第27話『休戦交渉』
アルガン砦は、岩山の上にそびえ立つ巨大な城塞だった。
装飾過多の華美な城ではない。無骨に角ばったその造形には、純粋な軍事拠点としての威風がある。
周囲の荒野は不気味なほど静かだ。
獣はおろか、草の一本も見当たらないヒビ割れた不毛の大地。砂漠よりもなお酷いその様は、まさしく呪われた地と呼ぶにふさわしい。
そして、砦に呼びかけてみた反応だが――
「……返事、ないですね」
「こういうときに即答はしないもんだ。少し待つぞ」
俺は腕組みをして砦からの返答を待つ。
グレイはまだこの作戦に不承不承といった顔で、やや不貞腐れながらこちらに問いかけてくる。
「そもそも本当にここに今いるんですかね? 最終決戦はここだったかもしれませんけど、今の【暴君】の根城は違うところかもしれませんよ?」
「いいや。たぶん今もここにいる。見てみろ」
そう言って俺は空を指差した。晴れ渡る青空を低く横切っていくのは、猛禽らしき一羽の鳥である。
「鳥がどうかしたんですか?」
「この砦の近くに来たら、生き物はすぐ死ぬはずなんだろ? だけどあの鳥は別に死にそうな様子もない。今この時点でもう砦の呪いは消えてるってことだ」
地上にも獣の姿こそないが、よく見ればごく稀に羽虫は飛んでいる。付近にまだ植物が生えてきていないところを見ると、呪いが消えたのはごく最近のことか。
「そう簡単に消えるような呪いじゃないなら、誰かが消したことになる。この状況なら【暴君】が消したって考えるのが自然だろ」
「えっ! もう砦の呪いなくなってるんですか? よかった~。いくら私たちは平気って言われてても、やっぱり気分悪かったんですよね~。【暴君】さんも少しはいい仕事するじゃないですか」
めちゃくちゃ緩んだ表情になって、グレイがぱちんと指をはじく。
能天気な奴だ。今まで恐れていた呪いを簡単に消せるほどの敵が相手なのだから、むしろもっと警戒すべきだろうに。
しばし待ってみるが、反応はない。
まあ当然だろう。いきなりの降伏など、腹に一物あると宣言しているようなものだ。
俺は息を吸い込んで、続く言葉を叫ぶ。
「よく考えてみろ【暴君】! このまま歴史どおりに事が運べば、お前はここにいるグレイに負ける! だけど俺たちも世界から魔法を失う。そうなったら共倒れだ! だから俺たちを配下に入れろ!」
俺の演説の横ではグレイが「本当はぶっ飛ばしたいんですけどねー」と小石を蹴りながら呟いている。本音は分かるが黙っていろと思う。
「悪い話じゃないだろう! 世界を救った英雄と、世界を滅ぼそうとした【暴君】。両方が手を組めば、運命を変える手だって見つかるはずだ!」
追い込まれているのは俺たちだけではない。【暴君】の方もある意味では俺たち以上に追い込まれているのだ。
お互いに望まない結末を迎えるくらいなら、ひとまず手を組むというのは十分に合理的な手段ではないだろうか。
固唾を飲んで返答を待っていると、
「――その提案は、少し興味深いね」
砦から声が響いた。
肉声ではない。空気を強制的に震わせているような、どこか禍々しく歪んだ声である。
やがて砦の最上部に小さな影が姿を現す。
そこから悠然と宙を舞い、俺たちの前に降り立ったのは、紫髪を揺らす優男――【暴君】その人だ。
「その内容を聞くと、降伏というよりも一時休戦という風に聞こえるね? 運命を変える手段が見つかった時点で、お互いまた敵対することになると思うけど?」
静かに問いかけてくる【暴君】。さすがにグレイと違って物分かりが早い。グレイには車中でこの道理を納得させるのに、ほぼ丸一日かかった。
「ったり前ですよ! 対等の条件になったら、あなたみたいなナヨナヨ男なんて今度こそ一撃必殺で」
「黙ってろ」
「むっ」
さらに話をややこしくしようとするグレイの口を片手で塞ぐ。
「もちろんそうなる可能性は否定しない。だけど、できれば共闘してる間に妥協点も探りたい。あんただって愉快犯で世界を滅ぼそうとしてるわけじゃないんだろ? もし理由があるなら教えてくれ」
「僕が愉快犯じゃないとなぜ言えるんだい?」
「ミュリエルがそう言ってたからな。あんたはそう悪い奴じゃないって」
その言葉が、今のところこちらの唯一の希望だ。
話が通じることを祈りながら、俺は生唾を飲んで話を続ける。
「あんたの抱えてる事情次第では、本当に協力関係になれるかもしれない。もちろん相容れない理由だったら、運命を変える手段が見つかり次第――」
「協定破棄。改めて敵対するというわけだね」
俺の言葉を途中で引き継いで【暴君】がぱちぱちと手を叩いた。
「なるほど。理に適った提案だね。筋は通っているし、十分に受け容れの余地はある」
「じゃあ」
「おっと。早とちりしないでくれ。受けると言ったわけじゃない」
俺の言葉を制するように掌を広げながら【暴君】が続ける。
「運命を変える手段というのに、現状で心当たりがあるのかい?」
「いや。今のところは杖以外に何もない」
「つまり君たちを迎え入れても、新たに有用な情報は何も得られないということかな?」
そうだ、と俺は開き直って頷く。
「それでも、あんたにはグレイとの敵対を避ける道が生まれる。もしもあんたに何か事情があるなら、俺たちも一緒にその解決手段を探してやれる。どうだ?」
「たとえば」
返ってきたのは、肯定でも否定でもなく一つの問いかけ。
「僕の目的が間引きだとしたら、君たちはそれに協力してくれるのかな?」
「間引き? 何の」
「ミュリエル嬢に聞いたけど、これから世界は魔法を喪うそうじゃないか。当然、文明は衰退して食い扶持も足りなくなる。その日に備えて、事前に『生き残るべき人間』を選別して人口を減らしておく――僕がそんな目的で動いていたら、協力してくれるかい?」
「待て。世界から魔法が消えるのは……お前の呪いのせいなんじゃないのか?」
「やだなあ。たとえば、と言っただろう。仮に僕の呪いじゃなく、別の理由で魔法が喪失するとしての話だ。で、僕の目的がそんなものだったとしたら、グレイ嬢も一緒に国の一つくらい滅ぼしてくれるんだろうね?」
俺はグレイを振り返った。
毛虫を睨みつけるようなチンピラの顔になっている。
「アランさん。やっぱりこの人ぶっ飛ばしていいですか?」
「落ち着け」
ははは、と【暴君】が笑う。
「やはり協定は無理なようだね。信頼できない仲間を抱えるのは、強大な敵よりも遥かに厄介だ。僕はミュリエル嬢に協力を仰いで、独自に運命を変える手段を探していくことにするよ」
「……ミュリエルさんは本当に無事なんですか?」
と、ここでグレイが少し声色を重くした。
交渉が上手くいけば【暴君】の懐に滑り込み、彼女に魔の手が及ばないよう交渉することもできるはずだった。しかし決裂した今ではミュリエルの様子を窺い知ることすらできない。
「ああ。丁重にもてなしているよ」
「……信用できません! 檻とかに閉じ込めてるんじゃないですか!?」
「逃げられるわけにはいかないからね。少しばかりの不自由は多めにみてもらいたい」
「やっぱり! 閉じ込めてるんですね!?」
「彼女のためを思っての措置だよ。もしどうしても檻が嫌というなら、逃げられないように足を斬らせてもらうことになるけど――それでもいいのかな?」
嘲るような冷笑とともに、【暴君】は鋭い眼光を向けてくる。
こちらまで音が聞こえるほどにグレイが歯噛みした。
放たれる怒気とともに、彼女の周りでぼんやりと光の滓のようなものが浮かぶ。
「おや。ここで戦うつもりかい? 無駄だと思うけど」
「うるさいっ! やっぱ交渉なんてガラじゃありませんでした! 運命とか何とか知りませんけどここでぶっ飛ばしてやります!」
今にもグレイが暴走しようとした、そのとき。
「おいこら貴様、なーにを掃除抜け出してグダグダと駄弁っておるか」
会話に夢中で、砦の方から人影が歩いてきているのに気が付かなかった。
ミュリエルだ。
初めて会ったときの子供形態の姿で、手には掃除道具のハタキを握っている。そのハタキを【暴君】に手渡して、
「あの砦ん中、埃っぽくてならんのじゃ。さっさと戻って埃落とししろ。雑巾がけも忘れるな」
「……ミュリエル嬢。そのくらいは自分でやってくれないかな」
「だって妾じゃ棚の上とか背が届かんしなあ。うん? 大きくなって自分でやれだと? あれは疲れるから面倒なのだ」
ミュリエルにハタキを押し返した【暴君】はごほんと咳払いする。
「見てのとおり。普段は幽閉しているが、今は砦の掃除に従事してもらっている。働かせるときは容赦なく働かせる主義だからね、僕は」
「それとだ【暴君】。備蓄の水が少ないぞ。飲む分はあるが、風呂を沸かすには全然足りん。貴様は飛べるんだから、あとで近くの街に行って樽ごと担いでこい」
俺とグレイはただ複雑な表情でそのやり取りを眺める。
と、ミュリエルがこちらを向いた。
「なんだ貴様ら。あれほど心配するなと言ったのに、ノコノコやってきたのか。いいからとっとと帰れ。妾はそれなりに楽しくやってるから」
状況がよく理解できなかった。




