第2話『伝説の杖を売って一儲けしたい』
「過去の世界……?」
そんなことがあり得るのか。
信じられないが、信じざるを得なかった。
なにしろ荷車が普通に空を飛んでいる。空に引かれた光の轍を辿って、あちらこちらへ人や物が運ばれていくのだ。
魔導学院らしき巨塔に向かっても、上層に向かって地上から轍が何本も伸びている。こんな非現実的なもの、どう考えても魔法以外にありえない。
空を眺めて呆然としていたら、通行人に次々と肩がぶつかる。貴重な杖をスられてはまずいと慌てて気を引き締める。
大通りに立ち並ぶ商店の賑わいときたら、気を抜けば人波に流されそうなほどの混雑具合である。
陳列されている商品もまた凄まじい。食料品店に並んでいる肉や魚は、乾物でも塩漬けでも燻製でもなく、なんと生のままだ。そのくせちっとも腐臭を放っておらず新鮮そのもの。
服飾店には質実な綿服から豪奢な毛皮まで多種多様な品が吊られており、客はそれぞれ手に取って眺めている。
他にも、何に使うかも分からない品々が揃った店も多々ある。
この一角を眺めただけでも『魔法時代こそが人類史の最盛期だった』という言説に頷けた。あらゆる物の豊かさが、魔法の失われた未来――俺のいた現代と隔絶している。
そしてもう俺は早々に、元の時代に帰ろうという気を完全になくしてしまった。
もともと、盗掘者などというロクでなしの身である。金もなければ家もない。待つ家族すら誰もいない。食うにも困る貧しい時代に誰が好き好んで帰るものだろうか。
どういう状況かはさっぱり分からないが、マシな暮らしを送れるなら過去だろうが未来だろうが関係なかった。
そのために俺がやるべきことは、奇しくも今までと何一つ変わらない。金の確保だ。
「とにかく、信頼できる売り主探しだな……」
この時代で生計を立てるため、唯一の頼みは懐にしまった世界樹の杖である。俺の時代ですら莫大な価値を持っていたこの宝は、この魔法時代においてはさらなる価値を持つに違いない。
上手く売り払って、一生遊んで暮らす。目標はそれだけ。
幸いにも、大通りを賑やかす人々の雑談はしっかりと聞き取れる。客寄せをしている店主たちの声も、内容ごと理解できる。
言語が現代とそこまで変わっていないのか、はたまた時間遡行した際に何かしらの力が働いたのか。いずれにせよ、好都合である。
それとなく調査をして、盗掘品などの横流しルートに通じていそうな人間を――
「……ん? 待てよ」
よく考えたら、この時代においては別にこの杖は『盗掘品』ではないのである。誰から盗んだわけでもない。未来の世界から持ち込んできた、れっきとした俺の所有物である。
なら、わざわざ危険の伴うアウトローな流通経路を探す必要はない。旅の商人として堂々と胸を張って、街一番の大店に持ち込めばいいのだ。
そうと決まれば話は早い。さっそく、この街でもっとも栄えている商店を探そう。仲介料を半分以上そちらに持っていかれてもいい。この世界樹の杖なら、それだけ差し引かれても十分に暮らせるだけの金が――……
「ただの木の枝ですね」
「は?」
意気込んで駆け込んだのは、街の最も目立つ通りに看板を出している大商店である。その軒先で今、査定の担当官が哀れむような顔で俺を見ている。
「魔法の杖というのは神秘性のある素材を用い、魔法の増幅装置としたものです。しかしこれは、どこからどう見てもその辺の木の枝に柄を付けただけのものです。魔力も宿っていませんし、とても売り物にはなりません」
価値がないと言い張って安値で買い叩く交渉術かと思ったが、初老の査定官はそっと杖を俺に差し戻してきた。買い取る気すらないらしい。
俺は慌てて杖をもう一度差し出す。
「ま、待った。もっとよく調べてみてくれ。これは間違いなくすごい杖のはずなんだ」
「最近ではこういう粗悪な杖もどきを、未熟な商人に売り付ける詐欺が流行っていましてな。見たところあなたは、商人としての基礎もできていない。これを勉強と思って、精進なさった方がいい」
こちらの嘆願に応じることなく、初老の査定官は一礼して店の奥に引っ込んでいった。
俺は背筋に冷たい汗を流しつつも、なんとか心を落ち着ける。
「まだだ。今の爺さんの目が節穴だっただけの可能性もある。次だ次。二番目にでかかった店に行けば……」
思考を前向きに切り替え、やや離れた別の大商店に持ち込む。しかして結果は、
「木の枝ですね」
「んなっ……!」
今度は若い女性の査定官だった。眼鏡をかけた知的な雰囲気で、先ほどの店と同じく哀れむような顔で俺を見ている。
「こうした品を押し付けられたことには同情いたしますが……その失態も商人としての糧でございます。どうか次は良き取引ができることを祈っております」
「違うんだ。これはたぶん特殊な杖で……」
「失礼いたします」
取り付く島もなく、二件目も撃沈してしまった。
それから店の規模をどんどん小さくして査定を頼み歩いたが、どの店も揃って評価は「ただの木の枝」だった。薪としてすら買い取ってくれる気配がない。
断じて何かの間違いである。
この杖が、遥か数百年の時を越えさせたことは事実なのだ。それがただの木の枝であるはずがない。規格外の杖であるがゆえに、誰も正確に価値を見抜けていないだけだ。
だが、どんなに凄くても価値の分かる人間がいなければ売りようもない。
十数軒の店を行脚した俺は、疲労にふらふらと揺れながら夕暮れの路地を放浪していた。
手持ちの食料を含む荷物類は、遠い未来の隠しキャンプに置いたままだった。
この時代に持ってこられたのは、手元にあるこの杖だけである。すなわち、これを現金化できねば野垂れ死にあるのみ。
「ちくしょう。誰かこの杖の価値を分かってくれる奴は……」
そこで俺は、弾かれたように背後を振り返った。
夕焼けを受けて赤く染まっているのは、天に聳えるヴァリア魔導学院の巨塔である。
――そうだ。いるじゃないか。
この杖を相棒として世界最高の魔術師に登り詰めた英雄。【不没の銀月】グレイ・フラーブその人が。
思いついた瞬間、俺は学舎の塔に向かって走り始めた。
今の時代が正確にいつなのかは分からない。グレイが学院に在籍していたのはごく僅かな期間であったとされている。
入学試験を首席で突破し、ごく短期間で最高学年にまで登り詰め、教師すらも凌駕した彼女は「もはや学ぶものはない」と、卒業を待たずに世界を救う旅に出た――というのが伝承だ。
今このとき、あの学院にグレイが在籍しているかは分からない。
だが、会える可能性があるなら向かうしかない。
そして、どんな手を使ってでもこの杖を売りつけるのだ。