第24話 働きづめは良くありません!
前回のあらすじ……帝都を騒がせていた連続猟奇殺人事件の犯人が捕まりました。
グネヴィア卿との戦いからはや、一週間。俺は、最後の仕事を行っている。
「これも頼む」
エレインに手渡されたのは、皇帝陛下に提出する事件の概要説明資料だ。
この書類作成が終われば今回のバイトも終了だ。24時間365日ジェーンのそばにいることのできる日々が再開される。考えただけでワクワクとドキドキが止まらない。
「こことここをグラフにすればいいんだな」
「そうしてくれ」
『悪魔召喚士殺人事件』の捜査本部が置かれていた会議室には、現在俺とエレインの二人しかいない。
本来書類を主に作成するはずの騎士団長は、現在皇城に呼び出されてしまっている。
事件の全容を説明するためではない。貴族評議会の審問を受けに行っているのだ。
グネヴィア卿との一件の後、今回の事件であるグネヴィア卿は死亡が確認された。悪魔に蹴り飛ばされたときに首の骨が折れたらしく、即死だったようだ。
グネヴィア卿の顔からは悪魔と契約を行っている証である紋章が完全に消えていた。契約者死亡の為契約履行不能となったので消えたのだろう。そのおかげで悪魔に呪いをかけられていた皇帝陛下も回復に向かっているそうだ。
しかし、帝国の中枢を占める貴族たちは、グネヴィア卿が死亡してしまったことでこの事件の真相が闇の中に埋もれてしまったと感じているものも多くないらしい。
禁忌魔導に指定されている悪魔召喚は実証例が少なくどのような影響があるのか不明な点が多いのだ。本当に皇帝陛下の病気は治ったのか? 悪魔召喚によるこの世界に対する影響はないのか? など、分からないことが多い。
騎士団長は、旧知であるグネヴィア卿が起こした事件について不安を抱える貴族たちに問い詰められているのだ。「なぜ、止められなかったのか?」「どうして、気づかなかったのか?」「犯人を生かしたまま捕まえられなかったのか?」「これから問題ないのか?」「責任の一端があるのではないか?」と。
貴族たちは不安がる民衆や自分自身に明確な説明者兼責任者を必要としているのだ。その標的に騎士団長が選ばれてしまったのだ。
貴族のクソども、マジでありえん。騎士団長の権威が失墜したら、モーガン従医長にジェーンを診察してもらえなくなってしまう。
モーガン従医長にジェーンを診てもらうまでは回避しなくてはならない。
「ここ、間違ってるんじゃない? 直しとくよ」
手渡された資料の一文を指差す。
「本当だ。すまない」
事件終了後から一週間事後報告用の資料作成をし続けているエレインは、明らかに集中力が切れている。書類1枚に対する誤字があまりにも多い。尊敬する騎士団長が責任を取らせられてしまうかもしれないという想いがエレインの集中力を奪い取っているのだ。
「犠牲者の欄にはリュネートの名前も入れなくていいの?」
「すまない。忘れていた」
リュネートは、グネヴィア卿に悪魔召喚の供物に生きたままされた後、いまだこの世界に姿を見せていないために死亡とみなされている。
誰も悪魔の住む魔界に行ったことがないので確定的なことが言えないのも事実だ。
今度、そのへんがどうなっているか聞いてみることにしようと俺は心のメモに書き留めておく。
「ああ! 最悪っ!」
突如、エレインがくしゃくしゃに紙を丸め、床に投げ捨てる。
一週間前までは、リュネートの持ち込んだ実験資材以外、きれいに整頓されていたこの部屋も今では真反対だ。リュネートの実験資材は、事件後に魔導科学研究所の研究員が撤収に来たため跡形もなくこの部屋からなくなっている。しかし、丸まった紙が床に散乱し、埃はいたるところに積もっている。インクの切れた瓶が無造作に捨てられ、作成資料の本が乱雑に積み重ねられてしまっている。
簡単に言えば汚部屋だ。
「少し休憩しない?」
もう朝から働き続け、その時間は6時間を超え、既に太陽は空の頂点を過ぎている。その間一度の休憩もなしだ。
「ジャックは先に休憩していてくれ。私は、もう少ししたら休憩する」
「それ、昨日も言ってたけど結局一回も休憩していないし、俺が帰った後も睡眠時間をつぶして続けてたでしょ。気持ちは分かるけど休憩しないと体がもたないよ」
俺は、ちょっと前に師匠に言われたことと同じ内容をエレインになげかける。
盛大なブーメランな気がするが、ここでは休みを取っていないのはエレインの方だ。
書類の作成を始めてからエレインは、トイレ以外で一歩もこの部屋から出ていない。休憩も取らず、食事すら戦闘用の保存食を仕事をしながら食べているだけだ。
「私のことは心配ない。仲間たちはもっと過酷な状態で働いているのだ。書類仕事ごときで値を上げるような訓練などしていない」
今回の西ガリアとの戦争はいまだに決着がついていない。そのため派兵された騎士団の騎士たちも帰還してきていない。
「ここは、戦場じゃないから。休める時に休むのが騎士の教えでしょ」
俺は、エレインの腕を無理やり引っ張ると「インクがっ!」と机に嚙り付こうとするエレインを部屋の外に連れ出す。
「さっ、お茶でもしに行くよ!」
エレインにここで倒れられてしまったら大変だ。あと少しで終わりそうな仕事が終わらなくなってしまう。ジェーンとの時間の為にもエレインに倒れてもらっては困るのだ。
「いや、しかし……」
「はいはい。行くよ」
部屋に戻ろうとするエレインを引っ張っていく。エレインに最初に会った時とは正反対だ。俺は、エレインと違って馬鹿力があるわけではないので、あくまで引っ張っていくのが限界だ。引きずるのは専門外だ。
「どこに行くのだ!?」
「話題沸騰中のスイーツを買いに行こう」
エレインを引っ張って俺が向かったのは、最近可愛らしいと、帝都の若い女性に人気の『マカロン・ムー』と言うカラフルなお菓子のお店だ。お店と言うよりは、移動販売式の屋台という方が合っているかもしれない。
何でもカラフルなメレンゲを焼いた生地の間にジャムやクリームを挟んだお菓子らしく、その甘く柔らかな触感から『天使のお菓子』と、帝都のマダムの間で大流行中らしい。
頭を使う仕事の休憩には、甘いお菓子が最適だ。
「いらっしゃいませ。どちらにいたしますか?」
パステル色に塗装され、女子受けがいいように改造された馬車から顔をのぞかせた可愛らしい店員は、トングと紙袋を片手に営業スマイルで話しかけてくる。
「どれがいい?」
エレインに声をかけるも上の空だ。返答はない。机に向かって書類を作っているとき以外は、まるで生ける屍のようなのだ。負けん気が強く、意外とけち臭い元気なエレインは、見る影もない。
「おすすめで20個ほどお願いします。味はばらばらで、10個ずつ別々の袋にお願いします」
数十種類も並べられたガラスケースの中から選ぶことができるのは、余程決断力のある人間だけだろう。出来ることならそれぞれ一つずつ頼んでいきたいぐらいだ。
「分かりました。少々お待ちください」
赤いバンダナを頭にかぶった店員は、慣れた手つきで色とりどりなマカロンを紙袋に詰めていく。トングがガラスケースの中から焼き立てのマカロンを取り出すたびに、甘い砂糖の匂いが俺の鼻をくすぶる。匂いだけで紅茶が3杯はいけそうだ。
赤いバンダナを頭にかぶった店員は、慣れた手つきで色とりどりなマカロンを紙袋に詰めていく。
「お待たせいたしました。お会計は、1シーリングと8ファージです」
俺は、革袋から銀貨と銅貨をピッタリの枚数取り出すと店員の広げた手の平に乗せる。硬貨と引き換えに俺の手には、マカロンの入った紙袋が手渡された。
「ありがとうございました!」
俺は、さっそく紙袋を開けると茶色のマカロンをほおばる。
「おいしい!」
チョコレートクリームを挟んだ茶色の生地には、ココアパウダーが練り込まれているのだろう。甘さの中に程よい苦みがある。絶妙なバランスだ。
俺は、呆然と口をだらしなく開けるエレインに、ピンク色のマカロンを放り込む。
「ん!?」
突然、口の中にマカロンを放り込まれたエレインが目をぱちくりとさせる。もぐもぐと口を動かした後
「……甘い」
まるで生気を取り戻したかのように瞳にいつものような輝きが宿る。
「まだあるけど食べる?」
俺は、甘い香りが立ち昇る紙袋をエレインの目の前に差し出す。
エレインは、紙袋の中から次々とマカロンを自らの口に放り込んでいく。ピンクに黄色、緑に紫。色とりどりなマカロンは、俺が2個目を食べる前にエレインの胃袋へと消えていってしまう。
まぁ、これで作業効率が上がるのであれば多少は、出費をした甲斐もあるというものだ。
「……紅茶。紅茶が飲みたい」
食べ終わったエレインがぽつりとつぶやく。さすがに俺も紅茶は用意していない。
「戻るぞ。ジャック。紅茶が私を呼んでいる」
甘いものを食べた後に紅茶が飲みたくなるのは、帝国民なら当たり前だ。
「急げ、ジャック!」
「はいはい。ただ今」
俺は、エレインに引っ張られるままに駆け出した。断じて引きずられてはない。断じてだ。
お読みいただきありがとうございます!
さぁ、ついに最終章に入りました。これからまさかの展開が待ってますよ!




