第20話『襲撃者』
「追います!」
人影が雑木林の奥に消えた直後、グレイはすぐさま杖を掲げて叫んだ。
途端に俺とグレイの身が光球に包まれ、割れた窓から雑木林へと飛び出していく。
光球の速度は人の足を遥かに凌ぐ。すぐに追いつくものかと思われたが――
「おいグレイ! 待て! 引き返せ!」
「どうしてですか! まだ十分追いつけます!」
「違う! 周りをよく見ろ! 薄暗い!」
雑木林の木々に覆われた周囲は、日中といえど陽光のほとんどが遮られている。
移動用の光球が放つ輝きもいつになく弱弱しく衰えている。
「だ、大丈夫です! 薄暗くてもこのくらいなら戦えますから!」
「馬鹿! もし今の敵が【暴君】だったらどうする! ハンデある状態で勝てる相手じゃないだろ!」
「それは――」
グレイが反論に迷ったとき、危惧していた事態が起きた。
――すぐそばの木陰から、人影が飛び出してきたのだ。
全身に黒いローブを纏い、目深に被ったフードで顔を覆い隠した人間。
さきほど脇に抱えていたミュリエルの姿は既になく、その代わりに右の拳を振りかぶっている。
その拳が光球に衝突した。
「っきゃあ!」
「ぐぁっ!」
激震。
光球はまるでガラス細工のように砕かれ、俺とグレイはその衝撃でバラバラに吹き飛ばされる。
背中から木の幹に打ち付けられた俺は息を詰まらせるが、苦しんでいる暇など微塵もなかった。襲撃してきた謎の人物が、すかさず俺に追撃を仕掛けてきたからである。
ほとんど反射的に横へ跳ぶ。
一拍遅れて、俺が寄りかかっていた木が轟音とともにへし折れた。謎の人物が放った拳が、容易く木の幹を――さっきまで俺の頭があった位置を叩き砕いたのだ。
冗談じゃない。
あんな攻撃、一発でも喰らえば即死だ。
「伏せてアランさん!」
そのとき、周囲に拳大の光球が生じた。
決して数は少なくない。数十個はある。今この明るさでグレイが出せる最大出力なのだろう。
「喰らえっ!」
一斉に光球が襲撃者へと襲い掛かろうとする。
だが。
唐突にすべての光球が消滅した。
「ぃだっ!」
その理由は、小さく悲鳴を上げるグレイの手元にあった。
襲撃者が鋭く投げ放った小石が、彼女の握っていた杖を弾き飛ばしていたのだ。
「グレイ!」
何やってる、すぐ拾え。
そう叫ぼうとしたが、無情にも叶わなかった。
立ち上がろうとしていた俺の脇腹に、襲撃者の回し蹴りが突き刺さったからである。
「がっ……」
死んだ。一瞬でそう確信した。
胴体がちぎれてもおかしくない威力だったが、不思議と痛みは感じない。
ただ他人事のように自分の身が吹き飛び、雑木林の中をゴミのように転がっていくのだけを感じた。
「アランさん! このっ……よくもぉ!」
グレイが怒気を発したと同時、再び周囲が光球で満たされた。
最後の力を振り絞って俺が目を開くと、そこには再び杖を構えて敵に相対しているグレイの姿があった。
「降り注げ!」
大量の光球が一斉に敵へと襲い掛かっていく。
対する襲撃者は、地を踏み込み――猛烈な勢いでグレイへと疾駆した。
さすがに無謀だ。
いくら突進の勢いを付けようと、あれだけの弾幕を突破できるわけがない。攻撃の物量に呑み込まれて終わりだ。
しかし。
次の瞬間には、襲撃者はもうグレイの眼前に迫っていた。
一撃たりとも光球を受けることなく。
まるで素通りするかのように弾幕を掻い潜って。
「逃げろグレイ!」
瀕死だったはずだというのに、俺は決死の声を上げた。
だが何もできない。何も間に合わない。
俺が傍観する前で、襲撃者の放った拳がグレイの胸へと吸い込まれた。
衝撃の余波で周囲の落ち葉が一斉に撒き上がる。小柄なグレイの身が空中を舞い、やがて受け身も取れぬまま地面へと落ちる。
彼女が手にしていた杖もまた、からりと音を立てて地に転がる。
なんてことだ。
こんな事態になるのなら、やはり深追いなどすべきではなかった。いいや、そもそもミュリエルを助けに来る選択が間違いだったのか――
悔やんでももうどうしようもない。
俺とグレイの命運も、もはやここまでなのだから。
「……ん?」
と思っていたが、様子がおかしい。
じきに意識が遠のいて死ぬかと思いきや、むしろ視界は鮮明になり始めた。回し蹴りを喰らった腹部にも痛みはほとんどなく、唾を吐いてみても血一滴すら混ざっていない。
「うぐぅ~痛ぁ……ってあれ? そんなに痛くない……?」
どうやらグレイも同じようだった。
殴られて地面に転がっていたが、そこまでダメージがないことに気付いたらしく、もぞもぞと身を起こし始めている。
手加減されていた?
いいや、あの襲撃者の殺気は間違いなく本物だった。俺が横っ跳びでかわした初撃などは、現に木の幹を貫通するほどの威力だったのだ。
「貴様ら。特にグレイ。己惚れていたようだが、ちょっとは力不足を思い知ったか?」
そのとき、知った声が雑木林の中に響いた。
ミュリエルの声だ。
だが見渡してみても周囲に彼女の姿はない。いったいどこから。
「妾じゃ、妾」
襲撃者がフードを上げた。
顕わになった素顔は――金髪碧眼の、妙齢の女性だ。
「えっ……?」
「ミュリエル……さん?」
俺とグレイが当惑する。
当然だろう。ついさっきまで十歳児くらいの見た目だったミュリエルが、完全に大人の姿になっているのだから。
「妾の一族の特有魔法は『老化抑制』じゃからな。抑制できるもんは解除もできるのが道理じゃろ。抑制に使ってた魔力を腕っぷしに回せば威力も出る」
「え、えっと。待ってください。じゃあ逃げるときに抱えられてたミュリエルさんは?」
「ありゃあ妾の洋服に枕を突っ込んだだけの変わり身人形よ。ほれ」
そう言うと大人姿のミュリエルは近くの草むらから人形を引っ張り出した。
ミュリエルの衣服に枕が突っ込まれ、手足の位置には適当な棒切れが添えられている。遠目で騙されてしまった俺たちが言うのもなんだが、ずいぶん雑な造りだ。
ここで俺は睨みながら尋ねる。
「おいミュリエルさん。なんでいきなり俺たちを襲ったんだ? 冗談にしちゃタチが悪すぎるぞ」
「決まっておろう。貴様らがあまりにも物分かりが悪いから、実践で説明してやるしかないと思ったのよ」
そう言うとミュリエルは指を立てた。
「まず。貴様らはまだ青い。実力不足もいいとこじゃ。世界最強なぞと豪語しておいて、妾一人にすら弄ばれていては笑い話にもならんぞ」
「で、でもミュリエルさんズルいじゃないですか! こっちの杖を狙ってきたり、こんな薄暗い場所に誘き出したりして……」
「馬鹿者が」
「あうっ」
ぺちん、と。
ミュリエルがグレイの額を指で弾いた。
「ズルではない、ただの戦略じゃ。敵がいつも正々堂々と戦ってくれると思うな。それに状況のハンデを置くとしても、貴様の弾幕を正面から掻い潜ってみせてやったろう」
「あ、あれ。どうやったんですか? 気付いたら目の前にいられてすごく怖かったんですけど……」
「なに。妾の思考解読の応用じゃ。魔法に宿った攻撃意思を読み取れば、軌道の先読みなど容易い」
「やっぱズルじゃないですかぁっ!」
「うるさいズルではないわ妾の実力じゃ」
賑やかな押し問答を繰り広げるグレイとミュリエルだが、俺はさっきから少しも緊張を崩していなかった。
「そいつに実力不足を思い知らせるため、っていうのは分かった。だけどミュリエルさん。あんた、俺たちを本気で殺しにかかってただろ?」
「――ほう? 分かったか?」
「当たり前だ。本気で殺しにかかってきたかどうかぐらい分かる」
これまであまりロクな暮らしをしてこなかった分、命の危機を感じたことは何度もある。
殺気の真贋を嗅ぎ分けられるくらいの嗅覚がなければ、ならず者として生きてはこれなかった。
「うむ。妾は本気で貴様らを殺しにかかった。どちらに撃ち込んだ一撃も、容赦なく内臓を破壊して血反吐をぶちまけさせるつもりで撃った」
俺は喉を鳴らして生唾を飲んだ。
グレイはこれをまだ冗談と思っているのか「またまたぁミュリエルさんったら~」と呑気に笑っている。こいつはダメだ。
そこでミュリエルがローブの内側からナイフを取り出した。
禍々しい厚刃の輝きに、俺は咄嗟に身構える。
「落ち着け。いまさらこれで貴様らを刺そうというわけではない。ただ、ダメ押しにちょっとした実演を見せてやろうと思ってな」
そう言うなり。
ミュリエルは、己が喉笛に勢いよくそのナイフを振りかざした。
「ミュリエルさん!」
グレイが悲鳴に近い声を上げると同時、切っ先がミュリエルの喉に触れる。
――そして、刃が砕けた。
「……え?」
粉々になった金属片が雑木林に地に落ちる。
俺とグレイがほとんど声を揃えて目を丸くする中、ミュリエルだけが愉快そうに笑っていた。
「言っておくが、ナイフに細工をしていたわけではないぞ。貴様らに攻撃を加えたときと同じく、今の妾は、本気で自害するつもりで喉に刃を突き立てた。結果はこのとおりだ」
ミュリエルが柄だけになったナイフを投げ捨てる。
「妾も、貴様らも、ここで死ぬことはできんのだ。無理に押し通して命を奪おうとすれば、『妙な力』がそれを邪魔してくれる。今、このナイフを砕いた力のようにな」
「『妙な力』? それって、魔力とは違うんですか? 今ナイフが砕けたとき、魔力っぽいものは感じませんでしたけど……ただの偶然としか」
「おそらくは魔力の一種じゃろう。だが、極めて異質な類のものといえる」
グレイの問いにミュリエルは頷いた。
「おそらく普通では感知することすらままならん。だが、妾はこの『妙な力』そのものでなく、そこに宿った意思を読み取ることができる」
宿った意思?
どういうことか。誰かが俺たちを死なせないように『妙な力』とやらで守ってくれているのか。それなら都合がいいが。
「たわけ。そんなに都合のいい話があるか」
俺の思考を読み取ったミュリエルが鼻で笑う。
かと思ったら、次の瞬間には一切の表情を消した。
「魔法には行使する者の意思が宿る。だからこそ妾には分かる。この『妙な力』を生んでいる意思の持ち主は、人間ではない。それどころか生き物ですらない。もっともっと次元の違う何かだ。あらゆる心を読む妾ですら、言語化してその意を正確に解することができん。漠然な感情に落とし込んで強引に理解するしかない」
「……どんな意思なんだ?」
「これまで散々言ってきたじゃろう。卑近な言葉でむりやり意訳してやるとすれば『歴史は変わらん』ただその一言よ」
ふうとミュリエルがため息を吐いた。まるで諦めるかのように。
「時か、世界か、神か、運命か――たぶん、そういう類の力じゃろうな」