三、取扱
「さあ、君の剣の話をしよう」
場所は武器庫のすぐ傍、武器管理課が打ち合わせなどで使うらしい小会議室。
部屋の奥側に座らされた俺の向かいに、楽しそうな表情のオルヴェニカが座っている。そして二人を隔てる机の上に、俺の大剣が横たわっている。
「正確に言えば、かつて君の母親のものだった剣の話、だね」
そう言うと、オルヴェニカは大剣を柄から刃先まで眺め、懐かしそうに目を細める。
それは、まるで旧友との思い出を懐かしむような、あるいは成長した我が子の幼少期を思うような、郷愁に近い感情が垣間見える、柔らかい表情。
「ところで君は、君の母親がどんな存在だったか、きちんと知っているかい?」
「あれだろ? 森で禁忌を犯して、追放されたって言う」
それは、俺の母親の話。
エルディリカ、と呼ばれていた俺の母親は、かつて今の俺と同じようにこの森で暮らしていた。そしてある時、ある禁忌を犯して森を追放され、俺の生まれ故郷である世界に縛り付けられたのだ。
その禁忌とは、いわゆる『樹の内部への過干渉』。
俺の母親はその日、ある世界で瀕死の状態になっていた人間を森へ引きずり出し、その命を救った。
その行動は、樹の中の世界同士が過剰に干渉しないように森を管理する、という次元管理委員会の役割に反している。だから、その行動は罪とされてしまった。
ちなみに、その時命を救われた人間と言うのが、俺の父親である。
「そこじゃない。彼女がこの森へ来る前の話さ」
「森に来る前」
「支部長から少しは聞いただろう?」
オルヴェニカの言葉に、俺は腕を組んで記憶を掘り返す。
しかし、何しろその話を聞いたのは五年ばかり前のことだ。なかなか思い出せずにいると、オルヴェニカは小さく息を吐き、呆れたように口を開いた。
「故郷で『呪われた子供』と呼ばれ、両親を殺され、その恨みで百人規模の集落を壊滅させたという話だよ」
「ああ!」
言われてみれば、支部長のレスティオールからそんな話を聞いたことがある。
記憶が曖昧なのも無理はないと思う。当時は、フェンリルとのいざこざで死にかけたり、元の世界へ戻れないかもしれないと言われて内心が修羅場だったり、それまで知らなかった両親の馴れ初めを聞かされたりと、いろんなことが起こり過ぎていたから。
「その様子じゃ、詳しいことは知らないようだね。仕方ない、順を追って説明しよう」
オルヴェニカはそう言うと、わざとらしく肩をすくめてみせた。
「彼女は、産まれ持った黒い髪が原因で、『呪われた子供』と呼ばれたそうだ」
「黒い髪」
聞き返す俺に、オルヴェニカが小さく頷く。
「黒い色を忌み嫌う文化は、さして珍しいものでもない。死者を悼む色、光の届かない闇の色、魑魅魍魎うごめく夜の色。そういう、悪いイメージが多い色だからね」
「まあ、言われてみれば確かに」
例えば、それは喪服の色であったり、死神や魔女の服の色であったり、いわゆる不吉なものとして思い浮かぶのは、黒い色のものが多いとは思う。
そもそも、全ての光を吸収する黒という色そのものが、すでに仄暗いイメージを持っているのだとも思う。
「彼女が生まれた集落は、そういう文化が根強く根付いた場所だったんだろうね。それに加えて、おそらく黒い髪が珍しかったんだろう。まあ、これは推測だけれど」
オルヴェニカはそう言って、パイプ椅子の背もたれに背中を預けながら、長めの溜息を吐いた。
「そして、彼女を『呪われた子供』だとする考えは、決して間違いではなかった」
「つまり」
「彼女には、そう呼ばれて然るべき『力』があった、ということさ」
パイプ椅子に背中を預けたままのオルヴェニカは、そのまま記憶を辿るように首を傾げ、あまり質量のない胸の前で腕を組む。
「世界によって呼び名は変わるけれど、一番一般的な名称だと……『魔女』、かな」
『魔女』。
つい先ほど想像した、箒に乗って空を飛ぶ黒ずくめの老婆が、俺の頭の中で高らかな笑い声を上げる。
「魔女」
「そう、魔女だ。とは言っても、魔法らしい魔法が使えたわけじゃないよ。ただ人より少しだけ、自己防衛本能と感受性が強かっただけだ」
「自己防衛本能と、感受性」
言葉の意味が分からず、眉間にしわが寄るのがわかる。
そんな俺の様子を見ていたオルヴェニカは、くつくつと楽しそうに笑い出した。
「彼女の力は、主に三つ。やたら強い生命力と、攻撃から身を守るための結界を張る力、そして人の感情を読み取る力」
「……なるほど。自己防衛本能と、感受性か」
「彼女自身は、ここへ来るまでその力に気付きもしなかったそうだけどね。まったく、間抜けと言うか、何と言うか」
呆れたように肩をすくめて、オルヴェニカは笑う。
その言い草と表情からは、彼女が俺の母親と友好的な関係であったことが窺える。
「さて、そんな『魔女』たる彼女が使っていたこの剣は、実は僕が打ったものでね」
ん?
さりげなく耳を通り抜けて行った言葉に、反応が遅れた。
オルヴェニカの顔を見て、ぱちぱちと目をしばたけば、彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべて、同じ言葉を繰り返す。
「この剣は、実は僕が打ったものでね」
「えっ、製造者!?」
「そうとも。だからこそ、今こうして君にこの剣の話をしているわけさ。言わば、製造者責任としての取扱説明だね」
「ああ、そういう……」
彼女の業務上、俺に話しておかなければならないこと。
つまりはそういう意味だったのだと、ようやく合点が行った。納得して頷く俺を見て、オルヴェニカは再び口を開いた。
「この剣は、彼女の能力データと要望に合わせて打った、いわばオーダーメイドなのさ」
「オーダーメイド」
「そう、オーダーメイド。本来ならば、彼女にしか使えない剣だ」
「え、でも俺、普通に使ってるけど」
とは言え、だ。
確かに今でこそ普通に使ってはいるが、使い始めた当初は持ち上げることすらままならなかった。持ち上げられるようになるまでに、数か月かかったのを覚えている。
今となっては片手で持ち上げられるようになったし、何なら頑張れば片手で振れる。おかげで全体的に筋肉量が増え、体重もかなり増えた。
……と、それはどうでもいい。
つまり、確かに使えるまでには苦労したが、俺にもこの剣は使えているのだ。
「それこそが、僕から君に話すべき最重要ポイントだよ、リヴァイアス」
人差し指を立てて、オルヴェニカが笑う。そしてそのまま、立てた指で目の前の大剣を指した。
「この剣は、結界を張る力を補助するものだ」
「結界を張る力を、補助」
「そう。自分を守れる程度の力しかない彼女が、より広い範囲を守れるようにね」
「守るための力、か」
当時の母が守りたかったのは、おそらくフェンリルだ。
母がこの森で最初に出会ったのがフェンリルだったそうだ。そして、母が森から追放されるまでの間、そのほとんどの時間を共に過ごしたと聞く。
二人の関係を詳しく知っているわけではないが、互いが互いを大切に思っていただろうことは何となくわかるし、きっとそれは今も、これからも変わらないんだろう。
「つまり、君はあくまでこの剣を『持っている』だけであって、『使っている』とは言い切れない。僕が言いたいのはそこさ」
オルヴェニカの言葉に、思考が途切れる。
顔を上げて正面を向けば、楽しそうに笑うオルヴェニカの顔が、目の前にあった。
「いいかい、リヴァイアス。君にはこの剣を『使える』素質がある。だからこそ、この剣は君が持つべきなんだ」
「使える、素質」
「君も、まだ気付いていないだけさ。何故なら君は、彼女と『同じ』なのだから」
そう言って身を乗り出して、オルヴェニカが俺の胸を指さす。
「君が真にこの剣を『使える』ようになる日を、僕は楽しみにしているよ」