わなわなと震えてから、にわかに目を血走らせる。
「なっ……んですかあれはぁ! えぇ!? なぁーにが落ちこぼれのビリですかぁ! どこからどう見ても暴力の才能の塊じゃないですかこの私をコケにしてくれやが」
醜い呪いの言葉はしかし、湧き上がった「わっ!」という歓声に覆い尽される。
「すごい!」
「一発で才能を見抜くなんて!」
「私にも何かアドバイスください!」
途端にグレイの顔から怒りが消え、ヘラヘラとしたご満悦顔に変貌する。
「え~困りましたねぇ~。私は一人しかいないんですから、こんなに人気になっちゃったら手が足りないです~」
「おいグレイ。もう機嫌は直ったか」
「うん? 私は最初から機嫌なんて悪くしてませんよ?」
どの口が言う。
話しかけようとしてもずっと無視してきたくせに。
「ミュリエルから連絡だ。未来で【不没の銀月】グレイの仲間と伝わってた英雄――【百器夜行】と【迅剣】の実在が確認できた」




