表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/32

⑰ 向けられた刃

夜叉が世界に向けて発信を開始した”夜叉通信”は、ゾンビの夜叉を広く世間に示し話題をさらいます。青山の腕だけのメッセージは、動揺と多くの波紋を呼んでいたのでした…。

【 二〇一五年六月一五日 】


 昨日くらい予想外のことが怒涛のように起きた次の日がテストの初日なんて、間抜け感が半端ない。

「俺行くの止めようかな」本永は五分に一回は言っていた。

伯母が「本永君、初めての定期テストで自信が無いの?」と微笑んだ。

三枚目のトーストを齧りながら平然と、「自信は余ってるけど。この村で起こる事件のわくわく感に比べて、テストなんて全くつまらない」と言い放った。

「…テストに行きなさい」

伯母にしては珍しく命令形だったが、瑞生も同意見だったからうんうんと頷いて流した。



 村のゲート前に押しかけている記者対策で、この日は榊先生が送ってくれた。

「先生、外様の具合は…?」本永が唐突に訊いた。

 榊先生はハンドルを握ったまま真っ直ぐ前を見ていた。

「外様の場合不運が重なった。事故当時顧問が不在で、サブの先生は一番近い整形外科に連れて行った。専門外の病院が対光反射の検査をしなかったせいで眼科を受診しそこなった。視神経管骨折は治療が遅れると完治の確立が低いらしい。一発逆転の手術が強行され…手術は不調に終わった…。学園として誠意を示すつもりだ。病院と交渉しつつ今後の治療費を…」

 「誰のせいとか、金の話はいいから。…外様は目が見えなくなるのか?」本永が焦れて話の腰を折った。


 人目を避けて後部座席に伏せた瑞生には、ゲートを越えたのが体感慣れした連続カーブの揺れでわかった。

「おそらく左目の視力は戻らない」

シートの隙間から見上げる榊先生の顔はやるせなさで彫った彫刻のようだ。

「隻眼に慣れ、右目を守るための指導を受ける必要があるそうだ。外様が望めば自宅近くの学校に転入出来るよう頼みに行く。勉強も運動も優秀だっただけに辛いと思うが…薫風学園は全力でサポートするつもりだ」


 ワゴン車の後部シートに丸まって、外様を思って本永は泣いた。


 家に帰ってからも空虚な気持ちを抱えて身を持て余したので、瑞生は夜叉の家に電話を掛けてみた。今日は門根が出た。

:もう来るのか? テスト大丈夫だろうな?:ハイテンションになっている様子だ。:すんごい反響だ。久々に鳥肌立ったよ! 世界中のファンが新譜に期待してる。夜叉とキリノを待ってたんだ!:

横にぴったりと来ていた本永が、「音楽の話はともかく、それ以外はどうなんだ。“青山陽斗”“大橋京太郎”“坂上逍造”が検索ランキングに入ってるが、炎上してるのか、好意的なのか?」と割り込んできた。

 :…ああ、複雑だ:一気に門根のテンションが下がった。:いい事も悪い事も起こる。夜叉が動けばな。昔からそうだ。…来いよ。直に話そう:



 キコ ギコギッ ギッギッギコ

二人で歩いていると、後から金属の軋む嫌な音が近づいてくる。

「なんだ?」本永は瑞生を自分の隣りに引き寄せた。瑞生は「どこかで聞いたことある音だなぁ」と呟いた。


 丘の頂上から姿を現したのは、森山とオンボロ自転車だった。

「あ、前に送ってもらった…」この自転車でAAセンターから来るくらいなら歩いた方が楽じゃないだろうか。


 夜叉の家の前には驚いたことに藁科がいて、待ち合わせしたかのように入ってきた。今日の担当は朏巡査部長ではないので、四人のIDを丁寧に確認した。

 門根はイラつきを隠そうともせずに、「森山、無断欠勤、留守電も無視して何様のつもりだ。藁科、感染症研究所からきたのはファクスだけ。こんな時間に揃って出勤か」と詰問した。

「こんな所に派遣されて、止めざるを得なかった実験を見てきたんだ」と藁科が逆ギレした。

森山は、法事で帰省していたが親戚の具合が悪くなり帰るに帰れなかったと話した。

「あんたの実家って離島か? 親戚を連れてった病院を調べてもいいよな? これは信用問題だから」門根がこう言うと、森山はサラサラ前髪を垂らして俯いたので、表情が全く見えなくなった。


 ちょうどその時、夜叉とキリノがスタジオから出てきた。見たことのないおじさんも二人いた。瑞生の後ろで本永が息を呑んだ。

「すげぇ、The Axeだ! 本物だ!」と頭を揺らしだす。

「みんな揃ってガンタとトドロキに挨拶か?」夜叉が首を傾げて、間抜け面を並べて見るというように見渡した。

 突如、藁科がどこから出したのかギラリと光る鉈みたいな物を振り上げた。

 

 夜叉が切られる! 


 瑞生がそう思った瞬間、何かが凄いスピードで藁科に体当たりして、藁科もろとも壁に激突した。鉈をテーブルにとり落とし、痩せぎすな藁科は壁に顔面を強打し鼻血を出している。腕をねじ上げながら藁科から身体を離したのはサニだ。


 「わああ」頭の上で本永が叫んだ。門根が「夜叉っ」と言いながらテーブル沿いに駆け寄る。瑞生も行こうとした時右隣のクマちゃんから異常なオーラを感じた。森山が藁科にティッシュを渡そうとするのを制し、クマちゃんはドシンドシンと大魔神よろしく藁科に近づくと、鬼の形相で迫った。

「理由を話しなさい」


 大声を聞いて一階の警察官が抗菌服を片袖だけ通した状態で上がってきて(警察官は“雑菌の宝庫”と決めつけられて二階に上がるのには抗菌服装備を条件づけられていた)、「何が起こったんですか!」と絶句した。テーブルに放置された鉈を見て、拳銃のホルダーに触れたのが見えた。



 「『手ぶらで戻るなら、もう席はないよ』と言われた…」やや落ち着いた藁科が話し出した。「何とかしなくては、と思った。AAセンターの高度な身体部位保存技術を利用して、切り落とした夜叉の腕を直ちに液体窒素保存すれば、腕の内部のウィルスはかろうじて生きているうちに冷凍保存できる可能性がある。だから…」

「僕にも責任がある。藁科に頼まれて、西方先生を結果として犯罪者にしてしまった。…はっきり断りきれなかった僕の弱さのせいです…」項垂れる森山。


 手錠を掛けられ、ドアの手前まで進んだ藁科が振り向いた。

「ゾンビーウィルスはアンチエイジングの可能性に満ちている。誰だって皺くちゃな姿で長生きしたいのじゃない、壮年を維持したいのが本音だ。このウィルスの凄い所は夜叉が証明している。ウィルスの活性化後も、新しい環境に馴染み作曲している。ゾンビになってからも創造的でいられるなんて、ゾンビ映画を凌駕している!」興奮した藁科の顔が紅潮する。

「体の自由が利かないし食事も出来ないんだぞ」キリノが珍しく憮然と言う。

「改良すればいい。何年か掛かるが、コントロール出来る」夢見るように藁科が言う。「だから何としてでもウィルスを採取して培養しなければ」


 「お前、切られた夜叉が死ぬのはどうでもいいのかよ!」本永の怒りが爆発した。

「夜叉を診る立場なら、ゾンビでいる事が容易くないと知ってるのに。身体も辛いけど心は一層辛い。知っててゾンビになることを推奨するなんておかしい。人としておかしいよ」瑞生なりに思いをぶつけた。

藁科は無表情になった。

「ウィルスに“気持ち”なんてない。人体に入り込んだら、気持ちなんてお構いなしに増殖して細胞を組織を侵していくんだ。それらと向き合い闘う研究者は、人間の感情を優先して考えたりしない。森山も似たような事をうだうだ言ってたが、最終的には研究者としての使命に気づいて協力したんだ」


「森山さんはブレたかもしれないけど、あんたとは違う。その…何というか、ハートがあるんだ」瑞生は胸を張って言いきった。

促され藁科は歩き出した。森山はサラヘアで涙を隠しながら、お辞儀をして去った。



廊下で藁科の件を捜査している刑事の声が聞こえた。

「全ての部屋に監視カメラがあるのだろう? それを見ればわかる」

「ありますが作動していませんでした。動いてたのは玄関のカメラだけです」


瑞生はびっくりして門根を見たが、ブーツの汚れをこすり落とすだけだった。



 :こんばんは。また会えて嬉しいよ。無事に第二夜を迎えられて。夜叉と::キリノと::ガンタと::トドロキです:それぞれが名乗った。

午後五時、夜叉の番組は予告通り始まった。

「この絵だけでも、涙流してるファンが大勢いるぞ」と門根。


 :バンドが揃うと嬉しいもんだな。…質問がきてる。少し答えようか。『ニューアルバムを出した後ワールドツアーの予定はありますか?』…これは…難しいな。やっぱりゾンビなんでね。ぎりぎり生きてるだけだから。俺はこう思うわけ。俺がなったくらいだから、誰がなっても不思議ないんじゃないかって。だからゾンビー症候群を知ってほしいんだ:

 夜叉は僅かに指の生え際だけが残っている右手の親指を出した。

:見える? ピアノを一音引いただけで……親指を生かしてるウィルスが潰れて死んだ。だから親指も死んだ。多く貰った意見に『蘇りサイコー! ゾンビサイコー!』というのがあったんだが、どうかな、俺は嫌だな:


 その後キリノが語り、ガンタとトドロキが駆け付けた際の話をした。ガンタは車に載せてきたウッドベースが除菌に向かないと言う理由で持ち込みNGを食らい、トドロキはドラムセットは入らないと踏んで、アフリカの儀礼用の太鼓を持ってきて同様の憂き目にあったと明かした。


 :…俺はたくさんの失敗の挙句に借金を負っている。今残っているのは保証人になったせいの保証債務で、個人対象じゃないのが救いだ。俺だって借金は返すべきものだとわかってる。そのために、俺が所有していたマンションや店、車、美術品、宝飾品をオークションにかけたいんだ。きちんと清算してから逝きたいと思ってる。たださぁ、オークションて言うと、転売目的の奴が値を吊り上げたりするだろう? あとは『手付金払えば落札出来る』とか『友達がWoods!に勤めてて優先受付するから先払いして』とか、詐欺が横行するのを恐れてる。準備が整ったら必ずこの夜叉通信で告知するから。慌てて振り込んだりしない事。じゃ、また明日:



 瑞生は門根に気になっていたことを訊いた。「屋敷内の記録用カメラを止めていたの?」

門根は三銃士が被るような羽根つき帽子をいじった。

「蘇ってここに来た当初、俺にとって夜叉は”堕ちたカリスマ”だった。見世物に成り果てたように思えた。それなら多少悪趣味と言われようと、奴の生態を記録したドキュメンタリーで事務所の損失をカバーしようとした。だって奴はミュージシャンとしては終わってると思っていたから。一〇年新譜無しだぜ? ところが、夜叉は紛れもなくあの夜叉だった。カリスマロックスター、俺の憧れ。音楽に掛ける情熱は昔と同じだった。サニがカメラを止めていたと知った時、ハッとした。俺は夜叉を守る側の人間だ。夜叉は音楽で世界とコミュニケーションを取る。それがミュージシャンだ。だから止めたんだ」



 約束の午後六時に警視庁一行はやってきた。驚いたことに前島も一緒だ。

紹介された二名は、警視庁捜査二課第二知能犯捜査二係の係長と若い刑事だった。

「初めに、あの衝撃的な映像をテレビで流す前に、警察に相談しようとは思わなかったのか、聞きたいね」二係の係長はテーブルを囲むように座っている一同を見渡した。


「あ~、最初に言われるのは、『ふざけた映像流しやがって。腕が動くなんてB級特撮映画か!』だと思っていたのですが」門根が責任者らしく、皆の考えを代弁した。しかも敬語で。


「こちらは夜叉の体調を考慮して一日待った。あの映像の出所を確認させてもらおう」と係長。

「あの映像。本当のことです。僕が、撮りました」サニが単刀直入に言った。

「あなたがあの映像を撮った…。つまり、青山さんの腕を見つけたということですね? 日本語が上手ですが来日歴は?」刑事たちの眼光が鋭くなる。

「国外に出るのは初めてです。日本語は独学で学びました。僕はヤオーマからあのメモリーを託されたので、志願して夜叉の付き添い医師として来日しました」サニの話を係長は腕組みし若い方はメモを取りつつ聞いた。

「ヤオーマを引き取りに誰も来なかったと聞きました。だから僕は誰にメモリーを渡せばいいのかわからなかった。そこでせめて彼の死に様を見てもらおうと考えて動画を提供しました。預かったメモリーの内容はそのままで公開してほしいと夜叉に頼んだのです」


 「なるほど」係長が相槌を打った。「それで自身の番組で?」

皆が一斉に夜叉を見る。

「テレビ局に持ち込めば、放送規定に引っ掛かるとか、裏を取るとか言って、編集したり隠し撮りに登場した人物に漏れ伝わったりするだろう。だからゲリラで流したんだ」

「なるほど」係長は若い刑事に振った。

 「青山さんの遺体はポケットに旅券の入った胴体の一部が発見されたお蔭で身元が判明した。腕も胴も損傷が激しく荼毘に付されたとのことで、遺品の女物の腕時計とパスポートのみが帰国した。引き取りに誰も現れなかった。そこで所轄は青山さんの自宅に行き少々調べた、という経過です」

係長は顎を擦りながら「青山さんの部屋の骨壺は妹のものだな。腕時計から運よく青山さんか妹の皮膚片が採取出来ればそれで骨壺の中身とDNA鑑定が出来る。今、科捜研が取り組んでいるところだ。兄妹或いは同一の判定が出れば、青山さんの主張も真実味を増す」と言った。


 「警察としてはあのような超常現象を信じるとは言えない。しかしキューバでニセ動画を作り飛行機事故の被害者を騙るメリットがあるとは思えない。夜叉側が仕込むのはもっとありえない。夜叉のゾンビ化すら大半の日本人にとって半信半疑なのに、茶化すような腕の動画を出すなんてデメリットしかない。それと犯罪の告発とは分けて考えるべきだ。まず証拠一式を提出願いたい。我々がそれを分析して、あの動画に虚偽のないことを証明して公表することが出来る」係長はメリットを示して同意を促した。

 サニは憮然とした顔をして、動こうとしなかった。

「彼は腕だけになってもセキハラに復讐したいと思っていた。彼の無念を晴らしてください」


 咳払いを一つして、係長が話し出した。

「我々はここ一年、関原喜一をブレインに配した半グレ集団の“セミナー詐欺”グループを追ってきた。あのようにテレビで扱われて、正直『なんてことしてくれるんだ!』なんだ。が、実は絶好のタイミングなので一気にガサ入れを決行する。関原の脚抜けを察知した詐欺グループが仲間割れを起こしてね。まさに攻め時なんだ」

 次いで若い刑事がサニに向かって語りかけた。

「このセミナー詐欺は、以前地上げで鳴らした土屋組という小さなヤクザの息子が金主で始めたお遊びでしたが、今では関原が事実上のボスです。土屋組は廃業してもうないしドラ息子は病気で入院中。関原の悪行があの資料で証明されます」


 前島が「君たちの知りたいのは、生前の青山さんの状況と妹さんの死に対する関原の責任を問えるか、ではないかな?」と振った。前島にしては信じられないがナイスアシストだ。

サニが頷く。明らかに夜叉が興味を示し、ほの蒼いオーラが揺らめいた。警視庁の精鋭がビビッて硬くなる。


 前島は手元のファイルを見ながら話し始めた。

「青山陽斗は関原のグループにいたわけではない。だから二係もノーマークだった。先程の話で出てきた土屋組が青山陽斗の実家を乗っ取った話は知っている? ならば話が早い。組長は陽斗とまゆりを可愛がった。陽斗は自分の後継者として育て、まゆりは自分の女としてね。時代は変わり、バブル後はシャブやドラッグ、詐欺がしのぎの中心になっていき、昔気質の組長は廃業を決めた。陽斗には自分の趣味の海外不動産詐欺の実行を担わせ、まゆりには事務手伝いをさせたが、もう組長の女ではなかった」

「ここで元組長の愛人が生んだ息子が登場する。ドラ息子は金を関原に渡し詐欺稼業を始めた。何故か関原はドラ息子に恩があるらしい。関原は闇の商売で億単位の金を稼いでいたが、ドラ息子は病気になり療養費欲しさに元組長を脅した。このトラブルで陽斗とまゆりと出会ったと思われる。ドラ息子の面倒は関原が見る事になり、元組長と和解が成立した。その後まゆり狙いだか陽斗と気が合ったのだかは知らないが、友人関係だったようだ」

「まゆりの自殺の件は…特に不審な、つまり他殺を思わせるものはなかった。風呂場で睡眠薬を飲み手首を切って自死。…ああ。妊娠していた。これかもしれないな」

前島の声だけが聞こえるシンとした面会室。

 

 「映像にあったな、大橋の勧める結婚話。そこで関原は妊娠していた恋人のまゆりを捨てたんだ。あの大橋との密談の映像は関原にとっての保険で、信頼するまゆりに預けておいたに違いない。当然メモリーを回収しようとしただろう。しかし叶わなかった。自殺後に関原が部屋を家探しした痕跡を徹底的に探させよう。陽斗は遺書を読み、メモリーをキューバに持って行ったわけだ。あの腕が伝えた『hana33…』というのは?」

前島の確認にサニが頷いた。「あの隠し撮りはパスワードがなくては開けられなかった」


 「なるほど、最後に復讐のためにパスワードを教えたのか」

「ヤオーマは帰国してメモリーを公開してくれる味方を見つけるつもりでいた。それが叶わなくなって急遽僕にあのような形で伝えるしかなかったのだと思う」サニはポケットからUSBメモリーを取り出し係長に渡した。

 「坂上逍造と反社会的勢力の関係はいずれ確たる証拠を掴むまでは泳がせておくしかない。まずは関原の詐欺集団だ。その過程で大橋らを挙げる証拠が出る可能性もある。この報道がきっかけで色々ボロが出るだろうし、グレーなイメージが付いて選挙に立候補する芽は摘まれるのではないかな」係長はサニに頷いてみせた。


 

 係長が夜叉に別室で聞き取り調査をしようとすると、「俺は青山に会ったことはない。これで終りだろ」夜叉が椅子に座ったまま答えた。「いや、きちんと別室で…」

 若い刑事がスマホ片手に色めき立って報告した。

「係長! 今、青山さんとキューバで会ったという人物から連絡が入ったそうです! 夜叉の番組を見て、警察に話しがあると…。明日警視庁に出向いてもらう予定です」


 「ここで話を聞けばいい。この屋敷に呼んでいいぞ」

夜叉が急に目を輝かせた。「それと交換で、サニが青山の話をしてやる。どうだ?」

「何故あなたが青山さんと会った人物の話を聞きたがるんだ?」係長が訝しがる。

「決まってるだろう。面白そうだからだ」

 夜叉に言い切られて、若い刑事はポカンと口を開けた。だが係長はこの程度の夜叉節では怯まない。

「ヒネメス医師はもちろん、夜叉、あなたにもじっくりと話を聞かせてもらう。事故機に乗っていた日本人二人がゾンビーウィルスに感染していたなんて、思ってもみなかった状況じゃないか。一般人をこのような辺鄙な所に呼ぶにはそれくらいの代償が必要だ」

 夜叉はありありと『失敗した』という顔をした。しかし言い出したのは自分なので、やむなく首を縦に振った。

 

 「ところで、騒ぎがあったそうだね?」前島が素通りしてくれるはずがなかった。

「ここで研究者の都合で鉈振り回されても、迷惑なだけだ」と門根は不快そうに返す。「あの女、夜叉の命を犠牲にしてもいいと思っていやがった。狂ってるだろう、そんなの」

 「様々な要因の重なり具合によって、存外人は短時間で追い詰められ狂気に駆られる。自分を見失うだけでなく、人としての道や品位までも見失う…恐ろしいことだ」

前島の声にからかうような響きはなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ