第19話『歴史は変わらない』
ミュリエルを見捨てようという俺の提案に対し、グレイはすぐさま首を振った。
ここで即決できるあたり、やっぱりこいつは大したものである。その評価を口には出さないが。
「ダメですよ! 確かにあんまり好感の持てる人ではなさそうですけど、見捨てるなんて」
「だけどあれ人間性クズだぞ?」
「人間性は関係ないですよ! アランさんのことだってちゃんと助けてあげたじゃないですか。巨人に追っかけられたとき」
その言い分からすると、グレイにとっては俺も人間性クズの範疇ということか。
まあ否定はしない。今後もグレイからは杖代として金を搾取し続けていくつもりだし、そのくらいの侮蔑は甘んじて受けよう。
グレイは立ち上がってミュリエルに手を差し出した。
「さあミュリエルさん。早くこの村から離れましょう」
「だから、どこに逃げるというのじゃ。貴様らは【暴君】とやらに狙われても安全な隠れ家を持っておるのか?」
「それは……」
さきほどミュリエルが指摘したとおり、ヴァリアの魔導学院ですら謎の脅威の前には無力だった。
言いよどんだグレイだったが、それでもなお食い下がる。
「でもとりあえずこの村は離れておきましょうよ! ここにミュリエルさんがいることは噂になってるんですから、まずは遠くに離れないと! それに隠れ家はなくても、私と一緒にいればいつ敵が来ても守ってあげられますし!」
「それはつまり貴様らの旅に同行しろというのか? 面倒そうだのう。妾の趣味ではない」
落ち着いた仕草でハーブティーを啜るミュリエル。
その他人事じみた態度には、さすがに俺も違和感を抱いた。
「なあミュリエルさん。あんた、俺たちの言ってることが嘘じゃないとは分かってるんだろ? なんでそんなに落ち着いていられるんだ?」
「妾は大人じゃからな。こういうとき、慌てふためくよりも理詰めで物を考えるのよ。そうして理詰めで考えれば、逃げても無駄だというのがすぐ分かる」
そう言うと、ミュリエルはテーブルに頬杖をついた。
そしてもう片方の掌で扇ぐように俺を示す。
「アランとやら。逃げても無駄という最大の理由は、貴様がいるからだ」
「俺がいるから?」
その語意を咀嚼する前に、横でグレイが「ぷっ」と笑った。
「ちょっとそれは言い過ぎですよミュリエルさ~ん。確かにアランさんは魔法も何も使えなくて私に比べたら全然弱っちいですけど、足手纏い呼ばわりしたら可哀想ですってばぁ~」
「誰が足手纏いだ。通り魔対策とかしてやってるだろうが」
「でも【暴君】って人が来たら結局は私頼みですよね~?」
口論になりかけるが、ミュリエルがそれを制するように指を弾いた。
「本当ならもう少し馬鹿どもの痴話喧嘩を眺めておきたいが、妾とて【悲愴】な未来は避けたい。そろそろ真面目に本題といこう――アラン。貴様は『世界から魔法が消え去った未来』から来たのだろう?」
「ああ、そうだ」
俺が肯定すると、ミュリエルが肩をすくめた。
「聡い者ならこれだけでもう気付きそうなものではあるがな……。まあいい。で、今はそこにいるグレイとともに『世界を救う旅』をしていると。問わせてもらうが、世界を救うとはどういう意味だ?」
「えっへん、そんなの決まってますよ」
俺よりも早くグレイが鼻を高くした。
「【暴君】って人をやっつけて、世界から魔法が消えないようにして、世界中の誰も彼もが私を英雄の中の英雄と讃えるようにすることです! それこそ最高のハッピーエンドです!」
この台詞を臆面もなく言えるのだから、ある意味で一種の才能だと思う。
ミュリエルも失笑していた。
「心構えは立派じゃが、そうはならんじゃろうな」
「どうしてですか。この杖があれば私は世界最強なんですよ? どんな敵だって倒してみせますとも!」
「そういう問題ではない。よく考えてみい。貴様のいうハッピーエンドを迎えたとして――世界に魔法が残ったとして、その先の未来にこのアランという人間が存在すると思うか?」
あっ、と俺は声を上げる。
ミュリエルは「気付いたか」と微笑した。
「グレイよ。貴様が『世界を救って』しまえば、未来においてこの男は存在しなくなる。当然じゃろうの。魔法がある世界とない世界では、世界の秩序は何もかも変わる。魔法が存続する未来となれば、この男が未来において生を受けることはあるまい」
その理屈は、たぶん筋が通っている。
俺には親というものがいない。気付いたときには、街の浮浪児集団の一員だった。後で聞いた話では、赤子の頃は物乞いの小道具として扱われていたのだという。
もっとも、その小道具を自立できる程度にまでは養ってくれていたから、あの集団はなかなか情のある連中ではあったのだが。
もし今後も世界に魔法が存続するなら、おそらくそんな境遇の子供はそうそう出てこないだろう。ヴァリアやこの村の豊かさが、その事実を雄弁に語っている。
すなわち、俺もおそらく存在しないことになる。
ミュリエルは言葉を滔々と続ける。
「つまり、ここにアランという男が存在している以上、未来はどう足掻いても変わらんということよ。必ずこの世から魔法は消えるし、世界は貧しく衰退する。歴史の歩みは何一つ本来と変わることはない。そうでなくば、時に矛盾が生じる」
小難しい話になってきたが、俺は必死に話についていこうとする。
そこでふとグレイを振り向いてみると、
「なんかよく分かりませんけど、とりあえず私がもっと頑張れば大丈夫ってことですよね? たぶん」
思考停止の極致。
もはやこいつは置いておこうと決める。
俺は熟考しつつも、湧いた疑問を尋ねてみる。
「だけどなミュリエルさん。今こうして俺がここにいること自体、本来の歴史ではありえないことだろ? それなら、この先の未来だって別の展開で進んでいくこともあるんじゃないか?」
未来が変わらないと言われても、今ここでこうして俺やグレイは動いているのだ。その努力がすべて無駄に終わると言われても、そう簡単には信じられない。
「んむ。貴様がタイムスリップしてきた時点から本来の歴史とは分岐して、まったく別の未来に進んでいるという可能性も想定はできる」
「それなら、今ここで逃げればあんたも無事に――」
そこで、俺の言葉を阻むようにミュリエルが掌を広げてきた。
「じゃがな、妾には分かるのだ。分岐などあり得ん。この世界は、貴様のいた『魔法を失った世界』へと確実に進んでいくであろうとな。断言しよう」
「なんでそう言えるんだ?」
「どうせ今ここで貴様らに言っても納得せん。押し問答を延々と繰り返すつもりはない。時間の無駄じゃからな。ただ、諦めや憶測ではなく、確実な根拠があって言っているとだけ理解してくれ」
さて、とミュリエルが強引に話を区切った。
「だから妾はここから逃げぬ。歴史が変わらぬ以上、どこに逃げても無駄であろうからな。それよりは幽閉されることを覚悟の上で次善の策を打ちたい」
「次善?」
「うむ。そっちの小娘、グレイ」
「はい?」
話から離脱してぽかんとしていたグレイだったが、名指しをされて意識を取り戻す。
「貴様はこの先【暴君】を打ち倒すのだろう? ならば、歴史を忠実に辿った上で、一刻も早くそれを成せ。妾が幽閉されている期間が少しでも短くなるようにな」
「あ、やっぱり敵をぶちのめせばいいんですね? 任せてくださいよ。ミュリエルさんを狙ってきたら、返り討ちにしちゃいますから」
「そうではない。『歴史を忠実に辿った上で』倒せと言っている」
俺は記憶の中の歴史伝承を思い起こす。
本来の【不没の銀月】グレイ・フラーブが歩んだ【暴君】討伐までの道筋は――
その思考をミュリエルが引き継いだ。
「ヴァリアの魔導学院を発った後、各国の魔術師たちと交渉して旅の味方に引き入れ、やがて彼らとともに【暴君】の正体を突き止め、これを討伐した。そんな順序じゃな?」
「えっ、待ってください。いろんな国を回って魔術師を味方にするって……それすごく大変じゃないですか?」
グレイが率直な感想でいきなり話の腰を折った。
しかしミュリエルは一応それに相槌を打ってくる。
「そうじゃな。優秀な魔術師は国の宝。よっぽどのことがなけりゃ、どこの馬の骨とも知れぬ小娘に協力なんてしてくれんじゃろう」
「な~んだ。じゃあやっぱり面倒なだけじゃないですか。私一人でも十分最強なんですから味方なんていいですよ別に」
「よく話を聞かんかこのポンコツ阿呆娘。『よっぽどのこと』があれば別だと言っておろう。他国にも知られた魔導都市のヴァリアが陥落しかけたことや、それを単騎で救ったのが貴様だということが分かれば、向こうも聞く耳くらいは持つ。その記憶の中の銀髪の娘……ファリアとやらのコネも使えそうだしの」
今度はミュリエルが俺の方を向いた。
「アランよ。未来に伝わっている歴史伝承は、大筋は合っていても人物の詳細においてはだいぶ粗があるようだな? ならば妾が『廃人同然に泣き暮らす』という未来も誤っているかもしれん。【暴君】の無様な死にざまを思い返しては、毎日笑い泣きをしておっただけかもしれん。妾はそっちの可能性に賭けよう」
だから早く行け、とミュリエルは俺たちを追い払うように手を振った。
「しかるべき歴史の手順を踏まねば【暴君】は倒せぬ。そういう風になっているのだ。妾を助けたいと思うなら、さっさと世界を巡って『歴史どおりに』仲間を集めてこい。そしてなるべく早く助けに来い」
「……少し待ってくれ」
突拍子もない話の飛躍で、さすがに俺もついていけなくなる。
「ミュリエルさん。未来は絶対に変わらないとか、歴史どおりに手順を踏まないと【暴君】は倒せないとか、あんたがそう言う根拠は何なんだ? せめてそれだけは聞かせてくれ」
俺にとっても他人事な問題ではない。
このままグレイに恩を売って成り上がれるとしても、世界から魔法が失われて貧しくなってしまっては、悠々自適な生活が途端に怪しくなる。元の時代と大差ない生活水準にまで落ちぶれるのは御免だ。
なぜ、未来は変えられないのか。
その理由を聞くまでは、とても「はいそうですか」とミュリエルの命令を受け容れる気にはなれない。
そしてグレイも、俺とは違った主旨ながらミュリエルに異論があるようだった。
「よく分からないですけど、諦めちゃいけませんよミュリエルさん。あなたの想像以上に私の力は凄いんですから。【暴君】とか倒すのに手助けなんかいらないんです。さあ一緒に逃げましょう」
極めて能天気な説得だった。
だが一理ある。
歴史的事実として【暴君】を倒したのはこのグレイなのだ。もし戦うことになれば勝算は十分以上にある。
だというのに、歴史の手順通りに仲間を集めて挑まなければ【暴君】は倒せない――そんな理屈は眉唾としかいいようがない。
俺とグレイがそれぞれ詰め寄ると、ミュリエルは面倒臭そうな顔になって耳穴を小指でほじった。
「ったく。つくづく愚かな連中じゃあのう。妾がこんだけ懇切丁寧に説明してやったというのに。馬鹿は物分かりが悪くて困る」
「ちょっと! 誰が馬鹿ですか!」
「分かった分かった。そこまで言うなら、貴様らに賭けてみることにしよう。この村から逃げるんじゃな?」
――え?
あまりにも急な前言撤回に俺は虚を衝かれる。
一方、グレイは元からよく理解していなかったということもあり、素直に跳ねて喜んでいる。
「任せてください! アランさんの知ってる歴史ではどうか知りませんが、この真の大英雄である超天才の私の前では誰一人として死なせたり攫わせたりなんてしませんから! さあ日の高いうちに早く出発しましょう!」
「まあ待て。妾とてこう見えて年頃の乙女なのじゃから、最低限の身支度ぐらいさせてくれてもよかろう。奥で荷物を整えてくるから、しばし時間を貰えるか?」
年頃の乙女というよりは単なる子供としか見えない風貌だが、わざわざ指摘して無駄に時間を費やすこともない。俺たちが頷くと、ミュリエルは自室らしき奥の部屋へと歩いていった。
「よかったですね。一緒に来てくれるみたいで」
「俺は別に見捨ててもよかったんだが……」
まあ、多少は後味が悪くなるから、助けられるに越したことはない。
俺の記憶から歴史情報を拾ってくれる存在としては多少有用だし。
「それにしてもミュリエルさん、なんだか難しいこといろいろ言ってましたねえ。仲間を集めろとかなんとか。私、自慢じゃないですけどそういうの大の苦手ですよ」
「人望なさそうだからなお前」
「アランさん? ひどくないですかそれは。私は仮にも未来の大英雄ですよ? カリスマの塊ですよ?」
「本当にお前がカリスマの塊だったら、俺は感動してタダで杖を譲ってるよ」
じゃあタダにしてください! と叫ぶグレイを無視。
俺はただ静かに、ミュリエルの言っていた内容を反芻していた。
――歴史は変わらない。
そのとき。
ミュリエルがいるはずの奥の部屋から、ガラスの砕ける高音が鳴り響いた。
「ミュリエルさん!?」
俺とグレイがほとんど同時に飛び出す。
扉を蹴破って奥の部屋に突っ込めば、ガラスの散乱した室内には誰もいない。
「アランさん! あれ!」
叫びとともにグレイが指さしたのは窓の外。小屋の周りを囲う鬱蒼とした雑木林だ。
そこには、ミュリエルらしき少女を抱え、木陰の向こうへと消えていく黒い人影があった。
「なっとう」様が本作にレビューを書いてくださりました! ありがとうございます!