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㉘ ミライ村パニックの終焉

情報操作か悪意の連鎖か。ミライ村に牙を剥いた人々は、何故、何のために、行動したのでしょう。前島や朏は、謎に迫れるのでしょうか。

【 二〇一五年六月二七日 後篇 】


 七時のニュースが始まった。

 :速報です。警察庁から発表がありました。本日午前一〇時過ぎに神山県トッタン半島のコスモスミライ村で複数のテロ行為が発生しました。藪地で爆発がありました。現在事態は収拾されています。火災の報告はありません。複数の被疑者の身柄が確保され事情聴取を受けているとのことです。現場検証は今も続いています。まもなく神山県警本部で会見が行われるとのことです…:


 瑞生は七時のニュースをAAセンター内の一室で見ていた。夜叉をサポートするスタッフと門根やクマちゃんのための会議室だ。キリノや瑞生が泊り込むために用意された部屋もあった。夜叉邸の機能が引っ越してきたようなものだ。

 今会議室には、門根とクマちゃん、瑞生と本永、トドロキとガンタがいた。キリノは、夜叉が搬送車で出発した後酷く血圧が下がり、門根が自分の車で普通にセンターに連れて来ていた。夜叉が田沼やビジターに阻まれなかなかセンターに来られなかったのに対し、別ルートで易々と来院し、キリノの点滴が始まり門根が入院手続きをしていた時、やっと搬送車は到着したのだ。

 「夜叉のこと、言い出せないんだよ」門根が珍しく俯いて言った。



 そして神山県警の記者会見が始まった。

見るからに偉そうな二人の男に挟まれた見栄えのしない男は“コスモスミライ村警備本部長”と名乗った。

前島はいない。それは当然の不在なのか卑怯な逃げなのか、瑞生にはわからない。


 神山県警警備部長は、幾つかの事象が重なったための騒ぎであったと述べた。

住人の中から逮捕者が出た旨、断崖絶壁の崖を攻略した侵入者が藪に阻まれ警察と睨み合いの末自爆した旨、住人の中から出た怪我人は、アラーム音に驚いて転んだ高齢者と住人同士のいざこざで負傷した元自治会長のみ。ビジターの中に悪意を持って村に入り込み、騒動を起こした者もいて、現在大人数の聴取と村のかなりの箇所で現場検証と証言の裏取りを行っていると報告した。自爆犯に関しては遺体の損傷が激しいため身元の判明には時間を要し犯人の国籍も不明であるとした。ビジターの中に共犯者がいるか、住人の手引きがあったのか、今後の捜査で明らかになるだろうとも。

 早速記者からの質問が相次いだ。『現場にいた』ミライ村警備本部長が応じたが、さっぱり的を得た答にならない。業を煮やした両隣の県警警備部長と警察庁の偉い男が、:現時点では引き続き鑑識作業を行っている段階でのお答えしか出来ません。複数のテロ行為が同時に起こった理由も調査中です:と答えた。


記者の一人が立ち上がって糾弾した。:ミライ村の警備本部長にお聞きしたいのですがね。警察庁からテロの危険を指摘され、厳戒体制を取るよう指示されていたのに、なんで民間警備会社に夜叉の警護を任せたんですか?:

冴えない警備本部長はこれ以上項垂れようがないほど下を向いている。:それは、そのう、ゲートの管理を徹底して行っていましたので、不審者の侵入はないかと…判断しました:

:誰がですか? 警察庁から指示されていたのに無視して?:

:…私の、判断です…:


両隣の厳めしい顔の二人はまるで警備本部長に逃げる間を与えないためにいるかのようだ。浴びせられるフラッシュは爆撃を思わせた。頃合を見計らったのか、両隣の二人が起立した。再度深々と頭を下げる。

 :ミュージシャンの夜叉さんは本日AAセンターに入院する予定でした。しかし、直前に行った夜叉通信の収録中に危篤状態に陥り、重篤な容態で搬送されました。ところがアクシデントに遭遇し、搬送車が病院内に入った時には夜叉さんは亡くなっていました。警備本部として、夜叉さんに万全の警備を行えなかったと遺憾に思っております:

 記者が一斉に立ち上がり口々に質問し、フラッシュで目も開けていられない状態になった。

:夜叉は死んだんですか?:

:それを最初に言うべきでしょう!:

:夜叉は警察に殺されたようなものじゃないか!:

:そもそもこのテロは夜叉を狙ったものなんでしょう? 夜叉の警備さえ万全なら、夜叉は死なずに済んだんだ。これは重大な職務怠慢だ!:

:夜叉の死因は?:

:それはゾンビなんだから死体に戻ったというだけじゃないか?:

記者の問いに記者が返した。一瞬場が静まった。

:でも、寿命なのか何なのか、死因は明らかにすべきだよ:


:夜叉さんのご遺体の解剖結果はまた後ほど報告します:

席を立って社に報告を入れる者が続出した。

:夜叉の遺言は?:

:遺言などに関しては警察では把握していません。所属事務所に聞いてください:

:拘束されたテロリストに関して、日本人ですか? 外国人ですか?:

:確認中です。事件の全容がまだ明らかになったわけではありませんので、発表は控えます:

詳細な情報は発表されることなく会見は打ち切られた。イラついた記者の怒号で会場は殺気立っていた。


 どの局も村のテロと夜叉の死の臨時ニュースを流していた。そして繰り返し、『本日午後九時より最後の夜叉通信を配信・放送致します。たった七分間ですが、夜叉の最期の皆様へのご挨拶になります。是非ご覧ください』というWoods!のメッセージが読み上げられた。


 「いいのか? 門根さんもクマちゃんもここにいて」と本永が突っ込んだ。門根が「いいんだ。後は技術系のスタッフがやるだけだから」と答えた。二人とも口数が少ない。瑞生はクマちゃんが心配でそっと顔色を窺った。

「…大丈夫よ、瑞生くん。昔の夜叉だったらさぞや美しい死に顔を見せてくれたでしょうけど。ゾンビになってからはそんなこと期待していなかったもの。夜叉らしいわ」瑞生の視線に気づいてクマちゃんが口を開いた。

「独りで燃えたのは本望じゃないかしら」

門根も、うんうんと頷いている。

テレビでは『村にカメラを入れないのは、報道の自由を損なう行為だ』と非難しているが、警察は『テロの現場検証は村全体で行う必要があるため、現場保全を優先すべきだ』というスタンスだ。


「そりゃ、今メディアの連中を入れたら、証拠も何も引っ掻き回して台無しにするに決まってるもんな」本永はガンタの店のプリンを食べている。瑞生にも「お前、ずっと食べてないだろ。顔色紙みたいだぞ、ほら食べろ」と差し出す。

 それを合図に、門根もクマちゃんもガンタたちも、もそもそと動いてプリンを食べ始めた。スプーンで掬って一口舌に乗せると、その冷たくて濃厚な甘さがつるりと喉を通り、胃に届いた時体の中の何かを震わせた。

「ああ」

「美味しい」

「うまっ」

「はぁ」

各人の反応は様々だったが、哀しみと疲労の極みにいても、顔はほころぶものらしい。

頬を緩めて遠くを見ていたトドロキは、「夜叉らしいか…。自ら燃え上がって炭になるなんて、司法解剖を拒んでるとしか思えないよ。主張がわかり易くてあいつらしい」と更に嬉しそうになった。

ガンタが「出来たの? 司法解剖。でも何を切り刻んだわけ?」

本永は「通常は、臓器の重さとか測るんだよな。血液量とかも。炭化した遺体の重さから何がわかるのかな?」と興味深そうに独りごちる。「警察は夜叉と証明したいだろうけど。炭だもんなぁ」

 

 朏が戸口のところで聞いていたようだ。

「科学的に誰もが納得しうる証明が必要なんだよ。DNA鑑定ももう出来ないし…」朏の言葉を遮って本永が「確かアメリカの火葬温度は高いからDNA鑑定が出来ないと聞いたことがある」と言った。

「あん? ドラマでアーリントン墓地の遺体を穿り返して鑑定するのを見たことあるぞ。つまりは土葬だろ? 棺にドラキュラが入ってるんだろ?」と門根が喰いつく。クマちゃんも「本永君、キリスト教圏で火葬していたら、復活の日に身体がなくて困るのじゃないの? 文化的にはマイケル・ジャクソンのスリラーやXファイルも成り立たなくなるわ」と指摘した。

 本永は首を振る。「そう、まだ大部分はそうだけど。州の老人ホームの引き取り手のない遺体は、場所も手間も割けないから火葬されてる。犯罪に巻き込まれた疑いがあって後から鑑定する必要が生じても、骨を砂状にするための超高温火葬だから鑑定できない、とボランティアで行ったホームで聞いたことがあるんだ」

「夜叉の自然発火ってそんなに高温なの?」と瑞生。

「いや…温度の問題ではなく、炭化した遺体からDNAを採取しようと触れたら、崩れて跡形もなく消えてしまったんだ」と朏。


 皆の沈黙を喰らい、仕方なしに朏が言い訳をする。

「前島さんの目の前で崩壊したそうだ。『解剖医にミスはなかったと思う』と言っていた。写真から判断して、遺体の推定身長・体重はほぼ夜叉と同じ。ネックレスは身代わりに使う手だから証拠にはならないが、一応確認はした。宙に向かって差しのべられたように見える手の写真から、親指が無いと思われる…こんなところだ」



 夜叉最後の熱唱を、本永と朏は息を呑んで見ていた。二度目だって、歌に惹きこまれたのも束の間、夜叉が昏倒して置き去りにされた気持ちになるのは同じだ。瑞生はまた涙を止められなかった。ガンタもまた大泣きしている。

 うおんうおおん、とクマちゃんが座り込んで泣いている。きっと今まで泣く暇もなかったのだ。門根が涙でくしゃくしゃになった顔で、クマちゃんに深々とお辞儀をした。トドロキも「クマちゃん、あいつのために今までありがとうね。あいつに代わってお礼を言うよ」と立ちあがってお辞儀をした。

 クマちゃんは大判のタオルで涙を拭うと、新しく流れる涙はそのままに、にっこり笑って左手の薬指の指輪を見せた。

「わお」瑞生は思わず覗き込んだ。

 クマちゃんの太っとい指に負けないくらいデカい真っ赤なルビーが燦然と輝いている。バッグからカードを出して見せてくれた。

「ずっと支えてくれた人の心の支えのために

      クマちゃんへ  愛をこめて    夜叉   」


 「あの八重樫の話の後でもルビーってところが凄いな。クマちゃんにはどんな呪いも通じなそうだもんな」と本永。「クマちゃん、よかったね」と瑞生。

「入籍したんですか」と門根。

 クマちゃんは笑って首を振った。

「そういうのじゃないの。夜叉にとって私は最後まで最高のサポーターだっただけ。遺言執行人として、これからは夜叉の望みを実現していく責任があるから、私はそれをやりやすい立場でいたいの。それに、タブー視されて本格的論争になっていなかったけれど、夜叉の法的立場はどうなのか、蘇った後さっき死ぬまでは死者だったのか・生者だったのか? 法的効力を問うてみたい輩が訴訟を起こすに違いない。そうなると最高裁が判断するまで何年も、夜叉の財産からはペットボトルのお茶すら買えない事態になる。その時、夜叉の遺志を実行するためだけに入籍したのだとしても、世間にはそうは映らない。私がゾンビの夜叉を操ってオークションや病院買収を行ったと思われる。元婦人方に財産分与の話を蒸し返される可能性もある。それでは夜叉の想いに逆行してしまう。だからね、『入籍してもいいよ』と言ってくれたけど辞めたの。“妻の座”に絶大な意味を持たせると、前夫人方と同類のムジナになっちゃうしね。いずれ、判例は出されるべき事案なのだけど」


 「ふうん。クマちゃんの偉いのはわかったけど、『ゾンビの法的権限は認めない』って判決が出たらどうするんだ? 夜叉がゾンビになって以降の売買契約が全て無効になったら病院買収も白紙になるのじゃないか?」本永は先の問題を突いた。

クマちゃんは指のルビーを光らせながら自分の胸をドンと叩いた。

「私は夜叉の弁護士よ。夜叉が生きているうちに、正確にはキューバに行く前に、『一切の法的行為、売買契約(所有物の売却を含む)、著作権知的財産権に係わる行為、夜叉個人の金銭管理等を代理人黒金真樹子に一任する。夜叉個人が交わした契約も黒金真樹子の了承を得ない物は無効である』という書類を取り交わしているの。これは別にゾンビを想定しての事ではなかったのよ、もちろん。そしてゾンビになってから後の契約は私が代理人として相手と結んでいる。つまり、夜叉はゾンビになってから一切の法的行為を成してはいない。たださっき言ったように、蘇り以降の夜叉を“死者”と認定されると話は変わる。家や車の売却も皆“相続人”がすべきことだから。でも裁判所もああやって夜叉通信を発信し、アルバムを出した人間をそうは言えないと思うけれど」

 ヒュウ、本永が口笛を吹いた。トドロキは「惚れるな、全くクマちゃんは凄いや」と感心した。


 夜叉の周囲の、“夜叉を見送った”達成感がこのプリンに象徴されていた。だが、世間はそうではなかった。

 テレビで繰り返し、:ミライ村に行っても夜叉には会えません。村のゲート前の群衆が未だ解散していません。皆さん、テロのあった直後です。ミライ村に行くことは控えてください:と警告しているにもかかわらず、人々は夜叉の訃報にいてもたってもいられなかったのだ。

 同時にテロに関する情報が、ほとんど根拠のないガセを中心に乱れ飛んでいた。“夜叉暗殺説”も飛び交い、ネットはヒステリックに荒れていた。


 村内は安全とは言え、夜叉邸に戻る事は控えてほしいと朏に頼まれ、ガンタたちも含めて全員がセンターに泊まることになった。本永は非常に明るい声で『八重樫と共に現場に泊まる』と家に連絡していた。



 そこに、朏が戻ってきた。げっそりしている。

「世間の過剰反応を鎮めるために、解剖所見を発表したかったのに、『炭化した挙句崩れて消えてしまいました』とは口が裂けても言えないよ。まぁ、たまたま押しかけて来た偉い連中が目撃しているから、我々の遺体隠蔽とか遺体損壊とかの言い掛かりは無くて済んでいる。これは幸いと言うのだろうな」よいしょと座る。冷蔵庫からガンタが出してきたプリンを自然に食べている。さっきは『職務中だから』と固辞したのに。

「よっぽど疲れているんだな」瑞生の思ったことを本永が呟いた。

「前島…さんは?」瑞生は前島を全く見かけないのが不思議だった。

「ああ、頼みの綱は前島さんだ。なんとか政治家を説得して結論に導いてくれると思うよ」朏は美味しそうにコーヒーを飲み干した。「ああ美味い。ガンタさんもう一杯」

 

 「朏さん、前島がいながら大量のビジターに入村許可を出すなんて、前島が責任取らされて当然かと思ってたのに。メディアのターゲットにあの警備本部長を差し出してる。前島は前には全然出てこない。なんだか不自然なんだが」本永が瑞生の疑問を代弁してくれた。

朏は、人心地ついた表情で二杯目のコーヒーを啜った。

「まず、前島さんは当初こそアドバイスをしていたが、村の警備の責任者ではないからね。あの警備本部長は、前島さんの警告も県警本部経由の指導も軽んじて対応を怠った結果があの騒動だから、責任を取らされて当然だ。あいつに遠ざけられなきゃ僕だって最初から村の中にいられたのに」本音を吐露して溜飲を下げようとしても、まだ苦々しい表情だ。


 「僕は神山県警のしがない警察官だから、警察庁のトップ人事の話に精通しているわけではないのだけど。前島さんは今の警察庁長官から非常に信頼されているらしい。今もパニックになって煩いばかりの偉いさん相手に、『皆さんの見たことがゾンビーウィルスの真実なのでしょう。ここには謀略などありません。ですが見たままを報告した場合の内外への影響を鑑み、最善の報告の草案を作る事こそ皆さんの使命です』とか、言ってるはずだ」

 朏は首を振った。「ただ海からのテロリストの侵入は失点だ。あそこを登るなんて考えられないよ。でも考えられない攻め方をするのが“テロリスト”ってことだね。まぁテロリストの方がちゃんと調べていたら、藪を攻略するハードカッターも背負って登らなきゃならないから、あのルートは断念しただろうけど」

 

 「それで真実をそのまま公表するわけじゃないってことだな?」と門根。

朏は頷いた。「夜叉は一度死んだゾンビで、再び死ぬことは自明だった。サニ先生も認めているが危篤状態で搬送していて、搬送中に亡くなった。テロリストやビジターのせいとは考えにくい。憶測を呼ぶような公表ではテロリストの母国や害意のビジターが喜ぶだけだ」

「なるほど」

「情報戦の時代、日本の主権は常に守られていたと発表するのも国防手段だ。近くの米軍基地に対してもね。村内の防犯カメラや多くの動画からテロリストの協力者を炙り出してみせる」

 朏に連絡が入り、ほっとしたように「前島さんがまとめてくれた。これで明日夜叉の解剖結果報告会見が開ける」と言った。


 テレビではWoods!のホームページを引用して、葬儀は夜叉の遺言により密葬で行い、後日お別れの会を行う予定だと伝えていた。トドロキのメッセージとして:ファンの皆さん、夜叉はゾンビの身体から自由になったのです。あいつのことを思ってくれるのなら、この村に駆け付けるよりあいつの曲を聴いてください。あいつがこの世から解放されたっていうのにこの村にいつまでも留まっているとは思わないでしょう?:と読み上げられた。


 「すごくトドロキらしい。でもファンは何故キリノのメッセージじゃないんだ?って思うね」瑞生の言葉にクマちゃんが「今トドロキとガンタと門根が伝えに行っているわ。キリノは自分の方が先に逝くと思っていたから、ショックだと思う。覚悟していても、受け入れるのが厳しい事ってあるから…」と沈痛な面持ちで答えた。

 「朏さん触れなかったけど、テロとビジター騒動が偶然同日同時刻に起きるなんておかしいよな。誰か裏で手を引いていた奴がいたのじゃないか?」本永が食器を運びながら言及した。

「そうね、調べているでしょうね」クマちゃんも思案気だ。


 「お、ここか」

驚いたことに、“全てのキーマン”本日やたらと高評価な話を聞く前島がひょっこりやってきた。つかつかと冷蔵庫に向かうとプリンを出して椅子に座った。

「なに、やってるの? 一番忙しい人なんでしょ?」瑞生が戸惑うと、前島はただプリンを見つめて、「私にも休憩が必要なんだよ。君たちは稀有な存在だからな」独り言のように言った。

「朏の言う通りだ。美味いな、これ」ずずっとプリンで立てるべきではない音を立て、一気に食した。

きっとクマちゃんは大人だから敢えて質問しないのだろう。だが、本永は素通りを許す気はなかった。

「前島さん、いるんでしょ? 多重テロを演出した人物が?」

早々に席を立とうとしていた前島が首だけ振り向いた。「今日の騒動は複数の人物の思惑が絡まり相乗効果を上げてしまったようだ。個人の人生の歪みに根差すものでもある。そして“遅れてきたセレブ村”だからこそ起こったと言えるだろう。プリンご馳走様」


 前島と本永の会話は瑞生の思考範囲を超えていたため、瑞生はただ聞いていた。

「あのぅ、伯父はどうしていますか?」一応、この騒ぎで何も被らなかったか、と確認しただけだった。伯母が伯父の心配をしているとは思わないが。そう言えば伯母からは瑞生を心配するLINEもこない。

「八重樫氏はだんまり。ヘルパーの曽我は話し過ぎらしい」

想定外の返答が前島から返ってきた。

「…あのぅ?」

「八重樫宗太郎と曽我さんは聴取されてるんですか? 容疑は何です?」瑞生の間抜けな質問を横取りし、本永が勢い込む。


 前島は間を取り、微妙な後悔を見せた。

「ああ、その…今は言えない。すまない。口を滑べらせたくせに、その件は何も話すことが出来ない」

珍しく本永が大人対応を取った。「前島さんも身内に捜査情報を漏らす訳にはいかないからな。じゃ一つだけ。“黒幕”ですか?」


前島は首を振った。「…悪意を持って伏線を張り巡らすと、仕掛けた以上の反応や相乗効果を生むことがある。まだまだ調べないと結論は出せない。だが約束しよう。後日、確定した事を話すと」


「本永、あの振りは…」

「どうやら伯父さんは何か黒幕的に仕掛けたようだな。で、曽我さんともども聴取されている。伯父さんがテロリストまで召致したかったのか、予想外に来てしまったのか、まだわからないってことだな」

瑞生は、こういう時伯父がしそうな事といえばネットを通じて情報拡散するくらいのものだと思い、本永と今日の村関連のツイートを調べてみた。

:夜叉邸に異変! 救急車で夜叉を搬送か?:

「これか…」「でも、これで? これで罪になるの?」

「これで、村外の奴を呼び寄せることが出来る。それと、ある行為の合言葉だった可能性がある。これを見たら何かする、とかさ。もっと以前から仕掛けていたのかもしれないな」本永も具体的には浮かばないようだ。



 門根は夜叉のこともアルバムの事も処理すべき仕事が山積みなのに、「みんなと一緒にいたい」と言い張り、東京に戻らず通信機器で捌こうと躍起になっていた。「今日に限って一人で高速をブッ飛ばすなんてしたくない。車の中に一人でいるなんて考えるだけで耐えられない。それに崩れて無くなったとはいえ、夜叉の香りの残るところにいたいんだ」

 クマちゃんに次ぐ夜叉のファンを自負する門根らしい、惜別の情の表現なのだろう。


 気づくと、瑞生の横にトドロキが立っていた。

「キリノが君に逢いたいって」


 キリノの病室は一般人の入れない、夜叉のための区画にあった。さっき皆でプリンを食べた部屋からほんの一ブロック離れているだけなのに、そこはしんとした静けさに支配されていた。

 一緒に来てくれた本永とガンタを入り口付近に残し、トドロキに背中を押されて瑞生はベッドに近づいた。

 キリノの身体はもう樹の精霊になってしまったみたいに薄っぺらかった。鼻だけが高く蘖のように空に突き出ている。

「夜叉?」

キリノはベッドの上に顔を出した瑞生を見て、言った。瑞生は、キリノの目にはそう見えるのか、酷く具合が悪いせいでそう思い込んでいるのか、肯定すべきかやんわり訂正すべきか判断に迷った。

「僕、瑞生です。夜叉はここにいます」正直に自分の胸を指して答えた。

 キリノは微笑んだ。

「俺は夜叉みたいにぱぁっと散るようには逝けないみたいだ。朽ちて樹木の糧になるよう大地と同化するよ。…お前と一緒に旅が出来て幸せだった…」

 「ぐっ」瑞生の口から空気が漏れた。体中のウィルスが反応して瑞生の身体の枠を無視し四方八方に暴れ出そうとしたようだった。瑞生は両腕を交差して握りしめ、自分の皮膚を破って出て行こうとする何かを必死に抑えた。

哀しんでいる。瑞生の中のウィルスは夜叉の記憶を持っている。いや、細分化されてウィルスに組み込まれた夜叉なのかもしれない。

 「キリノ、俺の灰はキリノの土に降るから。優しい雨になって降るから、先に土になって待ってて」瑞生の口から出たのは夜叉の言葉だった。キリノは頷いた。それが瑞生たちが見たキリノの最期の姿だった。


 ガンタとトドロキは病室に残ったので、本永と瑞生は黙ったまま部屋に戻った。本永は何故夜叉になりきって話したのかと突っ込んでこない。その代り、部屋の通気口を見ていた。瑞生の視線に気づいたが、何も言わなかった。


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