第10話 走れ! ジャック!
前回のあらすじ……帰ってきたら、ジェーンが床に倒れていた。
フローリングの床に力尽きたかのように倒れ込んでいるジェーンの息は、とても粗く苦しそうなものだ。
「ジェーン!!!!」
俺は、急いでジェーンの体を抱き起す。
「……おに……ちゃん?」
かろうじて意識はあるようだが、目の焦点が俺にあっていない。抱き上げた体は、まるで炎のように熱く熱を持っている。ものすごい高熱だ。
「ジェーン、とりあえずベッドまで運ぶからな」
俺は、ジェーンをお姫様抱っこで抱えるとゆっくりとベッドに寝かす。今俺にできることは、これぐらいだ。あとは、人に頼むしかない。
「ちょっと待ってて。今、師匠を呼んでくる!」
俺は、ジェーンに掛け布団をかけると、部屋を飛び出した。
「師匠!! 来てください。ジェーンが、ジェーンが!」
廊下を叫びながら走り抜けると、師匠の部屋に駆け込んだ。
「なんじゃ。もう飯か?」
「違います。ジェーンが倒れてて。それで、あの、その……」
「一回落ち着け。とりあえずジェーンを見に行くから、おぬしは水を持ってきてくれ」
「分かりました」
俺は、リビングに向かって猛然とダッシュする。食器棚からガラスのコップを取り出す。何枚かの皿が乱暴に取り出したコップに当たって棚から落ちて、粉々に割れる。
俺は、割れた皿にかまうことなく、収納棚から鍋も取り出す。
鍋とコップを持って家の外に出ると、日の暮れた山の冷たい空気が肌に触れる。
「落ち着け、俺」
大きく深呼吸をして井戸水で満タンになったコップと鍋を持ち上げる。それをこぼさないようにジェーンの部屋に向かって急いで運んでいく。
「水、持ってきました」
ジェーンの部屋に入ると師匠がベッドの脇に座って手をかざしていた。師匠の手が淡い光を放っている。回復魔導の一種だとすぐに分かる。
「落ち着けたか?」
「はい」
水を汲みに冷たい山の風に当たったことで、俺は幾分か落ち着くことができている。
「水は、そこにおいてくれ」
俺は、水が擦り切れまで入っているコップと鍋をベッド脇のテーブルに慎重に置く。
「どうですか?」
「とりあえずは、儂の回復魔導で落ち着かせたが、これだけじゃダメじゃな」
ジェーンの呼吸は、最初に発見したときに比べて静かになってきている。しかし、苦しそうなのは相変わらずだ。
「俺が、しっかり見ていなかったから、ジェーンがこんなことに……お兄ちゃん失格だ……」
最近ジェーンの体調がここまで崩れることがなかったので油断していた。明らかに俺の落ち度だ。
「そんなことはない。お前のせいではない。誰も悪くない」
師匠の慰めの言葉を俺は素直に受け取ることができない。なぜなら、俺が見ていればここまで悪化することは、なかったはずだ。
仕事の休憩の時、こまめにジェーンの様子を見に行っていれば。
朝、もっとしっかりジェーンの体調を把握していれば。
毎日の食事をもっと栄養満点にしていれば。
考えれば考える程、俺のせいでジェーンがこうなってしまったことが分かってしまう。
「ジャック。儂でもこれ以上の治療は、無理じゃ。あとは、医者を呼ぶしかないが……今日はもう遅いし、近くの町医者までは、だいぶ距離がある。あとは薬草を飲ませて明日の朝に何とかしよう」
「明日の朝までなんて待てません。俺が今から山を下って呼んできます」
朝まで待っていたら、それまでの間ジェーンが苦しまなくてはいけなくなってしまう。すぐに医者を呼んであげなくてはならない。
「それに、町医者でなくて、グリーメル家のお抱えの医者がいるじゃないですか。そっちの方が近いので今から行きます」
この森を抜けた先にある屋敷にグリメール辺境伯の屋敷があるのだ。そこには、お抱えの医者が常駐している。
「あの辺境伯がタダでお抱えの医者を貸してくれるわけがないじゃろ。焦る気持ちもわかるが明日の朝まで待つべきじゃ!」
確かに師匠の言う通り、あの性悪のグリメール辺境伯が簡単に医者を貸してくれないのは、百も承知だ。しかし、可能性がほんの少し、微々たるものでもあれば、その可能性に賭けて行動しなくては俺の気持ちが治まらない。
俺は、止める師匠に構わず、家を抜け出し完全に陽の落ちた森を下っていく。
馬車が通れるようにある程度慣らされた山道を俺は風のように駆け下りていく。もちろん魔導を併用しての全力疾走だ。
ズザアアアアァァァァ。
俺は、小石に足をとられ盛大にこけてしまう。
月の光も入りにくい木々の間の小道を全力で走っているために、俺は既に幾度となく道端の小石やくぼみにつまずいてこけている。
手のひらや膝の皮は既にズル剥けになり、黒ずんだ血が皮膚の代わりに表面を覆っている。
俺は、怪我をした部分に砂が付くのもためらわずに両手を地面につけて立ち上がった。
このぐらいの痛みなど、今、ジェーンを襲っている苦しみに比べたら何のこともない。ジェーンは生まれつき、こんな痛みなど屁でもないような苦しみを幾度となく味わっているのだ。
俺は、ジェーンの痛みの一部でも感じられているようで、少しうれしいぐらいだ。
立ち上がると、もう一度、魔導をかけなおして同じように走り出す。
グリーメル辺境伯の屋敷は、この森を抜けたところにある。そこまでこのままの調子で行けば、あと30分もあればたどり着くことができるはずだ。
アオオォォォォォンンン。
オオカミの遠吠えがどこからか聞こえてくる。この森一帯を縄張りとする群れなのだろうか。
その遠吠えは、少しずつ俺に近づいてくる。遠吠えだったものが、今は、低いうなり声になっている。
そして気が付けば、道の脇に幾つもの目が闇夜に光っている。相当な数の群れに囲まれてしまったみたいだ。
昼間は、帝都から地方に、地方から帝都に向かう商人や旅人、巡礼者、兵士たちが行き来し、それなりに人通りのある道だが、夜はオオカミなどの獣たちでにぎわう道のようだ。
俺は、魔力を魔導石に流し込んで速度を上げる。魔導で加速した人間にはたとえオオカミであろうとそう簡単に追いつけるものではない。
しかし、俺は自分の考えが甘かったことをすぐさま実感することになる。
なんと、先回りしていたオオカミの群れの一部が俺の行く手を阻むかのように道の中央に陣取っているのだ。
「くそっ!」
俺は、やむなく足を止める。
すぐさまオオカミの群れは、俺が逃げられないように俺の周囲を隙間なく囲む。
ガァルルルル、とオオカミ達は牙をむきだし、血走った目でじりじりと互いに連携をとりながら俺との間合いを詰めてくる。
俺は、家を飛び出してきてしまったため、いつもなら腰に下げている護身用の剣を持っていない。師匠との競争で使った光の魔導石がポケットに入っているだけだ。
しかし、光の魔導には攻撃魔導が基本的に存在しない。正確には、高位魔導にはあるのだが、俺は、まだ光の高位魔導を使うことができないのだ。
しかし、ジェーンのためにここで死ぬわけにはいかない。
「どけ!」
殺気を持った声を放つ。オオカミたちは、一瞬、ひるんで動きを止める。
数秒間、俺とオオカミの間に膠着が生まれる。オオカミが俺の言葉に含まれた殺気が本物なのか見極めているのだ。
このまま、去ってくれ。
俺の願いは、残念ながらオオカミには、通じなかった。
オオカミ達は、俺の言葉をはったりだと判断したのか、一番近くにいた一匹が俺の右手を噛み切ろうと唸り声をあげてとびかかってくる。
俺の中で得たいの知れない何かが沸き上がってくる。
俺は、避けるでもなく、防御をするでもなくオオカミに向かって無造作に右手を振り下ろす。
グシャッァァァァア、と肉が切り裂かれ骨がつぶれた音が闇夜の森にこだまする。
俺が飛びかかってきたオオカミの脳天を右腕が肉を切り裂き骨を押しつぶしながら真っ二つにした音だ。
頭部が二つに裂けたオオカミが地面に横たわる。まだ、ぴくぴくと足を動いている。
俺は、頭が裂けたオオカミを跨いでゆっくりとグリーメル辺境伯の屋敷に向けて歩み始める。俺の歩みに合わせるように囲んでいたオオカミ達が一歩、また一歩と下がっていく。
そして、群れのリーダーと思われる隻眼の大きなオオカミが吠えるとオオカミの群れは森の中に消えっていった。
「黄金羽の瞬靴」
俺は、邪魔者が立ち去ったことを確認して、光の魔導石へ新たに魔力を流し込む。
突発的な邪魔が入ったことで予定よりも遅くなってしまっている。急がなくてはならない。
ジェーンの苦しむ姿は、もう、一秒たりとも見たくない。
その想いが俺の足を前に進めてくれる。
オオカミ達が去った後は、特に何の問題もなく山道を下ることができていた。ただし、小石につまずいたこと14回。くぼみに足をとられたこと8回。木にぶつかったこと2回。
手と膝だけでなく、来ていた服もボロボロ。その他、体のいたるところから血が出てしまっている。
これでは、目覚めたジェーンを心配させてしまう。
その前に師匠に回復魔導をしてもらわなくてはならない。
師匠に頼るのは、なんだか癪だが、それでジェーンが心配しなくても済むなら仕方ない。
そんな満身創痍になりながらも俺は、夜中の森を抜けることに成功した。
森を抜ければ一本道だ。月と星が煌々と照らす草原は、さっきまでの道と比べると雲泥の差だ。この道の先にグリーメル辺境伯屋敷があるのだ。
お読みいただきありがとうございます。
ここから本当の物語が始まっていきます。ジェーンのために奮闘するシスコン兄貴を生暖かい目で見守ってやってください。
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