第29話『世界を脅かすもの』
「奴らの正体は分からない。誰かが生み出したものなのか、それとも自然現象なのかすらはっきりしない。現状で確かなのは、途轍もない脅威ということだけだ。僕は仮に、魔獣と呼んでいる」
そう言うと【暴君】は、掌から生み出した黒い霧で、首無の巨人の姿を象った。
「君が見た巨人型の他に、四足の獣の姿で現れることもあれば、鳥を模していることもある。どの場合でも共通しているのは、首や顔がないという点かな」
「……あんなのが、他に何体もいるのか?」
「今に始まったことじゃない。もう数年も前から、ずっと奴らは出現し続けている」
「待て。それだったら、もっと情報があるはずだろ」
魔道学院を擁するヴァリアが街を挙げて事後調査をして、あの巨人について何も分からなかったのだ。
もしも過去に類似の出現例があれば見逃したはずはない。
「簡単なことよ。この優男が、これまですべての魔獣を片付けてきたからだ。人里に被害をもたらす前にな」
「すべてではないよ、ミュリエル嬢」
一瞬だけ【暴君】が瞳に憂いを見せた。
「奴らの仕業だと語れる生き残りが一人もいなかった――そういう例もある」
「一人も?」
俺は眉を顰める。
あの巨人に太刀打ちできたのはグレイだけだったが、逃げるだけなら手段はいくらかありそうだった。
一人残らずに全滅するようなことがあるのか。
「奴らは魔力を『吸収』する。そして、周囲の魔力を吸い尽くしたら、それを一気に『放出』するんだ。もはや自爆といった方がいいかな。たとえばヴァリアの街で、そんな事態が起きたらどうなっていたと思う?」
想像が追いつかなかった俺の代わりに、ミュリエルが短く告げる。
「ドでかい隕石並みかもしれんな。よほど特殊な逃走手段を持っとる奴しか逃げられん」
嘘を言っているようには見えなかった。
というよりも、俺ごときをわざわざ騙す必要性がない。
それゆえに疑問が湧く。
「『奴らの仕業だと語れる生き残りがいなかった』ことはないだろ。あんたがいる。なんで今まで、そんな化物がいるってことを誰にも話さなかったんだ?」
よもやグレイのように『手柄を独り占めしたかった』などとは言うまい。
「話したよ」
ところが、返ってきたのは意外な言葉だった。
「だけど、無駄だった。僕の魔力も魔法もどういうわけか、魔獣どもと性質がまったく同じでね。現場の魔力残滓を調べても、僕の仕業としか判断されなかった。犯人の狂言扱いというわけさ」
「貴様と同じく、逃亡の前科持ち同士じゃあな」
喉だけでミュリエルが笑う。その眼は笑っていない。
俺はしばし悩んで頭を掻いた。
「分かった。信用するかはともかくと、話は理解した。それで、魔獣ってやつを倒すことと今の状況がどう繋がるんだ? どうしてグレイの杖を壊した? なんであんたが【暴君】なんて名乗る必要がある? そこが全然見えてこない」
言動が一致していないのだ。
ミュリエルの話を聞く限り、【暴君】はこれから大勢を殺すつもりなのだともいう。
グレイを妨害してきた今までの行動も踏まえると、魔獣の親玉で人類の撲滅を図っている――などと説明された方が腑に落ちる。
「あいつらに生半可な攻撃は通用しない。『吸収』能力を上回る飽和攻撃で、全身を一度に吹き飛ばさないといけない。それができるのは、現状で僕とグレイ嬢くらいなものだろう」
「だったらなおさらだ。貴重な戦力のグレイを無能にしてどうする」
「三体出たらどうする?」
唐突に問いに俺は面食らう。
「僕とグレイ嬢。二人で対処しきれない数が一度に出現したら、それでお終いだ。小さな村ぐらいならまだいいけど、大都市が丸ごと消える可能性もある。いや、実際そうなりかけたんだ。ヴァリアで魔獣が出現したとき、僕は遠くで別の魔獣を対応していて間に合わなかった。グレイ嬢の覚醒には本当に助けられたよ――だけど同時に、個別に対処するだけじゃ限界だとも思った。出現個体を逐一倒すだけじゃなく、そもそも出現しないようにしないとジリ貧だ」
「そんな方法があるのか?」
「いや」
諦めたような瞑目が挟まる。
「正体も分からない相手を根絶する策なんて練りようもない。だからミュリエル嬢を訪ねたんだ。彼女は千里眼の持ち主として有名だったから、天啓でも授けてくれるかもしれないと思ってね。もっとも僕はお尋ね者だから、彼女が信頼できる人間かどうかまず盗み聞きさせてもらったんだ」
「で、結果的に妾は詐欺師だったわけじゃが。それでも別の形でこいつは天啓を得た」
「天啓?」
訝る俺に対して、
「君のことだよ、アラン君」
「俺?」
「正しくは、君の語った内容だ。君のいた未来では、世界から魔法が消えていたそうだね。どんな手を使えばそれだけ世界を塗り替えられたかは分からないが……きっとそれこそが、世界中の人々が、魔獣を消すために取った最終手段だったんだろう」
肩を僅かに竦めて【暴君】は言葉を続ける。
「でも、妙だった。君の口からは魔獣どもと思しき存在が一つも語られない。【暴君】という魔術師の名が聞こえるだけだ」
「魔獣を操ってる黒幕のことを、そう呼んだんじゃないか?」
「かもしれない。だけど、僕は別のことを考えた――その【暴君】は、僕のことじゃないかとね。なんせ前科持ちの身だ。奴らの悪事を僕のせいにされるのは慣れている」
「だとしても、それは誤解だろう? どうしてわざわざ本当に【暴君】だなんて名乗った?」
「気づいたんだよ。僕は『敵としてなら信用される』って」
言わんとする意味がよく分からず、俺は視線を険しくする。
「魔獣どもと同じ能力を持っている以上、僕は真っ当には信用されない。それならいっそ、奴らの親玉を騙ってしまえばどうだろう? そしていかにもな悪党を装って、これみよがしに魔獣の恐怖を煽りながら、あちこちを挑発して回ればどうだろう? 君の知る歴史ではどうなった?」
「……あんたを倒すために、英雄たちが集まった」
「そうとも。正攻法で魔獣の危機を説き回ることができずとも、共通の脅威として団結を促すことはできる。魔法を喪うという代償の大きな荒療治も、それ以上に差し迫った【暴君】という恐怖があれば選択せざるを得ない。どうだい、すべてが円滑に回るだろう?」
俺たちがミュリエルを訪ねていた短い時間の間に、そんな大それた決断をしたというのか。
「グレイの杖まで壊す必要はあったのか? 挑発にしてもやりすぎだ」
「仕方なかった。グレイ嬢が僕を打ち倒すのは【暴君】――ひいては魔獣の脅威が十分に周知された後じゃなければ意味がない。今、邪魔をされては困る」
「心配せずとも、じきに新しいのが手に入るじゃろ。未来にあの杖が遺ってたということは、この時代でこれからもう一本作られるはずじゃ」
そういう意図なら、なぜ最初に言ってくれなかったのか。
問おうとして、すぐにその疑問は自己解決した。
グレイがいたからだ。
あいつが、そんな風に誰かに泥を被せる道を選ぶわけがない。
「……最終的にあんたはどうなる?」
「歴史を忠実に辿って、グレイ嬢に討たれることとするよ。死に際には『この世に我が呪いあれ』とでも残そうか。そうしたら、僕の死後も魔獣は『【暴君】の呪い』として対策されるだろう」
他人事のような口ぶりだった。
己の生死に頓着はなく、魔獣を絶やせるかどうかのみに焦点が向いている。
「俺が、グレイにあんたの真意を伝えるとは思わないのか」
「君は伝えないよ。伝えても彼女を無駄に苦しめるだけだ」
見透かすような断言。
「僕がこれから多くを殺すのは事実だ。となれば、いずれグレイ嬢は僕を殺して止めなければならない。そんな彼女に真相を伝えるのは、いささか酷だろう?」
「いや……でも、あんたが直接、手を汚す必要はあるのか? あんたは口先だけで悪党ぶればいい。わざわざ人を殺すまでしなくても、魔獣の事件を自分のせいだって言い張れば。それで途中で姿を隠せば」
「そうしたいのは山々だけど――困ったことに、魔獣どもは手加減をしてくれないからね。何百万人が死ぬか分からない。僕ならもっと桁の少ない人数で手仕舞にできる」
そこでようやく【暴君】は微かに笑った。語るべきことを語り、荷を下ろしたとでも言わんばかりに。
「実を言うとね、嬉しかったんだよ。グレイ嬢が現れてくれて」
「どういう意味だ?」
「そう構えないでくれよ、文字通りの意味さ。彼女は、僕にできないことができる。人々の希望になって、英雄としてこの先の未来を拓いてくれる」
「あいつを買い被るな。あれは内面わりと駄目なポンコツだぞ」
「それでも僕よりはマシさ。僕は【暴君】を騙るという天啓を得たとき……自分でも驚くくらい、抵抗がなかった。そんな簡単な手段があったのかと、眼から鱗が落ちた気分だった」
【暴君】は自身の掌をじっと見つめた。
「僕はグレイ嬢のように、世界を救うなんて高尚な理想を抱いてるわけじゃない。単に怖いんだよ。魔獣と同じ能力を持つ僕は――あいつらの同類なんじゃないかってね。僕の故郷はあいつらに滅ぼされた。だけど、当時の記憶はひどく曖昧なんだ。もしかすると、僕の故郷を滅ぼしたのは、本当に僕自身なのかもしれない。だから、あいつらを滅ぼす。そして最後には、そのエゴのために多くを殺した償いとして、自分も死ぬ。それでいい」
ぱちん、とミュリエルが手を叩いて話を纏めた。
「説明はこのへんでいいじゃろう。あとは貴様がこちらに与するかどうかじゃ、アランよ」
「そんな大それた話に、俺がどう噛めっていうんだ」
「鈍いのう。そんなもの、あの小娘の誘導役に決まっておろう。ある意味でこれは、この優男が悪役を演じる茶番じゃ。英雄役にも、その立ち振る舞いを酌んで動いてもらわねば困る」
今もそうじゃ、とミュリエルが続ける。
「杖を探せと言ったのに、ノコノコとこんなところまで追ってきおって。いずれ戦力が整えばやって来ると思っていたが、勝算もなしに一日二日で来るとは愚かにもほどがある。そんな無駄足は金輪際踏んでくれるな」
俺に念を押すように、ミュリエルの人差し指がこちらに向けられる。
「これから妾たちはしばらく姿を眩まそう。その間に、今度こそ貴様らは杖を探しに向かえ。貴様の知る【百器夜行】だろうが何だろうが、可能性のあるところを手当たり次第にな……正直、わざわざこうして忠告せずとも、貴様ならそうすると思ったがな」
「……そうしようとした。だけど、グレイが聞かなかったんだ」
「しかし、結局貴様はこの砦の位置を教えてしまったんじゃろう? そういう手抜かりをなくせというのだ」
ああ、そうだ。
俺はあの状況下でも、グレイへの期待を棄てられていなかったのだ。
あいつを英雄だと信じていたから。
だが、それは偽りだった。
未来の大英雄グレイ・フラーブの活躍は、結局【暴君】という役者に仕込まれた茶番劇だった。己で偉業を成したのではなく、そうなるよう仕向けられただけだった。
「あまりウジウジするな。客観的に見て、損な話ではないじゃろう。歴史どおりの既定路線を辿れば、貴様は晴れて大英雄の付添人として成り上がれよう。魔法は消えるかもしれんが、一生食うに困ることはあるまいよ」
ミュリエルの言う通りだ。
俺は基本的に、私利私欲で動く人間である。世界の行く末がどうなろうと知ったことではない。明日の自分の食い扶持が確保できればいい。
調子がおかしかったのは、ここ数日の間だけだ。
子供じみた夢を思い出して、金よりも大事な何かを得られたような気がして。
――そんなものは最初からどこにもなかったというのに。
俺がこの時代に呼ばれた理由も、なんとなく分かった。
未来のミュリエルか誰かの入れ知恵かもしれない。
何の誇りもない、英雄とは程遠い人間だから――誘導役という裏方にぴったりだったのだろう。別に俺でなくても、素性のよくない盗掘者みたいな人間なら誰でもよかったのかもしれない。
時間移動したときに聞こえた声を思い出す。
『私のことを、どうかよろしくお願いします』という、未来のグレイの声。
本当に馬鹿なやつだ。
そんな茶番に手を貸した俺を、未来でも呑気に信じたままだったのか。
「……あの馬鹿」
グレイはこれからも、何も知らずに英雄ぶって旅を続けるのだろう。
俺はそれをどんな気持ちで黙って見つめ続けねばならないのか。
だが、それしか道はない。
駄々を捏ねたところで何が変わるでもない。
――杖さえあれば。
どこのどいつが、俺みたいな役立たずをこの時代に呼んだ。
杖を二本でも三本でも持たせて、もっとマシな人間を呼べばよかったというのに。それなら、グレイがこの状況を何とかしてくれたかもしれない。
己の無力を呪う。
かつてグレイも学院でこんな気分だったのかもしれない。だが、あいつはそれでも腐らなかった。前を向き続けて、最後は自分自身を英雄と誇った。
もし叶うならば、俺もあんな風に。
そう思った瞬間、俺は後先も何も考えず、【暴君】に拳を突きだした。




