気になる存在
――3日後・週明けの月曜日。
休み気分がまだ少し抜けきらない事以外は、普段とあまり変わらない、穏やかでのんびりとした午前10時。
2時間目の授業時間である今の時間、1-2組のクラスでは数学の授業が行われていた。
いつもと変わらない日常、いつもと変わらない風景の中、ただひとつ、いつもと違う事柄があった。
それは、神崎君の事が妙に気になって仕方がないと言う事。
朝から一人そわそわして、何故だか隣ばかりを気にしてしまう。
2時間目のこの時間も、ふと彼に気付かれないよう、横目でチラリと盗み見れば、授業中だと言うのに堂々と机に突っ伏して、居眠りしている神崎君の姿があった。
彼の行動に若干の呆れを覚えつつも、その反面ほっと胸を撫で下ろしながら私は、気持ち良さそうに眠る彼の姿を暫くじっと見つめていた。
――『指切りげんまんうそついたら針千本飲~ます。指切った』
寝顔を見つめながら、3日前に強引に彼と交わされた指切りを思い出す。
あの瞬間、頭の中に甦えってきた“何か”。
でもその“何か”が何だったのか、3日経った今もまだ思い出せずにいる。
あの時確かに感じたのものは、どこか懐かしく、温かい気持ち。
あの感情の正体がいったい何だったのか、思い出したくて思い出せないこの違和感に、モヤモヤとしたしこりが今もまだ残り続けている。
――『俺をモデルに描いてよ。葵葉ならかけるよ』
何故あの日彼は、自分をモデルに絵を描く事を願い出たのか?
何故私自身描いた経験のない人物画を、まるで描いた事があるかのように描けると断言出来たのか?
そもそも、何故神崎君は転校初日から私なんかに馴れ馴れしく構ってくるのか?
何故先生達以外誰も知らないはずの私の病気の事を知っていたのか?
彼に関して、以前から不思議に思う事が多くて、あの日交わした約束の中に、それら私の中で引っ掛かっている謎の答えを知り得る手掛かりが隠れているような気がして、今まで以上に私は神崎君の事が気になって仕方なくなってしまっていた。
ふと気がつくと、自分でも無意識のうちにノートの上にシャーペンを走らせていて、私は彼の無防備な寝顔をスケッチしていた。
そして、数学の授業もそっちのけに、その後何枚も何枚も彼の姿をスケッチし続けた。
――キーンコーンカーンコーン
授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
その音に、神崎君の瞼も開かれる。
スケッチの為、神崎君へ向けていた私の視線と、目覚めたばかりの彼の視線が重なった。
「っ………」
気まずさに慌てて視線を反らした私だったが――
時既に遅し。
「何してんの?」
からかうような口調で彼に問われる。
「な、何でもないよ」
「嘘つけ。今、俺の寝顔見てただろ。スケッチでもしてた? 葵葉のエッチ」
「なっ?!ち、違うもん!そんな事してないもん!!」
誤魔化そうと必死に平静さを装うが、全くの図星をつかれて、恥ずかしさのあまり耳まで赤くなるのを感じた。
それでも必死に否定するものだから、ついつい声は大きくなって
「こ~らうるさいぞ~白羽、神崎。お前達二人、じゃれてないで早く立て」
数学の高橋先生に注意をされてしまう。
「す、すみませんっ!」
慌てて先生に視線を向ければ、いつの間に起立の号令が掛かっていたのか、立ち上がって私達二人を迷惑そうな顔で見下ろすクラスメイトと、先生の呆れ顔がそこにはあった。
と同時に、クスクスとバカにしたような笑い声や、ヒソヒソと冷ややかな話声が聞こえてくる。
私は急いで立ち上がるも、そこにもし穴があったならば入りたい程の恥ずかしさが込み上げて来て、授業終了の礼の後も、私は暫く顔を上げる事が出来なかった。
「まぁまぁ、そんなに落ち込むなって」
「もう! 誰のせいでこんな事になったと思ってるの! 神崎君のせいなんだからね!!」
恥をかかせた張本人の無責任な言葉に、堪らずキッと神崎君を睨みつけつける。
だが神崎君は涼しい顔をして笑っていた。
「で? 俺をモデルに描いた絵はイケメンに仕上がってるか? ちょっと見せろよ」
それどころか、人のノートを勝手に奪って開き始める始末で――
「ダメ!!」
私は慌ててノートを神崎君から奪い返した。
「いいだろ少しくらい。見せろって」
それでも諦めずに私の腕の中から再びノートを奪おうとする神崎君に、私は必死に抵抗した。
「お~い神崎~」
その時、教壇の上から神崎君を呼ぶ高橋先生の声が。
「ほら、先生が呼んでるよ!」
「何すか先生。俺、忙しいんすけど」
チッと小さく舌打ちしながら、神崎君は面倒くさそうに返事をする。
先生にそんな態度で大丈夫なの? と、見てるこっちがヒヤヒヤしたが、高橋先生は別段気にした様子もなく、用件を続けた。
「お前、俺の授業中に堂々と寝てただろ。罰として職員室までこれ運べ」
ポンポンと教卓の上に高く積まれた数学の問題集を叩く先生。それは授業開始前に集められたクラス分の宿題。
「げ……その量を一人で? んな無茶な」
ガックリと項垂れる神崎君に、もうすぐ定年退職を迎えようかと言う初老の高橋先生は、白髪混じりの髪をかきあげながら、涼しい顔で厳しい言葉を投げた。
「無茶じゃない。お前の自業自得だ。こき使われるのが嫌だったら、今後授業中に寝ない事だな」
「………うぃ~す」
観念したのか、渋々と高橋先生の元へ歩みを進めた神崎君。それからは素直に、先生に言われたとおり高くつまれた問題集の山を持ち上げて、高橋先生の後ろについて教室を出て行った。
その後ろ姿を見送りながら、私は小さく溜め息を吐く。
ひとまずは……助かったと。
心の中で高橋先生に感謝した。
彼のいない今のうちに私は、神崎君をモデルにスケッチしていた数学のノートを、急いで鞄の中へと押し込んだ。
「…………はぁ」
これで一安心。
私は安堵からか、再び溜め息を漏らした。
***
――その日の放課後。
12月に入り、いよいよ今週末に近付いた文化祭に向けて、今日もクラスでは文化祭の準備が進められている。
金曜日に部活を優先させてしまった事を反省して、病院の通院日を今週いっぱい休みにして貰った私は、この日初めて、クラスの準備に参加した。
「あ、あの……安藤さん、私にも何かお手伝い出来る事はないでしょうか?」
初めての事に、何をすれば良いのか分からず手持ち無沙汰になっていた私は、文化祭のクラスリーダーでもある安藤さんに指示を仰ごうと、声をかけた。
「別に人手は足りてるし、忙しい白羽さんには手伝って貰わなくても大丈夫だけど。やることがないなら帰ったら。ただ居られても邪魔だし」
だが返って来たのは冷たく突き放すような厳しい言葉。
どう反応を返せば良いのか言葉に詰まった私は、へへへと作り笑いを浮かべて、その場を取り繕うような反応しかできなかった。
「何葵葉、お前手空いてんの? ならこっち手伝えよ。安藤、こいつ借りてくな」
そんな時、神崎君がひょっこり私の後ろから現れて、私の腕をガッシリ掴むと、強引に廊下まで引っ張って行く。
廊下ではクラスの男子生徒が大勢集まっていて、当日教室を飾りつけ為の飾りや小道具をみんなで作っていた。
「お、来た来た美術部員! 待ってたぞ白羽。手空いてたらさ、朔夜と一緒に客引き用の看板作ってくれよ。当日うちのクラスが繁盛するかはお前達の腕に掛かってる、センス良く頼むな」
「う、うん! 任せて!」
もう一人の文化祭クラスリーダーである井上君が私に言う。
仕事を任された事が嬉しくて、私は力強く返事をした。
けれど――
そんな私のやる気と反比例して、教室内で作業している女子生徒達の視線は冷たい。
チクチクと背中に突き刺ささるいくつもの視線に、私は気まずさから、彼女達の方を振り向く事が出来なかった。
そんな私に気付いたのか、神崎君がそっと耳打ちする。
「周りの声なんて気にすんな。この仕事はお前が適任だ。お前は、お前に出来る事を頑張れば良い」
「…………うん」
少し前までは、周りからどんな視線を向けられようと、何を言われようと、何を思われようと、別に何の感情も湧いて来なかったはずなのに、何故か今は周囲から向けられる視線や声に、心が痛む。
自分の中で、何か変化が起こり始めているのを感じた。
その事実に、我ながら戸惑いを覚える私がいた。




