第7話 鼻歌は天使、歌声は怪物
前回のあらすじ……エレインのせいでアウステル市場の商店が潰されそうになりました。
「ここ、ここ。この前、帝都に買い物に来た時に、ケーキがおいしいカフェが新しくできたって聞いて一回来てみたかったんだよ。エレインは来たことある?」
「いや、来たことないな。私は、こんなおしゃれな店に来ることがほとんどないからな。この格好のせいで行きにくいのだ」
エレイン、いや、騎士は皆常時、所属騎士団の甲冑を身に着けなければならない。常在戦場の心づもりというわけだ。黄金騎士団の様々な装飾が施された荘厳な甲冑と言えども、確かにこういうお店には入りにくいのかもしれない。
「それなら良かった。この機会に是非、楽しんで」
俺は、『開店』と書かれた札がぶら下がっている『蝶の楽園』のドアを開く。
木製のドアが開くのに合わせて、ドア上部に取り付けられた鈴が心地よく店内に響いた。
「お先にどうぞ」
もちろん、レディーファーストは忘れない。帝国紳士として、いや、一人の男として当然のことだ。
「ありがと」
エレインが中に入った後に続いて俺も店内へと入る。
店内に入った瞬間、甘い香りと紅茶の芳醇な香りが鼻を通り抜けていく。
そして、店内を見渡せば、隅々までこだわって作りこまれていることが一目瞭然で分かる。
店内照明の魔導灯にも一つ一つ違う柄の蝶が繊細に描かれている。店の奥に置かれたグランドピアノが照明を反射させ、その存在を主張している。
これは、料理も評判通りの物が期待できそうだ。内装に凝っている店には、はずれはないと俺は知っているのだ。
「いらっしゃいませー。お客様は、二名様でよろしいでしょうか?」
俺たちの来店に気が付いたウェイトレスが輝かしい営業スマイルで声をかけてくる。
「二名です」
「申し訳ございませんが、ただいまのお時間、ボックス席が満席となってしまっております。カウンター席でしたらすぐにご案内できますが、よろしいですか?」
店内は、さすが人気店だけあって大勢の人で込み合っている。5つあるボックス席は完全に埋まっている。しばらく空きそうにない様子だ。
「エレイン。カウンター席でも大丈夫?」
「ジャックがいいなら、私はそれで問題ない」
本当ならボックス席で優雅にアフタヌーンティーと行きたいところだけども、ここは我慢するしかないようだ。
「カウンターで問題ないです」
「それではご案内いたします」
ウェイトレスに案内されるがままについていくと、案内されたのはカウンター席の一番はじっこの席だった。
「こちらです」
カウンターと言ってもこの席ならことのほかゆっくりとアフタヌーンティーをエレインと堪能することができそうだ。
ウェイトレスは、メニュー表を1セット、カウンターテーブルに置くと「お決まりになりましたらお呼びください」と残してバックヤードに消えて行く。
「エレインは、どれにする?」
「うーーーーん」
エレインは、メニュー表を射殺すほどにらみつけて迷っている。
その姿は、なんだか普通のスイーツ好きの女の子みたいだ。
「私ばっかり見ていてごめんね。ジャックは決めたの?」
「もう決めているよ。俺は、この『新春イチゴとベリージャムのバタフライケーキ』とアールグレイにしようと思っているよ」
俺は、壁に画びょうで留めてある張り紙を指した。
張り紙には『店主厳選‼ 農場から摘みたてを取り寄せた、今が旬のイチゴをふんだんに使った当店一押しのバタフライケーキ』とケーキの絵と共に描かれている。もはや、絵柄とうたい文句だけでも絶対においしいことが伝わってくる。
俺は、こういう初めてのお店に入ったときは、取り合えずお店のおすすめ商品を食べることにしているのだ。おすすめ商品を食べてこそお店の神髄に近づくことができるというものだ。
「私は、どうしよっかな? 確かにおすすめケーキも捨てがたいけど、この『トパーズレモンの贅沢バタフライケーキ』も食べてみたいな」
トパーズレモンは、帝国最大のレモン産地マニトンで採れるレモンの中でも限られた農場からしか採れない最上級のレモンに与えられる別名だ。皇帝陛下も御用達のレモンなのだ。
確かに俺もそのケーキを食べたい。
「それなら、俺のケーキ半分あげるから、エレインは、そっちのケーキを頼みなよ。その代わり俺にも一口食べさせて」
これなら、二人とも二種類のケーキを食べられる。我ながら、名案だと思う。
「なるほど、それはありだな。うん、そうしよう」
エレインの瞳がキラキラと輝きだす。
「すみません」
俺は、カウンターの中でティーカップを磨く白髪の良く似合う老齢の店員を呼び止め、二人分の注文を済ませる。
「ジャック、楽しみだな!」
隣のエレインはピックニックに行く前の子供のようにケーキが楽しみで仕方がないようだ。荘厳な甲冑に包まれた体から待ちきれないオーラがこれでもかというほど溢れ出している。
ここまで喜んでくれると、俺もうれしくなってくる。誘った甲斐があるというものだ。
エレインは、嬉しさのあまり鼻歌まで歌いだしている。
そして、その鼻歌が鼻歌なのにめちゃくちゃうまい。
というかうますぎる。
もはや、鼻歌だけで普通の人がオーケストラの伴奏で歌うよりも聞いていたくなる。
いつまでも聞いていたくなるようなきれいな澄んだ音と共にエレインの長いきれいな赤髪が顔が動くのに合わせてリズムを刻んでいる。
本当ならマナー違反なのにもはや止めるのをはばかるレベルだ。
「それ何の歌?」
鼻歌がひと段落したところで俺は聞かずにはいられなかった。
今まで一度も聞いたことのないメロディーだ。
「えっ! 今の聞こえてたの!? 止めてよ!」
「止めるべきかと思ったけど、うますぎて……迷惑というよりもみんな聞き入っていたよ」
店の中にいる客だけでなく店員までもが手を止めて聞き入っていたのだ。これを止めたら、俺が血祭りにあげられかねない。
「いやそんなことないから! 曲も今、頭の中に浮かんだメロディーだもの」
エレインは、謙遜のつもりでさらっとすごいことを言っている。
いや、いや、ちょっと待て。なんで、騎士をしているんだ? いや騎士もすごいけれども、その才能があったら戦場で命のやり取りする必要なくない!?
「それ逆にすごいよ! もう騎士辞めたら?」
「それ、騎士団長にも昔言われたことあるんだけど、声に出して歌ったら「今のは忘れてくれ」って言われてしまった」
「なんで!? それは、気になる。ちょっと歌ってみてよ」
俺は、店員に歌っても問題ないか聞いてみる。そして歌う許可は、ものすごくあっさりおりた。
あそこまでうまい鼻歌ができれば、歌もうまいに違いない。うまい歌は迷惑行為ではなくなるのだ。
「いや、恥ずかしいから」
「そこを、お願い。ちょっとだけでいいから」
「でも……」
「もうみんな聞く体制になってるから。だよな?」
俺が声をかければ店内にいる人は全員「うんうん」とうなずき返してくる。
「分かったわ。それなら一曲だけ」
エレインが大きく息を吸う。そして一呼吸おいて女神の歌声が聞こえると皆確信していた。
そう、確信していた。
しかし、実際に聞こえてきたのは、本当に同一人物の喉から出て来ているのか疑いたくなくなるものだった。
例えるなら、昼間はかわいい声で笑っていた赤ちゃんが夜中に大泣きして眠れない夜を過ごさせられるぐらいの変貌だ。
「……エレイン、ありがと。もう、大丈夫だよ」
「えっ! もういいの?」
「うん。騎士団長様が言っていたことの意味が分かったよ。俺も同じこと思った」
エレインは、歌手にはなれない。いや、歌手にしてはいけない。
「お客様お待たせしました」
タイミングを見計らったかのようにウェイトレスがケーキと紅茶を運んできてくれる。
「おいしそーー!」
運ばれてきたケーキは、絵で見るよりも数倍おいしそうに見える。エレインが声を上げてしまうのも無理もない。
「それじゃ、主に祈りを捧げていただこうか」
俺とエレインは、しっかりとか神への感謝の祈りを捧げてから、フォークをケーキに突き刺した。
俺は、バタフライケーキの象徴である、蝶の羽のように盛りつけられたスポンジ生地を口に運ぶ。
「んんーーーん!?」
声にならない声が反射的に俺の喉から絞り出された。
絶妙な柔らかさでふんわりしっとり焼かれたスポンジ生地に、生クリームと多種多様なベリー類のジャムが絡み合い、口に入れた瞬間、砂糖の甘い香りとベリーの酸味が口いっぱいに広がっていく。
同じく蝶の羽のように切られたイチゴも一口、口に運ぶ。これも絶品だ。さすが店主が厳選しているイチゴだけはある。ただ甘いだけでなく、ケーキの甘さと喧嘩しないようにしっかりとした酸味が効いている。これがケーキの甘さを引き立たせる役割をうまく担っている。
まさに至福のひと時だ。
「んんーーーーん!?」
隣からも同じように声にならない声が聞こえてくる。
エレインの顔にも『幸せ』の文字が見て取れる。
俺は、フォークを机に戻し、代わりに紅茶の入った食器を手に取る。
紅茶の楽しみ方は、飲むだけではない。まずは、色と香りを目と鼻で楽しむのが常識だ。
ティーカップに注がれているアールグレイは、濃いオレンジのいい色に染まっている。香りもホットであるのにきつすぎずいい塩梅に調節されている。茶葉と香料をホット用にしっかりと調整しているあかしだ。
俺は、口にあっつあつのアールグレイをゆっくりと含む。
ケーキを食べるときは、紅茶に余計なものを入れないようにするのが帝国人の一般的な飲み方だ。
鼻から抜ける爽やかなベルガモットの香りがしっかりとありながら、後に残らないように工夫して淹れられている。
これは、どこをとっても文句のつけようのない仕上がりだ。
この店のマスターの実直さが伝わってくる逸品だ。
「エレイン。はい、半分」
エレインに約束通り、ケーキを半分差し出す。
「……」
しかし、エレインからの反応がない。
「おーい。エレイーン」
反応がない、ただの屍かもしれない。
俺は、思い切ってエレインの柔らかいほっぺを人差し指でツンツンしてみる。
多分、ケーキがおいしすぎて昇天してしまっているのだろう。わからなくもない。
「ヒャッ! 何!?」
さすが、常在戦場の心構えの騎士様である。咄嗟に腰に帯びている剣を抜刀しようとしている。
もしも、敵だったらそのまま切り殺されていたかもしれない。
「ちょっ、ちょっと、俺、俺、ジャックだから」
次は反応がない時でもツンツンするのはやめよう。死ぬかもしれない。
これは、背後に立っても切り殺される感じのやつだろう。背後に立つのもついでにやめておこう。
「何よ、ジャック。びっくりするじゃない」
死ぬかと思うほど、びっくりしたのはこっちの方だ。
というか、エレインと一緒にいると結構、死にそうになることがあるのは、気のせいだろうか?
「いや、半分あげようかと思って」
「それなら、そう言ってくれればいいのに」
言いました。間違いなく言いました。
「それにしても、本当においしい。毎日でも飽きなさそう」
「それは、激しく同意だね。でも、毎日食べてたら太ってしまいそうだよ」
いくら小さなバタフライケーキとはいえ、ケーキを毎日食べたらおなかの周りに肉がついてしまう。
「しっかり運動すれば、問題ない。私、ここのメニューを食べ終わるまで毎日通うことに決めた」
全部で15種類も種類があるから2週間は必ず通うことになる。
「次あったときにどれがおいしかったか教えて」
「もちろん。こっちもおいしい」
俺が差し出した、バタフライケーキもエレインは、パクパクと食べていく。
「はい。これ、お返し」
エレインも約束通り、一切れフォークで切り取ると『トパーズレモンの贅沢バタフライケーキ』を分けてくれる。
「それじゃ、さっそく」
蜂蜜漬けにされたトパーズレモンは、本物の宝石と比べても遜色ないほど、つやつやと光り輝いている。
スポンジにたっぷりと生クリームと蜂蜜に付け込まれたトパーズレモンを付けて口に運ぶ。
「うまっ!」
レモン果汁が練り込まれたスポンジ生地は、マニトンの豊かな香りを口いっぱいに広げてくれる。
さらに蜂蜜漬けにされたトパーズレモンの皮は程よい苦みと酸味、蜂蜜の濃厚な甘みが綺麗な三重奏を奏でている。
こっちも文句なしだ。
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