第13話『悲愴の賢者』
「ところでアランさん。これから私はどこに行けばいいんですか?」
旅支度を整えて魔導都市ヴァリアを発ってから、約一時間。
街道の石畳を歩いている途中で、グレイがあくび混じりに聞いてきた。
「どこって……旅に出るとか言い出したのはお前だろ。アテがあったんじゃないのか?」
「ないですよそんなの。だからさっき出発の挨拶がてら、アランさんに聞きに行ったんですよ。だって未来から来たのなら、私がこの後どんな風に旅をして世界を救ったか分かるはずでしょう? 今の今まですっかり聞き忘れてましたけど」
どこまでも他力本願な奴だった。自分の都合で出奔同然に学院を去ることにしたのなら、その後の計画ぐらいしっかり立てておけと思う。
「俺も知らん。この時代の英雄伝説は未来にも残ってるけど、詳細な歴史資料は散逸してて、とてもグレイの詳しい足跡なんか分かったもんじゃない」
「なぁーんだ。意外とアランさんも使えませんね。ま、それならそれでいいでしょう。だって私が英雄になるのは約束されてるんですから。そう慌てる必要もナシです」
そう言いながらグレイはブドウの実をぱくぱくと口に放り込んでいる。旅支度の際に、道中の体力補給には甘味が必要だといってグレイがわざわざ購入したものだ。
旅の保存食なら日持ちのするものにしておけといったのに、新鮮な果物がいいと主張して一歩も譲らなかったのだ。
いいや、ブドウだけならまだマシだった。
今のグレイはその装いもすべて新たにしている。
薄汚れたエプロンに三角巾の小間使いスタイルはもはや昔。金糸飾りをあしらった純白の絹ローブを身に纏い、髪には三日月型の髪飾りを付けている。
これらの代金はすべて、俺が支払ったものである。
正確にいえば、今後回収予定の杖の代金に上乗せした形だ。いずれ返済してもらう予定ではあるが――
「本当にその服は必要だったんだろうな?」
「何を言ってるんですかアランさん。魔術師の服はただのお洒落や飾りではないんです。魔力を使う効率を上げたり、あるいは外部からの魔法攻撃を防いでくれたり……これは絶対に譲れない必要経費なんですよ! 私だって本当は借金なんて増やしたくないんです……」
本当だろうか、と思う。
ローブはまだしも、髪飾りなんかは完全に趣味の領域に入っていたような気がする。「月の髪飾りなんて【銀月】たる私にぴったりじゃないですか!」と終始テンションを上げていたし。
だが、魔法関係を前面に出されて必要性を主張されると俺には反論の種がなかった。また、行く先々の商店主が「街を救った魔術師様」であるグレイに大幅な割引価格を提示したことも、俺が妥協した理由の一つだ。
「ところでアランさん。行くアテが特にないなら、このまま街道沿いで海方面に行きません? 魚がとっても美味しい港町があるらしいんですよ。観光も盛んで、宿もすごくサービスのいいところが多いって評判です」
「お前……旅行じゃないんだぞ」
「え~違いますよ~。交易都市といえば世界各地の情報が集まるじゃないですか~。それに世界を救う英気を養うためには、安宿で貧乏布団にくるまるんじゃなくて、フカフカのベッドで寝ないと駄目だと思うんですよ~。いざというとき疲れてたら力が出ないかも~」
こいつ。
やっぱりそうだ。どうせすぐには杖の代金を返済できないと開き直って、堂々と俺へのツケで贅沢を満喫し続けるつもりだ。
「あのな、そんな風に贅沢しまくって手持ちの金が尽きたらどうするつもりだ?」
「心配ないですよ。いざとなればあのすごい魔法を見せびらかせば、いくらでも私にお金を出資してくれる人が出てきますよ」
「ダメだ。お前がああいう術を使えることは不用意に人に話すな」
「なんでですかっ!」
いきなりこちらの胸倉を掴む勢いでグレイが懐に詰め寄ってきた。
「どうして自慢したらいけないんですか! あっ! 分かった! 嫉妬ですね! 私ばっかりチヤホヤされるのが羨ましくて仕方ないんですね! ちっさ! 人としての器がちっさいですよアランさん! 見損ないました! そんなことでは一生モテませんよ!」
「うるせえ黙れ」
グレイの顔面を掴んで懐から引き剥がす。
「嫉妬じゃねえよ。身の安全を確保するためだ。たとえばお前がすごい魔法使いだと知れば、周りはどう反応すると思う?」
「崇め奉ってくれると思います」
「世の中そんな馬鹿ばかりじゃない。たとえば、すごい魔法使いが持ってる杖なら、よほど価値のある逸品だろう――そう思うやつだっているはずだ」
そう言って俺は、グレイの腰に据え付けられた杖を指差す。
魔法使いの装備品はただの服飾以上の価値を持つ。奇しくもさきほど、グレイ自身が言ったことだ。
「お前はその杖がないと無能だろ? なら、盗まれちまったら一巻の終わりだ。お前ドン臭いからスラれたりもしそうだしな。変に狙われるようなことは言うべきじゃない」
貴重な盗掘品を手に入れたときは、決してそれを他言しない。金を懐に抱えているときこそ、質素に目立たぬようにする。
ならず者として育った俺にとっては常識も常識の自衛法だった。
「そんな……行く先々で私の名声を広めていくつもりが……」
「あと、死ぬほど不本意ではあるけど、宿に泊まるときも別々じゃなくて同じ部屋にするからな。お前一人だと空き巣が入っても寝たまま杖を取られそうだ」
「えっ! 変態! まさかアランさん、杖を守るのにかこつけて私の寝込みを――」
「うるせえ黙れ俺は椅子なり床で寝るから安心しろ」
悪態をついて突き放す。
正直いうと、装いを整えた今のグレイは見た目だけならそれなりだった。ファリアのような絶世の美少女というわけではないが、十分に可愛らしい見た目をしている。見た目だけなら。そう、見た目だけなら。
見た目以外が最低最悪なので、そんな気は微塵も起きない。
もしも一歩でも間違うようなことがあれば、それを盾に杖代をチャラにしろと迫ってきそうな気もする。断固としてそのあたりは気を付けねばならない。
「あんまりです……私の偉大な旅は、自慢もできず質素に安宿を巡りながらアランさんなんかと相部屋で過ごさないといけないんですか……そんなの楽しくもなんともありません……」
「世界を救う旅が愉快で楽しいはずあるか。もっと使命感を持て」
「ええ分かりました! それならさっさと一番悪い奴をぶっ倒しましょう! どこにいるんですか悪い奴は!」
「知るか」
世界滅亡の危機を招き、魔法時代に終焉をもたらしたのは、一人の闇の魔術師だったとされている。
それを打ち破って滅びを阻止したのがグレイとされているが、その勝利には多くの他の英雄たちの手助けもあった。
今この場で、グレイがその黒幕と単騎でぶつかりあって勝てるかどうかは分からない。
そもそも、その闇の魔術師がどこにいるか見当もつかない。
ため息とともにグレイが首を振った。
「はーぁ。本当、未来から来たくせに肝心なこと知らないんですねアランさんは。あーあ、もっと歴史に詳しくて、この時代のこと何でも知ってる人が来てくれればよかったのに」
「悪かったな。俺がそんな都合のいい歴史の学者様じゃなくて――」
そこで俺は、ふと言葉を止めた。
商売知識として見聞きしてきた数々の歴史伝承の中に、そんな『都合のいい人物』が一人だけ存在した。
「おいグレイ。ミュリエル・ラヴァって奴は知ってるか?」
「ん? 知りませんけど、その人も英雄なんですか」
「英雄になる能力は十分にあったはずだ。【この世のすべてを見通す目】を持ってたらしい」
「おおっ! それじゃあ私たちの味方に引き入れればすぐ敵も何もかもお見通しじゃないですか!」
「ああ。相手もそう思ったんだろうな」
ミュリエル・ラヴァ。
その名は英雄として伝えられているわけではない。むしろ、非業の生涯を遂げた人物として憐憫とともに伝えられている。
なぜなら。
「このミュリエルは――世界を滅ぼそうとした闇の魔術師が一番最初に狙って、幽閉し続けた人物だ」
ゆえに彼女は【悲愴の賢者】と伝えられている。