第二話 空っぽの部屋と人生と
第二話 空っぽの部屋と人生と
部屋と俺と減っていく現金。つまり寿命。
布団のうえで横になって蛍光灯を眺めていると、目に輪っかができるんだよ。
それがどうしたって聞かれても困るんだけど、目に輪っかができるんだよ。
寿命の残高は106万と972円。
月々の家賃が五万円で21ヶ月ぶんになるから、とりあえず飲まず食わずしてたら、そのうちにカサカサになって死ねないかな。とか思ってるんだけど、俺の身体は正直でさ、俺にカロリーを恵んでくれってせがむんだよね。
だから仕方なくコンビニまで行って、思った。
「……高」
いやまぁ、便利が売りのコンビニなんだから、安さを求めるのは筋違いなんだけどさ、弁当一個の値段を見て思わず呟いちゃった言葉がこれね。
ワンコイン弁当なんだけど、そのコインってのは50円玉でも100円玉でもなくて500円玉なわけよ。日本の硬貨のなかで一番大きいアイツなわけよ。それを日本のサラリーマンは買っていっちゃうわけよ。
で、そんな高額商品に俺は手を出せないからもっと小さなところを見るわけ。
おにぎりとかパンのコーナーを見るわけ。
「……うん、高」
もちろん値段は知ってるわけだから、一応の再確認ね。
おにぎり一個250円(税別)って誰が買うの? おにぎりセレブ?
で、いちばん安いおにぎりに目をやるんだけど、一個100円(税別)なのな。せめてここは税込みでワンコイン、キッチリ100円にして欲しかったな。
それからスナックのコーナーとかも見てまわるわけなんだけど、
「……うわ、高」
これ以外の感想は俺の口から出てこないわけよ。
あ、この時点で、っていうか店に入った時点で店員にマークされてるよ。
だってほら、ろくに風呂とか入ってないし。
ろくにじゃなくて、まったくが正解なんだけどね。
家から出てくる前に、蛇口で水をガッポガッポしたんだけど、むしろお腹が減るだけだったな。胃が膨らんでさ、
「お? そろそろ飯どきかな? 俺にご飯くれんの?」
って、自己主張を始めたりするんだよ。
最近のコンビニの商品ってカロリー表示されてるから、カロリーを価格で割ってどの商品がいちばんコストパフォーマンス良いのかなって探してた。んで、コンビニで最強の高カロリー食品は『砂糖』だった。
まぁ、おまえはカロリーの固まりだもんな。
キングオブカロリーは、おまえに決まってるよな。
商品を買いもしないで店内をプラプラしてたら、これはもう不審者じゃん。
だから、店員のオバちゃんがさ、俺の近くで商品の片付けとか始めるわけ。
この作業って『面直し』って言うんだって。
ほら、商品棚がグチャグチャだと、お客さんが買う気を失くしちゃうでしょ?
『面直し』を頼まれたオバちゃんがね、俺のまわりの商品をキレイなのにキレイに並べなおすわけ。
もっと具体的に言うとだな、俺の触った商品を拭くわけ。
あぁ、そういうことね。納得納得。
俺ね、ホームをレスしたそういう人だと思われてたわけ。
カッときたよ。腹減ってたしさ。
んで、店を出てグッタリしたよ。腹減ってたしさ。
腹が減ってると思考がネガティブになってくるんだよね。
ポジティブにシンキングしたところで、俺の現状はネガティブなんだけどね。
コンビニを出て、道を歩いて考えた。
「ホームレスかぁ……」
この時点では、まだ手元に100万円があるわけよ。
ホームをレスっちゃえば、なんていうか、あと10年くらいは生きられるような気もしてくるわけよ。
アンパンが一個100円でしょ。
それを三食で一日300円でしょ。
一年が365日だから、だいたい10万円って計算。
一日一食にまで減らせば、食費が三分の一で、寿命は三倍で30年だ。
俺がいま38歳だろ?
で、30年後は68歳だろ?
ちょうど今の親父とおんなじ年齢だろ?
そこまで生きたら死んでも良いんじゃないかなーって思えてきた。
「それもアリかな」
ほら、アンパン一個で身体が持つわけないし、人生50年の時代もあったわけだしさ、公園とかそういうところでビニールシートと毛布に包まれて、んで死ぬの。
この時はさ、それが完璧な計画に思えてきちゃったわけ。
そうなるとさ、真面目に考えるとアンパンって高いじゃん?
カロリーを価格で割った数字で考えると、やっぱ砂糖が最強なわけよ。
でもさ、さすがに炭水化物も食いたいから、そうなるとインスタントラーメンが最強なんじゃないかなって思えてくるわけ。
で、スーパーに行って現地調査したわけ。
結果から発表すると、炭水化物で最強なのは米。
やっぱ日本はお米の国なんだね。グラムあたりで計算すると米がいちばん安くてカロリーも高かった。つぎが小麦粉ね。それからちょっと差があって乾燥パスタ。とりあえず白米食えるなら、日本人として十分って気もするでしょ?
でもさ、生米をポリポリするわけにもいかないから、近くのホームセンターに寄って、携帯のガスコンロのいちばん安いヤツを探し始めたのよ。
そうするとさ、アウトドア用品が目に入るわけ。
ほら、水なら雨とか川とかがあるわけじゃん?
火ならその辺の草とか枝とかがあるわけじゃん?
鍋はウチにあるから、あとはお湯を沸かすための七輪があればいいわけよ。
で、その日は七輪とアミと、米10kgを買って帰ったんだよ。
米なんだけどさ、ホームセンターにも売ってた。
それからまぁ、なんて言えば良いのかなぁ……膝から崩れ落ちた。
「なに買ってきてんだよ、俺……」
衝動買いってわけじゃないんだよ。
計画的にホームレスするために買ってるんだから、計画的な衝動買いだな。
あぁ、そうだ、ブルーシートもせっかくだからって新品を買ってきた。
「ホント、なに買ってきてるんだよ、俺……」
この時点で涙と鼻水が止まらない病気が再発してるから、いまちょっとノイズクリアかけてる。ホントは、全部の音に『゛』付いてるから。よろしく。
んでさぁ、106万が105万になっちゃったわけなんだよね。
もう、この感情を表現する言葉は日本語には無い。と思う。
哀しいとか、切ないとか、憐れとか、惨めとか、自己嫌悪とか、そういうキレイな言葉で語りきれるような感情じゃないんだよ。涙と鼻水で顔中がグッチャグチャだから喜怒哀楽で語るなら哀しいなんだろうけど、怒りも混じっちゃってるわけ。
ほら、自分に対する怒りってヤツ。
自分の愚かさに腹が立つってヤツ。
こうなるともうアレよ。恒例のアレよ。お布団で三角座り。
とりあえず泣いてたわけなんだけどさ、お隣さんに壁ドンされて胸がキュンって心筋梗塞おこしそうになったから、膝と顔のあいだに枕をはさんで膝枕にしてさ、枕に顔を埋めながら、「びえーん」の状態になるわけ。
これの良いところはティッシュが要らないとこ。
これの悪いところは枕が汚れちゃうとこ。
出がけに水飲んでおいて良かった。
涙と鼻水で脱水症状おこさなくて済んだよ。
それくらい枕のことをグチャグチャにしてさ、「ひっくひっく」にまで落ち着いてきたら台所の水道で枕カバーを手洗いするの。ついでに顔も洗ってね。雑巾みたいにギューって絞って、水気をパンパンって払って、開けた窓の近くで室内干し。
枕の本体はもうどうしようもないから、タオル敷いて、一応のカバー代わり。
中村工務店ね。
あ、タオルのメーカーのことね。
それからまたボーっとするわけ。
なにをするわけでもなく、蛍光灯の輪っかをボーっと見つめてるわけ。
あーあ、このまま飢えて死ねると良いなーって思いながらね。
でもせっかく買ってきんだから、お米を炊くのよ。
もちろん、炊飯器でさ。
七輪の出番なんて、もちろん無いよ?
一合だけ炊いて、茶碗によそって、それから食べると美味いの。
丸一日、なんにも食べてなかったからさ、これがホント、美味いの。
塩分なんて言葉も思いだして、アジシオを振りかけると死ぬほど美味いの。
やっぱ、涙と鼻水で塩分をかなり消費してたんだろうね。
いただきますして、ごちそうさまして、布団に戻ってボーっと。あ、なんか口のなかが気持ちわるかったから歯を磨いて、それから布団に戻ってボーっと。
テレビ、無いんだよね。
パソコン、無いんだよね。
マンガとかラノベとかも無いんだよね。
昔の人が本をよく読んでたのって、結局、それしか無かったからじゃないの?
……一応ね、兄貴にね、電話、したのよ。遊びに使えないガラパゴスなやつね。
これ、兄貴の答えね。
「ツネのマンガなら捨ててないぞ。でも、ホントに返して良いのか?」
そりゃあね、兄貴の言いたいこともわかりますよ。
だって、兄弟だもの。
兄弟じゃなくてもわかるけどさ。
テレビとか、パソコンとか、マンガとか、ラノベとかがあると、ずーっとそれを見てるだけの状態になるに決まってるもんな。そりゃ取り上げますよ。
「そんなにゲームが好きなら、ゲームん家の子になりなさい!!」
言われたいなぁ。
んで、ゲームの世界に行きたいなぁ。
うっわ、本気でゲームの世界に行きたいな。
そういうわけで、俺の部屋には何にも無いんだけどさ……でもさ、兄貴も甘いよね、蛍光灯を残していきやんの。だからいま俺の目は蛍光灯に釘付けなわけ。
布団の上でジーッとして、蛍光灯をボーっと眺めてるわけ。
なんていうのかな、これって、パーフェクトワールド?
俺、部屋、蛍光灯。
これが全ての完璧な世界がここに完成しちゃったわけよ。
あ、今なら死んでもいい。むしろ死にたい。
そんな考えが浮かぶんだけどさ、ほら、さっきご飯を食べたから、死ねないの。
水飲んで、米食って、塩舐めて、酸素と二酸化炭素を交換してると死ねないの。
人間の身体っていうのは不便だよね。
死にたいな~って思っただけで死ねるようにできててくれれば良いのに。
そしたらさ、苦しい思いをする自殺とか考えなくて済むのに。
死ぬのは良いんだけどさ、死ぬ直前が問題なんだよね。
すっげぇ苦しそうだから。
もっとこうアッサリと、蝋燭の火がフッと消えるみたいにさ、ボーっとしてて、意識がフッと消えたら、「ハイ、お終い」みたいなのが理想なんだけど、人間の身体って、ホント、不便にできてるよね。
もっとさ、俺よりも生きたがってる人にさ、
「はい、これ俺の寿命。あげる」
って、ポンと渡せれば良いのにね。
ホント、気がきかないよな、神さまってさぁ……。
「アナタが死ねないのは、神が生きろと仰っているのです」
「じゃあ、病気の人間には死ねって仰ってるわけですね。神はっ!!」
とりあえず、宗教の人と脳内でシャドーボクシングしてみた。
はい、論破。
はい、完全に論破。
とりあえず、息も絶え絶えの病気の女の子に向かって、
「アナタが死にそうなのは、神が死ねと仰っているのです」
って言って来いっつーの!!
俺に偉そうなこと言うのはそれからなっ!!
いまから病院行こうぜ、んでさぁ、俺には生きろって言って、病気の女の子には死ねって言ってみようぜ。宗教の人なんだから、それくらい出来るよな? な!?
なーんて、いったいどこの誰と喧嘩してるんだか。
これは、お腹が減ったサインだ。
何時間ボーっとしてたのか知らないが、携帯で確認すると5時間だが、お腹が減ってくるとイライラして攻撃的になるんだよ。
このままボーっとしてるとイライラも薄れてきて、つぎはクラクラがきて、最後に生存本能がエマージェンシーコールしだして急に元気になるんだよね。で、御飯食べちゃうから、また初めからやり直し。せっかく人が餓死してるのに初めからやり直しになっちゃうわけ。
神に言われなくても、自分の身体が生きろって言うの。
で、神に言われなくても、自分の精神が死ねって言ってるの。
本能と理性の葛藤ってやつ?
頭のなかの頭の悪い部分がさ、どれだけ死のうとしてもさ、やっぱ生き残ろうとしちゃうわけなのよ。
だから自殺する人って、わざわざ痛苦しい自殺の方法を選んじゃうんだろうね。
首を絞めたり、水に飛び込んだり、ビルから落ちてみたり、色々。
生きたがってる身体を説得するのって無理だから、強引に死んじゃうんだよ。
それでも餓死しちゃうのは、アレだ。
物理的に食料が手に入らないときだ。
目の前に御飯あるのに餓死できちゃう人って、なかなか居ないと思うよ。
そんだけの覚悟があるなら、むしろ生きなよって言いたくなるほどだよ。
そんだけ強い精神力の持ち主なら、死ぬ意味ないじゃん?
で、俺は弱い精神力の持ち主だから、死ねないんだよね。
生きるにしても死ぬにしても覚悟が足りてないもの。
「カッコわる……」
これ、本音。
「カッコわらい……」
これ、冗談。
布団のうえで横になって、ボーっと蛍光灯を眺めてると、笑えてくんのよ。
どんなお笑い番組見るよりも笑えてくんのよ。
俺の人生を思いだしてると笑えてくんのよ。
なんかもう、一周しちゃって全部のことが笑えてくんのよ。
「ツネちゃん……」
って、母さんが呼んでくれてた子供のころとかさ。
「ツネちゃん……?」
って、母さんが呼んでくれてた学生のころとかさ。
「ツネちゃん、大丈夫?」
って、母さんが少し心配な声になってきた……ニート初期のころとかさ。
「ツネちゃん!」
って、母さんがカラ元気で明るく接してくれたニート中期のころとかさ。
「…………。」
って、母さんが、もう、名前を呼んでくれなくなった葬式のこととかさ。
38歳、職歴なしの引きニートだってことは親戚の皆に知れ渡ってるから、誰も仕事のこととか聞かないで居てくれるの。その優しさが嬉しくてツライの。年寄りの中にはさ、男は働いてるのが当たり前みたいな頭のなかしてる爺も居るからさ、「常康、いまは何してるんだ?」みたいに聞いてくるアホも居るんだけど、周囲の親戚が気をつかってアホのことは引き剥がしてくれるんだよね。
あいつら、いつまでバブル気分のつもりなんだよ。
日本の高度経済成長期なんて学校の教科書に載るくらい古い時代の話だぞ。
道を歩いてれば、電柱に求人広告が貼りつけられてた時代じゃないんだぞ。
ったく……。
「ツネちゃん、なんか変な匂いするんだけど?」
「そりゃ、二週間、お風呂に入ってないからね」
「うわ、汚っ! お風呂くらい入んなよ」
「春奈ちゃん、お風呂って一回入るのにいくらかかるか知ってる?」
「えっと、30円くらい?」
「惜しい! 正解は200円でした!」
「惜しくないし! 高ッ! お風呂って高ッ!?」
ウチのアパートはプロパンだから割高なんだよね。
都市ガスと違ってプロパンは値段が明記されてないから、下手するとお隣さんなのにガスの単価が違うんだって兄貴が言ってた。で、アパートなんかだと、大家へのキックバックがあるから、さらに割高なんだってさ。
アパートの店子に割高のガスを買わせて、自宅のガス料金を安くさせるんだよ。
世の中、ホント、上手くできてるわ。
「ちなみにシャワーも浴びるとプラス100円ね」
「シャワーもけっこうするんだね。だからツネちゃん、お風呂に入ってないの?」
「外に出ないし、入る意味ないから。俺ってエコでしょ?」
「エコだけど、シャワー入ってきてよ。ツネちゃんの匂いスゴイし」
姪っ子の春奈ちゃんが俺の部屋に入ってこれたのは、万が一を考えてドアのカギを開けっ放しにしておいたからだ。
もうすぐ五月……いや、もう五月なのか?
日付の感覚がないからよくわかんないけど、食べ物とか心とかが腐りやすい季節だ。異臭がして、ドアを開けて人型のアオカビがペニシリンを放出してたら、葬式を出すにも困るだろうしね。窓とカギが開いてれば発見も早いだろうと思ってさ。
これでも一応、気遣いのつもりなわけよ。
「御飯、作ったげるから。冷蔵庫になにか入ってる?」
「ちゃんと入ってるよ」
「なに入ってるの~?」
「冷たい空気」
わりと思い切りよくバタンと閉めたね。
「ごめん、冗談。冷蔵庫だとモノを腐らせちゃうから、冷凍庫に入れてるんだよ」
「あ、そうなんだ。なに入ってるの?」
「とても冷たい空気」
わりと全力でバタンと閉めたね。
「ツネちゃんはお風呂に入ってて、私、なにか買ってくるから!」
なんて春奈ちゃんが言うんだよね。
じゃあ、仕方がないから俺も万札を出すわけよ。
「お金とか良いよ」
「じゃあ、御飯は要らない。姪っ子のお小遣いを使わせたくない」
まぁ、こんなふうにカッコつけたところで出所は兄貴のポケットなんだから一緒なんだけどね。
でもさ、惨めの上にさらに惨めを重ね塗りなんかしたくないわけ。
そんなことしたら、明日はきっと、地に足ついてない状態になってるから。
近所の公園のブランコで、ロープを使った斬新なブランコを始めちゃうわけよ。
で、ただでさえ遊具が撤去されて寂しい公園から、また一つ子供たちのオモチャを取り上げてやるんだよ。
中が空洞の謎の半球状の物体のなかで、練炭を燃やしてもいいかもしれない。
あのカラフルなコンクリ製の半球って、けっきょく、何者なんだろうね?
俺がそんな顔して諭吉を差し出すと、春奈ちゃんが受け取るわけ。
あ、そんな顔っていっても、カラフルなコンクリの方じゃないからね?
春奈ちゃんはお外へ、俺はお風呂へ、窓開けて、換気扇回して、エアコンを送風にして、ファブリーズも頼んでおけば良かったかなーとか、ちょっと考えつつ最後の悪足掻きをして、俺はお風呂に入ったわけよ。
石鹸がね、泡立たないの。
手で擦る端から皮膚がボロボロと崩れてくるの。
髪の毛には、白い粒が点々と、フケがフリカケみたいになってんの。
これがスノードームなら女の子にも大うけなんだけどさ、コンビニのオバちゃんが俺が触った商品を拭いてた理由も大納得なわけ。あのときはムカッとしちゃったけどさ、コンビニのオバちゃんのほうが正解。俺が触ったあとの商品とか、洗わないと売れないわ。
んでさぁ、俺が思ったことは、
「人間って、頑丈だよなぁ……」
生命の偉大さを感じさせる、そんなひと言。
よく考えてみたら、ウチらの御先祖様がウホウホしてたときって、一週間とか二週間、水浴びしてなくても当たり前なわけ。だから、その子孫の俺も二週間くらい風呂に入ってなくても当たり前の顔をしてられるわけ。
むしろ、
「お風呂って入らないほうが健康的なんじゃないの? エコだし」
って、世界の真理に気付いちゃったりもするわけ。
お風呂入ってるときって、だいたい、こういうワケわかんないこと考えてるものなんだよね。
やっぱ気持ちいいもんな、お風呂って。
美味い食べ物もそうだけどさ、人間、幸せを感じるとアホになるよね。
で、アホがアホなこと考える場所がお風呂なわけ。あと、トイレもね。
歌詞も知らないのに流行の歌とか歌っちゃうわけ。
英語のところはだいたいハミングでね。
だいたいって言うのは100%のことね?
それで、キレイさっぱりの気分でお風呂からバーンとあがるわけよ。
そしたらさ、春奈ちゃんがドーンと居るわけよ。
もちろん、俺は全裸だよ。
……あるじゃん?
こういうときにはさ、定番の流れってものがあるじゃん?
女子高生の春奈ちゃんが顔を真っ赤にして、「キャー」って流れ。
……無いの。
むしろ、逆なの。
なんていうんだろう、汚物? 汚物を見るような目? そう、俺は汚物で正解。
洗い立ての汚物。それが俺。大正解。
「あ、ごめん」
って、なんでなんだか春奈ちゃんのほうが謝ってくるわけ。
俺がきょとーんとしてると、春奈ちゃんが説明してくれた。
「ほら、お父さん、お風呂上りいっつも裸だから」
「うん、そうだね」
「だから、ほら、私も、またかよ~って顔しちゃうの」
「うん、わかる。春奈ちゃん、もう女子高生だもんね」
「チョンマゲーとか、もうそういうので喜ぶ歳じゃないって言ってんのにさ、お父さん、全然!! わかってくんないの!! わかってくれる!?」
「そっか~、兄貴って昔っからデリカシーにかけるとこあるもんね」
「ツネちゃんもそう思う!? 私ね、アレ、大っ嫌いなの!! お風呂上がりの裸もそうだけど、パンツ一枚でブラブラしてるところとか、それでたまにこぼれてんの。で、こんにちは~とか言うの。ほんとウザい。もう、死ぬほどウザいの!!」
「はい、ごめんなさい。いま、ズボン履きます」
兄貴も中年だし、春奈ちゃんも女子高生だし、まぁ色々あるんだよな。
それから春奈ちゃんお手製のご飯の時間だ。
まぁ、カレーだよな。
野菜を切って、煮て、ルーを入れれば完成のカレーだよな。
「ならレトルトで良いじゃん?」
なんて心の呟きは口にはしないんだけど、本音のカレーだよな。
「ツネちゃん、どうしたの? 美味しくなかった?」
「いや、うん、美味しいよ」
そりゃ美味しいよ。
だって、この味を作るためにメーカーの人たちは頑張ったんだもんな。
誰が作ろうとメーカーの人たちの味になるのがカレーなんだから、これを手料理と言っても良いのか疑問形なんだけど、カレーを作ってくれた春奈ちゃんの手前、そんなことを俺は口に出さないよ。
うん、美味しいよ。メーカーの人。
「春奈ちゃん、料理上手なんだね~」
「そんなこと無いって~、ただのカレーだよ~」
うん、そうだね。ただのカレーだよね。
お風呂と御飯のあいだには、春奈ちゃんによる兄貴のディスりタイムが挟まってたわけなんだけど、ディスっていうのは愚痴のことね、で、それを聞かされた俺は笑えば良いのやら、泣けば良いのやらの状態になっちゃってるわけ。
ほら、親戚の家の幸せ~な光景を見せつけられたわけ。
でさ、俺の部屋と言ったら蛍光灯だけがお友達なわけ。
唯一の友達である蛍光灯のことを愚痴るわけにもいかないしさ、そもそも蛍光灯には欠点なんて無いしさ、蛍光灯は完璧に蛍光灯してるわけなんだから俺なんかが文句言えるわけがなくってさ、それを言ってしまえば俺も俺で完璧なニートなんだから、俺と蛍光灯はお互い様に文句の付け所のない素敵な関係なわけよ。
で、死にたくなるのよ。
蛍光灯はなんにも悪くないんだよ。ちゃんと光ってるしね?
でもさ、アイツって無口じゃん?
感情の表現のしかたは言葉だけじゃないけどさ、やっぱり言葉にして語って欲しいこともあるわけよ。人間としてさ。アイツは蛍光灯だけど。
俺は独りぼっちじゃないよ。
蛍光灯のアイツが居るしね。
この部屋には俺が一人と蛍光灯が一個、あ、俺ってやっぱ独りぼっちなんだ。
で、こうやって自分の惨めなすがたに気付いちゃうから死にたくなるわけよ。
まぁね、まだ高校生の春奈ちゃんに、そこまでの心の機微は求められないよ。
自分が楽しく笑ってると、笑えなくなっちゃう人が居るなんて残酷な世界の真実を知るには、まだちょっと早すぎだもんね。
「ツネちゃん、どうしたの? 蛍光灯がどうかした?」
「端の方が黒くなってるから、もうすぐ切れちゃうのかなと思ってさ」
「LEDなら交換しなくて良いって宣伝してるよね」
「まぁ、LEDは10年持つって話だからね。で、10年もすれば寿命が倍になった新しい電球ができてるだろうから、LEDを交換することは無いんじゃない?」
「そのうち、人間よりも電球の寿命のほうが長くなっちゃうのかな?」
「無慈悲なおじいさんの古時計だね、それは」
俺の比喩表現がよくわからなかったらしい。
春奈ちゃんがナゾナゾの答えを待っていた。
「おじいさんが死んでも古時計は元気にチクタク生き続けましたとさ。おしまい」
「うわ~、ツネちゃん。それは寂しいよ」
「じゃあ、持ち主が死ぬと家じゅうの家電製品も一緒に止まっちゃえば良いの?」
「それ、困るから。残った人がすっごい困るから」
使われなくなった、年季の入ったミシンなら母さんと一緒に時間を止めてしまっていた。いまどきは、もっと楽なのがある。でも、母さんのミシンといえば、大の男が二人がかりじゃないと動かせない、そんな大仕掛けのミシンに決まってた。
いまも兄貴の家の片隅で、きっと止まったままなんだろう。
ちょっとしんみり。
カレー作る。
カレー食べる。
カレー終わる。
はい、さようなら、
「あのさ、ツネちゃん、なにかあったの?」
とは、いかないんだよね。
「べつに何もないけど?」
「部屋とか、なにかおかしいでしょ?」
「べつに何も無いでしょ? なにかおかしな物でもある?」
うん、無い。
布団、蛍光灯、エアコン、ちゃぶ台、それしかない。
「ないけど、あるでしょ!? ツネちゃん、お父さんとなにかあったの?」
「まぁ、あったと言えばあった。けど、春奈ちゃんには関係ない」
「関係ないことないよ。ほら、ツネちゃんとは家族なんだし」
これは、どうしたもんだろうか。
キミのお父さんに100万円渡されて、家族の縁を切られましたって正直に話して良いものなんだろうか。
だから、春奈ちゃんとも、もう家族じゃありませんって言っちゃえば良いの?
でもさ、こういうのは兄貴が話すのがスジなんだよね。
「お父さんも何も言わないの。お婆ちゃんの部屋にツネちゃんのゲームとかマンガとか引っ越しの人が運んできたから、ツネちゃん帰ってくるのかなって思ってたのに帰ってこないから。お父さんに聞いても、なんにも教えてくれないんだよ?」
「そっか……」
「ツネちゃん、私の気持ち、わかってくれる?」
「うん、わかるよ……」
「お父さんね、ほんと、ウザいの!! 私が聞いてもね、思わせぶりに『あぁ』とか『うん』とか言って、それで誤魔化すの!! もう、私ね、イライラするの!! 私だって高校生なんだから、ちゃんと言えばいいでしょ!? なのにさ、煮え切らない態度でさ、『本当は言いたいんだけど、お前のために言わないんだよ』みたいな顔してさ、ほんと、ウザいの!! ツネちゃん、わかってくれるよね!?」
「うん、わかるよ!」
ごめん、全然わかってなかったよ。
あと、母さんの部屋に入れたのかよ。俺のエロ本。それは無いだろ?
「ツネちゃん、教えて。なにがあったの?」
「んーとねぇ、これ」
「うわ、お金だ! ……ちょっと叩いても良い?」
「良いよ。俺もやったし」
春奈ちゃんが100万円の札束で俺の頬をぺしーん。ついでに自分の頬もぺしーん。なんなんだろうね、このお金の魔力は。札束を手にすると、無性に頬を叩きたくなっちゃうんだよね。お金って不思議だわ~。
びぇぇぇんって泣いてたくせに、ついつい、札束で自分を叩いちゃったよ。
「うわっ、なんかスゴイ!! なんかスゴイ!」
「でしょ~?」
二人して笑っちゃったね。
お金を玩具にしちゃったね。
札束のお風呂なんてチクチクするだけだろうと思うんだけど、実際にやってみたら、けっこう気持ち良いのかもしれないな。
で、
「このお金、どうしたの?」
「ん、もらった。兄貴から」
「お父さんから? すごい! どうして!?」
「これで最後だから。この100万円で俺への仕送りは終わりだってさ」
まだ高校生の春奈ちゃんはピンとこない表情を浮かべていた。
まぁ、だろうね。
まだ働いてない春奈ちゃんにはよくわかんないんだろうね。
……あ、俺も働いたことないんだったわ。
「どこから話せば良いのかな……えっとね、俺、働いてないんだよ」
「うん、知ってる。ツネちゃんは、その~、ニート? ってヤツなんだよね」
「ん~、まぁ一応はニート」
「ツネちゃん、一応でニートなの?」
「日本の基準だと34歳以上はニートじゃない扱いになってるから」
「なんで?」
「35歳以上のニートの数を計算したくなかったから。ほら、我が国のニートの数はこれだけですよ~って発表するとき、数が少ない方が見栄えが良いでしょ?」
「う、うん?」
「でもさ、そもそもニートは日本の言葉じゃないんだから、日本政府がどんな理屈を言ったとしても、俺は立派なニートなんだけどね!」
「ツネちゃん、それ、自慢して言うことじゃないから」
うん、そうだね。
急に冷静な御意見をいただくと、俺も冷静になっちゃうよ。
「ここの家賃が五万、生活費が五万、これ兄貴と親父で折半してくれてたんだよ。一年だと120万。一年、俺を生かしておくだけで、この札束よりお金かかるの」
「嘘ッ!?」
「ホント。数字で言ってもわかんないだろうけど、こうして札束を目の前にして話すと、毎年、どれだけ無駄遣いしてるかわかるでしょ? 人間一人が生きるって、ホント、お金がかかるんだよね」
「ツネちゃん、ハムスターに生まれてくれば良かったのに。亀とか」
うん、俺もそう思うよ。
でもどうして亀なの?
「お金を無駄にしたくない、そんなお父さんの気持ち、わかるでしょ?」
「わかるけど……ツネちゃんは家族でしょ? お金渡して終わりって酷くない?」
「酷くないよ。それどころか、いままで甘えさせてもらってただけでも有難いくらいなんだよ。春奈ちゃんは、来月からお小遣いが10万円増えたら嬉しい?」
「それは嬉しいけど……」
「うん、そういうこと。俺を養うのを止めれば、毎月10万円、春奈ちゃんに使えるんだよ。毎年120万円。春奈ちゃんが高校を卒業して、大学に進学して、そのときに仕送りできるお金が毎月10万円増えるんだよ。これは、今までだってそうだったんだよ。毎月10万、毎年120万、皆が俺のために我慢してたんだよね」
「でも、ツネちゃんは家族でしょ?」
「じゃあ、これからは春奈ちゃんが毎月10万円だして俺のこと養ってくれる?」
「……ツネちゃん、意地悪言わないでよ」
「ごめん」
あれは、いつごろからだったっけ。
母さんが、宝くじを買うようになったの。
「一等が当たったら、ツネも楽できるね」なんて冗談めかして言ってさ。
宝くじなんて、俺がニートになるまで買ったことなんてなかったのにさ。
ホント、母さん、神頼みしてる気持ちで買ってたんだろうな。
なのにさ、俺はさ、マンガとかラノベとかゲームとかさ、そういうので時間を潰してさ、潰した先に何があるわけでもないのにさ、ときおりやってくる兄貴の説教をスルーしてさ、結局さ、なんにもしてこなかったわけでさ、ただ、目の前の説教を俯いてやりすごしてきただけでさ……あれ、なんの話だっけ?
あぁ、母さんが宝くじ、買ってた話だ。
そうなんだよ。母さん、宝くじ、買ってたんだよ。
うん、買ってたんだよね。
お金、無いから、俺が、一生、生きられるだけのお金、無いから、母さんは。
「ごめん……」
「ツネちゃん、泣かないで。私、気にしてないから」
「ごめん……ホント、ごめん……」
母さん、ごめん。
ホント、ごめん。
生まれてきて、ごめんなさい。
「ごめん、春奈ちゃん、帰って……俺、ダメだから。もう、ダメだから」
うん、死のう。
そうだ、死のう。
100万残して死のう。
そうすれば、葬式代の足しにはなるだろ。
まぁ、元々、兄貴のポケットから出てきたものなんだけどね。
「ツネちゃん、落ちついて。私、怒ってないから」
「ごめん、春奈ちゃん。俺のこと、放っておいて」
「そんなワガママいわないでよ、ツネちゃん!!」
「……ワガママ、なの?」
「ツネちゃんワガママだよ。家族が泣いてるのに、放っておけるわけないでしょ! 私、お金無いけど、なんとかするから! 頑張ろう!? 一緒に頑張ろう!?」
あぁ、優しいなぁ春奈ちゃんは。
ホント、優しいな、春奈ちゃん。
でもさぁ、俺って、根っこまでニートなんだよね。
自分でも信じられないくらい、根っこまで腐ってるんだよね。
だから、
「……せぇな」
「ツネちゃん?」
「うっせぇな。なにが頑張るだよ。おまえに何が出来るんだよ。俺の現状わかって言ってんのか? 38歳だぞ? 職歴なしだぞ? 大学中退だぞ? どこの誰が俺なんか雇うと思うんだ? 春奈ちゃんが会社の社長だったとしてさぁ、18年間もニートしてた俺と、大卒の新人、どっち雇うんだ? 答えてみろよ。正直に答えてみろよ。わかんだろ!? 終わってんだよ!! とっくの昔に俺はもう終わってんだよ!!」
「ツネちゃん……? ツネちゃん、怖いよ……?」
「うっせぇな!! 帰れよ!!」
なーんて、自分に正直に答えちゃったんだよね。
あーあ、春奈ちゃんが本気で泣いちゃったよ。
ポロポロ涙こぼしながら走って帰っちゃったよ。
あー、これは終わったよね。
なんつーか、人として終わっちゃったって感じだよね。
でも、なんだかスッキリもしたんだよね。不思議とさ。
いやまぁ、女子高生に怒鳴り散らすとか立派な大人のすることじゃないと俺も思うんだけどさ、そもそも俺って立派でもなければ大人でもないわけよ。
じゃあ何だって聞かれても困るけど……あ、汚物だな。
そうそう、洗い立ての汚物。それがいまの俺だからね。
こんな薄汚い……いやいや、濃厚に汚れた汚物に触れちゃダメなんだよ。
三角で、枕で、膝枕の完成。
俺、これでホントに、独りぼっちになっちゃったわけよ。
まぁ、これはこれでスッキリしたと言えばスッキリしたわけよ。
あとは布団のうえでカピカピのミイラマンになるか、カビカビのキノコマンになるか、そのどっちかに俺の人生も決まったってわけだ。
よっぽど急いでいたんだろうね、春奈ちゃんの自転車が置き去りにされてた。
でも、二日後にはキレイに無くなってたわ。
べつに語るほどのことでも無いんだけどね、一応ね。……報告だけね。