第17話『ミュリエル・ラヴァ』
ミュリエル・ラヴァ。
年若き乙女の風貌でありながら、数百年の時を生きる長命の者。その老練なる頭脳と【この世のすべてを見通す目】の前では、あらゆる謀が意味を失うとされる。
しかしその力ゆえ、彼女は悲愴なる生涯を遂げることに――……
空飛ぶ光球がじりじりと高度を落とし、やがて着陸して消滅する。
目的地の村の手前で、俺とグレイは無事に地を踏みしめた。
「はっはっは! 到着ですよアランさん! 普通に陸路で来たらここまで何日かかったでしょうね? ここまで迅速に移動できたのは誰のおかげでしょうね?」
「よし、さっさと村に入るぞ」
昨日あれだけ迷ったのが何だったのかというほど、今日の道行きはスムーズだった。ほとんど一直線に飛べたおかげで酔いもなく、時刻もまだ朝方の範疇である。
グレイが無能と化す日没のリミットまでには、まだ十分な余裕があった。
「え~。ちょっとくらい私をねぎらう言葉があってもいいんじゃないですか~?」
「今はミュリエル探しが最優先だ。ほらついて来い」
それでものんびりしている暇はない。
まだこの村にミュリエルがいると確定したわけではないからだ。
地図と同封されていたメモによると、ミュリエルはしばらく前からこの村に占い師として滞在しているということだった。前々から、複数の商人が『評判の占い師』としてその存在を商会に報告していたらしい。
しかし、最後に報告が上がったのはおよそ一か月前。それからミュリエルが村を移動していない保証はない。
ぶつくさと不平を垂れるグレイを無視しながら、俺は村へと踏み入る。
ぱっと見の印象はどこにでもある普通の田舎村だが、よく観察してみると俺の時代とは畑の作物の実り具合が段違いだったりする。やはり魔法の恩恵があるのだろう。
と、そこで道の向かいから村人らしき老婆が歩いてきた。
俺は反射的に少し身構える。まずい、畑をジロジロ見ていたせいで作物泥棒の下見と思われたかもしれない。
とんだ誤解だ。今はそんな盗みを働くつもりなど――
が、警戒する俺の脇をすり抜けて、グレイがニコニコと老婆の前に歩み出た。
「すいませ~ん。この村にミュリエルさんって占い師さんいますか? すごく当たるって聞いてやってきたんですけど」
「ミュリエル様かい? そんなら、あそこの丘の上だよ。小屋があるのが見えるかい?」
「あの三角屋根の小屋ですね。ありがとうございます!」
この間わずか十数秒。
知りたかった大半の情報が引き出せてしまった。
グレイが頭を下げて老婆を見送り、俺も慌ててそれに倣う。
「よかったですね。ミュリエルさん、まだこの村にいるみたいですよ!」
「お、おう」
「……どうかしました? なんか様子が変ですけど」
「いや……収穫前の村によそ者が来たら、普通もうちょっと警戒されるもんじゃないか? 作物泥棒と思われたり」
ぷっ! とグレイが噴き出した。
「アランさんったら心が荒みすぎじゃないですか? だいたい作物泥棒って。そんなことしなくても、頭下げたら誰か分けてくれますって」
「そういうもんなのか?」
「そうですよ。私の故郷もここと似たような農村ですけど、もし旅の人が無一文でお腹空かせてたら、いくらでも食べさせてあげますよ。まあその分、収穫作業を手伝ってもらうんですけど」
豊かな時代とは分かっていたが、田舎でもここまでとは。
無知を晒してしまったのがまずかったか、俄かにグレイが調子づき始めた。
「あれあれぇ~? なんか偉そうに私にあれこれ言ってくるわりに、アランさんって意外と世間知らずですね~? ま、よく考えたらこの時代に来て数日ですもんね? ド素人ですもんね? 全っ然気にすることはないですよ~」
早くミュリエルと合流したいと切に願う。
今後の行程や戦略の立案を賢者たる彼女に丸投げしてしまえるなら、俺が不慣れな旅の先導役など務める必要はない。
うざったいグレイの軽口を右から左に聞き流しつつ、村はずれの丘を登ってミュリエルの小屋を目指す。
そう高くはないが、村全体を一望できる程度の丘だ。
「いつでも戦えるように杖は持っとけよ。いつミュリエルを狙って敵が来るか分からん」
「大丈夫です。もう持ってます」
振り向けば、グレイはしっかりと両手で杖を握りしめていた。小屋に近づくにつれて軽口が減っていたが、やはり多少は緊張しているようだ。
やがて小屋の扉が目の前に迫る。
そのとき。
「――まあまあ、そう緊張するでない。少なくとも今この場に敵はおらんよ。今はな」
小屋の内側から扉が開いた。
そこに立っていたのは、金髪碧眼の年若い乙女――というか、子供だ。たぶん十歳かそこら。小柄なグレイよりも二回り以上は小さい。
現に小屋の扉だって、背伸びして開けている。
「ほれ? 妾に会いにきたのじゃろう? 立ち話は好かんからとっとと入れ」
「ええと……あんたがミュリエルさんか?」
半信半疑で俺が尋ねると、金髪の少女はやや眉間に皺を寄せた。
「あんた呼ばわりとはご挨拶じゃな。こう見えて妾は貴様らなどよりもたいそう歳上なのだぞ。少しは敬意を払わんか」
「すまん。敬意は払いたいんだが、あんまり敬語が得意じゃないんだ」
「うむ、知っておるよ。未来から来た者・アランとやら。盗掘が本職の貴様に元から敬語など求めておらん。言ってみただけじゃ」
俺は目を剥いた。
まだ会ったばかりだというのに、俺の素性を完全に見抜いている。
そこでグレイが喜色満面に手を挙げる。
「わ! すごい! じゃあ私のことも分かりますか?」
「んむ。そっちはグレイ・フラーブ。一見無能で生意気な情けない小娘じゃが、その杖さえあれば並ぶ者がおらんほどの魔法が使えるようじゃな」
「ちょっと余計なマイナス情報が多すぎませんか?」
やはり間違いない。グレイのときのような肩透かしとは違って、今度は本物だ。
俺は歓喜に拳を握る。
「ミュリエルさん! やっぱりあんたは噂通り【この世のすべてを見通す目】を持ってるんだな!?」
「んな都合のいい目があるかたわけ」
……は?
「よく考えてもみろ愚か者。【この世のすべてを見通せる】者が、むざむざ幽閉されるはずがあるか。そんなことになる前に尻尾巻いて逃げ隠れるのが普通じゃろうが」
「いや、でも……。今こうして、俺たちが来た理由とか未来のこととか全部見通してるじゃねえか」
ミュリエルは頭を掻いた。編み込まれた長い金髪が揺れる。
「占い師の商売あがったりになるから他言無用じゃぞ。妾は千里眼ぶって商売をしておるがな、実際のとこは――」
びしりとミュリエルが俺の顔を指差す。
「他人の心が読めるだけじゃ」




