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① ゾンビが村にやって来た

【 二〇一五年五月三一日 】


 遥か彼方の唸りとも聞こえていたヘリのローター音は、近づくにつれ、編成された自衛隊のそれであると判明した。低空に響き合う重厚な音が、いよいよこの村に招かれざる住人が転居してきたことを告げている。



 瑞生(みずお)は、自室窓のカーテンを開けようとして舌打ちをした。勉強机に戻り、リモコンでカーテンを開ける。この家は高台にある。海に向かって緩やかに下っていく住宅地は放射線状に区画割されている。件の家も同じ高台なので、直接家の様子を見る事は出来ない。見えるのは自宅沿いの通りの家々と丘陵の先にある緑地帯の緑と水平線の間を塗りつぶす海の青だ。

元々運ばれてきた人物に興味があるわけではない。この村の住人の反応が見たかったのだ。

しかし通りには人っ子一人いなかった。ヘリで上空から監視兼護衛されてきた黒塗りの車列が、赤色灯を点けた救急車両を挟んで行くのがちらりと見えた。

野次馬の代わりに、家の影からわらわらと出てきたのは警察官だった。

 

「もう二ヶ月」「まだ二ヶ月」。瑞生はこの便利なフレーズを対象によって使い分けている。四月から通う高校では、「まだ二ヶ月」を使う。小学校から大学までエスカレーター式の(それゆえ中途入学を募集していない)私立校に高校から入学するのは、不真面目が過ぎて他校から放り出された裕福な家の子供か、精神をやられて他校から放り出された裕福な家の子供だ。自分はそのどちらにも当て嵌まらないのだが、そんな事、おくびにも出さずに過ごしている。


 私立薫風学園は各学年三クラスしかないので、外部からの新入生は好奇心の対象になるものと想像していた。だが圧倒的多数である内部進学生達は、この二ヶ月間、三名の新入生に群がってきたことがない。

 もっとも、外見からして声をかけ難いのは確かだ。瑞生の前に座る本永将仁(もとながまさひと)は、大昔のパンクロッカーみたいなド金髪のツンツンヘアで、目が虚ろで、『K学園NY校でジャンキーになり帰国時に全ての付属校から受け入れ拒絶を喰らった』と噂されていた。しかしこの二ヶ月間曲がりなりにも登校し席についている辺りは評価すべきと瑞生には思われる。時折、ぴくぴくっと体が引き攣ったり、異常な速度で貧乏揺すりをする姿を目の当たりにすると、机をやや後ろに引いて、不測の事態に備えてしまうのだが。もう一人の新入生は入学式以降一日も登校していない。



 テレビではこの件をどう報道しているのだろう。瑞生は“村”の住人としてまだ新米なのだが、今到着した奴よりは二ヶ月先輩だ。野次馬がゼロなんてどういう事だろう? 四月に学年で帰宅方面別の班分けがあった時、“村”に住んでいると知った同じ班の連中は結構好奇心剥き出しの目をしていた。瑞生は高校生以外の世間一般の“村”評を聞いてみたかった。

ベッドにどさりと腰かけて無意識に口元が緩む。実は一五年の人生でベッドのある生活は初めてなのだ。瑞生の家も、一年のほぼ半分の夜を過ごしてきた“子供の家”も和式の布団で寝る規則だった。ここに越してきた夜、“どさり”感に密かに感動したのだ。

 

 ちらっと机上のパソコンに目をやる。電子版ニュースを見てもいいのだが、この年までパソコンはおろかスマホもタブレットも持ったことが無くて、伯父に全てを買い与えられてから「まだ二ヶ月」なので、懸命の努力をもってしても“デジタル初心者”を返上できていない。検索記録や通信履歴で自分という存在の痕跡をネット上に残すことには躊躇いがある。

 瑞生は立ち上がると、リビングに行くため部屋を出た。



 「おはよう、瑞生君。君もこれが気になったかな」「おはよう。中継が始まったところよ」

 口々に機先を制されて自室に戻りたくなったが、平静を保ち「おはようございます」と挨拶しながらソファに座った。巨大な4Kディスプレイはどこに座ってもよく見える。伯父と伯母は二人で同じテレビを見ていても、隣同士に座っていた試しがない。


 見慣れつつある“村”の入り口に“アーリーサンデー”のレポーターが立っている。日曜早朝のニュース番組はいつも一局なのに、今朝は各局レポーターがずらりと並んでいる。

 :ご覧頂きましたように、自衛隊のヘリと警護車両に守られて、“夜叉”を乗せた救急車はつい先程神山県トッタン半島中央部の“コスモスミライ村”に到着致しました。私は今“コスモスミライ村”入口ゲートにおります。従来はこのようなゲートはありませんでした。それが“夜叉”の受け入れを表明してから急遽ゲートが造られました。“夜叉”と大衆社会とは一線を画す別世界の住人のプライバシーを、取材陣・野次馬・夜叉のファンから守るためとのことです。“村”の自治会長さんに取材を申し込みましたが、拒否されました。“村”としては、先日の“夜叉”受け入れ会見でマスコミ対応は終了したとのことです。住人の方への個別インタビューも固くお断りとのことでした:

 

:そこまで頑なな上から目線の“村”とはそんなに凄いの?:柳田アナが訊く。

 :では、ここで“コスモスミライ村”の歴史を振り返ってみましょう…:早朝からインパクト大の真っ赤なブラウスの堤アナが手際よく進行する。

:神山県のトッタン半島は豊かな自然で有名ですよね。実はバブル期、半島の中央を走る連山の中、ゴルフ場建設予定地が樹木を伐採した状態で放置されていたのです。山の無残な有り様を知った県知事が、不動産会社を巻き込み、新しいコンセプトを持った街を作る事を思い立ちました。高級住宅街と企業の研修施設・大学や研究所など住と知的産業と自然を融合した新しいタイプの街です。電柱も電線も無い、家を隔てる無粋な塀も無い、洗濯物や干した布団が並ばない…広場では聖歌隊がクリスマスキャロルを歌う…当時としては画期的なフォルムでした。持家のみの街。住宅地を囲むように研修施設やガラス張りの国際会議場が並んでいます。住人には海外からの研究員をホームステイさせる義務があります。整った宿泊施設があるので要請された事は無いそうですが:

 :確かにセレブ感が凄いな。でも気になってたのだけど、歴史では“街”って言っていた。でも今は“村”って呼んでいたよね?:ごま塩頭を振って柳田アナが指摘する。

:はい、その前にもう少し説明しておきましょう。ミライ村は山頂にあるため“村”の中を市境界線が通っており属する市町村で住所が違います。つまり“コスモスミライ村”とは自治会名なのです。当初の計画では、企業に付随してくる施設が周囲の裸山を埋め尽くすはずでした。しかしバブルは弾け、企業は撤退、それ目当ての店舗も来ず、“村”での生活は不便なままになりました。致命的なのは交通の便が悪い事です。毎日の通勤が二・三時間のドライブとなると、厳しいですよね。学校も誘致予定でしたが夢となりました。開発した不動産会社までもが撤退し、県は裸の山を人工的自然林として再生させる方向に舵を切ったのです:

 :それで“街”になれずに“村”なのか。“村”と聞くと鄙びた限界集落を思い浮かべちゃうけど、ここは超モダンな“村”なんだね:と柳田アナがさりげなく補足した。 

 


 なるほど、そうなのか。殺風景な自動車道の交差点横にある“コスモスミライ村”という標示に従い入っていくと頭上にアーチがそびえ立つ入り口に至る。そこが今レポーターのひしめいている麓部分だ。そこから鬱蒼とした森の中のくねくね道を上りつめると突然視界が開け、巨大なガラス張りの研究施設が山を後ろに背負うように立ち並ぶ異空間に出る。あたかも日本ではないどこかに通じたかと思うほどだ。ビジターセンター前を通過し、頂上に並ぶ建物を過ぎ糸杉林を抜けると、居住地が広がりお洒落なデザインの家々が立ち並ぶ。説明にあったように電柱も無いし塀の類もない。むしろ建蔽率フルの邸宅が庭木で隔てられているという方が正しいだろう。カーポートの配置が独特で印象深い。


 伯母の家に引き取られて、初めてこの“村”に足を踏み入れた時は気付かなかったが、翌朝散歩をして驚いた。昼出払っていた自家用車がカーポートに収まっている図の、日本人的な器用さに満ちた光景に。車体の大きな外車が半地下と中二階とその間に斜めに一台、というように無理無理に収まっているのだ。 

 だから、瑞生は世間が言うほど、この“村”を別世界とは思えないでいる。自分は工場の裏側に自宅がくっついていて、家族が一間に並んで寝るような暮らしと、親と暮らせない子供同士でくっついて寝る暮らししか知らないのだが。

 “知的産業と環境が自慢の高級住宅街”ってなんだ? 研究学園都市みたいな国家プロジェクトではないのだし。伯父や伯母がこの“村”の住人である事に誇りを持っていたら申し訳ないので、突っ込みようがなかった部分だ。

 そして、遅れてきた高級住宅街としてデビューするにあたり、ちょっと隔絶された立地を活かしたがために今回の“夜叉”引き受けとなったわけだから、皮肉だ。

 

 スタジオの堤アナが現地を呼ぶ。:“夜叉”一行に何か動きは見られますか?:

:残念ながらここは麓のゲートですので、頂上の様子を窺い知る事は出来ません:

:VIPが住んでるから、取材ヘリもドローンも上空飛行禁止。普通住人からSNSに投稿されるものだがね。個人の取材拒否が自治会決議だけあって“村人”の統制がとれてる。ここの住人はプライバシー侵害に過剰な拒絶反応を示すので有名だからね:と柳田アナ。

:下手に投稿して投稿者が特定されると、村八分があり得るのでは?:堤アナの一言に一同が頷いた。



 「村八分って、いくらここが“村”だからって…」テレビの流れに乗って、つい感想を漏らしてしまった。

 「…世間のこの村への偏見は今に始まった事じゃないからね」と伯父が珍しく応じた。「僕はこの家を建村時に誘われて建てた。人嫌いなのでね、人が訪ねて来にくい立地が気に入ったんだ」

 

瑞生は伯父が自身の事を話すのを初めて聞いた。

 伯父の八重樫宗太郎(やえがしそうたろう)は、幼少期の事故のせいで車椅子生活を余儀なくされているのだ、と伯母からは聞かされていた。

 

「静かな生活は望んだ通りだ。ネット回線さえ繋がっていれば会議も取引もここで不自由なくこなせる。行政がいい加減なのは今に始まった事じゃないから失望などしなかったが、撤退したN不動産には大いに不満だ。資金繰りが悪化したとはいえ早々に諦めるなんて」ここで、伯父は言葉を切って伯母の反応を見た。伯母は陶器のような無表情を崩さず、しかし微かに頷いた。

「結局割を喰ったのは僕たち住人だ。ショッピングモールもモノレールもできない。学校も建たない。村でヘリポートを造らないのなら、僕は家の屋上に造りたかった。でも区割りに自由は利かなかった。全部で三〇〇戸が、大邸宅を認めると一〇〇戸ばかりの山村になりかねないからね…。ここは特別リッチではないよ。アクティブな資産家は田舎ではなく都市部にいるものさ。ここをステイタスやら高級住宅街として喧伝する輩には辟易する。住人は皆都市での暮らしを経験した上でこの“村”暮らしを選んでいる。つまり皆“訳あり”なんだ。“村”のイメージに拘ったり結束を強制したりなんてN不動産の手の者か、メディアの煽る“セレブライフ”に踊らされている成金だ」

 

 瑞生は多くの疑問に直接答えてもらえて満足だった。ただ、伯母の頷きは『私もそう思うわ』という同意ではなく、スピーチの添削をしているような感情の籠らないものに見えた。

 「お、伯母さんは…」つい口走ってしまったが、俗っぽい続きを慌てて飲み込んだ。「あなたのような美人が、不自由な体で不釣り合いな顔面の二〇歳も年上のおっさんと結婚したのは金目当てですか?」を。初めて伯母に会った翌日、その配偶者たる伯父に会った時からずっと心の奥底にあった疑念。

 伯母が無言で自分の言葉の続きを待っている。プレッシャーに負けて「この村は住みやすいですか?」という質問にすり替えた。


 「…住みやすいとは言い難いかしら、正直言って」凛とした横顔を夫が見ていることを十分認識しながら伯母は続ける。「物理的に不便な話はもういいわね? 精神的にも不便。私が来た時開村から一〇年経過していたけれど、当初喧伝されていた“海外セレブ風仲良し村”と思ったことはないわ。電柱がなくても垣根がなくても、住んでいるのは島国根性丸出しの日本人ですもの。過干渉が過ぎて転居者が少なからず出たと聞いたわ。クリスマスの合唱を強制したり、ホームパーティが覇権争いになったり。私は全部無視したけれど、断れない人は大変だったでしょうね」

 瑞生は、伯母の弟である自分の父の自己主張をほとんどしない生き方と、伯母の我が道をゆく風情に、血の成せる不思議を思った。

その完璧な美貌と強靭なハートの持ち主の妻を、遠くから見つめる伯父。わからない事だらけだ。



 会話が途切れて三人の興味がテレビ中継に戻った。

 :…こんなに余所者にオープンじゃない土地柄なのに、夜叉を受け入れる事に同意したのが不思議だ。不幸な事故が原因とわかっていても、感染症の一種と聞くと感染拡大を恐れるのが人情だよ。夜叉の住民票のある帝京都四葉区は受け入れを拒否したわけでしょ、『周辺住民の同意が得られない』『万が一の二次感染を防げない』という理由で。国立感染症研究所のL4施設のある立山支部も『NO』だった。こちらは全く逆の『感染力は極めて微小。L4で隔離する対象にならない』とね。夜叉の押し付け合いの始まりだった:柳田アナ。

:ミライ村の住人の同意が得られたというより、黙らざるを得なかったようです:堤アナが引き取る。:ミライ村は財界の縁故者、大企業の役員が多く住んでいます。経団連や個々の企業からOBに『日本のために耐えてください』と頼みこんだという話が漏れ聞こえています。それに…夜叉がミライ村に家を所有していた事が大きかったようですね:

 :夜叉がコスモスミライ村に家を? ロックスターの夜叉が?:柳田アナが説明的に反応した。

堤アナは:はい。夜叉は三年前ミライ村を開発したN不動産幹部から『アーティストを是非誘致したい』と口説かれて、『まぁ税金対策にもなるからいいか』というかなりいい加減な理由で最高値の高台の邸宅を購入していたのです。別荘使用を禁じ居住目的に限るという規約に違反して、購入後一度も住んでいませんでしたが。それが罷り通っていた理由は購入時の強い勧誘に因るようですね:と明かした。

 

堤アナはミライ村の住宅地映像を示す。:ミライ村の戸数は限定三〇〇戸で、開村以来中古住宅が活発に売買されています。元の住宅が住み継がれる事を念頭に建てられているからこそ可能なのです。もちろん取り扱うのはN不動産一社のみ。N不動産のHPで実績を見ると、三億、四億円はざらです。リフォーム代も含めれば四億円以下では手に入らないということですね。都心からこれだけ離れていてこの値段ですから:と堤アナはあくまでもクールだ。:因みに高台から下に降りるにつれて若干リーズナブルなお値段になる傾向だそうですよ:

柳田アナが溜息と共に首を振り、CMになった。



 瑞生は改めて伯父の八重樫宗太郎を見た。「ここは特別リッチではない」と言いながら二五年前に数億で家を建てた事に違いはない。自宅の屋上にヘリポートを付けたかった男。電動車椅子でこの家の中を自在に動き回る姿に、瑞生は驚嘆していたのだが、徹底的に自分仕様に建てたのならば得心がいく。

 不便な“村”の邸宅での孤高の暮らしを選んだという伯父の絶望的な孤独を想像した。そこに伯母との結婚が発生したのは想定内だったのか、外だったのか。二人の様子から、ロマンスの欠片も感じられない。だが伯父は少なくとも伯母の美貌を愛でている。それは時折伝わってくる。

 もしかすると美貌のみならず、伯母の他の部分も気に入っているのかもしれない。そうでないと、急遽転がり込んできた瑞生をもあっさりと受け入れる懐の深さに説明がつかない。「もう二ヶ月」生活を共にして、伯父が“人の好い資産家”とはお世辞にも言えない、成果主義の投資家であることが十分わかっていたから。

 

 「自治会は、テレビで言っているような理由で夜叉の受け入れを認めたのですか?」

 一人掛けの椅子に座る伯母が解説してくれる。「住人には公園の清掃当番などの義務がない。その代り自治に口出しする権利も認められていない。村の自治方針はN不動産と二人三脚で自治会が決めるの」 

 だから夜叉一行の動画が投稿されないのだ。自治会決議の縛りは相当なもので、堤アナの言う“村八分”だってあるのかもしれない。



 「ミライ村開村のニュースは首都圏セレブの微妙な層を刺激した。交通はいささか不便だが、バブル時は山中の山荘からフェラーリで出勤なんてざらだった。今更都内の屋敷街では買えない坪数の家が建つんだ。成功者一族の中で無能な者を本社社屋及び子会社から遠ざけておくには都内より遠くが望ましい。しかし地方にやると島流しのようだ。世間体を保ち、いつでも本社会議に出席できる距離で(呼ばれないが)、本人のセレブ意識を満足させる地。他にも、様々な事情でこの地に居を構えると都合がいい者が集まった。極初期の住人が自治会を作った」

「開村後ほどなくバブルが弾けた。撤退するN不動産が住人である各界の著名人の顰蹙を買うことに違いはない。そこで少しでも住人の要望に対応できるように現地窓口・クレーム処理担当として引責辞任した元社長の田沼に迎賓館を売却した。田沼は自治会長に収まり、常にN不動産の意向を代弁する。田沼以外にもN不動産あがりの住人は多い。人口流出を抑えようと必死なんだ。この村が廃村にでもなったら社史に残る大失策になるからね」

 

「今回の夜叉受入れに関して、田沼は新聞記事のコピーを個別に配って感染率の低さを説いて回った。確かにゾンビー症候群の患者から人に感染した例は一件だけだ。以前ドキュメンタリーを見た。先進国にこの病気を紹介したジェイコブ兄弟の話だ。見たことある?…ないのか。ジェイコブ兄は双子の弟に自分の病気を研究してもらおうと、死んで貨物として帰国、ゾンビ化した。弟は研究途中で『感染できるか』実験して感染。二人の研究データが現在のほぼ全ての科学的データの礎となっている、という話だ。症状の全容も感染ルートも不明、正に未知の感染症だ。国立感染症研究所は無責任だ。感染力が低いと言っても正体不明のウィルスがどう潜伏し拡散していくのかわからないじゃないか。そもそも生きた“ゾンビーウィルス”を採取できていないのだから」


 「皆、納得しなかった。そうしたら今度は、『村のブランド力は落ちたと言われているが、中古物件の値は下がっていない。夜叉を受け入れ、住人の懐の深いところをアピールすればイメージアップ間違いなしだ』と言い出した」

「そりゃ異論噴出だったよ。『不動産屋の論理を押し付けるな』とか、『夜叉に家の購入を勧めたのは田沼だからだろう』と言う者もいた。媚を売って家を売りつけた相手がとんだお荷物となって現われたということだ。田沼の過去の経営手法にメスが入ることはもうないだろうが、いよいよ中古物件の価格が下がれば、現経営陣も穏やかではいないだろう」

「次いで痛いところを突いてきたんだ。『夜叉がこの村に住めば、ファンが会いに来る。それ目当てのカフェや夜叉関連グッズ屋や時間潰しのアミューズメント系の店舗も出来るかもしれない』って。ともかくここの難点は店舗にバリエーションがない事だろう? 奥様の愚痴に晒されている亭主連中をいたく揺さぶったんだ。『夜叉の引き受けにはそれなりの物が動いた。これで村周辺に店舗を誘致できるのではないかな?』とね。百貨店は無理でも、ね。」


 「“それなりの物”を誰が村にくれたのですか?」瑞生は正直に質問した。

「…国、と言うか政治家だね。夜叉に東京以外に行ってほしかった連中だ」

「それでみんなが望むモノレールを作ればいいのじゃない?」

「瑞生君、残念だがそれでは小学生レベルだ。国から村に落とすと言ってもせいぜい億単位の金だ。だがここから…都内はずうずうしいとして、せめて政令指定都市の端っこまでモノレールを通すとして、数億では足りないだろう。原っぱの上を通るわけじゃないからね。だから貰った金で村周辺の土地を整備して、レストランやフィットネスジムの進出を促す、というところかな。ネット通販全盛の時代だけど、自宅以外での気晴らしが人気のようだから」

「田沼は得意げに『村を取り囲むセキュリティゲートシステムは国の推奨システムを国の金で敷設する。猫の子一匹許可なしには侵入できない優れものだ。村の出費ゼロで数日内に稼働する。私の交渉術をもっと賞賛してほしいものだ』と言っていた。あの手のシステムは国の実験の一環だから交渉などないはずだがね」


 宗太郎の話を聞いているうちに、何故今日に限ってこんなに話してくれるのかという疑問が解けた。話したかったのだ。居住地の自治会の話は、部下や取引先にはできない。地元の事情のわかる者でなくてはならないのだ。

 瑞生はちょうどいいタイミングで聞いたのかもしれない。伯母は合いの手すらいれないから。くだらないギャグをかましたり、芸能人の結婚の話をしたり弾む事など全くない会話。伯父は在宅ワーカーだから結婚後十数年日中もほぼ一緒に過ごしてきたわけだ…それじゃ、これからもずっとこうなのか? 勝手に推測しただけなのに瑞生は背筋に冷たいものを感じた。自分の両親の関係も異常だが、波風すら立たないのもどうなのだろう。


 村を開発したN不動産が、撤退した今でも中古住宅の販売を牛耳っており、村の自治にも深く関わっていることがわかった。

 ここも他の市町村同様、加速する高齢化問題に晒されている。従って、散歩途中で未成年者に出くわすことなどまずない。別にそうしたいと思っているわけではないが。瑞生は村にも伯父夫婦にもあの学校にも、馴染むことに気が引けて身の処し方を考えられないでいる。

 


 結局、新しい夜叉の映像はどこからも届かず、アーリーサンデーは終了した。

瑞生は部屋に戻って、頭の中を整理することにした。

 村に関して馴染むことに抵抗を感じるのは、両親の死によって自分が得をすることへの気後れが原因だ。今も両親が生きていたら、ようやくお父さんとの離婚を母が承諾して、父子二人だけの生活が始まり、今までよりはマシに、でも変わらず貧乏に過ごしているだろう。工場を追い出されてもお父さんは必ずなにがしかの仕事を見つけて瑞生を高校に行かせてくれる…はずだった。

 お父さんを失いたくはなかった。母に蝕まれ、母から逃れる事を目標にあらゆることに耐えて過ごしてきた。中学を卒業したら“子供の家”とはおさらばして人生が変わる、そう信じていた矢先にお父さんを失うとは夢にも思わなかった。お父さんの愛だけが確信できるものだったのに。

 

 



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