第4話 実力主義国家
【第二話 実力主義国家】
鈴蘭は暗闇の中にいた。
『誰か……!』
普段の彼女にはあり得ないことだが、寂しさや心細さといった感情が彼女の中に湧き出てくる。
『誰か……ーー!』
暗闇で独り。前も後ろも上も下もわからない。
誰の名前を呼びたかったのか、それも…わからない。
ただ、怖い。自分が自分である理由が、証拠が、見つからない。自分で自分がわからない。だって彼女には《過去》が欠けているのだから。
『っ……。私は誰? 独りは嫌だっ』
『大丈夫だよ』
温かい声が耳に届いた。
不安で哀しくて仕方がなかった感情を一掃する、懐かしくて、柔らかな声。
『大丈夫だよ』
幼い少年が姿を見せた。ぼんやりとしてはっきり見えないが、鈴蘭は彼を知っている気がした。
思わず彼の方へ走り出す。走れど走れど暗闇は変わらない。少年に手が届かない。
それでも鈴蘭は走り続ける。
『待っていて……! 私が必ず』
貴方を護るからーー
_________
鈴蘭はぐったりした気持ちで目を覚ました。カーテンから朝日が溢れていて、爽やかな朝。けれど鈴蘭の気持ちは爽やかじゃない。
「また……あの夢」
暗闇に怯える自分。助けてくれる蜂蜜色の髪の少年。
数週間前の山賊討伐の一件以来、この夢を何度も見るようになった。しかも妙に身体が怠くなるのだ。これが悪夢と言うやつなのだろうか。……それにしては悪い気持ちにはなっていない。
「まぁいい。とにかく今日は王都に到着せねばな」
もうすぐ王宮審査が開催される。今日は王都の隣の村の宿に泊まっていた。
「王都か……何年ぶりだろう」
革命が起こってから5年と数ヶ月。鈴蘭が王都を出たのが革命から1年後のことだった。約4年……といったところか。
「さぁ、そろそろ出発するか」
………
……
…
そうして、王都へ到着した。鈴蘭にとっては、あまり良い思い出はないにしろ、懐かしさを感じる場所なのだが……
「いらっしゃい、いらっしゃい! 安いよ!」
明るい人々の声。道路を走る沢山の馬車。
鈴蘭は自分の記憶にある王都と全く違う王都に、目を丸くした。懐かしいと感じる部分は多少あれど、綺麗に整備され、最新の技術を取り入れた街並みは4年前と比べ物にならない。
「本当にここはクレアノトなのか?」
思わず呆然とするくらいに活気のある街。
昔は騎士に怯えて外を出歩く人がいなかった街は、今や人で溢れかえっている。クレアノトの名所の一つである噴水広場には、大道芸人や演奏家が人々の表情を明るくさせている。
楽しげな音楽を聴きながらレンガ造りの街並みを見る。治安が悪く、壁が血に汚れ、喧嘩がどこかで必ず起きていた頃があったなんて思えないほど美しい。
「4年って……長い時間だったんだな」
これが普通であることが普通なのだろう。革命前後の荒廃した姿を当たり前だと思っては、前に進めない。
今の情勢に詳しいわけではない鈴蘭は、おぼろげに新聞を思い出す。
確か今は、治安が悪かった革命前頃の王が、王の息子で第一王子【タイガ】に政権を譲ったのだ。まだ王ではないものの、現在実質的な王はタイガ王子だ。
そして、タイガ王子を支えるのが第二王子であり軍部大臣のカイト王子。もう一人、末っ子で第一王女であり外務大臣のフローラ姫である。
「ここにありますは世にも不思議な魔法の箱っ!」
「仕掛けが見えてるぞー!」
「あははは!」
穏やかな人々の表情を見ているだけで、ジェミニカがいかに平和になったのか実感する。
民衆の恐怖の対象だった騎士はまともになり、新しく【警察兵】という街の治安維持部隊ができた他、街を騎士や近衛騎士がパトロールに来ているおかげだろう。
これから王都に住む鈴蘭にとしても、とてもありがたいことであった。
ジェミニカで起こった《白の革命》については、別の機会に詳しくお話しよう。今回はジェミニカ特有の軍事制度の説明をしたいと思う。
ジェミニカは実力主義国家である。
革命以後、地位や家柄に関係なく能力のある者が重役につけるシステムを取り入れた。
それが特に顕著に現れているのが軍事制度だ。以前まで身分があれば誰でもなれるような騎士団だったが、それがガラリと変貌した。
今も貴族や王族が出資して騎士団を保っているけれど、革命前とは違い騎士になるために身分は関係ない。ただ、騎士になるには二つ条件がある。
一つ、相応の実績と実力を持っていること。
二つ、自分の出資者を得て騎士に任命してもらうこと。ただし、任命する権利を持っているのは王族と一部の貴族に限る。
そして、王族所有の騎士団が近衛騎士団というわけだ。
「あの……大丈夫か?」
鈴蘭が果物屋の前で突っ立って脳内整理していると、果物屋の青年から遠慮がちな声をかけられた。
それもそうだろう、何か買うわけでもなくかれこれ数十分はここを占領しているのだから。
「ああ、すまない。考え事をしていた」
「こんなところで!? 変わってるな。一瞬不審者かと思って警察兵に付きだそうかと思ったよ」
「警察兵か……丁度いい。私は王宮審査を受けに来た旅の者なのだが、兵隊について教えてくれないか?」
そう言いながら、鈴蘭はりんごを手に取る。
「ここの品は良いものが揃っているな。大量買いしてしまうかも」
にこっと紅の瞳を細めると、対して青年は目を丸くした。そしてお腹を抱えて笑い出す。
「あっはっは! 気前の良い客のためならそれくらい喜んで!」
青年はにかっと元気な人懐っこく笑った。
オレンジがかった茶髪に、透き通った蜜柑色の瞳が爛々と光っている。少し焼けた肌の色と、比較的小柄な割に筋肉でがっしりとした身体は健康優良児という言葉を思い出させる。
「説明するぞ。
まず、王宮の一般の兵団は三種類ある。警察兵隊、機動隊、総合兵隊。
《警察兵隊》は門番をしたり、街のパトロールしたりする。
《機動隊》は一般兵で一番戦闘能力のある人たちの隊だ。軍事作戦とか暴動の鎮圧とか……有事の時はこの隊が活躍するな。
《総合兵隊》はその名の通り、何でもアリな隊だ。戦闘能力重視の機動隊に対して、頭脳戦とかトラップ得意な人とか、そういう人が集まる隊だ」
「ふむ」
鈴蘭もそれくらいは知っていた。とはいえ今まで王都から離れた辺鄙な村に居たものだから、確認のために聞いておきたい情報だった。
「で、そういう一般兵で実績と実力を積んだら騎士になれることもある! まぁ稀だし、いきなり騎士になる人もいるけどさ。……特に王族に仕える騎士が近衛騎士団だ」
近衛騎士団と聞いて、鈴蘭は遠い目をした。
「最近会ったな」
「……ええっ!? 近衛騎士に?」
「ん……美人だけどちょっと変な女騎士」
騎士なんてそうそう会えるものではない。青年は、ぼんやりと話す鈴蘭に驚いたような目を向けた。
あんたの方が変じゃないか? と思いながら。
「えっと、続けるぞ。……騎士団の中でも最も最強で最高の騎士団《スラン騎士隊》! 白の革命の後に出来た騎士団で、白き英雄スランにあやかった名前なんだ。これは、貴族の騎士とか王族の騎士とかの中でもトップクラスの実力者を集めた部隊だ。つまり! エリート中のエリート! 少数精鋭の実力者揃い!!」
果物屋の青年が急に熱を込めて喋りだすから、鈴蘭は少し引いた。目はキラキラと光っているし、息が荒くなって、ずいっと鈴蘭の方へ身を乗り出して語るのだ。ちょっとこわい。
「スラン騎士隊は知らなかったな……。でも貴族が自分の優秀な騎士を大人しく差し出すか? というか、スラン騎士隊はどこの所属になる?」
「よく聞いてくれた!!」
青年は鈴蘭の手を握る。まるで共通の趣味を持つ同士を見つけたような、まるで熱心な生徒に教えるような笑顔で。
鈴蘭も流石にぎょっとしたが、さり気なく手から抜け出すにしては、彼の力は地味に強かった。折角詳しく教えてもらえそうなので、渋々そのまま聞くことにする。
「スラン騎士隊は王族所有ってことになってるんだ。何で貴族が優秀な騎士をスラン騎士隊に入れるかと言うと、それによって王族への発言権が増すから。実力主義国家とはいえ、政治の中心はタイガ殿下ら三兄妹だろ。恩を売る行為は貴族にとっても不利益ではないってこと」
そうして手を握っていることを忘れているのか、あとは……と考えている。
「《その他》とか、かな。ジェミニカは実力主義国家だから、能力があれば急に重役にスカウトされるもあるな」
鈴蘭はタイガ王子の側近だと言っていたショールという青年を思い出した。騎士じゃないと言っていたのに側近という地位についていたのは、それもありとされているからのようだ。
「色々教えてくれてありがとう。助かった。……ところで、そろそろ手を離してくれると嬉しいのだが」
淡々と照れる様子もなく鈴蘭が言う。が、手を握ったままだとやっと思い出した青年は、鈴蘭とは真逆の様子で慌てて手を離した。
「うわぁ! ごご、ご、ごめん! つい!」
ぴょんと距離をとった青年が、どうも小動物のようで可笑しくて、鈴蘭は微笑を浮かべる。
「ふふ、気にしてない」
「!」
すると青年は急に狼狽えた。仄かに頬を赤らめ、目をそわそわと動かしている。明らかにおかしい。
「どうした?」
「えっ! あ、いや。男相手に俺は何照れてんだろう……」
「?」
ボソボソと喋るため鈴蘭にはよく聞き取れなかったが、それよりも少し気になっていたことがある。
「それにしても、貴方は随分軍事制度に詳しいな。……なぜだ?」
普通の果物屋の店員が、貴族の思惑やらなんやらを詳しく知り過ぎな感がある。先日の、宿屋の従業員の件もあるので鈴蘭は少し鋭い視線を彼に送った。
けれど青年はどうしたこともなく……むしろ楽しそうに笑う。
「実は俺も今年王宮審査を受けるから、勉強したんだ。白き英雄に憧れてて、騎士を目指してる!」
憧れていると、そう言い切った姿は鈴蘭には眩しかった。
「俺の名前は、ライト=イルレシア。王宮審査でもよろしくな!」
※※※※※※※※※
「うあああ。とうとう俺が登場した!!」
すごい鳥肌。普通に怖い。
序盤に鈴蘭の見た夢が書かれてたのも怖い。
「自分が勝手に本に書かれてるって……怖いな。どこから見てたんだよ、本当に」
それにしても、鈴蘭との出会いは昨日のことのように覚えてるなぁ。
あの微笑に、なぜかドキッとして……その時はまだ鈴蘭を男だと思ってたから、自分がそういうのに目覚めたのかと一瞬思ったものだ。俺はあの時から既に鈴蘭のことを気にしてたのかも。
あの後実際に鈴蘭は大量買いしてくれて、別れ際に『王宮審査、頑張ろうな』って微笑んでくれた。
「……なんか恥ずかしい。本にされるって、恥ずかしい!!」
とにかく、次は第三話。王宮審査の日が来る!