第8話 失望の日
【第六話 疫病と誘拐】
1098年。涼花11歳。
ネイコはこの年大きな問題に直面していた。
各地で天候不順で作物が取れず、飢饉が起こった。
王はすぐさま食料を国民に配り、対応を急いだが、それだけでは終わらなかったのだ。
「新型の疫病……」
ホタルは難しそうに考え込む。
既に政治の手伝いを行っているホタルは、この件の対応についても関わることになっていた。
関わるとは言っても、主導はあくまでも王であるが。
「ネイコは医療も進んだ国ですから、新型の病に効く薬の開発も可能なのでは」
涼花の言葉に、ホタルは少し気がかりがあるように小さく頷いた。
「そうだね。父上はリリー公爵を開発リーダーにして研究を進めているみたいだよ」
リリーという名前に、一人の少女の顔が浮かんだ。
一人で稽古をしていた夜に出会った少女、ロベリア。彼女はリリーの使用人だった。
あの日以来何度か夜に顔を合わせ、今では数少ない涼花の友人だ。
「リリー公爵がどうかしましたか?」
「いや、特にどうというわけでもないんだけれどね。
彼についてはいくらか良くない噂があるんだ。それに出世欲が強すぎる節もある」
出世欲が強いというのは聞いたことがあった。議会でも、かなり現王を貶めるきわどい言葉を言っては問題になっていた。
それでも彼が提案する政策は効果的で、周りも認めざるを得ない空気になっていた。
「悪い噂というと、また王様を侮辱するような?」
「いや。貧民街から子供を誘拐して、何か実験をしていると聞いたことがあるんだ」
「子供を……」
また浮かぶのはロベリアの姿だ。出会った頃から彼女の服装はみすぼらしく、健康状態も決して良いとは言えなかった。
それに、毎回会う時も顔が真っ青な時が多かったようにも思える。
「(まさか、ロベリアも……?)」
途端にカッと身体が熱くなる。どうしてもっと早くに気にしなかったのだろう。
具合が悪そうで医者に診せた方が良いと言った時、彼女はやめてくれと強い拒絶を見せたことがあった。あの時、無理やりにでも連れていくべきだったのだ。リリーから引き離すべきだったのだ。
「涼花?」
「あ、少し考え事を……。大丈夫です」
「……。あくまで噂だからね。
涼花、あまり首を突っ込まないように。これは命令だよ」
ホタルにしては珍しい強い言葉に少し狼狽える。自分が何を考えているのか見透かされたような感覚がしたのだ。
「了解いたしました」
ロベリアは数少ない友人、いいや唯一の友人と言っても良い。
しかしホタルの命令のほうが上だった。
―――――――――
夜。涼花はいつもと同じように庭で素振りをしていた。
風が吹き、花を揺らす。星が瞬き、虫の声が響き渡る。そんな美しい空間の中で一人――。
「涼花、今日は素敵な夜ダネ」
「っ! 驚いた。ロベリア……私の背後に立つの止めてくれないか」
一人だと思っていたのに、近くに人がいたことに驚く。
涼花はすでに何度か戦場に出たことがあった。もちろん、敵に背後を許すわけがない。
けれどロベリアはどうしてか気づくことが出来なかった。
「気づかない涼花が悪いヨネ。そーゆーとこ場慣れしていないヨネ」
「そういうロベリアは場慣れしてるのか?」
「そうダネ。今の涼花よりはあるだろうネ。
でも、ボクの方が涼花より上なのは別の理由ダヨ」
ロベリアはそう言って笑った。よく見ると、今日は姿が綺麗だ。ロベリア本来の品の良さが見て取れるような姿。
悪くはないけれど、不思議だと涼花が小首を傾げた時。
「ボクが強いのは、覚悟があるからサ。
だから、才能がある涼花も覚悟を決めれば強くなるヨ」
ふっと、視界が暗くなった。その後に鈍い痛みが首に走る。
「っが……」
「ごめんねごめんネ。ボクの大切なお友達。独りぼっちはもう嫌なんダ。一緒に行こうネ」
涼花は、ロベリアの言葉を聞きながらホタルを想った。
―――――――――
翌日、王宮は異様な静けさに包まれていた。
「父上。何を言っておられるのですか……?」
ホタルが愕然とした、けれど感情を抑えるように聞き返す。
対して、父親であり国王の彼は普段は優しい顔を険しく歪ませながら答えた。
「涼花はお前の側近から外すことになった。この件はこれで終わりだ」
「それが理解できないと言っているのです。涼花はどこへ行ったのですか……!」
朝、一番に涼花の顔を見ることが好きだった。
またこんな早くに起きたんですか、ちゃんと寝たんですか? と心配と呆れを混ぜて顔色を気にしてくれることが幸せだった。
そんな日常の幸せを期待して執務室で待っていたのに、彼女は来なかった。
挙句、国王に呼び出され側近を外すと。
この絶望が、理解できるだろうか。
「ホタル、お前は次期国王だ。優秀なお前なら聞き分けられるだろう?」
「!」
ホタルは頭に血が上るのを感じた。
以前から、両親が自分よりセンを可愛がっていたことは知っていた。センのわがままは聞いて、ホタルには聞き分けろと言う。
けれど今回はそんなこと出来るわけがない。
涼花はホタルの全てなのだから。
「涼花が今どこにいるのか教えていただけませんか」
「それもできない。ホタル、大人には事情があるんだ。今ネイコは飢饉と疫病という大きな問題に直面している。ホタルは今……何歳だったかな……とにかく、子供はおとなしく従いなさい」
上った血が、すっと引いていく。
ネイコの国王は温和で国民想いの優しい王だ。今の言葉だって極力優しい声音だった。
けれど自分の子供に対しての接し方は少し考えものだと思う。
「(優秀だからと仕事を任せるのに、こういう時は子供だから従えという)」
罵る気力も湧かなかった。王が自分に無関心なんだと再確認しただけだ。
「王族はいつも気高く誇り高くいなければならない。この程度で狼狽えてはならないよ」
家族はセンを愛した。周りはホタルの内面を見てくれなかった。
唯一、涼花だけがホタルを叱り、共に笑い、隣で笑ってくれた。
「この、程度……」
握りしめた拳がぶるぶると震える。
涼花が自分に何も言わずに消えるわけがない。それに、王宮がまるで緘口令をしかれているように静かなのも不自然。
この不穏な時期、何かに巻き込まれたと考えるのが妥当だ。
ホタルはにっこりと優雅な笑みを浮かべた。
「申し訳ございませんでした。"私"は一国の王子として、凛然とした態度を忘れぬようにしなければなりませんでした」
「理解してくれたのならよかった」
「はい。今後もご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします」
そして部屋を出る前に、思い出したように一言加えた。
「そうだ父上。私の年齢は14ですよ」
涼花が好きだとよく言っていた湖色の瞳は、失望の色に染まっていた。
―――――――――
『お気に入りの場所なんだ。他の人には内緒だよ』
『わあ、素敵な場所ですね。……って、ここ城から結構離れてますけど、どうやってこの場所を知ったんですか!』
『夜こそっと抜け出して、かな』
『ホタル様……!』
これはいつの事だっただろうか。涼花は思い出をぼんやり浮かべていた。
この場所で花を摘んで、アレアにプレゼントしたことは覚えている。その後、ここではないけれど城の花畑で四人ピクニックをしたことも。
『ふふ、ごめんごめん。今後外に出る時は必ず涼花も連れていくから』
『そうして下さい。心配で目が離せませんよ』
『それはそれで悪くないかも』
『悪いです』
この時はまだ自分の髪も長くて、女の子らしかったなと思う。
『あ、四葉のクローバーだ。ちょっと動かないでね』
慣れた手つきでホタルが見つけるので、内心驚いていたことを思い出す。今思えば、あのころからホタルは草花に関心があったのだろう。
そして見つけ出したクローバーを涼花の髪に飾る。
『うん、似合ってる。君には幸せになってほしいから』
気障だとは思うけど、あんまり彼に合っていたから何も言えなかった。
周りのご令嬢方も虜だった王子様っぷりなのだから。
『私も、ホタル様に幸せになってほしいと思っていますよ』
『ありがとう。涼花が幸せなら、その願いは叶うよ』
君の幸せが僕の幸せだから。
ぴちょん、ぴちょん。
雫が落ちる音が耳に響く。
ふっと視界がクリアになった。
「いった……」
起き上がろうとすると、首の後ろがずきずきと鈍痛を訴えた。
「あ、ロベリアから気絶させられて……」
「そしてこの地下室に運ばれたんダヨ。ごめんね、いろんなところから水漏れしてるけど、気にしないデ」
声の方を向くと、そこには気絶させた本人がいた。
彼女はボロッとしたベッドに胡坐をかいて、向かいで真っ白なベッドで身を起こす涼花を見ている。
「一緒の部屋になってよかったネ! うれしいなぁ」
あたりを見回すと、そこは冷たいコンクリートの壁に囲まれた狭い部屋だった。
電球も一つしかなく、ベッドは二つ。汚いベッドと、真っ白でふっかふかのもの。扉は木造だが、近づいて確認すると外から施錠されているようだ。
「ここ、ロベリアの部屋なのか?」
「そうダヨ」
自分に用意されている備品はロベリアの物とは明らかに質が違っていることに、涼花は嫌な感じがした。ここがロベリア部屋で家だというならば、同時にリリーが与えている場所だとも容易に想像できる。お世辞にも環境のいい場所とは言えなくて、ロベリアの生活に不安を感じた。
「リリー公爵はどこ」
「すぐ来ると思うヨ。主人は涼花のことをやたらと気にしていたカラ」
なぜこの場所に連れてきたのか、何をしようとしているのか。
首を突っ込まざるを得なくなった涼花はこれから起こる出来事をただ待つことしかできなかった。




