第25話 バイトの終わり。ワクワクの日々
前回のあらすじ……ジャックは、新しいお菓子を食べた。
「帰ったよ」
我が家の扉をくぐった俺が真っ先に向かったのは、もちろんジェーンの部屋だ。師匠が鉄を叩く音が聞こえるが、そんなのを見に行くのはジェーンの顔を見た後だ。
「おかえりなさい、お兄ちゃん」
「ただいま」
カーテンの隙間からこぼれた夕日にジェーンの白銀の髪の毛がオレンジに染められ、神話を描いた絵画を見ているみたいだ。
「今日は、早いね!」
ここ最近は、忙しくて日が完全に沈んでからしか帰れていなかったのだ。ジェーンの寝顔しか見られず、ジェーンと話せないことから起こる禁断症状で死ぬかもしれないと不安でしかたがなかったが、今日からはそんな不安とはおさらばだ。
「今日でバイトが終わったんだ。明日からは、ジェーンのすぐそばにずっといられるよ」
皇帝陛下に提出する書類の製作も終了し、今日、俺はお役御免となったのだ。もちろん前払いの400ユニオンを除いた給料とモーガン侍医長の診察という報酬をもらって。
「本当!? うれしい!」
ジェーンがベットから体を半分起こして俺に抱きついてくる。遅れて銀木犀の香りが俺の体を包み込む。
幸せだ。ああ幸せだ。
「俺もうれしいよ。それとこれジェーンにお土産」
俺は、小さな紙袋を手渡す。お昼に買いに行った『マカロン・ムー』だ。既に二重の毒見は済ませてある。
「かわいい! お兄ちゃん、ありがとう」
袋を開けたジェーンがキラキラとした笑顔をお返しにくれる。これだから、ジェーンにプレゼントを贈るのはやめられない。帝都で俺がスイーツを漁っているのはこのためだ。
「でも、もうすぐ晩御飯だから食べるのはその後だよ」
「うん! でも、バイト終わっちゃったら、もうエレインさんは来てくれないの?」
エレインはこの8カ月で何度かこの家に来ている。もちろんジェーンにも会っている。この家に来てからほとんど出ていないジェーンにとって、初めての女性の知り合いなのだ。
「また、騎士団の活躍を聞かせてほしいな」
ベッド脇に座ったエレインが聞かせる戦場の英雄譚を、ジェーンはとても熱心に聞いていた。本で読むよりも実際に見てきた人間に聞いた方がより深く知ることができるからだろう。
「そんなことないよ。もう少し仕事が落ち着いたらまた来てくれるよ」
「良かった。これお礼にエレインさんに作ったの」
ジェーンは、ベット脇に置かれた箱の中から赤銅色の毛糸のマフラーを取り出す。レース編みで緻密に編み込まれたマフラーはおしゃれでありながら暖かそうだ。
「エレインさんの格好は、首元が寒そうだったから。喜んでくれるかな?」
ジェーンは心配そうに首をかしげる。
「絶対に喜んでくれるよ。だってジェーンからだもの」
世界で一番かわいいジェーンからの心のこもった贈り物をもらって嬉しくない人間など、例え女であろうといるわけがない。エレインだって泣いて喜ぶこと間違いないだろう。
「お兄ちゃんとお師匠様以外に何かを贈るの初めてだから心配だったけど、お兄ちゃんのおかげで自信がわいてきた」
「どういたしまして」
「それと……」
ジェーンは、もう一度はこの中に手を入れると純白のマフラーを取り出す。
「これは、お兄ちゃんに」
純白のマフラーは赤銅色のマフラーとは違う編み方がされている。方眼編みと呼ばれる編み方だ。寒さの厳しいこの地ではしっかりとした方眼編みの方がいいという判断だろう。これなら冷たい風も完璧にシャットアウトすること間違いなしだ。
「ありがとう。大切に使うね」
受け取ったマフラーは想像よりもはるかに軽い。触り心地から察するに、時々ここを訪れる行商人から買ったアリパカの毛を紡いだ毛糸でできているみたいだ。
俺は、さっそく首に巻き付ける。2メルはあるだろうマフラーは、首周りに2回と半分巻き付けても余裕のあるサイズだ。
さすがに暖炉の温かさのある部屋の中でつけると熱い。しかし、裏を返せば寒空の下で使った時には頼もしい保温効果があるのだろう。
「それとね。今日はね、お師匠様に、これを作ってもらったの」
エレインが嬉しそうに右手を掲げる。その細い手首には、夕日に当てられて光り輝くブレスレットがはめられている。
「守護天使様の祈りが込められたモリア銀で作ってくれたんだよ。これに心の底から願えば一度だけ奇跡が起きるかもしれないんだって」
精巧な模様が刻み込まれ、聖遺文字が短く彫られている。俺は、聖遺文字を読むことはできないが、どうせ守護天使の尊さが書かれているのだろう。
もしも、神の奇跡があるのならばこんなにも敬虔な神の信徒であるジェーンが苦しんでいること自体がおかしい。
「大事にしなよ」
ただ、稀代の刀鍛冶である師匠が原型を作り、どこぞの大神官様が祈りを込めたであろう、希少金属のブレスレットとあれば、俺や師匠に何かがあったときに、ジェーンがある程度生きるために必要な金額にはなるだろう。大事に身に着けておいて損はない。
「うん。なんだかこれを付けていると、本に出てくる冒険者になったみたい」
ジェーンが嬉しそうにブレスレットを優しくなでる。
俺も冒険者には何度も会っているが、こんな神々しい装備を身に着けているのを見たことはない。もっと、実用的な装備で身を包んでいる。
ただし、危険なモンスターや盗賊を討伐する冒険者は、教会で神の守護を授かるのが一般的らしい。神の守護と言っても実際は、光の守護魔導を神官に授けてもらっているだけだ。
本に出てくるような伝説的な冒険者は、神に祝福された装備に身を包んでいるというから、ジェーンのブレスレットも伝説の冒険者の装備品と同じようなものだ。
「確かにそうだね。ジェーンも冒険者になりたいの?」
「ううん。わたしが冒険者になったら仲間に迷惑かけちゃうよ。……こんな体だもん」
ジェーンはくったいなく笑うが、俺ジェーンの顔がほんの一瞬だけ曇ったのを見逃さない。
「帝国最高のお医者様がジェーンのために来てくれるようにお兄ちゃんがお願いしたからきっとよくなるよ。そのうちドラゴンとかグリフォンとかもジェーンなら倒せるよ」
俺は、ドラゴンが火を噴く真似をして見せる。
もしも、ジェーンがそんな危険地帯に行くことになったら、俺が事前に危険をすべて排除しておく必要がある。万に一つでもジェーンのシルクのような肌に傷がつくことなど起きてはならないからだ。
「ふふっ。全然似てないよ。ドラゴンはもっと激しく火を噴くんだよ。それじゃあトカゲだよ」
「こんな感じか?」
今度は、椅子から立ち上がって、全身を使って火を吐き出す真似をする。
「似てないよ。ふふっ。……ありがとう、お兄ちゃん」
「ん? 何がだ?」
中々ドラゴンのモノマネは難しい。今度、ドラゴンを倒したことのある師匠にドラゴンの火の噴き方を聞いておこう。
「何でもないよ。ふふっ」
何はともあれ、ジェーンの顔に笑みが戻って良かった。憂い顔のジェーンも確かにかわいいけれど、笑っている姿が一番だ。
笑顔は、万病に効く薬と言うことも聞いたこともある。
「コホッコホッ」
俺が至福の瞬間に捉われていると、ジェーンが乾いた咳が空気を震わせる。
「長居しすぎたね。夕食までは、しっかりと寝ていなよ」
「……もうちょ……うん」
ジェーンは、何か言いたそうに口を開いたが、起こしていた上半身をベッドにあずける。俺は、温かく軽い最高級羽毛布団をジェーンの体に優しく引き寄せる。
「師匠のところに報告に行ってくるから」
「うん」
今回のバイト代を師匠に手渡さなくてはならない。師匠は「いらん」と言うにきまっているが無理やりにでも手渡すべきだろう。
いくら、元帝国最強の騎士が金を持っていると言っても、人間を二人余分に養うのは金のかかることだ。俺が役に立つところを見せ続けなければ、そのうち追い出されるかもしれない。人間は、簡単に仲間を斬る捨てる生き物だから。
俺は、優しく扉を閉めると、金槌が金属を叩く音がする仕事場に向かって歩み始めた。
お読みいただきありがとうございます!
私もジェーンからプレゼントを貰いたい!




