王女の出立の日
これはある世界の物語、七年に一度の夜に両国を遮る濃く深い霧、それが晴れ渡る夜。
『黒の国』と『白の国』の道がつながる日がある世界。
その夜は特別な一夜、人々は珍しき世界を見に、希な品物を求めて一夜限りの道を行く、そして、夜明け迄に帰る。楽しい特別な夜。
そんな夜に、白の国の者と黒の国の者が出会った。
二人は、意気投合をし魔力を持つ、黒の者が携えいた『蜜酒の壺』の酒を酌み交わす事になった。
美酒を飲み続けて行くうちに、白の者は無限に湧いて来る、その壺が欲しくてたまらなくなり、黒の者に頼み込んだ。
それに対して、黒の者は何かと引き換えにしなくては、手渡す事が出来ない。と話す。
白の者は、何が欲しいと聞いた。私がもってるもので良ければ、交換してください。と答える。
黒の者は、そうだな……君の花園で金の華が咲いたら、次の「晴れの夜』に渡してくれたらいいよ。
しかしその代わり『約束』をしなければならないけど、大丈夫か、と聞いてきた。
黒の国では、約束を破ると『呪い』がかかるのだよ。白の、大丈夫か?と重ねて聞く。
大丈夫、私は嘘偽りは無いから……と答える白の者。
なら安心だと、黒の者は壺に術をかけて手渡した。
こうして遥か昔に、約束が交わされた……
×××××
その姿は、清らかに咲く白い花。この日の為に誂えた婚礼衣装に身を包み、少女は今日この国を去る。
「あちらに行ったら全ては違います。生まれて育ったこの国の事など、忘れる様に」
母である女王は、嫁ぐ娘に、別れ際にそう言葉を送った。見送りはいたしません。ここでお別れです。と伝える。
笑顔を向けることなく、手を取ることもなく、抱き締めることもなく、今生の別れにも関わらず、その美しい瑠璃色の瞳を心に焼き付ける様に見ることもない。
淡々と、視察に出る家臣を送る時と変わらず、事務的に声を送る。
「ありがとうございました。母上、ごきげんよう」
受ける王女も、何処かよそよそしい、冷たい何かがこの親子を取り巻いていた。
彼女も能面の様な色のない表情で、臣下の礼を取り、母の顔を見ることもない、その声を胸に刻もうともしない。
城内に訪れた臣下の娘が、女王に挨拶をした、ただそれだけの様に、居るものは感じた、そしてそれは何時もの事だった。
なのて、居合わせる大臣、貴族の者達もめでたい日だというのに、その片鱗さえない、ブランカ王女の出立の儀式。
挨拶を終えると、王女はさらと裾をさばき、女王に背を向けると、広間に集う者達に対して、優雅に一礼をする。
そしてその時、今日を祝して鳴らされた、大聖堂の鐘の音が、城内にも届いた。
それは黄昏行く国中に、高らかに響き渡っている。
澄んだその鐘の音は、ある者達にとっては、祝福の音色、そしてある者達にとっては、挽歌の響きとして、受け取られている。
「では、ブランカ様、こちらに」
それを合図として、王女の手を取る、彼女の唯一のお側仕え『闇夜』その風貌は、まだ青年には少々早い年頃の彼。
白の石を敷き詰めた、謁見の間、その中央に赤い敷物が、玉座から入り口の扉まで直線に敷かれていた。
両側には、家臣を始め主要な貴族達が立礼をし、王女を見送る。
凛としたその姿は、高貴な純白の薔薇の花を彷彿とさせる。
生まれ育った城、それに仕える者達、一族の者達、そして母と兄、この時で今生の別れ、彼女が望まない限り、二度と帰る事も、会える事も出来ない。
……やっと、城を出られます、闇夜と。
ブランカは、闇夜に手を取られつつ、しずしずと開け放たれた入り口へと向かう。
晴れやかな笑みを浮かべ、未練も何もない姿で、彼女は歩んで行く。二度と戻らぬと心に決めて……
しかし、当然かもしれない。何故なら、
彼女の育った環境は『孤独』その二文字がぴったりと当てはまる、辛く過酷な年月だったのだ。
広い王宮で、従者の闇夜と二人、幼い時から過ごした冷たく寂しい日々、誰からも省みられない。
なのに、求められる事は厳しく、年端のいかぬ内から、王女として、常に完璧を求められ、その立ち居振舞いを、知識を、あらゆる事を学ぶ事のみに、生きていたと言っても良いこれまでの時。
むろん、全ては母である女王からの指示、親としての愛情等、何処にも感じられない無い中で、彼女は成長したのだった。