第34話『最後の決め手』
幸いにも、そのまま落下死ということにはならなかった。
撃ち合いの鍔迫り合いの中で、こちらが押し込むにつれて徐々に高度が下がっていたのだろう。
「……生きてるか?」
「なんとか……」
俺とグレイは満身創痍で地面に転がっていた。
どちらも大きな怪我は負っていないが、俺は魔力を使い切ってもう完全に動けない。グレイも全力を出し切ったせいか、極度に疲弊しているように見える。
――倒せたのか?
グレイの無事を確かめてすぐ、俺は這いつくばったまま【暴君】の方へと視線を向ける。
そこには、
「まったく大したものだよ」
未だ意識を保ち――しかし、俺たちと同じく地に倒れ伏している【暴君】がいた。
「こっちも魔力切れだ。このアルガン砦の呪いをすべて『吸収』して溜め込んでいたけど……まさか正面から打ち破られるとはね。僕の完敗だよ」
「へへんっ! これが私の力ですよ! どうですか降参するつもりになりましたか!」
「だけど甘いね。なぜ僕を殺さなかったんだい?」
決まってますよ! とグレイが即答した。
「だって悪い人でもないのに殺すとか、私が悪者になっちゃうじゃないですか。あなただって世界を救うために頑張ってたんでしょう? そんな人を殺すなんてしません」
グレイの魔法は高威力ながらも攻撃対象を選別できるらしい。ヴァリアで巨人を倒したときも、大規模攻撃で街に一切の被害をもたらさなかった。今回も【暴君】へのダメージは必要最小限に抑えたのだろう。
「君は……立派な英雄だな」
「あ、ですよね? そうですよね? 敵にも認められちゃうなんて私のカリスマってやっぱりすごいですよね~」
浮かれるグレイの横で、俺はふと違和感を覚えた。
一瞬だけ考え、すぐその正体に気付く。
ミュリエルがいない。
「おい浮かれるなグレイ! 敵はまだ」
「気付いたか。でも手遅れだよ、アラン君」
地に倒れていた【暴君】の身体が、ごろりと転がされる。
その下――地面に掘られた穴から這い出てきたのは、ミュリエルだ。
「間一髪のところで僕が地面を穿って、彼女を逃げ込ませたのさ。あとは僕が上から覆いかぶされば、君の攻撃は届かない。人間に対して手加減したのが命取りになったね」
やられた。
自身の敗北を悟った上で、【暴君】は次の手を打ってきていたのだ。味方であるミュリエルを庇い、最後の切り札として残そうと。
「さあミュリエル嬢、そこの二人を捕えてくれ。僕らはその隙に、ここを発つとしよう」
ダメだ。もう抵抗する術はない。
ここまでなのか。ここで逃してしまえば、この二人を止めることは、
「嫌じゃの」
「ぐふっ」
どすん、と。
ミュリエルが【暴君】の背中に勢いよく座り込んだ。いきなり背中に落ちてきた重さに、【暴君】は苦悶の表情を浮かべている。
「な、なぜだい? 君は僕の味方になってくれたんじゃ……?」
「妾は単に勝算の高い方に付く主義じゃ。だからさっきまでは、歴史の修正力が味方している貴様に寝返った。そっちのが確実な道じゃからの」
ミュリエルは長いため息を吐く。
「しかし、もう消えた」
「……え?」
「さっきのデタラメな一撃で貴様が負けたとき、あの力は完っ全に消滅した。もう矯正が効かんくらい、決定的に歴史が変えられてしまったんじゃろうな。奴らがここで勝ったことで」
そういうわけじゃ、と呟いてからミュリエルは【暴君】を足蹴にした。
「妾は勝ち馬に乗る日和見主義ゆえ、ここからはあっちの味方じゃ。歴史を変えられるくらいの力を持つ連中なら、この先も何かやってくれそうだしの。そういうわけで、妾はもう貴様の敵じゃ」
げしげしと面白そうに【暴君】を蹴り続けるミュリエル。
「ま、待ってくれミュリエル嬢。ちょっ、地味に痛いから」
「待たぬ。妾はこう見えて性格が悪いとよく言われる方でのぉ。迂闊にこちらを信用してくれたのが貴様の運の尽きよ」
意地汚い笑みを見せてから、ミュリエルがこちらに振り向いた。
「おう、ご苦労じゃったな貴様ら。これは妾がトドメを刺したということでいいか?」
俺とグレイはただ無表情でその様を見つめる。
最後の最後で、なんだか美味しいところをすべて持っていかれた気がする。
「えーと……とりあえず、勝ったんですよね?」
「みたいだな……」
釈然としないながらも、戦いの終結に俺は安堵して脱力する。
「それじゃあ体力回復したら、近くの街に行ってお祝いでもしましょっか。ファリアさんから貰ったお金まだ残ってますよね? 盛大に四人でパーッとやりましょう」
「切り替え早いなお前……って、四人?」
「ええ。もう歴史が変わったなら【暴君】さんが敵役になる必要もないじゃないですか。あんなに強いんだから仲間になってもらいましょうよ」
確かに、彼もまた世界を救うという信念の下に行動していたようだった。
となればここで和解の余地もあるのかもしれないが――
「それはできない相談だね」
グレイの提案に対して、【暴君】は即座に拒絶を返してきた。
「たとえこの先の未来が分からなくなったとしても、僕が敵を演じる道がもっとも確実だということに変わりはない。ここで掌を返して君たちと協力するつもりはないよ」
彼の覚悟は固いようだった。
修正力がなくなった今も、彼はあくまで歴史を忠実に辿るつもりなのだろう。魔法を失っても、確実に人類を生存させる道を。
もしかすると、グレイとの攻防で劣勢だったときは、まだほんの少し迷いがあったのかもしれない。
だが、土壇場のミュリエルとの会話で、それすら消え去ったように感じた。その後の凄まじい威力の抵抗がその証拠だ。
ミュリエルめ。最後の最後に余計な真似を――
――と、そこで俺はあることに気付いた。
「なあ、あんた。未来の歴史で『ミュリエルを辱めて廃人にした』ってことになってるのは知ってるか?」
「そこのグレイ嬢の伝承と同じで、ただの誇張だろう。そんな真似はしないよ」
「さっきのやり取りを見て思ったんだけど、辱めどころか実は普通に仲良くなってたんじゃないかあんたら」
「……何が言いたいんだい?」
「つまり辱めじゃなくて、普通に絆されたんじゃないか未来のあんた」
沈黙。
気まずそうに表情を歪めた【暴君】に、もう一人の当事者であるミュリエルから追撃がくる。
「あー、そうだな。心を読んでみたが、この優男少しばかり妾に気を持っとるな。背中を支えられたくらいであっさり転ぶとは……さてはモテんな貴様?」
「待ってくれ」
掌を広げてくる【暴君】。
「無駄な盤外戦術はやめよう。そんな話をしたところで何の意味があるんだい?」
「いや。もしお前がこの先もミュリエルを攫おうとするなら、幼女趣味の変態だって世界中に広めて回ってやろうかと思って」
「……意味が分からない。そんなことの何に意味があるんだい?」
「単純にお前への嫌がらせだよ」
脂汗を滲ませ始めた【暴君】。
ミュリエルは実年齢こそ19だが、通常時は10歳ばかりの子供の姿である。これに好意を持った時点で人として終わっているのは間違いない。
世界を滅ぼそうとした最凶の魔術師――という肩書は、場合によっては少しカッコよく聞こえるかもしれないが、この風評が流れたら彼の名誉はさらに地に落ちることだろう。
「……残念だったね。僕はもう未来の情報をあらかた聞き終えた。ミュリエル嬢の身柄はいまさら必要じゃない」
「そうじゃな。不要と言われるのも癪じゃから、やっぱ妾は貴様の方に寝返ってやるかな。新居はどこにする?」
「ミュリエル嬢?」
けらけらと笑うミュリエル。この上なく楽しそうに【暴君】の脇腹を蹴っている。降参しろと促すように。
やっぱりそうだ。
あの土壇場で【暴君】は、ミュリエルの言葉で力を振り絞った。本質はグレイと同じだ。世界を救いたいとか。誰かにいいところを見せたいとか。心のどこかでカッコつけたい気持ちがあったから、己を犠牲にしてでも戦えたのだ。
ならばそのカッコつけを崩してやればいい。
具体的には、いわれのない最悪な風評を流すことで。
「もしお前が諦めないなら、未来で『世界を滅ぼそうとした幼女趣味の悪党』って語り継がれることになる。ていうか、俺たちがそう広める」
なんせ俺とグレイには運命をも変える力があるのだ。
事実にちょっと反した噂を広げるくらい、(たぶん)造作もない。
この脅迫を受けた【暴君】は、まるで老人のように顔をしわくちゃにして、やがて死体のように力なく目を閉じた。
「まさかこんなところで、こんなにダサい負け方をするハメになるとは思わなかった」
どこか愉快そうな笑みとともに、
「僕の名前はカスパー・ベルツだ。【暴君】を名乗るのは、とりあえず諦めるよ」
「水道代12万円の人」様が本作にレビューを書いてくださりました!
ありがとうございます!




