目が覚めると
次に目覚めた時、俺の目の前には薄暗い空間が広がっていた。
仰向けに寝転がっているのか、背中にはひんやりとした冷たさを感じる。
「……ここは?」
俺はゆっくりと体を起こし、周囲を見回す。
と、動かした体からは鈍くズキズキとした腫れるような痛みがあちらこちらに走って――
「いってぇ~……」
思わず声が漏れた。
特に強烈な痛みを感じた頭に手をやると、何やら柔らかな布のようなものが巻かれている。
これは……包帯?
「あぁ、そうか俺、事故に遭って……」
意識を手放す前に経験した宙を舞う感覚、地面に叩きつけられる衝撃、今まで経験した事のなかった特異な感覚が鮮明に蘇って、身体中に走る痛みの理由を理解した。
そして、薄闇に目が慣れてきたのか、俺が今いるこの場所は、20畳程はありそうな広い室内空間であるということも理解した。
その空間の中心には、ポツンと存在する台があって、その上に俺は寝かされていた。
頭上には幾多もの電球が埋め込まれた大きな照明器具が天井からぶら下がっている。
壁際には医療ドラマ等で見たことがあるような、様々な機械や薬品棚のようなものが並んでおり、それら目につくものから、もしかしてここは手術室という場所ではないかと推測した。
……でもどうして俺は一人、電気もついていない薄暗い手術室の中にいるのだろうか?
ぶち当たった謎をの答えを、いくら考えてみたところで俺にはこれ以上の事は分からなかった。
解けない疑問の前に、俺は手術台であろう場所から降りて立ち上がると、入り口らしき扉の前に移動した。
すると扉は自動で左右に開き、俺を薄気味悪いそその部屋から出してくれた。
扉を出たすぐ目の前には壁があり、右を向くとすぐそこにも壁がある。
今度は左を向いてみると、少し離れた先に扉のようなものが見えた。
だから俺は、とにかくここから出なければと、進行方向を左に定めて、2つ目の扉を目指して細く伸びる廊下を進んだ。
突き当たった所で2つ目の自動ドアが開き、俺を賑やかな空間へと導いた。
ドアを抜けた先には、病院着で点滴を引きずり歩く老婆や、車椅子に乗る子供の姿、そしてその車椅子を後ろから押して歩く看護師の姿が目について、やはりここは病院だったのだと確信した。
そして俺は、一人手術室に取り残されていた理由を求めて、子供が乗る車椅子を押しながら俺のすぐ目の前を通り過ぎて行こうとする看護師に声をかけた。
「あの……」
だが、看護師の女性は急いででもいたのか、俺の方には目もくれずに、無言で過ぎ去って行ってしまう。
「なんだよ……無視かよ」
無視されてしまった事に項垂れ視線を下げると、その時初めて俺自身も病院着を着ている事に気が付いた。
「……え? どうして俺までこんな格好してるんだ?」
事故に遭った事までは思い出せても、それ以降の記憶は思い出せない。
事故にあって、救急車で病院に運ばれて来たであろう事は何となく想像がつく。
が、だとしてもどうして俺は薄暗い手術室に、こんな格好で一人取り残されていたのだろうか?
その疑問だけはやはりいくら考えても答えが導き出せなくて、俺は仕方なく何か手掛かりを探しに一人病院内をさ迷い歩いてみる事にした。
身体中に走る痛みをこらえながら、ゆっくりと病院内を歩く中、俺は1つ分かった事があった。
それは、この病院がじじいの病院であると言う事。
見覚えのある景色にすぐ分かった。
町唯一の総合病院なのだから、救急で運び込まれても仕方がないと言えば仕方がない。
だが、せっかく家を飛び出したのに、事故って速攻じじいの世話になったなど、我ながら情けなくて、俺は謎の答え探しを早々に諦め、病院から逃げ出す事にした。
じじいと鉢合わせる前に、早くここを出なければ。
俺は、手術室がある東棟から、足早に渡り廊下を渡り本館へと向かう。
本館は外来患者を診るための診察室があるせいか、東棟に比べて人が多い。
その本館に設置されたエスカレーターに乗って1階へ降りた俺は、病院のエントランスへと向かった。
エントランスもまた、来院の患者から診察を終えて帰る患者が入れ代わり立ち代わり入っては出てを繰り返し賑わっている。
その人の流れに乗って俺も病院の外へと出ようと一歩足を踏み出した、その時――
急に何かに阻まれたように俺の体は弾きとばされ、その勢いのまま床に尻餅をついてしまった。
「……え?」
再び外へ出ようと立ち上がり一歩足を踏み出すも、やはり先程と同じように何かに弾きとばされてしまうばかり。
そこにはまるで、見えない壁が存在しているかのように。
俺のすぐそばでは、何人もの人がエントランスを出たり入ったりしているのに、どうして俺だけが阻まれてしまうのか?
更に不思議な事に、弾き飛ばされ座り込む俺の姿は周りから見れば酷く奇妙で、人の視線を集めそうなものなのに、何故か誰一人として俺の事を見ようとはしなかった。
まるで俺の存在をここにいる全員が無視しているかのように、何事もないかのように素通りして行くのだ。
目の前の不思議な現象に、一体何が起こっているのかと、理解出来ないまま俺は途方に暮れていると、一人の老婆が杖をつきながら、よぼよぼと危なっかしい足取りで病院へ入ってくる姿が目に止まった。
そして今度は俺の後ろから「お母さん早く」と母を呼ぶ子供の声が聞こえたかと思うと、バタバタと元気な足音を立てながらエントランスへ駆け込んで来て、よそ見をしていた子供は正面から老婆とぶつかってしまった。
二人は互いに尻餅をつき、その場に座り込んでしまう。
子供の元へ急いで駆けつけた母親らしき女性は、何度も何度も老婆に向かって謝罪を繰り返しながら、まずは子供を立たせた後で、老婆の事も立たせようとした。
だが、例え老婆が痩せているとはいえ、子供とは違う大人の体格の老婆を、女性一人の力だけで立たせる事は難しい様子で、俺は急いで二人の元へ駆け寄った。
「あの、大丈夫ですか? 俺も手伝います」
と、俺は老婆の左側から老婆に向けて手を伸ばした時
「どうされました? 大丈夫ですか?」
俺のすぐ後ろから若い女性の声がしたかと思うと、俺の体を貫いて、声の主であろう女性の手が、老婆の体を支えた。
「…………え?」
突然自分の胸元あたりから、人の手が突き出てきた事に驚いた俺は、「うわぁぁ」と声を上げながらすぐさまその場から飛び退いた。
だが、そんな俺の悲鳴にも似たその声を無視して、母親と老婆、そしてナース服を着た若い女性の看護師、3人は会話を続けた。
「あ、あの、この方が子供がぶつかって倒れてしまって……」
「そうでしたか。おばちゃん大丈夫? どこか痛い所はない?」
「あぁ。わたしゃ大丈夫よ。けどねぇ、上手く立ち上がれんでねぇ」
そんな3人の会話を遠くに聞きながら、彼女達のすぐ側で、俺は呆然と自身の体を見下ろした。
エントランスに差し込む太陽の光の下、よくよく見れば、俺の手先や足先はうっすら透けて見えるではないか。
先程看護師の女性の手が俺の体をすり抜けたこととといい、もしかして俺の体全身が……透けているのか?
先程から感じていた違和感。誰も俺を見ようとせず、誰からも無視され続けていたと思っていたのは、俺の存在が誰からも見えていなかったということなのか?
――でも、どうして?
どうしてこんな夢みたいな状況に陥っている?
目の前の出来事や状況から導き出した推論の果てに、やはり最後辿までは辿り着けない最大の疑問。
その疑問に対して、考えられる理由が一つだけ、俺の頭をよぎって行く。
そして、今まさに頭に浮かぶその理由を、声に出して呟いてみる。
「俺……死んだのか? 死んで今俺は、幽霊になったのか?」
人から見られていない自身の透ける体と、最後に残る事故の記憶とを照らし合わせ、最終的に辿り付いた答えに、俺は愕然とした。
到底信じられない、信じたくない現実に、俺は体から力が抜けて行くのを感じて、情けなくも俺はその場にヘナヘナと座り込んでしまった。




