少年と少年
譲ってやる余裕など、無かったのだ。
少年はそう呟いた。
感情の読めない瞳は硝子玉のようで、彫刻のように固く握られた手には、ぐしゃぐしゃになったパンがあった。
彼の目の前に居るのは、頬を濡らしたまま、固く目を閉じた少年。
泣き疲れ、眠っているように見える彼は、二度と目を覚まさない。
お腹が空いていたから……生きる為には仕方がなかったのだ。
黒く汚れた頬を、ボロボロの服の裾で乱暴に拭った少年は、目を覚まさない少年に背を向けて走り出した。
追いかける者はいない。
けれど、彼は逃げるように走り続けた。
そう、彼は逃げていたのだ。
自分の心を飲み込もうとする罪悪感から、恐怖から……。
背後で、馬の嘶きが聞こえた。
人々のどよめきが響く。
パンを服の下に隠して、少年は戻った。
其処には、馬車と暴れている馬を大人しくさせようと躍起になる男達、そして、何かから目を背ける人々の姿があった。
罪悪感と恐怖と好奇心が、彼を前へと押しやる。
大人達を掻き分け、見えなかった光景を瞳に映す。
硝子玉のような瞳が見開かれ、感情が戻る。
映るのは、馬と男達と真っ赤な水溜り。
水溜りには、見るも無残な少年の姿があった。
先程、眠っているかのように見えたあの少年の、変わり果てた姿が。
自分のせいだ。
押し寄せてくる感情についていけず、彼は吐いた。
空っぽの胃が吐き出せるモノなど、せいぜい胃液と唾くらいだ。
だというのに、それは収まる事は無かった。
人々はそんな少年を気にも留めず、興味を失った者から離れていく。
誰も、少年を助けようとはしない。
馬が大人しくなる。
男達は鞭を使い、馬車を走らせた。
乗っていたであろう人物は、一度も顔を覗かせなかった。
少年は乱れた息を整えると、血溜まりで眠る少年に近づいた。
鉄の匂いが、足から伝わる感触が、温度が……再び何かを込み上がらせる。
人通りが多すぎて、馬車が多すぎて、誰も少年達の事を気に留めない道。
生きる為には、仕方がなかったんだ。
少年は必死に言い訳をする。
これも、運命なんだ。
少年は必死に理由を探す。
きっと、きっと……
少年の体が宙に舞う。
感情を取り戻した瞳が、再び硝子玉に戻っていく。
「ちっ! こんな所に突っ立ってんじゃねぇよ!」
苛立った男の声が、鞭と馬の嘶きの間に響く。
赤い水溜りがもう一つ出来上がる。
硝子玉の瞳が空を映す。
少し離れた場所に落ちたパンは、馬と人に踏まれ、鳥達がついばむ。
「……金目のものは無いか」
老父はそう言うと、血溜まりから近くにあったゴミ箱へと少年達を移した。