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㉚ 夜叉のいない村と瑞生の生きる道

夜叉のいなくなった村で、瑞生もサニも、多くの人々が問題と向き合おうとしています。ゾンビーウィルスの存在は彼らの力になるのでしょうか。

【 二〇一五年六月二九日 】


 テレビは朝から村のテロ続報と夜叉の死の真相で持ち切りだ。昨日の夜に、司法解剖の結果として、「夜叉の死因はゾンビーウィルスによる細胞の活性化の終了に伴う自然死(!)」と判断され、「遺体はゾンビーウィルスの影響で通常の遺体とは異なる状態のため、すでに荼毘に付し、バンドメンバーとスタッフで見送った」と発表された。


 『コスモスミライ村の住人が夜叉追悼のキャンドル灯す』というタイトルで自治会から写真が各局に提供された。ランタンやグラスにキャンドルを入れたもの、スワロフスキーのクリスタル煌く燭台もあった。村中が柔らかな灯りに照らされて、各家庭で夜叉のために祈りが捧げられたのだ。

 この写真は世界中に拡散され、好意的に受け入れられた。

:テロの被害を受けたミライ村ですが、住人の方の夜叉への想いが伝わってくる素敵な写真ですね:アナウンサーが笑顔で締めくくった。

 村のゲート前には相変わらずファンや報道陣はいるが、もうヒステリックな雰囲気はない。Woods!が出した献花台の上にはキャンドルが並び、その周囲や下には花が花畑のように供えられていった。テーブルには「後日、東京でお別れの会を開きます」とカードが置かれていた。自治会長の藤森は「いずれ夜叉邸を記念館にする予定なので、その時に皆さんの花で屋敷を埋め尽くしましょう」と発信し、これまたファンから歓迎された。


 瑞生も本永も、今日まで自宅(AAセンター)待機だった。他人から活動を制限されるのを嫌う本永は、「俺たちが逃亡や証拠隠蔽をするっていうのかよ」とぶつくさ言った。

瑞生は「僕は、あまり同級生の目を気にしたくないから、ここに居る方がいいや」と返した。「夜叉の気配が残るうちはここにいたい」

 本永はちょっとドキッとした顔をした。

「八重樫は、そのぅ夜叉を“感じる”のか?」

「…」返事に困る質問だった。瑞生にも自分が感じるのか、感じたいと言う願望で感じた気がするのか、わからない。一番正しいのは自分の中のウィルスが反応する、だろう。これを本永に説明できるのか疑問だ。

「もう少し待って。言葉が見つかったら説明するよ」


 「サニ、ゾンビーウィルスのための病院はどうなるんだ? 立ち消えか?」と本永が問いかける。瑞生も、「予定通り研究所を起ち上げると、まるでウィルスを採取できて保管しているみたいだよね。それはマズイのでしょ?」と聞く。

夜叉が死ねば発火するとわかっていたのだから、AAセンターをゾンビーウィルス病院にすること自体、詐欺にも似た行動だ。

 サニは眉間に皺をよせていたが、こう言った。

「ヤシャはミズオや世界中のゾンビーウィルス感染者の為の駆け込み病院を用意したかったんだ」


 この発言は思ったより衝撃的だった。瑞生は戸惑いを感じると共に自分の将来発生するかもしれない身体のトラブルのために逃げ込める病院を用意してくれたと思うと、壮大過ぎる贈り物に恐れ入ってしまった。


 ふと思い出して本永に訊ねた。

「キリノと話した時、通気口を見てたよね? あれは何故?」

「八重樫が夜叉に成り代わって話しただろ? 『優しい雨になってキリノに降るから』って。それは燃えて灰になり崩壊してもっと細かな粒子になり水蒸気と一緒に大気中を漂い、やがて雲粒になり氷晶を形成し雲となり、地表に雨となって落ちてくるという意味だと思った。つまり夜叉は燃えてどこへ行ったかというと、実際、リアルに通気口から外へ、大気中へと上がっていったのだなと思ったまでだ」

「ふうん」

「気の無い返事だな。夜叉が崩れた後どこに行ったか気にならない方がどうかしてる。物質はそう簡単には“無”にはならないぞ。そうだろ?」

「本永は夜叉の遺体が消えたことにトリックがあると思うの?」

「そうじゃない。事象は説明できるはずなんだよ。詩や夢みたいな言葉も案外現実的な事を指している…」言いながら瑞生の熱意の無い顔にげんなりきたのか、オチの無いまま口を噤んでしまった。


 そんな所に、門根が久しぶりに従来のノリでやってきた。キリノの病室に詰めているガンタとトドロキも呼んできて、袋から何かを取り出して見せた。

 「おお、カッコいい!」第一声が本永なのはどうよ、と思う。

「ん! いいね。夜叉らしい」

「いい出来だ。ゾンビらしさが出てるし、美しいし」ガンタもトドロキも口々に感想を述べる。瑞生は背が低い上に体格のいい三人に阻まれて門根の手元が見えず、出遅れた。「僕にも見せてよ!」

 ガンタが急に退いてくれたので目の前がさっと開けて、虚を突いて蒼い夜叉と目が合った。もちろんそれは門根の手の中の、アルバムのジャケ用写真だったのだが。

 それはまさにこの村にいた夜叉だった。蒼い蒼い皮膚も彫りの深い顔立ちの陰影も深みのある蒼さで、目じりと頬の辺りから血糊のような深紅の帯が顎まで降りてきている。初めて会った時と同じ、ルーク・スカイウォーカーっぽい布の服を着て、お気に入りの椅子に背を預けて、刺し貫くような瞳で、鬣のようになった髪がぼうぼうとしていて、ついこの間までの夜叉だった。美しい、美しさまで哀しい生き物。

 涙が込み上げてきて言葉にならない。

「そのままの…写真なんですね」本永が代わりに言葉にした。

門根が誇らしげに頷く。「ゾンビの真の姿を伝えたいと夜叉は思っていたから。盛らず修正せず。いいだろ? アルバムの出来も最高だし。The Axeのラストアルバムはロック界の金字塔となる! それにふさわしいジャケだ!」

 サニも嬉しそうに見ている。何度も目を拭いながら。


 

 クマちゃんが真っ赤なスーツで現れた。

「凄い、指輪と合うね」瑞生の言葉に、嬉しそうに頷く。「衝動買いしちゃった。店員が『梅雨時は目の覚めるような色の服が周りも明るくしますものね』ですって。夜叉は喪服で哀しむ私なんて喜ばないから」

「クマちゃん、真っ赤な服いっぱい持ってるじゃ…」デリカシーの無い指摘は瑞生の肘鉄で阻まれた。


 「それより、瑞生君。今後の事、霞さんと話し合った方がいいと思うわ」クマちゃんはさりげなく切り出した。

「僕の方から話したい事はない」

「瑞生君、夜叉はあなたの事を一生守るだけの資産を残して逝ったけれど、あなたの親族は霞さんなのだから、村の家を出るなら霞さんの今いる実家に行くべきだと思うわ。このセンターに高校生が住むのは家庭環境とは言い難いもの、勧められない」

「伯母のところだって家庭環境とは言えないよ。僕は伯母と…今までのようにはいられない。離れている方がいい。目の前にしたら、なんて言ってしまうかわからないよ」


 クマちゃんはちょっと息を吐くと、額をこんこんと親指で叩いてこう言った。

「家庭の事情と言うのは多かれ少なかれどこの家にもあるもの。問題を抱えながらも生活を共にしているうちに育む絆もある。一五歳にして住む家が他にあるからと、好き勝手に出来る暮らし方をするのはあなたにとっていいとは思えない。奢ってほしい友達に囲まれ身を持ち崩すのは目に見えている。瑞生君、あなたは未熟で甘ったれ。すぐに厳しいことを言う本永君とは離れてしまうわ。夜叉の遺産が仮に何億あっても、ものの数年で使い切ってしまうわよ」

「霞さんとは特別な問題があるとしても、暮らしていくうちに彼女がどんな人で何故ああなったのか、わかってくる。彼女にもあなたを今度こそ自分が守らなければならない事が身に沁みてわかるはずよ。宗太郎氏は仮に有罪になっても執行猶予が付いてすぐにこの村に戻ってくる。霞さんは離婚を勝ち取ってあなたを守らなければならない。必死に戦わないと、宗太郎・曽我ペアは強力よ。頼まれれば私は一緒に戦うけれど。それとは別に、あなたたちは互いに本当に知り合い、向き合わなくては。怒る・許すも相手あってのこと。雪生さんの事も、時間を掛けて霞さんと話すべき」


 「勉強、社会性、家庭を維持する技術、恋愛や趣味や部活が加わるでしょうけれど、学生生活というのはマルチに学ぶ期間。そういう事を経験して自立した大人にならないと、とてもじゃないけれど夜叉の後は継げないわ。夜叉の遺志を継ぐとはどうすることなのかを考えられる人間にならなければ。ウィルスを盗ろうとする人や夜叉ブランドを狙う人にはどう対応すればいいのか。私や門根やサニがいつまでも傍にいて、無条件に味方だと考えるのは甘い。あなたもいつまでも“美少年”ではいられない。成人に社会の目は厳しい。自分で賢く選択していく必要があるのよ。それらをじっくり学ばなくては」

「あなたは愛し合う二人の子供として生まれてきた。その事実はあなたの在り様を根底から変えるはずよ。だから、目を背けないで、前に進みましょう」

 

 瑞生は涙を流さないようきつく口を結んだ。たっぷり三分はそうやって感情のせめぎ合いをやり過ごした。

「クマちゃんの言う事はわかる。僕はそういう風に僕の事を考えて言ってくれるクマちゃんが嬉しい。伯母さんと暮らすしか選択肢がなければ…、そうする。僕もしがない一五歳だっていう自覚位あるよ。ただ、その、よければ、間を取り持ってほしいな。僕と伯母だと、相手から言ってくるまでずっと待っていそうだから」

「おお、そういう所同じかもな」と本永が明るくしようとして場を凍らせた。

「わかった。今日中に連絡してみるわ。霞さんと方針を決めてから学校とも話をしないとね」

 

 クマちゃんは腕時計を見ると、待ち合わせがあると言ってサニと一緒に一階に降りて行った。。


 本永のスマホに外様から電話が入った。

「おお? どうした外様、八重樫もいるぞ」

外様がスピーカーにするよう頼んだらしい。瑞生にも聞こえるようになった。

 :俺、ラジオを聞くことにしたんだ。これが結構面白くて便利で、大概の情報は聞けるんだ。ミライ村で大変なことが起きて、夜叉が亡くなったのも知ったよ。八重樫も大変だったんだろうな。腹黒くて良くないけど、なんだか、人が大変だと元気が出てきてさ。外出できないと世間から置いていかれる気がして、ネットで繋がろうとするだろう? でもIT機器は目に負担を掛ける。焦りと不安で負の思考が堂々巡りでさ、何もかも嫌になってた。父親が調べてくれたんだけど、音声に対応するAIがどんどん進化してるらしい。俺の検索履歴をAIが学習して、興味ある分野の知識を蓄積するんだ。それを音声で聞けるんだから、目は楽だし自由に情報を得られるのがいいよな。そこまで知ったら、ちょっと安心してさ。俺隻眼になるからってすぐ両目を失明する気になっていた。まだ右目は大丈夫なのに。十分気を付けていれば、当分の間隻眼で頑張れるってようやく気づいた。悲観し過ぎだって気づいた。俺、学校で皆が俺を受け入れようと考えてくれて本当は嬉しかったんだ。みんなのいるクラスに戻りたいよ。授業は重要教科に限定して受ければ集中力も持つと思う。どうかな、皆に打診してくれるかな?:

 本永の肩が震えている。

「おお、聞いといてやる。『”外様”は辞めて”譜代”になりたい、でいいか?』ってな」



 外様の復学で浮き立つ気持ちを抑えられない本永と、伯母と自分の今後を考え気分が塞いでいく瑞生の目の前で、門根はリリースする夜叉最後のアルバムのプロモーションの指示を出していく。「キリノのこともあるし、CDショップ街頭のポスター、通販サイトに広告掲載、静かにいこうと思う。聴きたい人に聴いてもらえばいいってスタンスで」

「ベストアルバムの売れ行きが物凄いらしいな」本永が声を掛けると、門根は「夜叉に教えてやりたかった。あいつ事務所に迷惑かけたの結構気にしてたから。ゾンビになって帰国した時、売り上げ急上昇だったんだけど、夜叉にすれば不本意だろう? だから教えなかったんだ。マメに報告してやっていれば気にさせずに済んだのにな」と珍しくへこんでいた。

 クマちゃんは瑞生たちのいる五階にはあまり来られないらしい。

「サニの件だと思う」門根がもたらした情報はこれだけだ。


 手持無沙汰で自習を始めたのだが(事情欠席の場合家庭学習が条件だ)、最近勉強を抜かっていたのを本永に見抜かれて、ぎゅうぎゅうと詰め込まれた。「英語だけじゃなく数学も手抜きしてたろ。俺の目は誤魔化せないぞ」

「数学なんて実生活で使わないよ、やる意味あるの?」

「あのなぁ、使う物だけ学べばいいとか、好きな物だけ学びたいとか、その程度なら学校なんて必要ないんだよ。学校と言う“場”の意味はもっと奥深いものなんだぞ」

例によって上から言われて、ムカつきながら瑞生は問題に向かう。

 

 「明日から勝負だな」本永がぽつんと言った。

「外様? 気を付けてサポートしないとね」

「外様は大丈夫だよ。あいつは自分で希望を見つけた。俺が言ってるのは八重樫だ。メディアとか霞さんとか学校とも、今までと違ってくるだろうから」


 そう言われて初めて、学校は瑞生をどう見るのかと考えてみた。

今まで“学園に多額の寄付をした資産家の、火災で両親を亡くした甥”と捉えられていたとする。これからは“元懇意の資産家でミライ村の事件に関与し勾留されている男の甥”かな。それに加えて“夜叉最後の愛人と報道された”“夜叉の遺したゾンビーウィルス病院と密接な関係が続く”成績中位の生徒。ウィルスや夜叉の件は学校には関係ない事だから今までのようにスルーしてくれるだろうか…。ゾンビーウィルスが体内にいても『健康診断、オーケー』と言ったけど、サニが日本の学校生活をわかった上での発言なのか不明だ。

 メディアが直に僕に接触してくるなんてあるだろうか? 本永が言うのは通学時か。伯母とぎくしゃく同居しているのにいつまでも送り迎えしてもらうなんておかしな話だ。僕が夜叉の元に行くと決めた時から、そんな甘い考えは捨てるべきだったんだ。記者が通学路で待ち伏せしていたら? しつこく訊かれたら上手く切り抜けられるのだろうか?


ポン

頭を叩かれて我に返った。「手が止まってるぞ」



 八重樫宗太郎は不機嫌だった。取り調べを受けるため検察に出向き、また戻るの繰り返し。何故この私に会社が契約していた一流弁護士本人ではなくそこの下っ端弁護士なんかが来るのか。曽我は何をしているのだ。何のために住民票を移してやったのか。


 「曽我さん、八重樫宗太郎はまだあなたを使用人だと思って、差し入れや弁護士のグレードアップを要求しているそうだよ。あなたに国選弁護人しかついていないことなど気にも留めないでね。そうそう、『何のために住民票を移してやったのか』と伝えろと言っていたそうだ」

 刑事の言葉に曽我光代は顔を上げた。

「宗太郎さんが、そう伝えろと?」

初老の刑事はやや気の毒そうに頷いた。

 曽我光代は俯いて嗚咽するように身体を震わせていたかと思うと、突然顔を上げ大声で発声練習のように笑った。ベテランの刑事ですら顔を顰めるほどに。


「…取り調べの可視化、ちゃんと録ってる? 私は今までの奉仕の人生の報酬だと思ったのよ。住民票を移して、美しい子供も手に入れて、絵に描いたような“家族”を目の前にぶら下げられて、『今度こそ本当に』手を伸ばして掴んでいいのだと思った。私は二人三脚だと思っていたけれど、違ったようね」光代はすっきりした顔で語り始めた。



 「宗太郎に縁談の話は腐る程あったわ。資産家のお坊ちゃんだもの。身体の事もネックだけど性格が最悪だとばれて100パー断られていた。益々捻くれて、体裁のための結婚熱は冷め、次第に事業継承できる養子に過剰な夢を抱いていった」

「こっちは結婚させようと出会い系サイトにまで手を広げて、見つけたのが霞。あの人は群を抜く美貌で家柄も良く、未婚でまだ若かった。宗太郎は本心では霞に体外受精で自分の子を産んでほしいと思っていた。でも自分に似た場合の悲劇を考え、諦めた。私は警戒した。だってそうでしょ? あんな美女が独身で出会い系サイトに頼るなんておかしい。自力で徹底的に調べた。そこで工場街に住む弟一家にその答えを見つけた。細かな事情は知らないけど、美貌の弟と不細工な一八歳年上の妻、宗太郎と霞と同じ構図。馬鹿なあの女・麻佐子はそれを頭でなく心で感じとって、異常行動をとり瑞生を虐待することで雪生に報復した。人間の業って凄いわね」

 

「それからは、私は時間がある限り、瑞生の周辺に出没して瑞生を守り続けたわ。いじめっ子には鉄拳制裁。よく庇ってくれる女の子が瑞生にお返しを求め出すと、転校させたり養子先を手配したりと裏で手を回して排除した。そういう女子は単体だから始末は簡単。中学生集団の悪辣ないじめをどう止めさせたと思う? 手間よぉ。一人ずつ家族や弱点を利用して、あんな目に遭うなら二度と瑞生に手は出さないと誓うほどの恐怖を与えるのよ」

「その頃は宗太郎のお守りを霞がしていたから私は結構自由に外出できた。思えばあの頃は楽しませてもらったわ。殺さない程度の事は中学の三年間よくやってあげたわよ。なにせ瑞生はいじめられっこだったから」

「雪生も結構瑞生の後を付けたりしてた。まぁあの人は本当に何やってんだか、わからなかったわね。男は仕事できなきゃダメでしょ。宗太郎を見てみなさい、“車椅子の辣腕投資家”よ。あんなに綺麗な顔して恵まれてるのにもったいないねぇ。あ!それで思い出した。宗太郎よ、宗太郎が邪魔していたの。雪生がこっそりしていた就活、手を回して悉く不採用にした。『瑞生が無事に育つために雪生が転職して麻佐子と離婚した方がいいでしょう』と意見したけれど無視された。あれはきっと宗太郎の嫉妬よ。美しく生まれついた者への羨望。夜叉を暗殺させようとしたのも、美しさへの嫉妬半分、瑞生を盗られないため半分」

「そう言えば、体育館準備室で瑞生が男子にレイプされそうになった時私が通報して事なきを得た事があった。パトカーのサイレンで野獣どもは逃げ出した、気絶してる瑞生を置いて。私はどうしようか迷ってた。学校の敷地内で私が運ぶと誰かに見られそうだったから。その時準備室の中から瑞生を背負って雪生が現れた。私を見て、ついっと出て行った。会釈すらしない態度に、私は悟ったわ。雪生は私を初めて見たのではないし、通りすがりの親切な人と思ってもいないとね」


 「あの火災ね。雪生を殺す計画を練っていた矢先に超ラッキーだったわ。だって離婚が成立したじゃない。瑞生を得るには雪生に再婚されては困るから。雪生が普通に火災で死んだお蔭で、私が手を下すのは霞だけになって、気楽に楽しめると思っていたのに。宗太郎が馬鹿みたいに夜叉に嫉妬して、闇サイトの男を雇ったりするから、こんな事に。全く割に合わない人生よ」

 「住民票? ああ、今思えば私もちゃちな夢を見たものよね。始めは『遂に瑞生を手に入れて、宗太郎も安泰だな』くらいに思っていたのよ。私は宗太郎の数々の悪事の秘密と共に快適な介護付きホームで晩年を過ごすと思っていたから、老後に不安はなかった。それが、夜叉が来て村全体がざわついていた。それまではセレブ村と言われていても景観以外に取り柄はなくて魅力的とは思わなかった。ロハス女ではないけれど、夜叉が来て、『これで何か起こらないなんてあり得ない』という感じが村中に湧き上がった。宗太郎が何故住民票を動かそうと思いついたのか、今でも理由はわからないわ」



 曽我光代の語りをマジックミラーの向こう側で見ていた前島に神山県警幹部が声を掛けた。

「君はあの村に興味があるのか? ウィルスにか、少年にか?」と同期らしく気楽にからかう。

「俺だけじゃない、世界中が興味津々だ。捕まえた協力者は金で雇われただけでテロの全貌を知らされてはいなかった。持ち物はプラスチック爆弾と医療器具。目的は夜叉だったようだが、夜叉が死んで終わりというわけではない」


 前島は眉間の皺を深くした。「あの病院もあの村も、今後ますます目が離せなくなるだろう。おそらく夜叉にとっても悩ましい問題だっただろうが、夜叉の在り様そのものが、あのウィルスを燦然と輝かせてしまったから。夜叉の嘆き節の通り、物は食べられないし以前のような身体能力はない。だが、あの身体でアルバムをリリースし、夜叉通信を発信した。普通に死んでいたら叶わない事を成し遂げた。これは死を考える時多くの人間に魅力的に映る“保険”として脳裏に焼き付いたのじゃないか? なにせ、ウィルスに感染していただけで、青山のような状態ですら、死後に本懐を遂げることが出来たのだから。だから我々は気を緩めずにあの村とあの少年を守っていかなければならない。あんな軽いテロでは済まない事態が引き起こされる危険を常に孕んでいるのだよ」



 午後になった。自然と皆が集まっていた。

「夜叉追悼のサイトにミュージシャン仲間が、『ゾンビになっても、私たちの所に戻ってきてくれてありがとう』と率先して夜叉の思い出話を投稿してくれている。喪失感からか荒れていたのが落ち着いてきたわ。八月末にお別れ会をトーキョーマンモスエッグで行うことが決まったのも影響しているかな。フェスみたいになるかしらね」

クマちゃんは明るい表情で「サニは日本の医師国家試験を受験するための準備に入るの。夜叉のターミナルケアに関するレポートを仕上げてキューバや厚労省に提出するのよね?」と話を振った。


 本永が「サニの就労ビザが切れたらどうする? キューバに戻ったら二度と出国できないんだろ? 政治亡命か? 難民はムリだろうな」と訊くと、クマちゃんは「そこよね。入国管理局に問い合わせないと、難しい問題ね」と両手で頬杖をついた。

「クマちゃん、ヤシャの家はミュージアムになるの? あそこには誰も住めないの? 僕はこの病院に住める?」

「…記念館になるまで夜叉の家に住めないことはないけれど、『キューバ人医師が帰国せずに居ついている』というのは不味いと思うわ。この病院に住めなくはないけれど、味気ない生活で精神的に参ってしまうのでは?」クマちゃんは困り顔をしてみせる。


「さっき医療大学院の事務方の六人と面談したの。売名或いはウィルス狙いだと思うけれど、皆さんまぁ友好的だったわ」クマちゃんが肩こりを解す。

 サニは手に持つ大学のパンフレットを振った。「学費免除とかマンションの無償提供とか有り難い申し出を比べる気はない。ここから通えることが重要なんだ」

「この二校が神山県にある。でもサニ、瑞生君はこの村には住まないでしょう。あなたがここに拘る意味を教えて?」


 サニは首を傾げたが無言だ。内面を表に出さないサニに、クマちゃんは何か言いかけたが止めて、事務手続きの説明を皆にしてくれた。

 「日本で医療行為を行うには日本の医師国家試験に合格していなければならないの。まず“医師国家試験の受験資格の認定”を受ける必要がある。キューバで医学部を修了し資格を取得した事を示して書類審査に通ると、日本語診療能力調査がある。それにパスして医師国家試験受験資格を認められて初めて受験することが出来るの。まずは七月末までの書類審査ね。実力から言って、合格前提で話を進めている。その後、二年間医療大学院の研究室に通って論文を書いて成果をアピールして、まぁ助手を派遣してもらえるように足場作りね。この日本でずっと研究がてら医療行為をするための。その医療大学院を決めるために面談したの」

 

 サニが重い口を開いた。「ゾンビーウィルスセンターはウィルス保持者を守るための施設。ここは村が要塞だからより安全だ。世界中に一つでいいから“駆け込み寺”が必要。どの国からでも逃げてきてほしい。この病院の理念はHPで誰でも読むことが出来る。読めば、世界中のゾンビーウィルス保持者には伝わると思う。だから必ず僕がいないと」サニの言葉に反応して皆は瑞生を見たが、サニ自身は自分の手の指先を見ていた。


 「僕は蓄積したゾンビーウィルスの知識から、人類が理解していないだけで、『ウィルスは思考力のある生命体なのではないか』と考えている。メキシコ付近には過去に隕石が墜ちた巨大クレーターもあり、地球外生命体が細々と生き延びていた可能性はある、とね。笑うかもしれないね、『困ったときは地球外生命体か』って。でも、僕は僕の体内にいるウィルスの意思を感じる時があるんだ」

 「僕も! 僕もそうだよ。夜叉の前で、はっきりとウィルスは夜叉を懐かしがったんだ! 夜叉が燃えてしまった時もそうだ」瑞生は叫んでしまった。サニの時は凍り付いていた本永もクマちゃんも瑞生が宿主であることはわかっていた事なので、冷静だった。

「あなたは意図して日本にウィルスを持ち込んだのね?」

サニは宿命を背負った者らしく、静かに一言ずつはっきりと言った。

「そう。日本に逃れた。ウィルスを根絶やしにされないために」


 一歩引いて見てみると、サニは違う世界から来た異種の人類みたいにも見えた。

 ふと瑞生は思いついた。「何か、見えたの?」

サニは憂いを含んだ表情で、視線を落とした。見えた光景を思い出しているのだろうか。

「実際、キューバでは、何人も命を落とした。政府の研究機関で…。強引に血を抜かれたり、MRI撮影室で即死したり、胃洗浄をされて処置室で死んだ者もいる。ウィルス採取のために殺されたんだ」

「もっと酷い事もやった。彼らが”感染させた”死刑囚を死刑執行し、蘇るか観察した。これはさすがに数名で止めたようだ。鬼畜と言う言葉がふさわしい所業だ」

「僕は研修医になってから内部資料を漁り、プロジェクトの存在に辿り着いた。証拠画像やコピーは取れなかったが報告書を見ることが出来て、ウィルスは発動前には何の検査にも引っ掛からないという確証が持てた。人体に潜り込んだ後、六十兆の細胞のどこかに寄生してステルス化してしまうんだ。でも盗み見に気づいた秘密警察は諦めることなく捜査している。国には帰れない」


 「秘密警察ってそんなにおっかないの?」と瑞生。

「密告制度があると言ってたな。党や国家が絶対だと庶民の人権なんて全く些末に扱われるんだろう。裏の顔は恐怖政治だよ。サニが目を付けられた理由はプロジェクトの漏洩?マカンダルの息子でか? キューバ政府はマカンダルの息子を追ってはいないのか?」本永が畳み掛けて訊く。

 「密告制度でどんな噂も政府の耳に入るから、当然マカンダルの息子について調べている。ただ“呼べば助けてくれるヒーロー”のように政府に楯突く活動をしていないから。ゾンビの出現が稀なのでゾンビ化との関連は掴み切れていないだろう。政府は頭脳や国家機密の流出に神経を尖らせていて、アバクアの情報では医師の出国に制限を掛ける話が進んでいるらしい。でも亡命にはおおらかで、以前は亡命するとその人の微々たる財産は没収されていたのだけど、今は残る親族に売却や譲渡していくことが出来るようになった。一度亡命した後で戻ることも結構寛容なんだ。もちろん、また国家の都合でいきなり一八〇度変わるんだろうけどね」


「プロジェクトを推進していた時は、本気でフィデル・カストロをゾンビで蘇らせることが出来るか、検討していたのだろう。ゾンビを片っ端から殺してしまいプロジェクトは挫折。それで悟ったんじゃないかな、フィデルは年を取り過ぎたって。政権を譲り受けた弟のラウルですら八〇歳代だからね。いつまでも革命世代ではないでしょう」と笑った。「闇雲に捕獲して実験したらカリブ海からイグアナが消えてしまう」


「恐怖政治の一方、ラテンの明るさか。平和ボケの国の人間にはついていけない感覚だな」本永が不思議そうに呟いた。

「その光と影の複雑さに夜叉は惹かれたのかしら」クマちゃんは遠い目をした。「光と影と、碧い海と白い砂浜にサトウキビの緑、赤や黄色のハイビスカス…」

「緑のイグアナ」瑞生が付け加えた。


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