第23話 圧倒的な力
前回のあらすじ……グネヴィア卿と騎士団長が熾烈な戦いを繰り広げた。
グネヴィア卿は言葉とは裏腹に急激におとなしくなる。俺とエレインを襲っていた立体的な影もグネヴィア卿が抵抗しなくなったのに合わせて陽炎のように消える。
「所長! どうしてですか? なんでですか?」
今まで物陰の後ろに隠れていたリュネートが戦闘の終結を見てグネヴィア卿の前に駆け出してくる。
「リュネートも分かるでしょう。科学に犠牲はつきものなのデス」
グネヴィア卿は今まで騎士団長と話していた時とは違う、優しい表情を見せる。
「あなたは、少しドジでしたけれど優秀な子でした。ワタシの全てを教えたのデス。本当に全てを……今でもあなたは、ワタシを師と慕ってくれますか?」
リュネートが魔導陣のぎりぎりまで近づいていく。手を伸ばせば触れられそうな距離だ。
「所長は、いつでも私の尊敬する師でした。悪魔に魂を売ってしまった今でも……」
既に、リュネートの目には涙が浮かんでいる。
「どんな時でも一生懸命で、何回実験に失敗してもいつか必ず成功できると、幾度も実験に臨む姿勢に心打たれたのです」
殺人という罪に手を染め、禁忌の魔導に身を任せるまでは、誰もが憧れる科学者だったのだろう。
「ワタシは帝国の意識改革と言う実験に失敗したのデス。何度も、何度も。そしてたどり着いたのが悪魔召喚だったのデス」
「所長が悪魔召喚と言う禁忌に触れてしまったことも同じ研究者として分かるのです」
「分かってくれますか、リュネート」
「はい、はい」
リュネートは、何度も何度も頷く。
その姿にグネヴィア卿は、心の底から安堵した表情を見せる。
「それなら良かったのデス。遠慮なく行えるのデス」
先ほどまでとはうって変わって、グネヴィア卿の表情が狂気に歪む。
「リュネート君、下がりなさい!」
危険を察知して騎士団長が声を荒げる。グネヴィア卿を縛り付けていた魔導の鎖にもさらなる力が加えられるのが分かる。
「もう遅いのデス。ありがとう、リュネート。そして、さようなら。科学のために犠牲になってくださいデス」
床一面に書かれていた真っ赤な魔導陣が鈍い光を放ち始める。グネヴィア卿に刻まれた紋章も呼応して光る。
中央に置かれたテーブルの供物がまばゆく輝き、不自然に消えてく。いや、消えていくというよりは魔導陣に飲み込まれていく。
「全員、魔導陣の上から出ろ!」
騎士団長の怒声が大きくない部屋に響き渡る。俺もエレインも言われるまでもなく部屋の隅、つまり魔導陣の外に出ている。
しかし、リュネートだけが動くことができない。むしろ、リュネートの体も赤く輝き始めている。
「いいデスね。最高デス。生きた人間を供物にするのは初めてでしたがうまくいったようなのデス。実験成功デス! ククク、アハハハハハハハハ!」
歓喜に打ちひしがれるグネヴィア卿の笑い声が部屋中にこだまする。
「……そんな!」
リュネートが尊敬する師に向かって信じられないと手を伸ばす。しかしその手は、グネヴィア卿にたどり着く前に指先から消えて行ってしまう。
「だめだ! これ以上『主海神の青銅獄』を維持できない!」
騎士団長の言葉と同時にグネヴィア卿を拘束していた鎖が引きちぎられ光も粒子となって消える。
「力が、力があふれてくるデス! さすがワタシの契約悪魔なのデス! 素晴らしいのデス!」
「グネヴィア! お前は慕ってくる部下まで悪魔の供物にするというのか!」
狂気にとらわれたグネヴィア卿が俺たちの方に振り返る。その顔はあまりにも醜く歪んでいる。
「リュネートも悪魔召喚に理解を示していたではないデスか。何か問題でもあるのデスか?」
「……お前は……そこまで堕ちてしまったのか……」
「落ちる? ワタシはこれから上っていくのデス。科学と共に」
ついにリュネートと供物を魔導陣は全て飲み込んでしまう。跡形もなく。
代わりに魔導陣の中心からどす黒い何かが湧き出してくる。
「ゴホッゴホッ」
エレインが苦しそうにせき込む。
「吸うな! 悪魔のガスだ」
俺は袖で口と鼻を抑えながら叫ぶ。
俺は知っている。悪魔召喚の際に発生する悪魔ガスは、吸い込んだ人間にありとあらゆる痛みを与えて殺すことを。
魔導陣を完全に覆いきった黒いドロドロとした液体が、まるで意思を持っているかのように急速に中心に集まっていく。そして、集まった液体が形を成していく。
最初に出来上がったのは、サファイアブルーの馬だ。いや、馬と言っていいのだろうか。体の表面は、毛ではなく鱗で覆われている。足は驚くべきことに8本も生え、額からはうねった角が二本、天に向かって伸びている。
そして、馬上に集まった液体が形を整え終え、色彩が徐々に表れていく。
それは、全く光を反射しない、闇から鍛え気たかのような鎧を纏った老騎士だった。
3メルは軽くある長槍を片手に持ち、もう片手に九つの大型の棘を付けた盾を構えている。
「グネヴィア。今日の供物は、中々いいものだったぞ」
「ありがとうございますなのデス」
「女の方は、後で生きたまま食らってやろう。生きた人間を食べるなど久方ぶりで心躍る」
騎士然とした真っ白な長いひげを顎に蓄えた老人に相応しいしわがれた声でグネヴィア卿としゃべり始める。
見た目とは、裏腹にその体から溢れ出る死のオーラが老騎士をまどうことなき悪魔であることを雄弁に語っている。
「して、今回は数が多い。目障りだ。失せろ!」
悪魔の赤い目がギロリと俺たち3人に向く。まるで人間がゴキブリを発見したかのような目だ。
「貴様こそ人間の世界から消え去れ!」
騎士団長が悪魔に向かって吠える。しかし、その声にいつものような余裕はない。
「なんだ、虫けら。我に命令するのか? 身の程をわきまえよ」
怒気をはらんだ悪魔の言葉にエレインがビクリと震える。歴戦のエリート騎士であるエレインですら尻込みをする迫力が悪魔からはにじみ出ている。
「貴様こそ身の程を知れ! 私に従わぬというのであれば、無理やりにでも従わせるまで!」
さすがは騎士団長と言ったところだろう。顔に冷や汗を浮かべているものの、一歩も引いていない。
「人間風情が我を屈服させようというのか……面白い。だが、それ以上に不快だ」
悪魔が手に持つ長槍を無造作に横なぎに振るう。その穂先が騎士団長をとらえる。
肉厚のバスターソードを盾のように構えて騎士団長は悪魔の槍を正面から受け止める。
破城槌が城門にぶつかったかのような爆音と無数の火花が発生する。
そして、騎士団長が世界の理を無視するかのような勢いで壁に叩きつけられた。
壁は騎士団長を中心に大きく破壊され、弾き飛ばされた騎士団長の額から滝のように鮮血が溢れ出す。
「終わりか、人間?」
「騎士団長!」
エレインがぐったりとした騎士団長の元に駆け寄り、回復魔導の優しい光で騎士団長を包み込む。
「……まだだ! まだ、これからだ!」
騎士団長が回復魔導をかけていたエレインの制止を振り切って立ち上がる。力の差は歴然だ。
「まだ立つか。無駄なことを……。グネヴィア。この人間どもは、我が喰らわせていただくぞ」
「はい。問題ありません。ワタシもフルカス様にこいつ等を献上させていただこうかと思っておりましたのデス」
「殊勝な心掛けご苦労だ」
既に俺たちがこの悪魔に負けることを前提とした会話がグネヴィア卿と悪魔の間で行われる。
「私が戦います! 騎士団長は、後方で援護をしてください。ジャックも下がってて」
ふらふらと剣を構える騎士団長を押しのけて、エレインが悪魔の前に立つ。
「……しかし……分かった。頼んだぞ」
エレインの覚悟を決めた目を見た騎士団長が部屋の隅まで弱弱しく後退する。俺も戦いに巻き込まれないように騎士団長の隣に移動する。
「3人同時に来て問題ないぞ。そうしてくれた方が我としても手っ取り早くて助かる」
「黄金獅子魔導騎士団が先駆け、エレイン・アストラット! 推して参るっ!」
エレインが悪魔の言葉を無視して名乗り上げを行う。
「人間ごときに名乗る名など持ち合わせてない。死ね」
エレインが神速の一歩を踏み出す。その動きには、騎士団長からかけられた強化魔導が存分に発揮されている。
顔の横に切っ先を悪魔に向け、水平に寝かした剣から体重と速度を乗せ切った一撃が繰り出される。
しかし、悪魔はいともたやすくエレインの一撃を盾で受け止め、はじき返す。
悪魔が馬上から弾き飛ばされたエレインの瞳を突き刺すように長槍を突き出す。
「迎海神の大波壁」
騎士団長によって生み出された魔導の多重障壁によって、悪魔の一撃はエレインの眼前で動きを止める。
そして、悪魔の一方的な攻撃が開始される。
そもそも、エレインはロングソードであり、悪魔の持つ長槍よりもリーチが少ないため、ある程度近づかなくてはならない。
だが、本来長槍の弱点である取り回しの悪さを悪魔は、圧倒的な力によって槍を振るうことでねじ伏せている。
エレインは騎士団長に援護を受けているにもかかわらず、悪魔に向かって進むことすら許されない。むしろ、いまだ悪魔と渡り合えていることの方が不思議と言うぐらいだ。
騎士団長の魔力が尽きれば、悪魔の槍にくし刺しにされることは、想像に難くない。
「どうした、人間。攻撃しなければ勝てんぞ」
悪魔がニタニタと気色の悪い笑みを浮かべる。悪魔の後方に立つグネヴィア卿も、勝利を確信した表情だ。
このままでは、悪魔やグネヴィア卿の思っているようにエレインは、無残に殺されてしまう。
それは俺にとってもいいことではない。
エレインが負ける。つまり、騎士団長も死ぬ。
そうなれば、せっかくここまで帝国騎士の権力者である、騎士団長とエレインと良好な関係を築けていたというのに、すべてが水の泡だ。
刀鍛冶見習いである俺にとって、未来の大口の顧客を逃すのはナンセンスだ。
師匠の元から独立した後、ジェーンと暮らしていくにもある程度の金銭は必要不可欠だ。
俺は、メリットとデメリットを秤にかけて思案する。
果たして、俺はこの二人を助けるべきなのか、いなか。
考えた末、俺は決断した。
「失せろ! 悪魔騎士フルカス!」
悪魔の攻撃に耐えきれず床に倒されたエレインに最後の一撃を放とうとする悪魔の前にエレインを守るような形で俺は歩み出る。
「何を言ってい……」
「聞こえなかったのか? 失せろ!」
俺は、悪魔を睨みつける。
「人間風情が我に命令するなっっ!」
悪魔は、エレインを突き刺す予定だった槍の切っ先を俺に振り下ろす。
俺は、その槍の切っ先を親指と人差し指で掴み取る。
「もう一度だけ言う。失せろ! 次はない」
「バカなっっ!……人間にこんなことが……まさか……その目、そう言うことか……クククク、仰せのままに」
悪魔は、槍を引くと意味深に笑う。そしてそのまま魔導陣へ少しずつその姿を消していく。
「何を言っているのデスか! フルカス様!」
消え行く悪魔の姿を見たグネヴィア卿が取り乱しながら、悪魔の元に駆け寄っていく。
「黙れ! 頭に乗るな!」
しかし、悪魔は騎乗する馬にしがみついてきたグネヴィア卿を問答無用で蹴り飛ばす。
蹴り飛ばされたグネヴィア卿が矢のように壁に突き刺さる。
上半身を壁にうずめたグネヴィア卿はピクリとも動かない。
「またお会いできることを楽しみにしております」
悪魔は俺に向かって恭しく頭を下げると魔導陣の中に完全に姿を消した。
悪魔の姿が見えなくなると共に、魔導陣な発光もなくなる。照明用の蝋燭も苛烈な戦闘の際に消えていたため、隠し部屋は完全な暗闇に包まれる。
「これにて、一件落着ですね」
真っ暗になった部屋で俺は、ポツリと呟いた。
お読みいただきありがとうございます。
グネヴィア卿が考える正義とは要約すれば「大多数の利益の為に少数を犠牲にする」と言うものです。
反対に騎士団長の考える正義は「全てを隈なく救う」と言うものです。
読者の方はどちらが正しいと思いますか? 現実ですか? 理想ですか?




