第26話 真実は森の中に
前回のあらすじ……バイトも終わってジェーンと毎日過ごせる夢の日々が始まりました。
久しぶりにジェーンと師匠と共に食べる夕食も終え、洗い物も素早く済ませる。
洗濯に明日の朝食の準備も終わらせれば、既に夜空には星が瞬いている。今日は、月が出ていないから、一段と星の輝きがきれいだ。
「あとは、冬支度もしておかないと」
既に、何度かこの辺りでは、雪も積もっている。今も除雪をしていない森の中は、雪が積もったままだ。
これから本格的に始まる冬に備えて、辺境の地であるここでは相応の準備が必要だ。
いつもであれば、とっくに終わっているが今年はバイトのせいでその準備が遅れてしまっている。
「干し肉は、霜が降りないように室内に移動させて……」
動物がいなくなる冬には、干し肉が唯一の動物性たんぱく質だ。これがカビてしまうと、町で高い肉を買うか、深い雪の中で冬眠する動物を探さなくてはならない。
「……ってここ穴あいてるじゃん。明日は、ここを補修しないとな」
干し肉をかけていた壁の一部に小さな穴が空いている。
こういう小さな穴から冷たい空気が入ってきて部屋の中を冷たくしていくのだ。
明日は、一度しっかりと家の周りを調べておこうと心のメモに付け足しておく。
「とりあえずは、こんなものかな」
朝から干していた干し草を納屋の下に入れれば、夜中のうちにできる冬支度はおしまいだ。あとは、陽が昇ってから今からでも間に合う保存用の木の実や薬草を探しに行けばいいだろう。
「戸締りも確認したし、行ってくるかな」
俺は、納屋の干し草の下に隠されていた大きめの革袋を取り出す。
今日はこの後、森の中で会う約束があるのだ。
こんな、遅くに森に入るなど師匠に怒られてしまいそうだが、爆睡していることは確認済みだ。ホットワインをしこたま飲ませたから朝までは起きないはずだ。
俺は、慣れ親しんだ森の中に足を踏み入れる。日中はもちろん、夜中にもこうして何度も足を踏み入れている。
「……えっと、この杉の木を右に曲がって、次に見えてくるカラ松を左に見て……」
道に迷わないように目印となる木の根元には、小さな傷をつけてある。積もった雪にぎりぎり隠れないように付けられた傷は、しゃがんで注意深く見なければ分からない目印だ。
「……あとは、このクスの木から北にまっすぐ行けば……」
「会いに行けるのか、ジャック君」
「っっ!」
唐突に背後から声をかけられる。
「脅かさないでくださいよ、騎士団長」
振り返れば、ここ数カ月、毎日顔を合わせた人物が立っている。
「すまない。脅かすつもりはなかったんだが」
「どうしたんですか、こんな夜中に? 師匠ならもう寝ていますよ」
「今日は、ガウェイン師匠に用があったのではない。ジャック君、君に用があったんだ」
騎士団長が、少しずつ俺に近づいてくる。
その格好は、胸甲板に前当て、草摺、肩甲、肘当て、籠手、腿当て、脛当て、鉄靴と完全武装だ。師匠製のバスターブレードもしっかりと背中に掛けられている。身に着けていないのは、兜だけだ。
いくら常在戦場の心づもりの騎士でも、あまりにも重装備すぎる。
「すみませんが、これから会う約束があるんですよ。明日でも問題ないですか?」
騎士団長とここで長話している時間はない。先方と会える時間は限られているのだ。
「いや、今日がいいな。心配しなくても、私もジャック君が会いに行く人物に用があるんだ。問題ない」
「先方は、騎士団長に用はないと思いますよ」
完全に騎士団長は、俺の隠し事に気が付いているのかもしれない。
「そんなこと言うなよ。ジャック君が間を取り持ってくれればいいだろ」
「断ったらどうなるんですか?」
「……力ずくでも聞いてもらうだけさ」
騎士団長が剣の柄を握る。その動作と共に騎士団長の圧倒的な殺気が俺に向かって放たれる。
「そうですか。俺もできれば穏便に済ませたいと思っていたんですが……」
騎士団長には、これからもいい顧客として末永い付き合いにしていきたいと思っていたのに。
俺は、左肩にかけるように持っていた革袋を丁寧に雪の積もった地面に下ろす。グチャリと言う音が闇夜の森の中に生まれる。
「随分と余裕だな。私に勝てる自信が?」
「そんなものありませんよ」
師匠の最高傑作のバスターブレードが騎士団長の背中から抜き放たれる。反射する光もないのに白く発光する様は、まさに聖剣だ。
「安心したまえ。命までは奪うつもりはない。聞かなければならないことがまだあるからな」
「ご配慮ありがとうございます」
俺は恭しくお辞儀をすると、グネヴィア卿と同じように何もない空間から漆黒のロングソードを取り出す。騎士団長の握る剣とは真逆で全ての光を飲み込んでいる異質な黒色の剣だ。
ロングソードを握った瞬間、俺の体に異形の魔力が満ちていくのが感じられる。
「……やはりか」
騎士団長の体にわずかに力が込められるのが分かる。
「いつから気が付いていたのですか? 俺のしていることを」
「違和感は君を雇った時から感じていた。ただ呆然とした何かの違和感だ。その違和感が確信を得たのはつい最近だ」
「そんなに昔からですか。差し支えなければ理由を教えてもらっても」
騎士の仕事を完璧にこなす好青年を演じられていると思っていたのだが、どこが悪かったのだろうか? しがない刀鍛冶見習いとしての生活で反映させる余地があるはずだ。
「あまりにも完璧だったんだよ、君は。事件の内容を瞬時に覚え、残虐な事件現場にも身じろぎもせずに入り、帝国臣民のことを一番に考える。合理的で理想的な騎士。だからこその違和感だ。平凡な青年がいきなりできる範疇を越えている」
なるほど。確かにその通りだ。これからは、意図的な失敗も検討にしていこう。
「それだけならまだ、ただの違和感だと思うだけだったが、本当に確信を持ったのは、先日のグネヴィアとの戦闘と今日出た残留魔力検知器の検査結果だ」
「残留魔力検知器の検査結果?」
グネヴィア卿との戦闘時に悪魔を追い返したのは、やっぱり失敗したかもしれない。デメリットの見積もりを小さく見すぎていたようだ。
しかし、残留魔力検知器の存在を知った時から魔導を使ったことはない。殺人をする時もその捜査をする時もだ。
「覚えていないか? 君が最初に捜査に加わった捜査の時に残留魔力を検知していただろう」
確かにあの時、残留魔力を調べていたが、失敗に終わったはずだ。検知器が白い煙を上げているのを俺も確認している。
「実は、検知したデータは残っていたのだ。それを解析した結果、ジャック君。君の名前が出たんだよ」
「それは、気が付きませんでした。検知データが壊れていることも確認するべきでした」
これは、大きなミスだ。やってはいけない失敗をしてしまったようだ。しっかりと確認しておけば、騎士団長は俺のしていることに確信を持てなかったかもしれない。
「それでは、そろそろ私からの質問にも答えてもらおうか」
「いやです」
俺は、断固たる拒否を示す。一切の妥協はない。
「少しぐらいいいだろ?」
「そこにメリットを感じません」
俺の行動原理は、ジェーンのことを除けば利益があるかないか。きわめて合理的に行動する。今の騎士団長の質問に答えることに、俺の利益はほとんどない。
「……そうか。それならば……」
騎士団長が言葉の途中で、残像を生み出すかのような速度で肉薄してくる。
俺は、優雅にそして軽やかに首に巻いた純白のマフラーを翻して左へ飛び退く。その直後、俺のいた場所が積もった雪が吹き飛び陥没した。
騎士団長が振り下ろした剣が地面をえぐり取ったのだ。あまりの破壊力によって発生した衝撃波が周囲の木々を激しく鳴らす。
「今のをよけるのか! 完全に意表を突いた攻撃だったはずだ!」
驚きに目を見開いた騎士団長が、自らが作り出したクレータの中心で目を見開く。
平凡な騎士ぐらいであれば今の一撃を回避することもできなかっただろう。
「このぐらいでは今の俺には触れることすらできません」
俺は、鎧の継ぎ目を狙うように漆黒の剣を突き出す。
騎士団長は即座に反応すると、ほんの少しだけ体を動かす。たったそれだけの動作で俺の剣戟は、黄金の鎧が織り成す曲線にいなされてしまう。
「侵食する闇」
俺は、次なる1手を瞬時に放つ。
漆黒の剣を起点とした闇が周囲を飲み込み、触れたところを腐食させながら、騎士団長に向けて猛進していく。
『侵食する闇』は本来、使用者の触れている物体から1メル程度を腐食させる程度の中位魔導だ。しかし、人間ではあり得ないような魔力を手にしている俺が使えば、圧倒的な効果範囲を実現する。
「くっっ!」
騎士団長は想定外に広がっていく闇から逃れるように大きく後方に回避する。俺は、好機とばかりに騎士団長との間合いを一気に詰める。
詰めていく勢いそのままに無造作に上段から剣を振り抜く。
軽身で技術のない俺が騎士団長の重厚な防御を突破するには、不意をつくか、全体重を乗せた攻撃をするしかない。
しかし、俺の全身全霊の一撃を、騎士団長はバスターブレードを合わせることで難なく受け止めてみせる。
そこまで折り込み済みだった俺は、そのまま剣が交わるところを支点にして、空中で体を前転させるように騎士団長の脳天にめがけて踵落としを放つ。
「迎海神の大波壁!」
新たに生み出された魔導の多重障壁によって渾身の踵落としは防がれてしまう。
しかし、これだけでは俺の攻撃は終わらない。
「見えざる重圧」
騎士団長の展開する多重障壁がミシミシと音をたて始める。そして、最縁部がガラスの砕けるような音をたてると、あっけなく粉々に砕け散る。強大な魔力を背景とした俺の魔導は、通常よりも高威力なのだ。
残りの障壁も砕き切った踵落としが、一歩後ろにのけぞった騎士団長の鼻先を掠めるように通過していく。
「さようなら」
完璧な着地をした俺は、体勢の崩れた騎士団長に不可避の刺突を浴びせる。避けることなど物理的に不可能だ。
これで、未来の顧客が一人消滅していしまうが、平穏な生活のためには仕方のない犠牲だと割りきるしかない。
「暴風っ!」
騎士団長は俺の不可避の攻撃を、自らを吹き飛ばす様に発動させた風の低位魔導で無理矢理回避する。
俺は、右足を軽く踏み込むと吹き飛ばされ地面を転がる騎士団長に容赦なく追撃を加えていく。
しかし、俺の攻撃を騎士団長は右に左に転がり、時に剣でいなし、致命的な一撃を受けてはくれない。
それどころか、回避と同時に突き出された俺の右腕をつかみ取るという離れ業をやってのける。俺は、掴まれた腕を振りほどこうとするが、うまく力を入れることができない。
唐突にザクッという肉と骨が断ち切られる音が俺の体を駆け巡り、体が熱くなる。
それと同時にいきなり俺の腕をつかむ騎士団長の力が緩まる。
俺は直感に従って、騎士団長から距離をとるべく後ろにステップを踏む。
間違いなく、今、俺は騎士団長に攻撃された。圧倒的に優位な状況にあったのにもかかわらず俺の方が攻撃されたのだ。
俺は、右腕の損傷を確認するべく、左手で右手を触る。しかし、右手がある場所に左手を動かしたにもかかわらず、右腕を触った感触が伝わってこない。代わりに生暖かい液体が皮膚に触れる。
右腕に視線を向けると、そこには右腕ではなく、噴水のように噴き出す深紅の鮮血があった。
お読みいただきありがとうございます!
……ジャック闇落ち




