第11話『不没の銀月』
杖から光が溢れると同時、俺がタイムスリップした時に聞こえたのと同じ声が響いた。
『いつかの私へ。この杖が目覚めたということは、きっと戦う決意をしたのですね』
「ぅきゃぁあああっ! なんか杖が喋ったぁあ――――っ!」
間髪入れず、俺の肩の上でグレイが驚愕の大絶叫を放った。
その喚きをうるさく感じつつも、実は俺も少し驚いていた。
よく聞いてみれば、杖から聞こえる声とグレイの声がまったく同じだったからである。もっとも、声の落ち着き具合は雲泥の差だが。
『きっと驚いているかと思います。今のあなたに、多くを伝えることは難しいでしょう。そちらも緊急事態でしょうから』
「はいはいはい! よく分かりませんけど緊急事態だからあの怪物の倒し方教えてください早く!」
『でも、一つだけ伝えさせてください』
慌てまくるグレイを制するように杖が告げる。
『たった今あなたが得た誇りをどうか忘れないでください。目の前の誰かを助けたという――嘘つきな私が最初に得た、本当に本物の誇りを。そして願わくは』
杖の声が、悲しそうに笑う気配があった。
『半端な英雄にしかなれなかった私よりも、ずっと多くの人をあなたが救ってくれますように』
「いいからそんなことよりも早くあの怪物をぶっ倒す方法をですね!」
当のグレイにあまりメッセージが届いていない気がするが、いいのだろうか。
いや、この状況に限ってはグレイ(ポンコツな方)の言い分が正しいかもしれない。なんせ俺たちの背後には、黒い巨人が迫ってきているのだから。
盗掘品を担いで追手から逃げるのは得意分野だが、今回は荷物が重い上に相手が規格外すぎる。
「俺もそこまで長くは逃げられん! 早くしてくれ!」
「そうですよそうですよ! そんな悠長な自分語りとかどうでもいいですから!」
未来の自分に向かって辛辣な言葉をぶつけるグレイ。いつかブーメランになって戻って来るのを自覚しているのだろうか。
『では、唱えてください。呪文を。あなたの力の標となる言葉を』
「ですからね! その呪文とやらを早く教えてくださいとこっちは言って……あっ」
唐突にグレイが拍子抜けしたかのように反論をやめた。
「どうした?」
「分かりました、たった今。この杖を持ってたら、なんとなく分かりました」
グレイの気付きと引き換えになったのか、杖からは急速に光が失われていく。未来からの言葉ももう響く様子はない。
だが構わない。
グレイが分かったというなら、それを信じよう。
「やれるんだな?」
「ええ任せてください。あんな怪物ごとき、この私が――未来の大英雄グレイ・フラーブが! あっという間に成敗してやりましょう!」
というわけで、とグレイが繋ぐ。
「呪文を詠唱する間、走って逃げててください! お願いしますよ!」
「ああ分かってる! 早くしろよ!」
俺に戦う力はない。この状況でできるのはそのくらいだ。
だが、言葉とは裏腹に少しだけ愉快だった。
憧れていた英雄。【不没の銀月】グレイ・フラーブの初陣を手助けできる日が来るとは、光栄の限りだ。本人には死んでも言わないが。
と、そこで一つ不安がよぎった。
「お前……もう魔力がないんだろ? そんな動けもしない状態で、魔法が使えるのか?」
「心配無用です」
自信満々なグレイの返答。
ならばもう俺はただ逃げて走るだけだ。
後のことは考えず、死力を尽くして足を前に動かす。
追ってくる巨人が再び拳を振りかぶるのを肩越しに確認。地を蹴って逃げる方向を急転換。振りかぶられた巨人の腕の外側に移動し、拳の落ちてくる軌道から逃れる。ならず者の喧嘩経験も役に立つものだ。
激震。
当たっていたら挽肉にされていたであろう一撃を背後にかわし、それでも安堵せずになお走り続ける。
そこでグレイが静かに詠唱を始めた。
「我は月。自ら光を持たぬ者」
グレイの言葉とともに再び杖から微かな光が発せられる。
「されど遍く陽光を浴び、己が光へと変じる者」
次いで周囲にも変化が生じた。
まるで街中を埋め尽くすかのように、無数の光り輝く球が辺り一帯に出現したのだ。
「我、夜天の闇にありても輝きて、世に一条の光明をもたらさん」
そしてグレイが声を張り上げ、杖を掲げる。
「永久に沈まぬ銀月を見よ! 集え我が光!」
その一言を合図に、無数の光球が巨人の頭上で一つに集まっていく。
すべての光球が溶けあって生み出されるのは、まるで地に顕現した月のごとく巨大な光の球だ。
俺は足を止めた。
もう逃げる必要はない。そう確信できた。
「――降り注げ!」
グレイが杖を振り下ろすなり、世界が真っ白に染まった。
巨人の頭上にあった光球が炸裂し、光の奔流が瀑布のごとく地に降り注いだのだ。
繊細にして強力無比。
大英雄グレイの伝承を体現するかのように、降り注いだ光は街に一切の破壊をもたらさず、ただ首無の巨人だけを焼き尽くしていく。圧倒的な破壊力の前に、巨人は再生すら叶わない。
一秒の後には、灰すら残さず怪物は消滅していた。
「すげぇ……」
率直な感想を漏らしてから、俺ははっと口を押さえる。
こんなことを言ってしまっては、グレイがまた馬鹿みたいに調子に乗るのが目に見えていた。
――と思ったら。
肩の上のグレイは妙に静かだった。それどころか、ぴくりとも動く気配がない。
まさか意識を失っている?
あれだけの魔法を使った反動?
「おい大丈夫か。しっかりしろ」
肩に担いでいたグレイを地面に寝かせる。
が、グレイは意識を失ってるわけではなかった。しっかりと目は開いていた。
ただ。
「え……? えぇ……? え……? は……?」
撃った魔法の威力が自分でも信じられなかったのか、完全に放心状態に陥っていた。




