葵葉の夢話
「じゃあ俺も仕事に戻るわ」
スケッチブックをパタンと閉じて、葵葉さんに手渡しながら立ち上がると、沢田もまた病室から出て行った。
「ふう。みんな行っちゃったね」
「はい」
「裕樹君はまだここに居てくれる?」
「お邪魔でなければ」
「お邪魔なわけないよ。入院生活て退屈でね、1日がものすごーく長いんだ。だから話し相手がいてくれるのは凄く嬉しい」
そう言いながら葵葉さんは、少し恋しそうに窓の外を眺めた。
何を思っているのだろうか? その横顔は、俺の目にどこか寂しそうに写って見えた。
人が減って、静かな病室内。暫くの間静寂が続いて、何処か居心地の悪さを覚えた俺は、何か話題をふらなければと、勇気を出して声を上げた。
「あの……」
「ん? なぁに?」
それまで窓の外に視線を向けていた葵葉さんが、俺を見る。
「あの……1つ、聞いても良いですか?」
「うん。勿論いいよ。遠慮しないで何でも聞いて」
「あの…………やっぱりいいです」
『沢田とは、どういう関係なんですか?』と喉まででかかった言葉を俺は呑み込む。
医者と患者、以上のものが見え隠れする二人の関係が気になりながらも、やはり俺には聞く勇気が出せなかった。
「え、何々? 途中でやめられると逆にもの凄く気になっちゃうよ~」
「いや、そんな大した事じゃないんで……あ、じゃあ、昨日俺の夢を探すのを手伝ってくれるって言ってくれたじゃないですか。それで、あの、参考までに、大人の経験談を聞いても良いですか? 葵葉さんは今、お仕事ってされてるんですか?」
「お恥ずかしながら、私の経験なんかが参考になるかはわかりませんが……私も一応仕事はしてるよ。と言っても、父親の実家がやってる農業経営の事務仕事を手伝ってるだけなんだけどね。こんな体だから、なかなか一般の企業では雇って貰えなくて、身内のお世話になってます。ごめんね、こんな私の経歴じゃ、なんの参考にもならないよね」
葵葉さんはシュンと肩を落として謝った。
「いえ、そんな事は……。あ、じゃあ、質問変えます。葵葉さんは俺くらいの時、将来の夢とかありました?」
「将来の夢かぁ。漠然とだけど憧れてるものはあったなぁ」
「それ! その話を是非聞かせてください!」
「そんな人に語れるほどはっきりとしたものじゃなかったし、結局夢は夢のままで終わってしまってるわけだけど……それでも良いかな?」
「はい、何か夢を見つけるヒントになるかもしれないんで、是非教えて欲しいです」
必死に食い下がる俺に、葵葉さんは柔らかな笑顔を浮かべながら、「高校生の時の私の夢は、これ」と、スケッチブックを持ち上げてみせた。
「え?」
「私、入院中の暇潰しによく絵を描いててね、あぁ私って絵を描くのが好きなんだなぁ、いつか絵を仕事にできたらいいな~って思ってた時期があったの」
「絵を……仕事に?」
「そう。イラストレーターとか、アニメーターとか、漫画家、絵本作家、デザイナー、漠然とだけど、そんな絵に携る仕事ができたらなって」
当時の事を思い出しているのだろうか、葵葉さんは穏やかな笑顔を浮かべながら自分の描いた絵を一枚一枚捲りはじめた。
前半には“神耶君”の絵が続いた後、ページも半ばに差し掛かると神社や山の風景画が多くなっていた。
そして、最後の方のページになってくると、再び神耶君が登場するも、何故か目や鼻といった顔のパーツが描かれはおらず、どこか抽象的な印象の絵に変わっていた。
そんな、描きかけの神耶君の絵を愛おしそうに手でなでながら葵葉さんは話を続けた。
「私ね、実は高校の時に一度、県の絵画コンクールで賞を貰った事があってね、その時は本当に嬉しくて、大学も美術系の学校に行けたら良いな、なんて事を考えるようにもなっていたの。けど……結局体の事もあってこの町から通える範囲の学校でって考えた時に、美術系の学校は選択肢から外れちゃった。そこからは、夢を思い描く事も……やめちゃった」
先程まで楽しそうに話していたはずが、今はどこか寂しそうに作り笑いを浮かべている。
俺みたいに夢がないのも将来に不安を覚えるが、夢があったらあったで、それもまた別の苦しみが生まれるのかもしれない。と、俺はそんな事を思った。
「なんて、へへへ、こんな話聞かされてもなんの参考にならなかったよね。ごめんね」
「い、いえ、参考にさせて貰います。ありがとうございました。やっぱり夢=好きな事、なんですね。まずは好きな事を探してみようかな」
「そうだね。好きな物を見つけるのが、夢を見つける一番の近道かもしれないね」
葵葉さんはニッコリ笑って俺に賛同してくれた。
「そうだ裕樹君、 私なんかよりもっと参考になりそうな人が一人、近くにいたよ!」
「え? 誰ですか」
「沢田先生!」
「えぇ~、沢田ですか?」
「そうそう。沢田先生は高校時代から医者になるって夢を持ってて、実際にその夢を叶えた人だから、きっと参考になるはずだよ!」
「いや、その話は多分あまり参考にならないかと」
「どうして?」
「俺、医者にだけはならないって決めてるんで」
俺の否定に、葵葉さんは二度目の「どうして?」を言いたげに、キョトンとした顔をしていた。
「そっかぁ。まぁ無理にとは言わないけど、興味が湧いたら聞いてみるのも良いかもね」
その上で葵葉さんは俺に気を使ってくれたのか、それ以上はあまり深く聞いてくる事はせず、俺達の会話は終わりを迎えた。
「失礼します。白羽さん、血圧と体温を測らせて貰っても良いですか?」
丁度その時、看護師さんが葵葉さんの病棟に入ってくる。
「あ、じゃあ俺、席外してきますね」
ペコリとお辞儀をして見せた後、部屋を出て行こうとする俺に葵葉さんは小さな声で「またね」と言った。




