故に我らが知らぬ世界(笑)
ゴミゴミとそびえるビル群が、ちょっとした異種格闘技戦のように不揃いに並んでいる。
そのビルの間を人間と自動車がぐるぐると行き交う。
「首尾はどうかね」
「万全でございます」
人波の中に、真っ黒なスーツに身を包む二人の男がいた。
二人は大きな背丈に加えて、がっしりとしたカバンを持って並んで歩いているので、歩道の半分は彼らで仕切られていた。
カバンには「UNC」と小さくロゴが入っている。
二人の内、サングラスをかけた細身の男が片割れに話しかける。
「トップシークレット案件だ」
「心得ております」
体格のよいヒゲ面の男が、神妙そうに相槌を打った。
「注目度はどうかね」
「一割を切っております」
「一割もあるのか?」
「どうしても、管理する人間は認知せざるをえません」
「ふぅむ……人員削除も検討するか」
細身の男は、やれやれと首を振って、こう釘を刺した。
「いいかね、我々UNCの業務は常に秘密と隣り合わせ。市民の認識の外になければならない」
「心得ております」
「存在を周知されながらも、実態は見せない、知らせない。つまるところ、名を持ち体を持たないゴーストのような存在でなくてはならないのだ」
「もちろん、心得ております」
二人は会話の途中で、スクランブル交差点に差し掛かる。そこでぴたりと話を切り止め、黙って信号を待っていた。
不意に、スクランブル交差点で立ち止まった人々が、一斉に顔をしかめる。中には、マスク越しに鼻をつまむ女性もいた。
屎尿運搬車、通称バキュームカーが通ったのだ。
各地のトイレを巡り、排泄物を回収し走り去るバキュームカー。
顔をしかめる人々を見て、スーツ姿の二人は、ニンマリと歯を見せて笑った。
「素晴らしい」
と細身の男。
「まさに、臭いものには蓋」
とヒゲ面の男。
信号が青に変わり、二人はまた歩き出した。
「我々は、うんこを見ない」
細身の男が笑みを浮かべたまま語る。
「ええ、我々は、うんこを見ません」
ヒゲ面の男も黒いスーツを煌めかせて笑う。
「間接的にその存在は匂わせているが、実物は見ない」
「実物を見ないどころか、身から離れたうんこが、どんな水路をたどり、どこに流れ着き、どのように処理されるのか、具体的に知る由もありません」
「知らないのに、当然のように人は水洗トイレのレバーを下ろす」
「私の隣にいた、鼻をつまんだ彼女はどうでしょう。うんこの行く末を知っているのでしょうか」
「実際に尋ねてみたい気持ちはあるが、ぐっと堪えよう。きっと知らないだろうから」
興奮しているのか、細身の男の足取りが早くなっていくので、ヒゲ面の男は慌てて足を早め、彼の横についた。
「くっくっく。彼らは何も知らずに誰も知らない虚空の彼方へと、うんこを葬り去っているわけだ」
細身の男が歩を進め、市立の公園に入った。
ヒゲ面の男が慌ててその後を追う。
「きょ、虚無の闇に消えるうんこ」
少し息を切らしながら、ヒゲ面の男が相槌を打つ。
真昼の陽光に照らされた黄金色の土煙の中を、黒いスーツが異物のように歩いて行く。
細身の男がタバコを口に咥えたので、ヒゲ面は手早く懐からライターを出した。
「消滅しないはずのうんこの存在を、誰も気にも留めない。異常と正常の二律背反だ」
「それが、うんこでございます」
白濁色の煙を吐き出しながら、細身の男は笑う。
公園の敷地内にある喫煙所は、人気のない木陰の中にあった。
「確か、我々の活動を政治に利用したいという輩がいたな?」
「認知されずに実行できる能力。確かに政治に生かせるでしょうが、その話題はすでに流れました」
「素晴らしい。それでよい。それがベストなのだ。それでは、今日も良い報告をありがとう。今後も我々の活動を誇り、大いに行動していこう」
ヒゲ面の男は、うやうやしくお辞儀をした。
「我ら、精神衛生委員会・極東UNC支部の御心のままに」
……終わり。
…ここまで読んでいただき、本当に、マジで、ありがとうございました。