⑯ マカンダルの物語
キューバでの青山の暮らしを知る人をクマちゃんが見つけ出します。その人は、キューバの歴史と、黒人奴隷のヒーロー・マカンダルの物語を教えてくれるのです。
【 二〇一五年六月一四日 】
「昨日は大変だったわね。この家が手薄になっているなんて、全然気づかなかったわ。ごめんなさいね」とクマちゃんが豪快に笑い飛ばして迎えてくれた。
「実はね、キューバに居た時の青山陽斗を知っている在住の日本人はいないかとSNSで呼び掛けたら、ハバナの杉窪さんと言う方が応えてくれたの。あちらは今六月一三日の夜八時。スカイプで話を聞かせてくれることになっているの」
画面の向こうには栗色の髪を一つに束ねた女性が、優しそうに微笑んでいた。隣に座る黒人男性を、杉窪さんは自分のパートナーでサンテリアの司祭ホセだと説明した。クマちゃんは青山とキューバの話をしてくれるよう頼んだ。
:キューバは一九五九年に革命軍が勝利し社会主義国となりましたが、それ以前は大国の植民地として、さらに以前はスペイン人による奴隷産業の中継地点として複雑な歴史を歩んできました。“ルーツ”という映画を知っていますか? まさにあれです。西アフリカの黒人を無理矢理奴隷船に乗せて北米・中南米に運んだのです。その中にはヨルバ語族の司祭たちもいて、連行された先の土地で宗教を発展させました。ハイチではブードゥ、キューバではサンテリアと呼ばれています。黒人奴隷の宗教は支配者のキリスト教に弾圧されますから、上手にキリスト教の聖人と融合して生き延びました。先ほどから“宗教”と呼んでいますが、サンテリアには教会も寺院も経典もありません。魂の救済や死の恐怖からの解放のためにあるのではなく、現世利益追求型の信仰なのです。支配者の目から隠れ、粗末な聖域で儀式や占い、護符作り、お祓いなどをするのです。それらの知識は脈々と継承されました。ホセはサンテリアの司祭です。サンテリアの太鼓儀礼を知っていますか? 太鼓でアチェという動的エネルギーを起こし、あの世の魂をこの世に呼び込み、生者たちと交流させるのです。生者に神霊や先祖霊が憑依し、生きていくための知恵とエネルギーを授けます:
杉窪さんはホセが並べた薬草やココナツの殻に目を落とした。
:私は日本人ツーリストにオプションツアーを手配する仕事をしています。青山さんは『太鼓儀礼を受けたい』と言って現われました。近頃ユーチューバーが霊の憑依を動画配信しようとしてトラブルになることがあるので、警戒して動機を聞きました。彼が必死な目で『自殺した妹にどうしても訊きたい事がある』と言うので、司祭を紹介しました:
「あなたは立ち会ったのですか? その、太鼓儀礼に」
クマちゃんの問いに、杉窪さんは小さく頷いた。
:憑依されている青山さんがよく記憶していない場合に備えて、メッセージを聞き取るために同席しました。妹さんは彼に憑依し、彼の求めに答えてくれました。更に謎の言葉を口にしました。『マカンダルの息子に会う必要がある』と:
「なんですか? マカンダルって?」
杉窪さんは寄り添うホセを慈しむように見た。視線に応えてホセはパートナーの手を握った。
:簡略に説明すると、マカンダルは黒人奴隷のヒーローです。ただし、キューバではなくハイチのヒーローです。西アフリカから拉致された黒人はどこの国に送り込まれるかで運命が変わりました。奴隷が結託しないようにわざと異なる部族を一緒に働かせた国では、奴隷同士で言葉も習慣も違い、一層苛酷な生活を強いられたのです。キューバでは部族単位で管理したので、故郷の言葉や習慣・宗教も継承できたしコミュニティが存続できました。一八世紀中頃のことです。キューバの隣の島ハイチに送り込まれた奴隷の一人マカンダルは事故で片腕を失ったにも係わらず、逃亡奴隷マルーン三千人を率いて白人と闘いました。マカンダルは雄弁なる施術師で、薬草の知識を持ち、獣・鳥・魚・昆虫に変身できました。特に、緑色のイグアナ、見かけないイヌ、場違いな所にいるペリカン、夜行性の蛾はマカンダルの化身と言われました。マカンダルは命知らずの部下と献身的な女に支えられ、決して捕まらず七年に及んで白人に抵抗闘争を続けました。最後は裏切り者のために火焙りの刑になりました。しかしマカンダル生存説は根強く、年月を経ても救世主となって戻ってくると信じられていたそうです。今ではロアすなわちサンテリアのオリチャ、つまり神聖としてカトリックの聖者と融合しています。これがマカンダルの物語です:
ホセの話を杉窪さんが翻訳してくれた。
:“マカンダルの息子”とは何者なのか、不明です。噂は聞いたことがあるのですが。こんなにもはっきり死者の魂が口にするとは驚きでした。ハイチの英雄が何故キューバに出現するのか? しかも“息子”という触れ込みで:
「確かに“何とかの息子”は胡散臭い。“サムの息子”っていたよな」門根が口を挿んだ。
「犯行声明に用いる自称でね。つまり実質的な意味でマカンダルの偉業や能力を継承しているわけではない。勝手なこじつけもあり得る」と珍しくキリノ。
「伝説の英雄が実は死んでいないとか、外国に逃れて生き延びたなんて…まるで義経伝説ね」とクマちゃん。
瑞生は小声で本永に訊いた。「ヨシツネって?」
「源義経。兄ちゃんの頼朝に嫌われて奥州平泉に落ち延びた悲劇のヒーローだ。知らないなんて、日本人としてダメだろ」本永が駄目だしした。
「クマちゃんが言ってるのは、非業の死を遂げた義経に対して、実は北海道に逃げたとか、モンゴルに逃れてチンギス・ハンになったとか、義経生存伝説が独り歩きしたってことだぞ」と夜叉。
「ふ~ん」瑞生の生返事を聞いて、皆杉窪さんの方に向き直った。
:司祭が『マカンダルの息子について知っている一族を見つけた』と連絡をくれました。ですが彼らは青山さんとだけ会ったので、私にはどんな人たちなのかわかりません:
新情報が入ったら教えてくれると言う言葉で通信は終了した。
瑞生は夜叉とサニを見た。さっき“マカンダルに詳しい一族”と言っていた。サニは前に『本名は人前では言わない。僕の一族では大切なものだから』と言っていなかったっけ?
黙っていた夜叉が腰を上げた。
「俺が狼煙をあげる。門根?」
門根はいじっていたおしゃれなブルーの帽子をテーブルの上において説明した。
「『夜叉が自宅からファンに向けて、本日午後五時からメッセージを配信します。扱いは各社にお任せします』と報知した。無料動画サイトに流してもらえればと思っていたんだが、民放大手も五時きっかりに横並びで流すそうだ。『毎日夜叉通信を発信する予定です。全曲新曲のアルバムをキリノと製作中です。夜叉通信にはキリノも出演します』と伝えたら、『毎日枠を取る気か! 夜叉は信用できないがキリノも一緒なら確かだろう。ファンは歓喜、ゾンビに興味ある一般視聴者も釘づけだろうな。帰国後取材NGだったから視聴率取れるぞ』だと」
夜叉はスタジオに移動しながら薄っすらと笑った。
「正午だ。夜叉の生動画配信告知の解禁時間だ」門根がテレビを点けた。夜叉の家の一つから持ってきたばかりの大型テレビが面会室に鎮座していた。
「デカすぎると思ってたが、大人数で見るにはぴったりだな」門根が満足げに言う。すぐに各局このニュースを報じ始めた。
:衝撃の航空機衝突事故で夜叉がカリブ海に散ってから約一か月。ゾンビー症候群に感染し蘇った夜叉は帰国後、神山県のコスモスミライ村に住んでいます。夜叉の所属していたバンドThe Axeの事務所Woods!によりますと、夜叉は本日一七時からファンと世界の皆様に向けてメッセージを発信するとのことです。また今後も同時刻に発信し続ける予定だそうです。The Axeでともに数々の名曲を生み出したリーダーのキリノも一緒ということですから、解散以来初のコンビ復活にファンならずとも心躍らせてしまいますね:
「あいつら、音楽の話より何かやらかすつもりだろう?」と門根。
「マネージャーの勘でわかるの?」瑞生は逆に聞いた。門根は瑞生の家でサニが見せたUSBメモリーの青山の話を知らないはずだからだ。
「夜叉の内心わくわくしてる顔、あれが出ると碌なことがない。お蔭でどれほど頭を下げてきたことか」
「積もり積もった苦労が、その傲慢な態度と夜叉に対する鋭利な勘を育てたんだな」と本永。
「おうパンク、わかってるじゃないか。The Axeのファンじゃなきゃやってられないだろ? 奴らを支える側になると、人間としての綻びの世話に追われる羽目になる。一番のファンだったはずなのに、好きも嫌いもどうでもよくなる…て言うか、嫌いになる。でもふっとあの歌声を聴いて、あの曲を聴いて、原点に引き戻される…」
昼のワイドショーでまたド派手なブラウスを着た堤アナが、コメンテーターたちとトッタン半島の騒動を伝えている。
:そのコスモスミライ村ですが、『昨日夜叉の屋敷に侵入を企てた不心得者が出た模様』と“マダム ロハス”がツイートしていますね。神山県警は先ほど当番組の問い合わせに対して、『警察は事案を把握しており、実害は無いものの現在捜査中』と回答していますが…:
:その人、発信禁止の自治会令を破って、夜叉の家に出入りしてる未成年をリークした人でしょう? 注意しに来た自治会のお爺ちゃんとのやり取りを加工して流して、ブログ大炎上で閉じたんですよね?:
:以前にブログを見た事あるのですが、ロハス教室とか、マクロビグッズとか、ともかく商売っ気に溢れたブログでしたね。『あのコスモスミライ村のロハスマスターが推奨するギーを特価販売!』なんて具合に。今回の売名行為も物販が目的に思えます。優雅な村の住人だと思うから、一般人が憧れるのにね:
「あのぅ、ワラシナさんとモリヤマくん、どうして戻らないの?」サニが唐突に疑問を口にした。
「そう言えばそうだな。森山は定休日が明けたんだから、今日は朝から来てなきゃ変だよな。藁科は古巣に帰ったせいで、こっちに来るのが嫌になったとかありそうだが」門根はクマちゃんを見た。
クマちゃんは急いでメモを捲る。「結局タブレットより紙になっちゃう…。あ、これだ。AAセンターの医師西方。森山の定休は同じ施設内だから知ることもあるでしょう。『偶然藁科が国立感染症研究所に呼ばれたのを知った』という所、昨日も引っかかったのよね。藁科さんの予定なんてAAの誰も知る必要がないのに。どういう偶然で知ったのかしら?」
「弁当に混入した筋弛緩剤は、使用量によっては死を招く、匙加減が難しい薬品だ。今頃警察で盛った量を調べてるだろう。キューバ人というイメージだけで混入していたら致死量になるし、サニの体重を把握していたら少量しか入ってないはずだ。情報を得た上での犯行か、わかるだろう」と本永。
ちょうど現われた朏巡査長が「本永君は玄人はだしの推理をするなぁ」と感心した。「日曜日の為か、今日はビジターが多い。警戒するに越したことはないと伝えたくてね」
夜叉邸侵入未遂事件の話を聞いて、心配した親族がシニア層に会いに来るのを自治会が拒むことはできない。不便を理由に村から足が遠のいた親族の訪問を喜んでいる住人は多いと思われる。
“夜叉効果”と田沼は大威張らしい、と朏が教えてくれた。夜叉が来た当初は“感染の恐怖”などとメディアが煽った影響で訪問者は減っていたのだが、美少年記事で感染に疑問符が付いたと言えるかもしれない。相変わらずメディアは感染と言うが、ビジターたちにその懸念は見受けられない。
瑞生たちはクマちゃんと一緒にいつもの面会室でテレビを点けた。
「隣で生で作ってるものをわざわざテレビを通して見るのって、変だよな」と本永。
「夜叉もキリノもライブはリハを重ねて完璧にするしセットも凝る。観客が安心してThe Axeワールドに酔いしれることが出来るには、細部まで徹底した準備が必要。その二人がこんな急場しのぎのセットで自分たちを世界に晒すというのは、相当な覚悟があるのだと思う。だから協力しなきゃ」と言いつつクマちゃんの手は震えている。
各局夕方のニュースワイドの時間で、クマちゃんはチャンネルを変えた。「ここが一番夜叉に厳しいコメントをしてきたのよ」
:お待たせ致しました。まもなく五時になります。The Axeの夜叉とキリノが神山県コスモスミライ村の夜叉の邸宅から、皆様にお伝えしたいことがあるとか。生中継の用意が出来ているのでしょうか。KNNテレビでは、夜叉から発信された物をそのままお届け致します。皆様終了後にお目に掛かりましょう:
何の前振りもなく、画面に夜叉が映っている。いつもと同じジェダイみたいな布の服で。バックミュージックも効果音もない。椅子に座る夜叉をカメラはアップで映し出す。
:やあ、皆さんこんばんは、夜叉です。こういう風にきちんとカメラに映されるのはとても久しぶり…だな。何年もなかった気がするな。画面に近づいてまじまじと見てる人とか、いそう。俺は一度死んだ。でもゾンビーウィルスに感染していたせいで、蘇った。この皮膚の色とか、ハロウィンの仮装じゃないから。ゾンビとして生きてることを、とりあえず伝えたかったんだ:
:毎日、少しずつでいいから、俺のことを話そうと思っている。The Axeを愛してくれてたみんなに。そりゃゾンビだから生きてた時のようには動けない。生命を維持しているだけと言えなくもない。でも、誤解している奴が多いと思うけど、俺は記憶はあるし、思考能力は衰えてないし、人を襲って喰ったりはしない:
カメラが引いて夜叉の隣にいるキリノも映す。
:俺の命が尽きるまで、色々話そうと思う。キリノが付き合ってくれるから…キリノ、ご挨拶は?:
キリノも普段通り黒ずくめだ。全体が蒼くけぶるような印象の夜叉と違い、痩せこけているが、眼は鋭く光を放っている。
:ども。キリノです。うちの夜叉が、相変わらず世間をお騒がせして、申し訳ない…と言うか、俺も驚かされっぱなしだ。だって、まさか、ゾンビだよ? 映画でしか見たことないモノでしょ、普通は。それをこの人は、なってみせたからね。バンドを解散してから一〇年。一〇年ぶりに会って、最後は一緒にいようと決めた。ずっとThe Axeを聴いてくれたファンのみんなにも、伝えておきたいことがある。感謝の気持ちも伝えたい。アルバムも出すよ。じゃ、夜叉:
:まずみんなは何を知りたいかな? ゾンビの気分ね。キューバで蘇った時は、自分が蘇ったとは思わなかった。『死んだ気がしたけど…飛行機が爆発した強烈な夢だったな』とね。でも、周囲の対応が、どう考えても普通の患者に対するものと違うんだよ。遠巻きって言うの? 医者がビビッて近寄ってこない。俺もさっさと帰ろうかと思ったけど、身体が動かなくて起き上がれないんだ。『まるで死んだみたいだ。インストールし直さないと動かないAIロボみたいだ』と。すると日本語の話せるキューバ人が『あなたは死んで蘇ったのです。夜叉、あなたはゾンビー症候群です』と言いながら鏡を見せてくれた。蒼くなってて、何の悪ふざけかと思ったよ。…でもまぁ、現実を受け入れざるを得なくなって、認めたわけだ。自分はゾンビだって。それで、今ではせっかくの冥土への猶予を活かそうと思ってる:
:俺の最後のアルバムを作ってる。みんなが望むようなThe Axeサウンドじゃないかもしれないが、俺から出てくるのは今はこれなんだ。…いつも悪かったな。みんなの聴きたい曲じゃなくて、俺は歌いたい曲しかやらなかった。結局、最後までそうなりそうだ。ごめんよ:
夜叉は疲れたように、言葉を切った。
「ほーっ」
瑞生も本永ですら安堵の息をついた。クマちゃんは床に座り込んでいる。「よかった、夜叉が発信できて。…このままろくでなしの借金踏み倒しゾンビとして、世間から愛想尽かされて笑い者になって死んでいくしかないのかと思ってた。私、物凄く悔しかったの。騙された夜叉に責任はあるけど、夜叉が人を騙したり人に損させて儲けたことは一度もない。それを世間の人にわかってほしかったの。これで伝わる人もいる。少しはマシよ」
夜叉は座ったまま蒼い手を見た。失った親指の抗菌シートは外してある。
:皆は『何故キューバにいたのか?』と思うだろうな。バンドを解散して一〇年間、知っての通り俺の人生はぐちゃぐちゃだった。騙され奪われて、馬鹿な俺にも信頼できる人間とは誰なのか、ようやく見えてきた。手元に残ったのは、自分と借金と音楽への渇望だった。ずっと気づかないふりをしていた情熱。歌いたい、創りたい。でも今の俺が表現したいものはThe Axeの音とは違った。自分とは異質なものにどっぷり漬かって、内から湧き出てくる音に耳を傾けたかった。そう思って、キューバに行った:
:三ヶ月弱。自然と馴染みの店で爺さんと一緒に弾いたりしてた。貧しいのだけど、その緩くて確かな生命力が心地よかった。キューバの庶民にとって、ミュージシャンやアスリートになってキューバから世界に出ていくことはスーパードリームだ。教育費・医療費はタダでも薬代は有料、厳しいんだ。バーの裏からじっとギターを見てる子に教えてやってた。楽器があれば気持ちは通じるからな。あの国は食料は配給で、不足分は自力で買うしかない。市場に肉は滅多に並ばない。コードを押さえる時指に指を重ねるとその痩せた身体に狂おしくなった:
:エンリケが来なくなった。事情でお祖母さんの家に移ったからだった。何故だか自分でもわからないけど、爺ちゃんにギター借りてバスに乗って会いに行ったんだ。ハバナしか知らないから、延々サトウキビ畑の田舎で途方に暮れた。スペイン語ももう訛りでまるきりわからないし。でも奇跡的に探し当てたら、エンリケは抱きついてきた。何曲か弾いてやると、お祖母さんや親戚が喝采してくれて、行ってよかったと思った。帰りはロバの荷車でバス停まで連れて行ってくれたけど、ロバの餌も事欠くのでそこまでだって。帰りは乗継を間違えて港町に着いた。海を臨む要塞の縁を歩いていると壁の上に、緑のイグアナがいた…。どこをどう歩いて帰り着いたのか覚えていないけど、気が付いたらホテルのベッドの上だった:
緑のイグアナ? マカンダルの話の時にも出てきたな。
:帰国するために乗った飛行機が事故に遭った。突然の衝撃と閃光、座席ごと放り出されて…よく覚えていないが…覚えていたらいい眺めだっただろうな。カリブ海を上空から直に見下ろして、最強アトラクションばりに一気に急降下、砂浜に突っ込んだんだから。座席シートに座ったまま意識を失った状態で窒息したらしい。苦しんだ記憶はない。シートが目立ったお蔭で俺はすぐに掘り起こされ、遺体は大学病院に運ばれた。俺は蘇って、まだ夜叉であり続けて、人生に新しいページを加えようとしている。でもそうは出来なかった人もいる。俺は蘇った時日本語の話せる医者がいてくれたお蔭で本当に救われた。その医者は浜辺で遺体を回収していた時、生きて帰ることが出来なかった日本人に、この映像を託された。医者には内容の判断は出来ないし、一方的なメッセージに批判的な意見もあるだろう。でも命を振り絞って伝えようとした彼の最後の言葉を見るくらいは、してやってもいいのじゃないだろうか:
青い空、美しい砂浜、荒い息遣い、揺れる画面…あの映像が始まった。
今ならわかる。サニは「ヤオーマ!」と呼んでいたんだ、最初から。つまりサニは夜叉を冷凍保管庫から出して自然解凍にかけておいて、青山の遺体を探しに行ったわけだ。
約一〇分ほどの青山の曝露データはつつがなく放映された。無修正を宣言したので、大橋京太郎の顔がばっちり見えていた。抗議だか名誉棄損だかで訴えられること必至だ。
門根は目を白黒させていたが「や、約束を果たしたまでだ。何言われたって、筋は通ってる」と夜叉を擁護したのは立派に思われる。
画面が切り替わった時の柳田キャスターの唖然とした顔がおかしかった。ポカンと開いていた口に気づくと、慌てて取り繕った。
:…夜叉通信でした。私どもは夜叉の発信する情報をそのまま放送しております。内容に関してのコメントは控えさせて頂きます:
ここで本来なら実演タイプのCMに切り替わるはずだった。だが夜叉通信を急遽入れたためにCMの時間はずれていたのだ。
:見たか? あの腕! どういうことだ? これは“アダムスファミリー”か? あの夜叉がゾンビになった姿をカメラの前に曝け出したから、茶番ではないと言うのか?:と柳田キャスター。
:今の動画何? 腕?…腕が犯罪の告発? 夜叉は本当にゾンビで…びっくりしたし、変わらず綺麗だし。二本立てで驚きすぎてパニックになりそう:コメンテーター女子は涙ぐむ。
:死んでる人って本当に顔色が悪くて…というか、蒼かったですよね? 驚いたなぁ、人間てああなるんだ…:呆然と女子アナ。
放送事故に気づいたADが必死にカンペを振るが興奮した三人は気づかない。
吐き捨てるように言う柳田の声が全国に届く。:こんなのを毎日だって? なんでニュース番組で、ゾンビの私信を扱わなきゃならないんだ?:
:アルバム出すって言ったじゃないですか。ただのゾンビじゃありません:女子アナが毅然と抗議した。
夜叉もキリノも精根尽きた様子だった。五分後には門根の元に警視庁から『聞きたい事と見たい物がある』と連絡が入った。




