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忘却の白と黒の記録書  作者: オトノシユ
1章 王都騒動編
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第16話 鈴蘭の怒り

――先生。俺はあの時貴女を裏切ってしまった。もしもあの手を掴んでいたら、今も俺の隣にいてくれましたか? それとも、壊れてしまっていたのでしょうか……?



――先生。貴女のいないセピアは寂しいです。前のように俺と稽古をしたり、料理をしたり、普通に暮らしたい。貴女に会いたい。



――先生。貴女がセピアを抜けて一年です。貴女の活躍はこんな遠くでも聞こえて来るんですよ。貴女が英雄としての役目を終えたら、また帰ってきてくれますか?



――先生。英雄が失踪したそうです。けれど貴女は帰ってこない。……それもそうですよね。《カラア民族掃討作戦》でセピアは優しい貴女を兵器にしてしまった。「ここには私の正義がない」と言って出ていったあの日の先生を、忘れられない。



――先生。覚えてえますか? 俺の罪を一緒に背負うと言ってくれた日のこと。俺は忘れたことはない。あの時から貴女は俺の唯一なんです。



――先生。鈴蘭先生……




_________




「立て、ショール」


アルフレッドの冷たい声と、首に当たる剣の冷たさに、ショールは朦朧としていた意識を戻した。


「(出血多量……これ以上動けば、仮に生き延びれても後遺症が残るかもなぁ……)」


全身が熱い。痛い。ぼんやりする。

あれから相手にも多少傷を負わせることが出来たが、その倍以上の傷を負わされた。


「(やっぱり能力が突出するカラア民族には勝てないのかな……? ははっ、俺は所詮凡人、か)」


圧倒的力の差にコンプレックスが刺激される。


昔、ショールは自分の無力さを感じたことがある。


だから努力してきた。努力して、努力して、本当に血を吐いたこともある。

頼れないと言われないように。

自分も戦えるのだと言うために。

大切な人に置いていかれないように。


「俺に非があったことは理解している。……だが、もしカラア族掃討作戦なんてなければ、先生は壊れずに済んだ! 俺たち家族は今も平凡な幸せの中暮らせていた!」


アルフレッドの声が聴こえた。けれどショールは言葉の意味を理解できない。ぐらぐらする頭が身体の機能を止めようとしている。


視界の端で剣が振り下ろされるのが見えた。


もう駄目だ。


瞼の重さに従い目を閉じようとしたその時。




「アル、作戦終了ダヨ」




ゾッとして目を開ける。

ショールの苦手な人ランキング二位の人物の声だ。


「ロベ…リ、ア……」


掠れた声を絞り、顔を上げた。そしてまた驚いてしまう。

彼女が腕から血を流していたのだ。


ショールの認識では、ロベリアは誰よりも強い。今まで騎士が命懸けで相手をしても、誰も彼女に傷を負わせることが出来ずに散っていった。

なのに今、ロベリアは深い傷を受けていた。


「流石鈴蘭……。少し見くびっていたヨ。死ぬかと思っタ」


「だろうな。で、作戦終了ということは誰か捕まったのか」


「ヒスイと戦っていたヨモギが捕まったとの連絡が入ったヨ。もう十分時間は稼げたし、正門で戦っているクローリア爺さんにも撤収って言っておいテ」


「了解した」


アルフレッドの目にはもうショールは映っていなかった。幸いなはずなのに、それが取るに足らない存在だと言われているようでショールのコンプレックスをますます刺激した。


「ま……てっ……!」


「ショール、やめておきなヨ。ボクは君を殺せナイ。あの人と約束しているからネ。だから無駄な抵抗しないデ」


ロベリアは淡々と言うと、背を向けて歩きだす。ぼやける視界の中で、アルフレッドが耳に手をあてて一人で喋っているのが見えた。




_________




クローリアはセピアの一員だ。

普段はいわゆる執事という役職で働いている。

妻も娘もいたが、貴族に捕まり……その先は言うまい。


それからセピアのリーダー、《ミヤケ》に拾われ、彼の養子であるアルフレッドに剣を教えてきた。

ミヤケはセピアのリーダーであると同士に、カラア族の長でもある。


セピアは組織というより、元々一家の名前だ。戦いがない時はごく平凡に過ごしている。

寂しい人々の集まりだからこそ、それがとても居心地がよかった。



数年前、アルフレッドが記憶喪失の少女を拾ってきた。名前も覚えていないその少女は、真っ白な髪に紅色の瞳が美しい少女だった。

彼女は自分で自分に鈴蘭と名付け、セピアの一員となった。



きっとその時期が一番幸せだったのだろう。



けれどカラア民族掃討作戦が始まり、多くのカラア族が犠牲になった。そして鈴蘭の剣の才能を知るミヤケは、ある決断を下す。



鈴蘭をカラア族の最後の切り札として、その戦いに出したのだ。



鈴蘭は記憶喪失でも、剣術だけは覚えていた。

……だが、それが何だというのだ。

彼女はただの女の子。人を殺めることを続けられる訳がなかった。

けれど家族のために鈴蘭は頑張ったのだ。そこに正義があると信じて。


結論から言って、鈴蘭は驚異的な力を持っていた。村に来た騎士で生きて帰れた者はいない。その殆どは鈴蘭のやったことだ。

騎士のいくつか出てきた手紙には、《セピアの悪魔》と書かれていた。





――それから紆余曲折があり、セピアに裏切られたと思った鈴蘭はセピアを抜けるのだが、その話はまた今度。




「考え事とは、随分余裕なのだなっ」


クローリアが昔へ思いを馳せていたとき、カルセドナの声が現実に引き戻した。


強さは互角。テクニックも互角。

けれどクローリアが上回っていたのは、死線を潜り抜けた数の差……ということだろう。



――そこへ、"通信機"から連絡が入ってきた。



「……カルセドナさん、どうやらお終いの時間のようです」


「逃げる気かっ」


カルセドナも無傷ではない。疲弊した身体を自覚しながらも、目の前で敵を逃すような真似は避けたかった。


対してクローリアは達観したような微笑みを浮かべる。その姿はまるでどこかの仙人の様だ。


「一つ貴女にアドバイスを差し上げます。……時を見誤らないこと。間違えないようにしなさい。時を見誤れば、貴女は大切なものを守れない」


カルセドナの心に、何かが入ってきた。

その言葉があまりに自分に当てはまるように思えて、無謀だと理解しながら踏み出そうとした脚を止める。


「……心に留めておこう」


「ええ。貴女が利口な方で良かった」


そしてクローリアはカルセドナの前から姿を消した。

カルセドナは張り詰めていた気を解くように息を吐いた。けれどまだジャスピアンは兵士との攻防を続けている。一般人に危害を与えてはいけないというカイトからの命令のために、兵士も動きにくそうだ。


すぐに加勢に行かねば。

カルセドナがそちらへ向かおうとしたその時



「争いをやめなさい」



堂々と響き渡る声。

誰もが一瞬にして動きを止めた。それほど力強い何かがあったのだ。


「私は第一王女フローラ。

人を傷つければ、それが争いを呼ぶ。この悲しい戦いを終わりにしましょう」


フローラは一斉に集まった視線に、一瞬身体を硬くした。中には負の感情が篭った視線もある。

けれどここで目を逸らせば、すべてから逃げることになるとわかっていた。


とにかくこの場を収めなければ。


フローラは門から外へ出て、自分の気持ちを口に出し始めた。




_________




その頃、鈴蘭は重い脚を引き摺って正門へと向かっていた。ロベリアとの戦いで、脚に深い傷を負ってしまったのだ。


ヒスイは鈴蘭に近しい実力を持っていたが、ロベリアほど鈴蘭と互角の力はまだない。

そもそも、鈴蘭は自分と互角かそれ以上の実力を持つ人と戦ったことがなかった。


……慢心があったのかもしれない。


考えて考えて、相手を必要以上に傷つけないようにと思っていたのに。ロベリアとの戦いでは、気づいたら全て頭から消えていて、ただ本能のままに剣を振るっていた。


「ずっと、コントロールしてきたのに……」


鈴蘭は記憶喪失で目覚めたときから、剣の才能があった。


けれどそれは特殊な殺人剣術だった。


剣を持つと、意識がぽんっとなくなり、気づいた時には周りに生きた人がいない……という恐ろしい剣術を会得していたのだ。

そんな恐怖、耐えきれなかった。



だから自分を抑えるために試行錯誤を繰り返し、コントロールする方法を探し出した。

感情を出さない、言葉遣いも端的にする、服装が男装なのもそれが理由だ。そうやって自己の抑制を努めてきた。


「姫様……」


フローラの凛とした声が聴こえる。やっと見つけた。


鈴蘭はほっとしてフローラの方へ駆けようとしたが……


「! 姫様危ない!!」


フローラの後ろにいた兵士が突然彼女に斬りかかろうとした。


鈴蘭は駆け出すが、この距離では間に合わない。鈴蘭と同時に気づいたカルセドナの距離も難しい。他の兵士は咄嗟の反応ができなかった。


フローラは鈴蘭の声に振り向き、小さく息を飲んだ。


「ぁ……」

「姫っ!」


フローラは緑色の何かに押し飛ばされて、剣を避けることができた。少し剣が肩を掠め血が出たが、命に別状はない。


「あ、ヒスイ……」

「姫、肩に傷がっ」


フローラの守った緑色はヒスイだった。フローラの傷を見て自分の傷のように辛い表情になる。走ったせいで乱れた髪と、辛そうに揺れる瞳。

そんなヒスイに、フローラの心がぽっと温かくなるのを感じた。


「ん、大丈夫。ヒスイのおかげで助かったわ。ありがとう」


フローラはヒスイを安心させるように微笑んだ。

が、鈴蘭のことを思い出してがばっと振り返る。


――嫌な予感がしたのだ


「……貴様、よくも……」


フローラの予感の通り。


鈴蘭の紅色の瞳が怒りで満ちていた。ロベリアとの戦いで気持ちが昂ぶっていたことも影響しているだろう。いつも冷静で感情的にならない鈴蘭が、フローラを傷つけたことに制御できないものを溢れさせた。


けれどフローラに斬りかかった兵士は鈴蘭に気づかない。それどころか、再びフローラに剣を向けたのだ。


ヒスイがフローラを守るように構える。


しかし、何よりも速く――


「ぇ」


誰もが自分の目を疑っただろう。

その兵士の剣が、いきなり真っ二つに折れた。


もちろん自然に折れたわけがない。鈴蘭がやったこと……誰も視認出来なかっただけだ。

そして次の瞬間には、兵士は鳩尾に突きを入れられ、地面に倒され、首元に剣を突きつけられていた。


「なぜ姫様に剣を向けた。ジャスピアンの仲間か、それともどこかの間者か?」


「ひっ!」


突きつけられた剣が薄く肌を割く。

鈴蘭に宿るのは、怒りと殺意。


「答えろ」


外から見ていたヒスイや他の兵士たち、騎士でさえ、鈴蘭の殺気に無意識に身を震わせる。

それを向けられている兵士からしたら、口を開くことも出来ない。無意味な呻き声しか出ない。


実力剣術はもちろん、鈴蘭の雰囲気はそこらの人間とは一線を画す。白き英雄やら、セピアの悪魔やら言われるだけある。






けれど鈴蘭ははっと目を見開いた。


セピアにいた頃、一夜で騎士団を壊滅させた。

宵闇にいた頃は、何人もの反王政派を粛清した。

怯える人に剣を向け、信じた正義のために戦っていたはずだった――


……今の状況が、あの頃と重なった。


「……はぁ。安心していい。私は殺したりしない」


鈴蘭は必死に理性を掻き集め、深く呼吸する。目の前で怯える姿に、さっきまでの怒りは冷え冷えとしたものに変わった。


いつも通り、淡々としていればいい。


鈴蘭は睡眠薬を染み込ませたハンカチを兵士の口に当て、眠らせる。意識を失ったのを確認して、やっと剣を鞘に収めた。




「鈴蘭、ありがとう」


「すみませんでした。貴女を、守れなくて」


フローラの優しい言葉に鈴蘭は俯いたまま動けない。


自分は何度も繰り返す。


誰かを守りたいのに。

もう誰も傷つけたくないのに。

けれど、守るためには別の誰かを傷つける。



『キミが守りたいものは、キミの後ろにいる人なの? キミの前にいる人なの?』



ロベリアの言葉が鈴蘭の頭に反芻した。彼女は的確に鈴蘭の悩みを見抜いていた。


フローラが斬りかかられる前に、兵士の生死を無視して剣を抜いていれば、フローラは助かったかもしれない。けれど鈴蘭はその考えを捨てていた。


唯一フローラが無傷でいる可能性を無意識に除外していた。


「私は貴女に傷を負わせた。私がすぐに考えて決断していれば――」

「聞いて、鈴蘭!」


ピシャリとフローラが言葉を遮る。鈴蘭は吃驚してフローラの顔を見た。フローラの顔は明らかに怒っている。


「ヒスイが私を庇ってくれた。鈴蘭が私を守ってくれた。これはどういうことか分かる?」


「私は姫様を庇えなかった、ですか……?」


「違うのよ。鈴蘭は全て自分でやろうとする。だから何でも同時に出来ない、取捨選択しなければならないって思ってしまってる! でも私は助かった……ヒスイがいたからよ。鈴蘭は一人じゃないのよ。一人で出来ないことは、二人で、二人で出来ないことは三人、四人でやるの」


ずっとフローラは鈴蘭に伝えたかった。誰かが隣にいても、一人であろうとする鈴蘭に。


「なんでも一人で抱え込もうとしないで。鈴蘭には仲間がいる。仲間は一人では出来ないことを可能にする唯一の方法なの! どちらかを犠牲に、とか、そんなんじゃないの」


フローラの意見は傲慢だと、鈴蘭は思った。一人で出来ないことを協力することで全て可能にしようとする。何も捨てようとしない。

それを傲慢と言わず、何と呼ぶだろう。


けれどそんなフローラだから主にしたのだ。


フローラは鈴蘭とヒスイの手を握って、ジャスピアンの方へ向き直った。


「ジャスピアンもそう。私はこのジェミニカを変えたい! 誰もが幸せになれる。ただ平凡な、だけど大切で、幸せな国をつくりたい! そのためには私一人でも、王族だけでも、王都の人々だけでも不可能なの。ジェミニカ全ての人々の協力が必要なのです! ……だから、こんな争いは、終わりにしましょう」


ジャスピアン、騎士、兵士、王都の人々。皆がフローラの言葉に耳を傾けていた。

鈴蘭も、ヒスイと顔を見合わせ気が抜けたように笑い合う。


フローラの言葉が終わった時には、ジャスピアンは兵士たちに包囲されていた。


こうして、王都の大騒動は幕を閉じた。



_________




「うぅっ。わたしの斧がぁぁ」


ヨモギは無表情でめそめそしながら、アルフレッドに担がれていた。

ヒスイの戦いで簡単に敗れ、衛兵に引き渡されたあと斧を押収されたのだ。


「我慢しテ。ヨモギを奪還するので手一杯だったンダ」


「ロベリーダーが怪我してるの初めて見たッス! ロベリーダーも人間だったんスね!」


「その、ロベリーダーって止めてくれないカナ?」


アルフレッドは騒がしい二人を無視して、ぼんやり鈴蘭のことを考えていた。


「(先生に会いたかった)」


「おーい、アル? また鈴蘭のこと考えてル?」


「……(ロベリアは先生に会えたなんて、羨ましい)」


薄紫髪の美青年は、不服そうだ。ロベリアはそれを見て面白そうにクツクツ笑う。


「アルって、剣を握ると饒舌なのに、普段はほんっと喋らないヨネ。でも言葉がなくてもその表情はわかりやすいネ」


「……それより、こっちで合っているのか」


アルフレッドはヨモギに尋ねる。

というのも、侵入脱出経路についてはヨモギが担当していたからだ。


「東門で間違いないッスよ。内通者の人に頼んでおいたッスから」


やがて控えめに開いた東門が見えてくる。兵士は全くいない。一体どれだけ影響力のある内通者だというのか。

アルフレッドは少しばかり気になったが、セピアのリーダーたるミヤケが、リコリスとの協力を認めたのだ。そこに口出しなんてとんでもない。


「クローリア爺さんも無事撤退したらしいヨ」


「(わかった。集合場所までの経路は俺に任せてくれ)」


「……了解。無言でも伝わるもんだネ」


アルフレッドは城を仰ぎ見た。


何より誰より大切な人が――鈴蘭が囚われるこの城を。


「(先生。いつか貴女を利用するこの場所から助け出してみせます。……もしかしたら、貴女はそれを望まないかもしれないけれど)」




※※※※※※※※※




「鈴蘭が、セピアのメンバーだったなんて……」


……。

………。

これは白き英雄だと知ったときより……ショックだ。


でも、鈴蘭にも葛藤があるって、何か不思議なかんじだった。葛藤がないなんて、そんなのあるわけがないのに……。


それはどうやら……先輩もそうみたいだし。


謎は本当に多い。

ヨモギが言う内通者って、姫に斬りかかった兵士のことなのか? とか

ロベリアと先輩の関係性とは? とか

鈴蘭の正体は何なのか? とか


……でも、何があっても俺たちは後悔する。どうしても無力だと、知ってるから。



「だからこそ、俺が今できることは……この本を読んで真相を突き止めることに、違いないっ」

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