第24話『杖よりも』
「最終的に私が勝ったなら、あんちくしょうの野望も打ち砕いたはずですよね。なのに魔法が消えちゃうっていうのは納得いかないんですけど」
魔法が滅んだ具体的な理由と経緯は明らかになっていない。
しかし、それなりに信憑性のある俗説は伝えられている。
「ああ……【暴君】は倒されるとき、ありったけの魔力を吐き出して世界に呪いを残したらしい。魔法が消えた理由ははっきりしてないが、たぶんその呪いとやらのせいだったんだろう」
「くぅ……死に際までとことん醜い野郎ですね。悪党でも最期くらいは潔く散れないんでしょうか」
言葉には出さないが、まったくだと思う。
魔法の消失でもたらされた混乱や、それにより失われた人命を考えれば、むしろ死んでからの方が被害をもたらしている。往生際の悪いことこの上ない。
最初に杖が光ったとき、未来のグレイは自分自身を『半端な英雄』と蔑んでいた。きっとこの呪いを防げなかったことを悔いていたのだろう。
「そういうことなら、やっぱり悠長に仲間なんて集めてられないですよ! 今すぐにでもあの野郎を締めあげて、腐った性根を叩き直してやらないと!」
「馬鹿。勢いだけで物を言うな」
「あうっ」
グレイの頭に軽く手刀を落とすと、まだ魔力ロスから全快していなかったのか、大きくフラついて尻餅をついた。
「いいか、お前は弱いんだ。世界最強でも何でもない。何でもかんでも助けられるなんて思い上がるな……だけど、すまなかった」
「な、何を急に謝ってるんですか?」
「俺が間違ってた。お前なら――グレイ・フラーブなら、何でもやってくれるんじゃないかと思ってた。だから、すまなかった。お前をそこまで調子に乗らせたのは俺の責任だ」
もう子供じみた夢は見ない。グレイに過度な期待もしない。
ただ安全に、歴史どおりの旅路を歩むことを心がければいい。
「……私は期待外れだったってことですか?」
「そうだ」
残酷かもしれないが、躊躇わずに断言する。
グレイはそれに言葉を返さず、俯いてその場にじっと座り込み続ける。
ぽたり、と。
グレイの顔から一滴の雫が地面に落ちた。
――泣いているのか。
「……そろそろ立て。泣いてたって時間が無駄なだけだ」
「泣いてません」
面倒くさい。
俺は俯いたグレイの腕を掴み、引っ張って立ち上がらせる。
ところが。
「ほ~ら泣いてないって言ったじゃないですか~。泣いたフリするだけで慌てちゃうとかチョロいですね~。もしかして女の子慣れしてないんですかぁ~?」
いきなりグレイが顔を上げ、最高にムカつくゲス表情を披露してきた。
口の端を袖でぐいっと拭ってみせるあたり、さっきの涙の正体は吐き捨てた唾だったらしい。
この野郎、この期に及んで。
一瞬でも哀れんだのが間違いだった。このクソ図太いクソ女があんなにメソメソ泣くはずがなかった。
「いい加減にしろ、こんなときにふざけてる場合か」
「じゃあ泣いてた方がよかったですか? 残念ですね~。私ってメンタルも最強ですから、あのくらいの言葉で凹むような神経してないんですよね~」
「凹め。ちょっとはまともに人の忠告を聞け」
「聞かないですよ。だって、アランさんってば嘘が下手なんですもん。ひょっとして私より下手なんじゃないですか?」
俺の眉間を指で突いてグレイは勝ち誇る。
「心にもないことを言われたって、全然胸に響きません。私のことが期待外れだったなんて……よくもまあそんな大ボラが吹けたものです」
「ホラじゃねえ。本音だ」
「その割に言葉が軽いんですよ言葉が。私のことを『本物に見えた』って言ってくれたときは、もっと重みがありましたよ。そんな軽いジャブみたいな『期待外れ』じゃ、一万回言われたって響きません。さっきだって、顔。ずいぶん嬉しそうだったじゃないですか?」
指摘されて俺は自分の顔を触った。
いつ、そんな表情を浮かべたものか。
「私が顔上げたときですよ。普段なら絶対怒るはずなのに、ちょっと笑ったじゃないですか。憧れのグレイ様がメソメソ泣くんじゃなくて、まだ余裕綽々だったから安心したんでしょう?」
「誰が憧れのグレイ様だ」
「心配無用です。私は諦めたり身の程を言い訳にするようなダサい真似はしませんから。どんな難敵だって華麗に倒してみせましょう。一度負けても次でぶちのめしゃいいんです次で」
なぜ。
なぜこいつは杖も失って戦う力もないのに、ここまで心が折れていないのか。
ただ単に馬鹿なのだとしても、ミュリエルにボコボコにされ【暴君】にも敗北した今、力不足は肌身で感じているはずだ。
と思ったら、すぐ気付いた。
よく見たらグレイの膝は小鹿のごとくプルプルと震えていた。明らかにめちゃくちゃビビッていた。
「お前、震えてないか」
「え? これは、アレですよ。武者震いってやつで」
「無理してカッコつけんな」
「いーえ! 無理してカッコつけますよ! だって素の私は正直あんまりカッコよくないんですから、背伸びぐらいしないと誰もカッコよく見てくれないじゃないですか!」
俗物根性丸出しの理屈。
一瞬にして虚飾は剥がれ落ちる。やっぱりこいつは英雄とは程遠いポンコツだ。
「命懸けてカッコつけて何になる。何の得もないだろ」
「得ならありますよ。馬鹿な誰かがコロッと騙されて私のことを信じてくれたりします」
俺は押し黙った。その『馬鹿な誰か』というのは。
「杖を託してくれたとき、普通に考えたら勝算なんて何もなかったのに、私を信じてくれやがったじゃないですか。馬鹿ですよ馬鹿。そんな馬鹿を働いた人に、いまさら説教される覚えはありません」
ごつん、と俺の胸にグレイの拳がぶつかる。
「さあ、今すぐ殴り込みに行きましょう。ここでやらなきゃ英雄の名がすたります」
「だけどお前、杖もなしじゃ勝負にすら」
「あれぇ? アランさんの大好きな英雄グレイ様は、杖がなくなったごときで何もできなくなっちゃう駄目人間なんですか?」
「事実そうだろ」
「分かってないですねぇ。杖はなんで杖っていうか知ってます? 歩くための補助具に過ぎないからですよ。杖がなくなったなら、これからは自分の足で歩くまでです。さっき私がミュリエルさんの家を消し飛ばしたでしょう? あの一撃がちゃんと命中したら、敵もノックアウトできると思いませんか?」
確かにあれは、狙いこそクソだったが威力は相当だった。杖なしで放てたのはかなりの進歩と見える。
だからといって――
「ミュリエルの話は聞いてただろ。どんなに強力な攻撃も、歴史の修正力ってやつが防いじまうんだって」
「どっちを信じるんですか?」
「は?」
「そんなよく分からない変な力と、グレイ・フラーブの覚醒した真なるフルパワーとどっちを信じるんですか? 要するにこれはそういう話なんですよ」
違うと思う。
大事なのは客観的にどちらが強力かという分析であって、信じる信じないの主観ではない。
と、そこでグレイがいきなり話題を切り替えた。
「河原で杖を試しに振らせてもらったことがあったじゃないですか。なんで『世界樹の杖』を使ったのに、あのとき私が何も魔法を使えなかったんだと思います?」
「……急に何の話だ?」
「思うにですね。自信がなかったからです。あのときの私は嘘まみれで何も誇るものなんてありませんでしたから。『どんなにすごい杖を使ったところで、どうせ無駄』って実は内心諦めてたのかもしれません」
だから、とグレイが繋いだ。
「私が魔法を使えるようになったのは、杖のおかげなんかじゃなくて――誰かさんが信じてくれたからだと思います。あれで自分も捨てたものじゃないって思えたから。自信が持てたから。そっちの方が杖よりもずっと大事だったんです」
こちらに向かって手を差し伸べてくるグレイ。
確信に満ちた、毅然とした言葉だった。
あのとき、グレイは『英雄』になったのだろう。少なくとも、自分自身をそう任じたのだ。
たかが俺ごときの安い言葉で――……
俺はじっと、差し出された手を見つめる。
「……杖の作成者に、少しだけ心当たりがある」
「え?」
「未来のグレイの仲間だった【百器夜行】って奴だ。本名はバゼル・ロウ。世界樹の杖との関わりがあると明言されてるわけじゃないが、グレイの仲間で『装備品の作成に長けた魔術師』はこいつしか思い浮かばない」
実を言うと、このバゼルが『杖の作成者』と断言する根拠はどこにもない。
文献で彼と杖との関係性を示したものは一件もなく、そもそも彼が得意としていたのは鎧などの防具分野だったとされる。
それでも、可能性はゼロではない。
「その人を先に探しに行くっていうんですか?」
「いや」
俺が否定の言葉を返したことに、グレイはやや驚いた様子を見せた。
自分に対して頷きながら、俺はひたすら言葉を続ける。
「このままミュリエルを放置してたら、この情報はじきに【暴君】に伝わる。そうなったら、杖を横取りされかねない。それこそ本当にお終いだ。そう考えると、情報を奪われる前にミュリエルの身柄を取り戻すべきともいえる。どうせ今はこっちも相手の攻撃でダメージは受けないわけだし、もう一度接触してみる価値は――」
心なしか早口になっていると、グレイが「ははぁん?」と陰湿に笑った。
「なぁ~んだ。そういうことですかぁ。素直に言えばいいのに。『やっぱりグレイ様に賭けてみたくなった』って。そんな言い訳みたいに理屈ベラベラ並べなくたって分かってますよ。さあいざ突撃!」
無性に腹が立ったので、とりあえず顔面を鷲掴みにして言葉を封じた。




