第3話 感謝、感激、感無量
前回のあらすじ……ジャックの「ジェーンにさせてはいけない危険作業リスト」に「食器洗い」が加わりました。
仕事場とは、鍛冶場のことだ。
俺の師匠、ガウェイン・エムリスは帝国でも5本の指に入るほどの凄腕の刀鍛冶だ。しかも、師匠が作るのは魔導石を埋め込んだ魔導刀だ。
魔導石とは、体内の魔力を増幅させ、魔導石が持つ属性に応じた魔導を発現させる希少鉱石だ。
私生活については、もはや一人で生きていけないほどにダメダメだが、刀鍛冶の腕は本物なのだ。
今回、帝都に行く目的も注文を受けた剣の引き渡しのためだ。
「お呼びですか、師匠?」
鍛冶場は、女人禁制。そのためジェーンが入ることはできない。
「ああ、そこの木箱を馬車に積んどいてくれ。中身は精密だから丁寧に運ぶんだぞ!」
師匠が指差す方向に目を向けるといくつかの木箱が丁寧に置いてあった。
「分かりました。他は大丈夫ですか?」
「他は大丈夫だ。馬車で待っていてくれ」
俺は、師匠に言われた木箱を数回往復して、鍛冶場の奥に備え付けられている、裏口から運び出していく。朝のうちに裏手の木に縛り付けておいた馬車に積み込んでいく。
何が入っているかは知らないが、異様に重い。マジで重い。本当に何が入っているんだろう? 木箱に入れるような注文を受けた記憶はないんだが……?
俺は、全ての木箱を積み終えると、馬車を家の表に動かす。あとは、師匠の支度が終わるのを馬車で待つだけだ。
その間にジェーンと師匠が起きる前に積んでおいたお出掛け用具に忘れ物がないかをしっかりと確認する。
通門許可証、財布、商品、弁当、水、着替え、護身用の剣。
これだけあれば問題ないだろう。
「よし、行くぞ!」
外出用の格好に着替えた師匠が俺の隣に乗り込んでくる。
「はい」
ジェーンも見送りのために玄関先まで出て来てくれている。
「それじゃあ、行ってきます」
「待ってお兄ちゃん!」
ジェーンの手には、何かが握られている。
「これ。お師匠様とお兄ちゃんのために作ったから。好みに合うといいんだけど‥…」
ジェーンのしなやかな白い腕から手渡されたのは、毛糸のベストだ。師匠も俺とは色違いの毛糸で作られたベストを受け取っている。
俺のが赤色、師匠のが白色だ。
前回、帝都に行ったときにジェーンに2色の毛糸を買ってきてほしいと頼まれたのは、これのためだったようだ。
「ありがとう! とっても嬉しいよ! これから大切に使わせてもらうよ」
「この出来なら、売り物にしてもいいぐらいだのぅ」
師匠もすっかり感心する出来のようだ。
「そんなことないですよ」
ジェーンは、謙遜しているが実際に素晴らしいベストだ。
前側には、ケーブル編みで二本の線が引かれている、とても素人が作ったとは思えないような出来だ。しかし
「売り物にはできませんね」
「なんでじゃ!? 素晴らしい出来なのに!」
「お兄ちゃん、もしかして気に入らなかったの?」
こんな素晴らしい出来の物を気に入らないわけがない。まぁ、たとえ出来が悪くてもジェーンの作ってくれた物なら、俺が気に入らないわけがないのだが……。
それとは別に売り物にできない決定的な理由がある。
「違うよ、ジェーン。本当にいい出来だと思うけど、売り物にしようと思ったらジェーンの体に負担がかかるだろう」
手工芸品。特に編み物は、一つ作るのにも膨大な時間がかかると聞く。
このベスト、2着作るだけでも、相当な時間がかかっているはずだ。商品となれば、それなりの数を仕上げなければならくなるのだ。
そんなこと兄として、断じて見過ごせない。
ジェーンの体にもしものことがあったら、その注文をした人物を、思いつく限りの残虐で、最大限の苦痛を味わう方法で殺してしまうかもしれない。とりあえず、生きたまま四肢を引きちぎることは間違いないだろう。
「本当にお前は、過保護じゃな」
「違います! 兄として当然の責務です」
兄が妹を想う。当然のことだ。
「本当です! ジェーンをもう子ども扱いしないように、お師匠様からも言っておいてください!」
「だそうだ、ジャック」
「知っています」
確かに子供と言うには、微妙なところかもしれない。16歳と言えば、既に働きに出ていてもおかしくない年齢だ。実際に税金も大人分の料金がかかっている。
しかし、妹であることに変わりはない。
俺にとっては、唯一の妹なのだ。兄が妹の心配をして何が悪い。ジェーンこそ俺が生きる理由なのだ。
「子ども扱いではなく、妹扱いしているだけです」
「だそうだ、ジェーン」
「これだから、お兄ちゃんは……」
ジェーンは、怒っている風をしながらも、少し嬉しそうな表情をしている。
俺は、さっそくジェーンの作ってくれたベストを着てみる。
……最高だ!
サイズ感まで完璧に合っている。デザインだけでなくサイズまでプロ級とは、さすがジェーンと言ったところだ。
お世辞抜きに世界で最も素晴らしべストだ。
なんだか、着るのが勿体ない気がしてきた。
額縁に入れて飾っておくべきだろうか? それとも、このベストを見せびらかすために着たほうがいいのだろうか?
俺が真剣に悩んでいる間に師匠は、ジェーンから、さらに何か受け取っている。
「何を受け取ったんですか?」
「ラブレター」
………………は!?
俺の頭が師匠の言葉の意味を理解することを拒絶している。
「お兄ちゃん、違うよ! 毎日の感謝の気持ちを込めたお手紙だよ。お師匠様も変なこと言わないでください!」
「なんだ、感謝の手紙か。ジェーンがこんな生活力皆無コミュ力ゼロ老いぼれ耄碌ジジイを好きになるわけないよね」
「当たり前のこと言わないでよ、お兄ちゃん。私が一番好きなのは、お兄ちゃんだよ。お師匠様は、森の小鳥たちの次の次に好きだから18番目だよ」
師匠が「二人とも、今、しれっと儂のことディスったよね!」とわめいているのをスルーしてジェーンは、俺にも同じように手紙をくれる。
「突然どうしたの?」
今までジェーンからプレゼントは、何回ももらっているが、手紙は初めてだ。なんだか今生の別れみたいだ。
「お兄ちゃんとお師匠様にはお世話になってるなっと思って、特に理由はないよ」
「そっか」
俺は、さっそくジェーンからの手紙を開封しようとする。
「開けないで、お兄ちゃん! 恥ずかしいから、後で読んで」
確かに自分の手紙を目の前で読まれるのは、気恥ずかしいかもしれない。
「分かった。旅のお供に読ませてもらうよ」
俺は、ジェーンの手紙をベストと共に馬車の荷台に丁寧にしまう。
「それじゃあ、そろそろ出発するから、師匠も忘れものとかないですよね?」
「ああ、大丈夫じゃ。何か忘れてたら、帝都で買うから問題ないじゃろ」
「帝都で買うことにならないようにきちんと確認してください」
俺は、今までも何度か帝都で師匠の忘れ物を買う羽目になっている。今までで一番最悪なのは納品する商品を忘れた時だ。あの時は、一度ここまで俺が戻りに向かったのだ。
「分かった、分かった。確認します!」
師匠は、身の回りと荷台の中身を、渋々と確認する。
「今度こそ、大丈夫じゃ!」
数秒で確認を終えた師匠が自信満々に胸を張る。
俺は、一抹の不安を覚えながらも、時間もないので出発することにする。
「行ってきます。ジェーン」
「お兄ちゃんもお師匠様も気を付けてね」
「もちろん」
ジェーンは、天使の笑顔で俺たちを見送ってくれる。
俺は手に持つ鞭で、つながれた馬を叩いた。馬は「ヒヒィィィイン」と鳴いて荷車をゆっくり帝都に向け動かし始めた。
横に座った師匠は、もう既に大きないびきをかきながら、夢の世界へと旅立ったようだ。
いや、まだ10秒もたっていませんよ!?
馬車に揺られること一時間。全く代わり映えのしない景色が続いている。
見えるのは、青い空と白い雲、見渡す限り広がる何もなっていない葡萄畑、どこまでも続く舗装された砂利道だけだ。あとは、ここら辺の葡萄畑を管理している農民の住む辺境の村が遠くに見えただけだ。
「……暇だ」
本来なら暇を紛らわせることのできるたわいもない会話も現状不可能だ。なぜなら唯一の同行者の師匠は、いまだ夢の世界から帰還せずだ。
俺は、腰のポーチに左手を突っ込むと最高の旅のお供・自家製干し肉を取り出した。
森で狩ってきた鹿の、筋が多くて美味しくない部分を俺が手間隙かけて冬の期間中に作り上げた自慢の一品だ。師匠も毎日の晩酌でつまみとして食べている。
「うまし!」
噛めば噛むほど溢れだす旨味とほどよく効いた塩が絶妙な二重奏を奏でている。本来の鹿肉は、獣肉らしい臭いがあるが丹念に燻製にしただけあって獣の臭みはほとんどなく、代わりにブナの優しい香りが漂ってくる。
俺はさらに荷台からジェーンの手紙を取り出す。
『お兄ちゃんへ』と書かれた封筒を慎重に開封する。
ジェーンにもらったものは今まで一つ残らず傷一つ付けずに厳重に保管している。もちろんこの封筒も宝物の仲間入りだ。
封筒の中には丁寧な文字で綴られた可愛らしい便箋が一つだけ入っている。
『 お兄ちゃんへ
まず、最初に書かせてください。お兄ちゃん、いつもありがとう。
毎日、おいしいご飯をありがとう。お薬を買ってきてくれてありがとう。いつも我が儘を聞いてくれてありがとう。命を助けてくれてありがとう。それから、それから……まだまだ、こんなぐらいでは、足りないぐらい感謝しかないです。
お兄ちゃんがいなければ、私はこんなに大きくなるまで生きていることはできなかったはずです。お父さんが戦争に行ったまま帰ってこなくなった時。お母さんが戦禍に巻き込まれて死んでしまった時。路地裏で生活していた時。そして、今。私はお兄ちゃんに頼りきりです。
何か恩返しがしたいと思ってベストを作ってみました。どうですか? 気に入ってもらえたのかな?
お兄ちゃんのことだから笑顔で受け取ってくれていると思うけど、気に入らないならちゃんと言ってね。作り直します。
こんなことで、お兄ちゃんにしてもらったことの100万分の1も返せていないかもしれないけど、早く病気を治して元気になったら、今度は私がお兄ちゃんのために頑張ります。
お兄ちゃん、大好き。
ジェーンより 』
俺は、読み終わると丁寧に封筒の中にしまう。今までジェーンからもらったプレゼントの中でもこの手紙は一番の宝物に間違いない。
でも、違うよ、ジェーン。間違っているよ、ジェーン。俺は、ジェーンに感謝されるようなことは何一つできていない。ジェーンの病気を治すこともできていない。それ以前に俺一人だけじゃジェーンを助けることもできなかったはずだ。
本当に情けないお兄ちゃんだ。
もっともっとジェーンが暮らしやすくなるように、俺は俺に出来る最大限の努力を惜しまない。世界中を敵に回したとしてもジェーンが健やかに生きていける世界を守り続けて見せる。
俺は母さんが死んだ日に誓った決意を今一度確認すると、相変わらず変わり映えのしない風景に視線を戻した。
帝都まであと少しだ。
お読みくださりありがとうございます!
ジャックの思考回路って妹に極振りしすぎですね!
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