思いがけない出来事
看板を飾り終えて教室に戻った時、時計の針はもう12時を過ぎていて、クラスメイト達はそれぞれに昼休みを過ごしていた。
もう午前中が終わってしまったのかと、今日はなんだか時間の経過がいつもより早く感じる。
看板作りを終えた後は宣伝用のチラシ作りにプラカード作り、それから美術部の展示準備もしなければならないのに。
いつもなら屋上へ食べに行くお昼ご飯。だけど今日ばかりは教室で食べる事にしよう。お昼を食べながら少しでも準備を進めたいから。
席に座って一息つく。
すると忙しく動き回っていた時には感じなかったある違和感に気付いた。
「どうした葵葉、ぼ~っとして?」
心配そうに私の顔を覗き込みながら、神崎君が声をかけてくる。
「………ううん。何でもないよ」
「そうか? なら良いけど。じゃあ俺、ちょっと購買でパン買ってくるわ」
「うん、行ってらっしゃい」
購買へ行くと言う神崎君を見送りながら、私は一人お弁当を広げ食べ始めた。
「…………」
けれどどうしてかな。今日は何だか食欲が湧かなくて、箸が進まない。体も何だか怠い気がして頭がぼ~っとしている。
クラスメイト達の賑やかな談笑もどこか遠くに聞こえていた。
あれ、やっぱり何かおかしいなと、そう思った時にはもう遅く、私の記憶はそこでプツンと途切れた。
***
「…………ん……」
「葵葉! 起きたか! 大丈夫か? 痛い所とかないか?」
「…………お兄……ちゃん……?」
気が付くと、私はベッドの上で横になっていて、心配そうなお兄ちゃんの顔がそこにはあった。
「……どうしてお兄ちゃんがいるの?」
不思議に思って体を起こせば、兄ちゃんの隣には私の主治医の沢田先生と、見知った看護師さんの姿もあって――
「……もしかしてここ……病院? どうして私……病院にいるの?」
さっきまで文化祭の準備で学校にいたはずなのに、何故か今は病院のベッドの上にいる。この状況が上手く理解できなくて、私はお兄ちゃんに尋ねた。
「覚えてないのか? 文化祭の準備中に倒れたんだよ」
「え? 私……倒れたの?」
「そうだ。クラスで弁当食ってる途中に急に意識無くして倒れたって。神崎とか言うあの赤毛のムカつく男がお前を保健室まで運んだらしい。そう俺は保健の先生に聞いたんだけど……葵葉は何も覚えてないのか?」
「…………」
覚えてないかと聞かれても、私は何も思い出せなくて言葉に詰まった。
「どうやら熱があったみたいだね。文化祭の準備でちょっと無理しちゃったかな?」
お兄ちゃんに代わって、今度は主治医の沢田先生から優しい口調で問い掛けられた。
先生に図星をつかれた私は、自身の否を認めて素直に謝罪の言葉を口にする。
「…………ごめんなさい」
シュンと項垂れる私をみかねてか、沢田先生は怒ることはせず優しく諭してくれる。
「まぁ仕方ないよね。文化祭だもんね。学生時代にしか体験できない一大イベントだ。頑張りたくなっちゃう気持ちもよく分かるよ。けど、葵葉ちゃんは人より少し疲れやすい体だから、あまり無理はしちゃいけないよ」
「……はい……ごめんなさい……」
「取り敢えず今日はこの点滴が終わったら帰って大丈夫。けど……残念だけど明日の文化祭は……」
「……分かってます。明日は学校を休みます」
「ごめんね。せっかく楽しみにしていた文化祭だったのに」
「いえ。先生が謝る理由なんてありません。体調管理が出来なかった自分が悪いんだから」
駄々をこねて先生を困らせるわけにもいかないと、いつもみたいに聞き分けの良い子を演じて返す言葉とは裏腹に、私の頭の中は今日神崎君と交わしたあの約束が離れなくて、上手く笑う事が出来なかった。
***
それから暫くしてお母さんが私とお兄ちゃんを迎えに来てくれて、私達は病院を後にした。
帰り道、お母さんの運転する車の中、お兄ちゃんもお母さんも私に気を使っているのかとても静かで、カーステレオからながれるラジオの音だけがやけに大きく聴こえていた。
「…………」
「葵葉……落ち込んでるのか?」
ずっと黙ったまま、ぼんやりと無表情に外を眺めていた私にお兄ちゃんが遠慮がちに話し掛けて来る。
そんなお兄ちゃんに私は、視線を外の景色に向けたまま静かな声で尋ねた。
「………ねぇ、お兄ちゃん。私、最後まで手伝えなかったけどクラスの準備はもう終わったのかな?」
「あ、あぁ、きっと大丈夫だ。皆、お前の分も頑張ってくれてるさ」
「………そっか。私なんかいなくても、きっと変わらず、上手く回ってるよね」
「……………」
私の卑屈な返しにお兄ちゃんからの言葉はない。
せっかく励まそうとしてくれたお兄ちゃんを、きっと困らせてしまったのだろう。
本当はもっともっと胸の中に駆け巡るこのもやもやした感情を吐き出してしまいたかった。
何かに八つ当たりしてしまいたかった。
けれど、これ以上吐き出してしまったら、お兄ちゃんやお母さんをただ困らせしまうだけだから……たがらこれ以上醜い感情を口に出す事はやめた。
あぁ……明日の神夜君との約束はどうしよう。せっかく誘ってくれたのに……調子に乗って約束なんてしなければ良かった。
役たたずの私は、また安藤さんやクラスメイト達を怒らせてしまっただろうか。もう怒りを通り越して呆れられてるかもしれないな。一体どんな顔して休み明け登校すれば良いのだろう。憂鬱だ。
そう言えば美術部の展示会の準備はどうなったのだろうか。せっかく頑張って仕上げた絵も、結局は日の目を見ることは出来なくて、無駄に終わっちゃったな。
……あぁ、やっぱり……やる気になんてならなければ良かった。やる気になって頑張らなければ、熱を出す事もなかったかもしれないのに。
文化祭に参加出来なくて、こんな悔しいなんて感情も、寂しいなんて感情も、知らずにすんだかもしれないのに。
口には出さないと決めた後も、心の中にもやもやと醜い負の感情が沸き起こってくる。
声に出してはいけない。これ以上家族を困らせてはいけないと、それらの感情を心の奥深くに押し込めようとすればするほど私は感情を上手くコントロール出来なくなって、じわりと涙が込み上げて来た。
だから私は涙を隠すように家へと帰る車の中、ずっと家族に背を向けたまま、一人窓の外を眺め続けていた。
 




