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ワールドアウト・ベルセルク  作者: くつぎ
壱、調査課の日常
5/12

二、夕食

「うーん、なるほどなるほど、やはりね。見たことのある顔だと思った」



 納得したような顔で、まじまじと俺の顔を覗き込むその男。思わず眉根を寄せると、そいつは思い出したようににっこりと笑った。



「初めまして、僕は森林生態課長のカンパニュラだよ」

「課長」

「そうそう。フェンリルくんにはいつもたいへんお世話になっているんだ」

「ああ、なるほど」



 フェンリルの生態検査には、この人も関わっているのか。

 そんなことを考えながら、改めてその男……改め、カンパニュラさんの顔を見た。丸眼鏡の奥で、にんまりと細められた黄緑色の目。笑顔が既に変態っぽい。



「そういや、フェンリルの検査は?」

「もちろん、本日も滞りなく。ちなみに彼はもうご飯を食べに行ったよ」

「相変わらず、自由な狼だなぁ」

「君、他人のこと言えると思ってるの」

「ぐうの音も出ない」



 ザルディオグさんのツッコミが鋭すぎてつらい。

 いや、まあ確かに、俺が自由人であるというところについては否定する余地もない。



「それでねえ、リヴァイアスくん」



 呼びかけに振り向くと、何やら思案顔のカンパニュラさんと目が合う。

 そして、丸眼鏡の奥の目が、たいへん楽しそうににんまりと細められるのが見えた。



「せっかくの機会だから、君にもいろいろ聞きたいことがあるんだよねえ」

「え、っと?」



 わずかながら嫌な予感がして、思わず少し後ずさる。

 しかしそんなことは気にも留めず、カンパニュラさんは俺の顔を覗き込み、ニィッと歯を見せて笑った。



「しばらく付き合ってくれるかい?」



 やたら歯並びのいいカンパニュラさんの歯列を見て、空腹を訴えていた腹が諦めて静かになるのを感じた。どうやらしばらく晩飯にはありつけそうもない。


 まったく、厄介事に巻き込まれたのは俺の方じゃないか。



 ***



「参考になったよ。どうもありがとう!」



 捕まってから約二時間。

 ようやく満足したらしいカンパニュラさんが、つやつやの顔で俺に手を振っている。対する俺は、約二時間の拘束で疲れ切り、いくらか老け込んだような気がする。



「また頼むよ!」

「ええ、まあ、機会があれば、はい」



 もしや俺は、カンパニュラさんに寿命を吸い取られたんじゃないだろうか。


 なんて恐ろしいことを考えながら、ふらつく足で昇降機に乗り込んだ。

 ただでさえ空腹だったのに、二時間もいろんなことを聞かれたせいで余計に腹が減ってしまった。もはや遭難者状態である。……いや、ちょっと言い過ぎた。



「ああ、やっと着いた」



 ようやく辿り着いた食堂の前で、溜息を一つ。

 胸から提げた懐中時計を開くと、時刻は二十一時を回っている。


 原則として、ここでの定時は七時である。この事務所では、昼勤と夜勤が十二時間交代で勤務している。その交代のタイミングが七時と十九時。

 つまりは十二時間勤務ということになるが、自己管理でしっかり休憩を取るように、というお達しがあるので、実働時間はそこまで長くない。


 五年と少し過ごした感覚で言えば、『働いている』と言うより『役割を決めて暮らしている』と言う方が近いように思う。



「遅い」



 食堂の扉を開いたところで、苛立ったような声が聞こえた。

 そちらに視線を寄越すと、眉間に思いきりしわを寄せた不機嫌顔で俺を睨む、俺と同じ顔。扉に近い席で、テーブルに頬杖をついて椅子に胡坐をかく……という非常に行儀の悪いことをしているそいつは、俺の顔を見て悪態をついた。



「どこで油売ってやがったんだ、バーカ」



 手の甲が隠れるほど袖が長い灰色のTシャツに、下は黒のカーゴパンツ。足元には、黒いブーツが脱ぎ散らかされている。



「おい、聞いてんのか」



 青みがかった灰色の目が、腹立たしげに細められる。

 頬が緩むのを何とか抑えて、その頭に手を伸ばし、わしゃわしゃと撫で回した。



「悪かったよ、フェンリル。ちょっと森林生態課で捕まっててさ」

「は、あんなとこ寄り道してたのかよ、ふざけんな」



 頭を撫でられることに対して抵抗する様子もなく、その男、もといフェンリルは、不機嫌そうに鼻を鳴らした。


 俺とまったく同じ顔をしたこの男の正体は、狼である。

 元々は、この『世界樹の森』に棲んでいた野生の一匹狼。五年ほど前、この森に来たばかりの俺とこいつの間で紆余曲折あり、二度ほど命を狙われたこともあったが、今は相棒として一緒に働いている。



「とっとと飯にしろよ。俺はもう食ったからな」

「わかってるって」



 ひとしきり頭を撫でた後で、夕食を受け取りに厨房の方へ。

 どうやら今日の夕食はカレーらしい。ここのカレーはいつも辛いから苦手だ。



「あっ、リヴァイアスさん。お疲れ様です」



 厨房側から聞こえた声に顔を上げると、嬉しそうに笑う少女が一人。


 まだ白に染まりきっていない栗色の髪は、肩につかないくらいのボブカット。眉の上で切りそろえられた前髪の下で、茶色の瞳が猫のように細められている。

 スカーフのないコックコートに、ショートパンツ、ニーハイソックス。靴は、ベルト飾りがついた黒いブーツ。



「お疲れ、メルヴィーナ」



 彼女は、少し前に俺が保護した『迷子』だ。

 保護した当時は、何かに絶望したような暗い目をして、元の世界には帰りたくないと泣いていたものだが。



「温泉卵、いりますか?」

「あ、もらう!」

「そうだろうと思いました」



 そう言って、メルヴィーナが楽しそうに笑う。


 働き始めてから、すっかり明るくなったようだ。よく笑うようになったし、声のトーンも上がったような気がする。

 事務所に置いてやってほしい、と支部長であるレスティオールに進言したことは、どうやら間違いではなかったようだ。



「お待たせしました、どうぞ」

「おお、ありがとう」



 盛り付けられたカレーを受け取り、サラダやら水やらと一緒にトレーに乗せる。そのまま出入り口の扉近く、フェンリルの向かいへ。

 机にトレーを置いたところで、そう言えばまだ大剣を担いだままだと気付く。本来なら終業後、武器庫に預けてくるところだが……まあいい、明日にしよう。今は腹が減った。


 大剣をベルトごと外し、フェンリルの方へ差し出す。自然な動きで大剣を受け取ったフェンリルは、それを自分の隣の椅子に立てかける。その様子を見守りながら、俺はようやく席に着いた。



「いただきます」

「速く食えよ、速く」

「少しは落ち着いて食わせろよ」



 イライラと俺の様子を見るフェンリルの視線に耐えながら、温泉卵と一緒にカレーを一口。うん、やっぱり辛い。



「さっき森林生態課でさ」

「おい、食いながらしゃべるな。カレーがこっちに飛ぶだろうが」



 怒られた。

 口に含んだ分を咀嚼して飲み込んでから、改めて口を開く。



「カンパニュラさんに会った」

「げっ、あいつかよ」



 心底嫌そうな顔をして、フェンリルが俺から視線を逸らす。狼の姿でいる時より表情がわかりやすい。



「あの人すごいな。二時間くらい質問攻めにされた」

「二時間が何だよ。俺なんか検査で泊まり込んだ時、夜通しいろいろ聞かれたぞ」

「なんて恐ろしい出来事なんだ」



 フェンリルがそんな修羅場に身を置いている間、俺はのんきに寝ていたんだなァ。



「ところでフェンリル」

「とっとと食えっつってんだろ、何だ」



 とっとと食えとか言う割にちゃんと聞いてくれようとする姿勢、さすがフェンリル。



「検査ってどんなことしてんだ?」

「あ? 知らねえけど、血とか細胞とか粘膜とかめっちゃ採られる」

「何だ、いつもの検査か」

「あと何か、ジャンプしたり踏み台昇り降りしたり、横跳びしたり」

「完全にスポーツテスト」

「脈拍の変化とか、狼の時と人型の時で身体能力にどれくらいの差があるのか……みたいな?」

「いろいろやってんだな。お前、そういうの拒否するかと思ってた」

「そりゃあ、寝床もらってんだから、多少は恩も返さねえと」

「めっちゃ偉い、この子」



 俺の知らないところで、この狼は頑張っていたらしい。

 フェンリルに対して尊敬の念を覚えながら、またカレーを一口。そして水を一口。



「だが、今日は疲れた。明日はガッツリ休むからな。邪魔すんなよ」

「お前、そう言ってまた俺のベッド占領する気だろ? ちゃんと自分の寝床で寝ろよ」

「ケチケチすんなよ、心の狭い奴だな」

「そういう文句は自分の毛がどんだけ抜けてんのか把握してから言え」



 そんなやり取りをしていたら、近くでくすくすと笑う声が聞こえてきた。

 フェンリルと一緒に振り向くと、メルヴィーナの姿。片手で水差しを持ったまま、もう片方の手で口元を押さえ、小さく肩を震わせている。



「す、すみません……なんかもう、聞いてるだけで面白くてっ……ぶふっ!」

「そこまで笑わんでも」



 何やらツボに入ったらしいメルヴィーナの手から水差しを取り、自分のコップに水を注ぐ。向かいでフェンリルが黙って手元のコップを差し出してきたので、そこにも注いでやった。



「仲のいいご兄弟みたいで、微笑ましいなァと……ぷくくくっ」

「完全に『微笑ましい』の範疇を超えてるぞ。それはもう『ウケる』の領域だ」

「いやもう、本当にすみません」



 顔をゆるゆると緩ませたまま、メルヴィーナは小さく頭を下げる。

 謝罪に誠意がこもっていない点については、とりあえず目をつむろう。正直なところ俺としては、フェンリルと兄弟扱いされることが嬉しかったりするのだ。



「俺はこんな弟いらねえ」

「そう言うなよ、俺はフェンリルみたいな弟がいたら嬉しいぞ」

「何で俺が弟なんだ、ふざけんな。つうか早く食え!」



 とうとう怒られた。

 それすら反抗期の弟という風に思えて、余計に顔が緩んだ。




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