出会い
老婆の姿も、看護師の姿も、そして親子の姿もいつの間にかエントランスから消えていた。
どれ程の時間、俺は一人項垂れていたのか、気が付けば何人もの人が俺の体をすり抜けてはエントランスを出入りして行く。
突き付けられる現実を受け入れられないまま、何とか残された気力だけで立ち上がった俺は、エントランス脇に設置されていたソファーへと無気力に腰掛ける。
まさか、こんなにも突然に、あっさりと人生を終えるなんて、夢にも思っていなかったな。
日々、ただ漠然と過ごしていただけの退屈な毎日だったけど……
将来に大きな夢や希望を持っていたわけでもないけれど……
人より何か抜きん出た特別な人生を送れるなんて、思っていたわけでもないけれど……
たとえごくごく平凡なつまらない人生だったとしても、人並みには歳を重ねて生きていくものだと勝手に思っていた。
それなのに、まさか17歳にしてこんなにも突然、俺の人生に終止符がうたれる事になるなんて、いったい誰が想像できただろうか?
どうしてこんな事になってしまったのか?
どこで道を踏み外した?
俺は何を間違えた?
一人自問自答する中で、思いつく限りの後悔が波のように押し寄せてくる。
あの時、家出なんかしなければ。
じじいと喧嘩なんかしなければ。
反抗などせず、大人しくじじいの示す未来を受け入れていれば、たとえ不本意な未来だったとしても、未来そのものが奪われる事はなかったかもしれない。
下らない意地を張ってしまったばかりに、取り返しのつかない結果を招いてしまった。
そんな悔しさと切なさに、気付けば涙が零れ落ちていた。
だが、後悔した所でもう遅い。
だって俺は、もうこの世の者ではなくなってしまったのだから……
「ねぇ君、どうしたの? どうしてこんな所で泣いてるの?」
ふとその時、俺のすぐ隣から声が掛かった。
「…………えっ?」
驚き顔を上げると、そこには20代半ば程の女の人が立っていて、キョトンと不思議そうな顔で俺の事を見下ろしていた。
「……俺の事が、見えるんですか?」
俺がそう尋ねると、そのお姉さんはニッコリ微笑んで頷いた。
俺と話すその人は、周囲からは奇妙に映るらしく、エントランスを行き来する何人かは、お姉さんを避けるように奇異の視線を向けていく。
何だか申し訳ない気持ちになって、俺はお姉さんに謝った。
「……ごめんなさい……」
「? どうして謝るの?」
「俺の姿は他の人には見えていないみたいなんです。だから、今貴方は周りから気味悪がられてしまっている……」
「私の心配をしてくれてるの? ふふ。君は優しい子なんだね。じゃあ私の病室に行かない? 大部屋なんだけど、今は私以外使ってる人はいないから、そこならゆっくりお話ができるよ。君の泣いてる理由を聞かせてくれないかな?」
お姉さんからの思いもよらない誘いに、俺は最初驚き動揺したけれど、暫く考えた後でコクンと小さく頷いた。
もし俺が本当幽霊になっていたとして、病院の外にも出られない今、頼れるのはこの人しかいないと思ったから――
お姉さんに連れられてやって来たのは、小児科と循環器科病棟が併設されている東館の3階だった。
そこの306号とかかれた部屋へと俺達は入って行く。
4つあるベッドのうち、3つはカーテンが開け放たれており、お姉さんの言っていた通り人が使っている気配は無かった。
窓際の、唯一カーテンが閉められたベッドまで行くと、お姉さんは壁際に立て掛けてあったパイプ椅子を出して、俺に座るよう促した。
「ここが私の病室。いつも退屈にしてるから、気が向いたらいつでも遊びに来て」
「……」
幽霊に遊びに来てなんて、ニコニコ笑顔で言うお姉さんの発言に少し面食らいながら、俺はキョロキョロと辺りを見回した。
ベッドサイドには所狭しと荷物が置かれている。その雑多感が、入院の長さを伺わせた。
初対面の俺からみたら、凄く元気そうに見えるのに……この人はどこが悪くて入院してるんだろう?
そんな微かな疑問がふと俺の中に沸いたけど、初対面のしかも幽霊の俺が、不躾に聞ける内容でもなく、それ以上興味を持つ事をやめた。
「さて、ここなら周りの目を気にすることなくお話できるよ。どうして君はあんな所で泣いてたのか、訊いても良いかな?」
「あの。その前に俺も一つ聞いても良いですか? どうして貴方には俺の姿が見えているんですか? 俺は、俗に言う幽霊……なんですよね?」
「あぁ、そうか。人に何かを尋ねる時には、まずは自分から色々話さなきゃだよね。ごめんなさい。どうして私に君が見えるのかと聞かれれば、それは私にもわかりません。ただね、私小さい頃からよく入退院を繰り返してて、長い入院生活の中では不思議なものを見る機会が少なからずあったんだ。病院って人を助ける場所でもあるけれど、人が死ぬ場所でもあるでしょ。だからなのかな、君みたいに成仏できずに漂ってるいる幽霊と呼ばれる人達を、見かける事が何度かあったの。声を掛けたのはさすがに初めてだったけど」
「……じゃあ、幽霊と話すのは俺が初めて? それでどうして声を掛けようと思ったんですか? こんな存在、気持ち悪いだけでしょ」
「幽霊を怖いって思う気持ちは確かにあるけど、でもそれ以上に貴方の事はほっとけなかったから……かな。寂しそうに泣いてる子をほってなんておけないでしょ」
「……」
幽霊を放っておけないなんて、そんな事をニコニコと笑顔で言うなんて、このお姉さんはきっと変わった人なんだろうなと俺は思った。
「それで、どうして君は泣いてたの?」