第3話『大英雄の、正体見たり』
学院の外周は部外者の侵入を阻むためか、高い石垣で囲まれている。ある程度の間隔で通用門が設けられており、俺が向かったのはそのうちの一つだ。
「おーい! ちょっといいか!?」
手を振りながら門番に叫ぶ。
門を護っているのは槍を持った二人の門番だった。
「止まれ。本校に何の用だ?」
「いきなりで悪い。ちょっと聞きたいんだけど、この学校にグレイ・フラーブって奴はいるか? 俺は旅の商人で――そいつに急用があって来たんだ」
息を切らしながら俺は尋ねた。敬語を使おうかとも一瞬だけ考えたが、なんせこちとら舐められたら終わりの盗掘者の身である。粗野な暮らしに慣れた舌は、そう簡単に言葉を丁寧にしてくれなかった。
「グレイ・フラーブ?」
門番の顔が怪訝になった。
これはもしや――
「……いないのか?」
俺は半ば覚悟する。
確かに可能性としては大いにあり得る。そう都合よく、あの【銀月】グレイと同じ時代に来るなどということは……
だが、門番から帰ってきた反応は予想外ものだった。
「いや、グレイ・フラーブならいるにはいるが……」
「本当か!?」
「しかし旅の商人が用事? どんな用事だ?」
「どうしてもそいつに見せたい商品があるんだ。無理に買ってもらわなくてもいい。怪しいと思うなら、あんたたちがこの場で立ち合ってくれてもいい。いらないって言われたら潔く帰る。だから、グレイにどうしても会わせて欲しいんだ」
地面に膝を付いて俺は頭を下げた。どんな恥でも承知の上だ。かの天才・グレイに会うことさえできれば、きっとその場でこの杖の真価を見抜いてくれるに違いない。
「まあ、そこまで言うなら……呼んでやるか?」
「いいんじゃないか」
門番二人は顔を見合わせて、一人が通用門脇の詰所に戻っていった。何か口に当てて喋っている。もしかすると、あれで遠方の相手と話をしているのだろうか。
グレイとの面会が叶うとあって、俺の緊張がわずかに緩む。
「いやあ、でもやっぱりグレイって有名なんだな」
ついさきほど、門番は生徒の名簿などをいちいち確認せずとも、グレイがこの学校にいると教えてくれた。
つまり、かなりの数がいるであろう生徒の中でも、既に際立った存在であるということだ。
と、ここでなぜか門番は複雑なトーンで返事をしてきた。
「ううむ。確かに我が校の有名人ではあるが……」
歯切れが悪い。
やはり天才というものは理解されづらいところがあるのだろうか。もしくは、学校に早い段階で見切りをつけたというから、周囲からあまりよく思われていないのだろうか?
まあ、関係ない。グレイの人となりなどより、問題なのは杖の売値だ。
いかに未来の大英雄といえど、まだ学生の身分ならすぐに大金は用意できないかもしれない。
とりあえず手付金だけ取り急ぎ払ってもらい、残りは出世払いも検討してやった方がいいか。なにしろ相手は世界を救うことになる大英雄だ、恩を売っておいて損はない。
そうしてしばらく待っていると、ついに念願の時が訪れた。
「お待たせしましたぁ~っ! お掃除ですか? 買い出しですか? それとも小物の修繕ですか? ぜひぜひこの私・スーパー小間使いのグレイ・フラーブになんでもお申し付けくださーいっ!」
煌びやかな笑顔を浮かべながら、すごい勢いで校内の敷地を走ってきたのは、薄汚いエプロンに三角巾を身に付けた十四・五歳の少女である。
目と髪の色は、歴史書に語り継がれている『宝飾品のように煌めく白銀色』――とはとてもいえない。第一印象はどちらかというと『焚火の燃えカスみたいな鈍い灰色』である。
いいや、そんな風貌はどうでもいい。それより今この少女、聞き捨てならないセリフを怒涛の勢いで連発したように思う。
「……掃除?」
「はいはい! どんな雑用でも、このスーパー小間使いにお任せあれ……って門番さん。こちらはどなたですか?」
「さっきの呼び出しのときに言ったろう。清掃の仕事じゃない。この旅商人さんがあんたに折り入って用事なんだと」
ここで俺は「待った」と掌を突き出した。
「ちょっと整理させてくれ……ここにいるグレイさんは、生徒じゃないのか?」
「ああ。ただの校内雑務の小間使いだよ」
希望に満ちていた俺の心があっという間に暗澹たるものになる。
「あの、門番さん。俺が探してたのはこのグレイさんじゃなくて」
「はあ」
「入学試験を首席合格して、何度も飛び級できるほど成績優秀で、あっという間に教師全員より強くなったようなグレイ・フラーブって天才生徒……はいないのか?」
「馬鹿言わないでくれ。そんなとんでもない生徒がいたら、こんな小間使いより先に思い浮かんでるよ」
ははは、と門番は大笑する。
俺はその場に蹲って頭を抱えた。
ぬか喜びだった。同姓同名の別人という可能性も考えてしかるべきだった。
「すいません。人違いだったんで帰ります」
俺は踵を返してその場から立ち去る。本物のグレイがいないならこの学校に用はない。街中の店を巡って、この杖の価値が分かる人間を探し当てるまでだ。
早足で学院から遠ざかる。
今晩の宿はどうするか、そんなことを考えながら歩いていると――
くい、と背後から服を引っ張ってくる感触があった。
「……ん?」
「あの……つかぬことをお伺いするのですが、さっきの話……どこでお聞きになったのですか? 首席の天才生徒のグレイ・フラーブという……」
振り返ってみれば、そこにはさっきの小間使いの少女が立っていた。ダッシュで追いかけてきたのか、息を弾ませている。
未来の伝承で知ったなどと言っても無駄でしかないので、俺はしらばっくれる。
「さあ、どこだったかな。どこかでそんな噂を聞いただけだよ」
「待ってください!」
適当に誤魔化して去ろうとしたが、なぜか少女は凄まじい剣幕で俺の両肩をホールドしてきた。
「わ、私の様子を見に来たんですよね? 村の人たちからの依頼ですか……?」
「はあ?」
俺が訝っていると、少女はぴょんと跳びはねて勢いよくその場で土下座をかました。
「ごめんなさい! さっきの天才首席っていう話は……私が故郷に送った手紙の内容は、ぜんぶまるっきりのデタラメなんです! 試験に落ちて入学すらできなかったなんて、とても故郷のみんなに言えなくて……!」