二、間食
考え事をすると、腹が減るものだ。
「ミシェイリアさん、何か甘いものが食いたいです」
現在地、食堂。
ライディアスと話した後、しばらく図書室で調べ物をしていたんだが、あまりにも頭が働かなくなったんで、急ぎ糖分を摂取しに来た次第である。
ちなみにライディアスはと言うと、たぶんまだ読書中だ。俺が図書室を出る時、本に視線を注いだまま小さく手を振られた。集中力が俺とは桁違いだ。
「唐突なうえに、注文の範囲がえらく広いなぁ」
カウンター越しに厨房の方へ声をかけると、困ったような声が返ってきた。
頭のてっぺんで団子にまとめた長い髪が特徴的なその女性、ミシェイリアさんは、桃色の目を細めて困ったように笑う。
白のコックコートに赤いスカーフ、白のロングスカート、黒のギャルソンエプロン。カウンターに隠れて見えない足元は、確かローファーに近い革靴だったはずだ。
「考え事をし過ぎて頭が働かないんだ」
「あるある、よくわかるよ。糖分が欲しくなるんだよね」
「そういうわけなんで、何か甘いものをひとつ」
「漠然としているなぁ」
ミシェイリアさんは考え込むようなそぶりを見せ、ちらりと厨房の方を振り向いた。
何か作っていたのか、厨房から甘そうなチョコレートのにおいがする。それだけで更に腹が減る。
「どんなものがいい? ふかふか? さくさく? ぷるぷる?」
「選択肢が幼児向けだ」
「わかりやすいかなって。どんなものが食べたい? 大体何でも作れるよ」
「あー……じゃあ、ふ、ふかふかで」
「ふかふかね。チョコと生クリームだとどっちがいい?」
「チョコのにおいがするからチョコ」
「あはは、さっき湯煎してたからだ。おっけい、ちょっと待っててね」
にっこり、楽しそうな笑顔を浮かべて、ミシェイリアさんは踵を返す。鼻歌でも歌い出しそうなその後ろ姿を見送って、俺は適当な席に座った。ケーキにせよ何にせよ、今から作るなら時間がかかるだろう。しばらく待機だ。
首から提げた懐中時計を開くと、時間は十五時。昼食を食べ忘れたことに気付き、道理で腹が減るわけだと納得した。
「そうだ、リヴァイアスくん。飲み物はどうする? オススメはコーヒーだけど」
「あ、じゃあそれ、砂糖とミルク多めで」
「おっけい、甘めだね」
シャカシャカ、泡立て器のせわしない動きはそのままに、ミシェイリアさんがこちらを振り向いた。
「できるだけ急ぐからね」
そう言って、ミシェイリアさんは柔らかく笑って見せる。つられて、俺も顔が緩んだ。
砂糖菓子みたいだ、なんて、柄にもない例えが脳裏をかすめた。
***
「お待たせ、リヴァイアスくん」
ミシェイリアさんの弾むような声がして、目の前のテーブルにトレーが置かれた。
直径十五センチメートルくらいの、ホールのガトーショコラ。粉糖と生クリームが添えられ、見た目だけですでに美味い。
少なめのコーヒーの横に、一人分にはやや多い量が入ったミルクポットと、白と茶色の角砂糖がたっぷり入ったシュガーポット。
「砂糖とミルクはお好みでどうぞ」
「ありがとうございます、いただきます」
「ゆっくり召し上がれ」
ミシェイリアさんに促されるまま、コーヒーに角砂糖を四つ、ミルクも多めに入れて、コーヒースプーンでかき混ぜる。すっかり淡い色になったそれを一口飲むと、微かな苦みと砂糖の甘さが口に広がった。
それからスプーンを手に取って、生クリームと一緒にガトーショコラを一口。ほろ苦いチョコの味に、生クリームがとても合う。至福。
「美味い。最高」
「口に合ったようでよかったよ」
小ぶりとは言え、ガトーショコラをホールで食べられる幸せ。もぐもぐと味わっていると、すぐ傍でくすくすと笑う声が聞こえた。
「そんなに幸せそうに食べてもらえると、作った甲斐があるというものだなぁ」
俺が食べているガトーショコラの向こう側に、ティーカップが一つ置かれるのが見えた。続いて、目の前の席にミシェイリアさんが腰を下ろした。
「あれ、仕事は」
「自主休憩だよ。大丈夫、ちゃんと話は通してきたからね」
「……なるほど」
ガトーショコラを口に運ぶ俺の目の前で、ミシェイリアさんは紅茶をすする。
「それで、考え事っていうのは? よければお姉さんに話してごらん」
「あー……いや、大丈夫」
「何それ、どうせ私じゃ役に立たないって?」
「いやいや、違います! せっかくの休憩なんだから、頭も休めなければ、と」
「ああ、なんだ、そういうことか。それもそうだよね、確かに」
一瞬、むっと眉間にしわを寄せたミシェイリアさんだったが、あまりに慌てて手と首を振る俺が面白かったらしく、すぐにまた表情を緩めた。
「じゃあ、何か楽しいお話を提供しよう」
「楽しい話」
「とは言っても、私もあまり話題が豊富なわけじゃないんだけど、そうだなぁ」
そう言って、ミシェイリアさんはティーカップを置き、考えるようなそぶりを見せる。その様子を見守りながら、ガトーショコラを一口。やはり美味である。
「リヴァイアスくんって、地下の食糧管理室に入ったことある?」
「あー……いや、ないな。これと言って用事もないし、仕事の邪魔するのも悪いし」
食糧管理室は、確かこの事務所の地下一階と地下二階だ。
俺は入ったことがないけれど、田んぼで米を育てたり、畑で野菜を育てたり、肉や乳製品を得るために家畜を育てたり……と、広いスペースを使っていろいろしているらしい。
そのおかげで、俺は今こうしてガトーショコラを食べられているのだ。……などと思いながら、ガトーショコラをまた一口。
食料課の皆様に、改めて感謝である。
「そっか、確かに調査課はあんまり用事ないよね。アシュレイ部長は、よく新鮮な生野菜を求めて訪ねてくるみたいだけど」
「あの人、草食ドラゴンだったのか……」
「基本はね、野菜の方が好きみたい。でも、お肉もたまには食べるみたいだよ」
「雑食だった」
しかし言われてみれば、確かにアシュレイはどちらかと言うと草食っぽい気もする。
無駄に納得して頷いていたら、目の前でミシェイリアさんが小さく笑った。
「その食糧管理室にね、面白い人がいるの」
「面白い人」
「畑の管理をしている、ランチェットって人。知ってる?」
「ランチェット」
はて、おそらく初めて聞く名前だ。
聞いたことがあったとしたら、たぶん『ロケットランチャーみたいな名前の人』で覚えていると思う。おそらく。
「彼ね、元の世界では、魔王の討伐を命ぜられた勇者だったの」
「ゆうしゃ。……勇者!」
「すごいでしょ。だから、本当はすっごく強いし、戦いの知識も豊富なんだけど、」
そこまで言ってから、ミシェイリアさんが小さく噴き出した。
「戦うのが嫌いで、お役目を投げ出しちゃったんだって」
「勇者なのに」
「そう。勇者なのに。きっと、戦うには優し過ぎたんだよね、彼は」
くすくすと笑ってから、ミシェイリアさんは俺の目を見る。
「いつか機会があったら、君もランチェットに会いに行ってみるといいよ。きっと、為になる話が聞けると思う」
「為になる話」
「うん。君の場合、一人で考え込むより、一人でも多くの人に話を聞く方が、悩みの解決に繋がると思うよ」
にっこり、柔らかい笑顔を浮かべたミシェイリアさんは、そう言って人差し指を立ててみせた。
「以上、雑談に見せかけたお姉さんからのアドバイスでした」
「……何だ。結局、相談したみたいになっちゃったな」
「参考になりました?」
「なりました。ありがとう、ミシェイリアさん」
軽く頭を下げると、ミシェイリアさんは満足そうに笑った。