文化祭の準備
神崎君と、看板作りを初めて――
気付けばもう2時間が経とうとしていた。
A2サイズの画用紙に、温泉の絵とクラス、それから簡単な出展内容の説明を配置したラフ絵を描き終えた所で、神崎君が突然に予定にはなかった落書きをし始める。
「ちょっと、何で猿なんて書き足してるの? 勝手に落書きしないで~」
「落書き? 違うって。これはクラスの出展内容をアピールしてるだけだ。この猿達が、こうして温泉で紅茶だのケーキだのを飲み食いしてた方が分かりやすいだろ? だってうちのクラスは足湯兼喫茶店なんだからさ」
「温泉に浸かりながら紅茶やケーキなんて食べないよ。そもそも猿なんて関係ないもの描いたら、ふざけるなってクラスの人達に怒られちゃう」
「宣伝なんだから、どんだけ目を引き付けられるかが勝負だろ? 面白いもん描いた方が絶対目立つって!」
「でも……」
方向性の違いから、ラフ画を書き上げるまでにも何度となく喧嘩を繰り返した神崎君と私。
お互いに自分の主張を譲らないものだから、なかなか作業は前に進まない
「よ、お二人さん。そっちの作業は順調か? 俺ら今日はもう上がろうって話てたんだけど……」
そんな私達に、隣で作業していた井上君から声がかかって――
「あ、井上、良いところに! 聞いてくれよ。葵葉の奴、俺が猿を描いたらふざけるなって怒るんだぜ。温泉っつったら普通猿だよな?」
「は? 猿? 突然何の話だよ?」
「だから、看板の話だよ!」
「は? 看板? 猿?」
「ほら、井上君だって困ってる。やっぱり足湯の看板に猿なんて必要ないんだよ。神崎君、もっと真面目に考えようよ」
「いや、待て白羽。困ってる理由はそんな事じゃなくて、足湯の看板に猿がいようがいまいが別にどっちでも良くね? 何を二人は喧嘩してるのかって言う……」
「「良くない!」」
「……う〜わ、相変わらず息ピッタリだなお前ら。喧嘩も良いけど、あんま時間もないんだから程々にしとけよ。で、俺ら今日は帰るけど、お前らはどうする?」
「え? もうそんな時間なの?」
井上君からなされた質問に、思わず驚きの声をあげる私。
その横で、神崎君にも質問の答えを求められた。
「どうする葵葉?」
どうすると聞かれても、どうしよう?
看板づくりの作業は、思いの外進められてはいないのだけれど、あんまり遅くなるとまたお兄ちゃんが心配して面倒な事になるかもだしなと、先週の部活で帰りが遅くなった日の悪夢を思い出して、私は小さく身震いした。
散々悩んだ末、私が出した結論は
「私も今日な帰ろうかな」
「葵葉が帰るなら俺も帰る。よし、続きは明日な」
「うん」
廊下で共に作業をしていたクラスの男の子達と一緒に、続きを明日にして今日は帰る事にした。
廊下に散らかした道具を片付け終え、ぞろぞろと教室に引き上げていく男の子達。
その群れに混じって、私も一度鞄を取りに教室に戻る。
「朔夜、途中まで一緒に帰ろうぜ」
「おぅ」
私の一歩後ろで交わされる井上君と神崎君の会話を、どこか他人事のように聞きながら、帰り支度を終え鞄を手に持った私は、一人教室を出て行こうとした。
すると突然、後ろからマフラーをぐいと引っ張られて、軽く首を絞められる。
「ぐぇっ……」
何とも情けない声を漏らしながら、一体何事か後ろを振り向くと、神崎君が私のマフラーを掴んでいて――
「何先に帰ろうとしてんだよ葵葉。まだ俺の支度終わってないんだからさ、もう少し待ってろよ」
さも当たり前のように驚きの言葉を口にする。
「え? でも神崎君、井上君と帰るんじゃ……」
「井上、葵葉も一緒に良いだろ?」
「あぁ、もちろん。お前らいつもセットだしな。俺もそのつもりで誘ってた」
「………え?」
まさかの井上君まで神崎君の驚き発言に同調を示して、予想外過ぎるの展開に私は動揺のあまり固まってしまった。
実は今日は帰る前に、一ヶ所寄りたい場所があったのだけれど……
神崎君と井上君、二人がせっかく揃って誘ってくれたのだから、この誘いは受けるべきか。
それとも断るべきか。
暫く考えた後、私は恐る恐る口を開いた。
「ごめんなさい。私、帰る前にちょっと美術室に寄ろうと思ってて、だから……」
せっかく誘ってくれたのに申し訳なかったのだけれど、私は神崎君と井上君の誘いを断わる事を選んだ。
「なら俺も付き合ってやるよ。悪いな井上。って事だから今日はパスだ」
「おぉ、分かった。じゃあ俺は先帰ってるわ」
「えっ!?」
けれど、事態はまたまた予想外の展開へと進んで行って――
「神崎君、私は一人で大丈夫だから、井上君やみんなと帰って」
「何言ってんだ白羽。お前女の子なんだから朔夜に送ってもらえよ。夜道の一人歩きは危ないぞ」
「そうだそうだ!」
どうやら二人の中には、私と神崎君が別々に帰ると言う選択肢はなかったようで、結局断りきれなかった私は、井上が昇降口に向かう途中までは3人で帰ろうと言う所で話は落ち着き、3人揃って教室を出る事になった。
私達がいなくなった教室で、女子生徒達がどんな話をしていたかも知らずに――
「じゃあな朔夜、白羽、また明日」
「おう、また明日な、井上」
渡り廊下のある2階まで下りた所で、私達は井上君と別れた。
その後渡り廊下を渡って、東校舎の1階にある美術室を目指しながら私は神崎君に話し掛ける。
「別に、付き合ってくれなくても良かったのに」
「ば~か。本当は一人で東校舎に来るの怖かったくせに。こっちは特別教室ばっかで人気ないしな」
「私、別に怪談とか平気だよ」
「可愛くね~奴。人の厚意は黙って受けとっとけば良いんだよ。そんな事より、美術室に何しに行くんだ?」
「文化祭で美術部員として展示する作品を、家に持って帰ろうと思って」
「? 何でわざわざ?」
「家で仕上げてこようかなって」
「は? わざわざ家でやんの? 面倒くせぇ」
「だって、部活の時間だけじゃ当日までに間に合いそうにないんだもん」
「ふ~ん。でも、只でさえクラスの準備で帰り遅くなってんのに、そっちを進める時間なんてあんのか?」
「……うん、何とか頑張る」
「あんま無理すんなよ。お前、体弱いんだから」
「大丈夫だよ。最近は発作起こってないし、安定してるって。だからこそ病院の先生も文化祭まではって、通院回数を減らしてくれたんだし」
「……なら良いんだけどさ。とにかく、お前はあんま無理すんな。分かったな」
「は~い、気を付けます。なんか神崎君、口うるさいお母さんみたい」
「はぁ? 誰がお母さんだ。お前がいちいち無理しようとするから口うるさくなるんだろうが。言われるのが嫌ならお前が自分で気を付けろ」
「…………」
口調は乱暴だけど、神崎君なりに私の事を心配してくれているのが伝わってきて、その心遣いが何だか嬉しかった。
でも、やっぱりちょっと気恥ずかしくもあって、ついつい照れ隠ししてしまう。
「はいはい。分かりましたよ、お母さん」
「だから、誰がお母さんだ!」
本気で怒る神崎君に、自然と笑いが溢れた。
人前で声を出して笑ったなんていつぶりだろう。
そんな事を考えていると、私達ら丁度美術室の前へと到着した。
「ほら着いたぞ。とっとと用事すませて帰ろう」
「うん」
私の背中を押して、美術室へと送り出してくれた神崎君。
そんな彼の方を振り返ると、さっきは強がって素直に言えなかった言葉を私は小さく口にした。
「ありがとう、神崎君」
照れくささから、なかば俯きがちで、神崎君の事を直視は出来なかったけど、彼の顔が一瞬赤く染まって見えた。そんな気がした。
その後、美術室での用事を終えて共に歩いた帰り道では、気のせいかいつもより幾分か神崎君が大人しかった。そんな気がした。