忘れたくない大切なもの
家へと帰りついた私は靴を脱ぎ捨て、慌ただしく階段を駆け上がって行く。
ドタバタと慌ただしい足音に、お母さんが居間から顔を出した。
「え、葵葉ちゃん?! 学校は? どうしたの?」
突然の私の帰宅に驚くお母さんの声も無視して、私は部屋へと駆け込んだ。
部屋へ入るなり、元旦の朝、本棚へと閉まったあのスケッチブックを引っ張り出すと、それを 乱暴に捲っては一枚一枚確認して行く。
このスケッチブックには確か、神耶君をスケッチした絵が何枚も何枚も詰まっていたはず。
神耶君が私を描いてくれた絵だってあったはずなのに――
でも、何度確認してみてもページは真っ白のまま、何も描かれてはいなかった。
私は悔しさに唇を噛みながら、更なる手掛かりを探して今度は押し入れの中を漁った。
そしてそこから一枚のキャンパスを見つけ手に取る。
このキャンパスには一度この町を離れ東京で入院生活を送っていた時に描き進めていた、神耶君がモデルの人物画が描きかけてあったはず。
けれど、こちらもスケッチブック同様、まるで最初から何も描かれてなかったように真っ白のまま綺麗な状態で、思わず錯覚してしまいそうになる。私の記憶が幻で、神耶君など本当はいなかったのではないかと。
その後、いくら部屋中をひっくり返して探してみても、クリスマスに神崎君がUFOキャッチャーで取ってくれたくまのぬいぐるみや、神耶君が選んでくれたフリルのついたスカート、神耶君の記憶に繋がる全ての物達が私の部屋から綺麗に
消えて失くなっていた。
神耶君がいたと言う証を、あのノートの落書き以外何も見つけられない現実に、私は呆然と部屋の中立ち尽くす。
「どうして……どうして何もかもが消えてるの? 神耶君は確かにいたのに。 私の隣にいてくれたの。どうして神耶君に関する全てのものが消えてるの? 」
思わず漏れた弱音と共に涙がポロポロと溢れ落ちた。
「嫌だよ……神耶君が消えて、神耶君に関する記憶まで消えて失くなっちゃうなんて、そんなの絶対嫌だよ。 だって神耶君は私のヒーローで、私の大好きな人なのに。 お願い……お願いだからこれ以上私から神耶君を奪わないで。神耶君との大切な思い出まで奪わないで!」
もう感情のコントロールが出来ない小さな子供のようにわんわん泣きながら、私は天に祈るような気持ちで私の中に膨れ上がった悲しみを吐き出していた。
私の頬から流れ落ちる涙がボタボタと、手に持っていたスケッチブックにまで落ちていく。
――とその時、手に持っていたスケッチブックにある変化が起きている事に気が付いた。
「……え?」
私の涙で濡れたスケッチブックは僅かな光を放ち、濡れた箇所からうっすらと、消えたはずの神耶の絵が少しずつ浮かびあがってくるのだ。
まるで私の想いに応えるように。
「神耶君っ……」
私のぼんやりとした記憶の中の神耶君と、同じ面影が“絵”と言う形になって再び私の前に現れはじめ、言葉にならない嬉しさが込み上げる。
涙でボロボロだった顔を更に涙で汚しながら、私はその様子をじっと見守った。
そしてついにスケッチブックが、完全に元の姿を取り戻した時、一度は消えて失くなっていたはずのくまのぬいぐるみや、フリルのスカート、そしてキャンパスに描いた絵、神耶君に関する記憶の欠片達がもとあった場所へとすっかり戻っていた。
「……戻って……きた。……戻ってきた。神耶君が……戻ってきた」
神耶君との思い出の詰まった、それら全てのものを腕に抱きながら、私は愛おしげにぎゅっと強く抱きしめた。
「お帰りなさい、神耶君」
後から後から流れてくる涙を制服の袖で拭きながら、私は一人ある決意を胸に誓う。
――『俺をモデルに描いてよ、葵葉』
「うん、描くよ私、神耶君の事を。神耶君との思い出を。神耶君が生きていた証として絵に描いて残すよ」
神耶君と交わした約束を思い出しながら、私は病院に入院している間描いていた、描きかけの神耶君の人物画をキャンバススタンドへと立て掛けた。
そして、夢中になって絵に描いた。
私の中に確かに残る神耶君の思い出を――




